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2006年2月

2006年2月19日 (日)

サッカー・フランス1部リーグ「PSG 対 ル・マン」(於パルク・デ・プランス)

 元京都パープルサンガの松井大輔がル・マンのレギュラーとしてパリにやってくるというので、人を誘って土曜日のパルク・デ・プランスに、対パリ・サンジェルマン戦を観に行った。非常に寒い晩。だが席は値段の割にはよい位置だった。
 ゲームの方は、やはりというべきか PSG がきちんと組み立てて合理的な(つまり理に適った)攻め方をするのに対し、ル・マンはそういう型をそもそももっていないように見えた。松井は守備をある程度まで免除されているのだろうが(実際、その守備は小学生みたいに足先だけを伸ばすようなものだった)、そういう点も含めて「緩い」、浮ついたチームなのだ。そういうのは決して嫌いではない。勝負としては、それこそ浮ついた形で入ってしまった決勝点を、(特に後半の)守備陣のがんばりと、GK プレのまさに鬼神並みの働きで守りきってしまったのも、何だかよかった。
 松井自身は体調がよくなかったようで、ほとんど活躍する場面を見られなかったのは残念だが、フランスでの初めてのフットボール観戦としては上々だったと思う。隣のパリジャンが盛んに Putain ! その他の呪いの言葉を発していたのも興味深かった。
 それにしてもフットボール競技場はどうして機動隊が出動するのだろうか。いや、理由はわかっている。危険だからだ(後日譚としては、実際にこのパルク付近でマッチ後に果たして人が亡くなるという痛ましい事件が発生してしまった、合掌)。リスボンのルス・スタジアム(ルスとはポルトガルの古名)、つまりユーロ 2004 の決勝が行なわれることになる競技場でポルトガル・スーペル・リーガのゲームを見たことがある。2003 年春の地元ベンフィカ対 FC ポルトだ。ポルトにやたら上手いプレーヤーがいるなと思っていたら、それはのちに代表の中心選手となるデコだったのだが、それより何より、スタジアムの雰囲気が正直いって怖かった。発炎筒はパリでも盛んに投げ込まれるし――ボディチェックはどうなっているんだ――、アウェー・チームを警官が護衛するというのも同じ風景ではある(パルク・デ・プランスでは横だけでなく上も頑丈そうなフェンスで保護されていた)。
 だが、試合中にわたくしの前に座っていた若い男性がやおら立ち上がり、右手を前方に突き出すあの敬礼ポーズで「ベンフィーカ」と叫び始めたのだ。その仕種だけで厭な予感したのだが、さらに悪いことに、わたくしの右に座っていた家族連れの男性(三十歳台と思う)も呼応するかのように立ち上がり、同じポーズをとるではないか。そして別の方からも、同様の「ベンフィーカ」が聞こえてきた。もちろんベンフィカ・サポーター全員がそうやったわけではないが、チームが結局負けたこともあり、わたくしは帰りの地下鉄で内心非常に恐ろしさを感じたのだった。
 同じフットボールとはいえ、ラグビー観戦は全く違った雰囲気になる。日本ではあまり人気がないということもあり、たとえていえばGI じゃないレースの行われる淀競馬場のようだが、フランスでは、いちおう国技ということもあるし、代表「レ・ブルー」は安定した強さを誇っているし、人気はきわめて高い。実際、スタッド・ド・フランスの観客動員数記録の上位を占めるのは全てラグビーであり、しかも第一位は、テストマッチではなく、国内リーグ戦トップ14の試合なのだ。家族連れで安全に観戦することができるのも理由のひとつなのだろうか。

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2006年2月15日 (水)

アンヌ・ゴダール『癒しえぬもの』出版記念サイン会(於パリ・コンパニー書店)

 日本語から考えると西洋語の人称代名詞は扱いがとても厄介なものである。二人称親称・敬称の使い分けにしても、常に変わらぬ一人称 je や ich との関係に置かれているわけだから、「タメ語-丁寧語」の二分法とは別のものだ。もちろん日本語でも「一人称」を統一させることは不可能ではない。「わたし」や「ぼく」をそういうものとして意識的に使用しようとしている人もいる。しかし、それだけでは実のところ個人的、つまり私的水準での一貫というに過ぎず、そのとき、多くの場合、日本語という言語(ラング)の問題が本当には考えられぬままやり過ごされてしまっているのではないだろうか。問題は「私」という漢字を使うとかそんな単純なこととは全く違うのだから。とにかくもろもろを端折っていうと、そうすることによって日本語の敬語システム、ひいてはただ一人の「人物」によって独占さるべきあの「一人称」が生き延びてしまうからだ。タメ語の方がより民主的であるというのは何かの思い違いなのではないだろうか。
 といってみはするものの、日本での「タメ語」の猖獗ぶりを見るにつけ、そんなことは実はどうでもよいことなのかもしれぬ……と思わされることが少なくない。「タメ語」でなければ精神が萎縮したり硬直したりして伸びやかなコミュニケーションに支障を来たす人が実際多いからだ。小中学生じゃあるまいし……と毒づくのは差し控えたいと思うが、「タメ語-丁寧語」の使い分けによって、われわれの「内面」が見事に温存されることは少なくとも指摘しておかなくてはなるまい。「内面」へのアクセスはただタメ語的関係に対してしか開かれえないという思想。そこにあるのは、まずは言語への過度の信頼である。しかしその過信が親称の無媒介性の神話とあられもなく野合している限りにおいて、それは同時に、言語に対する過小評価でもあるだろう。早い話、丁寧語がつねに人を(敬して)遠ざけるわけでないのと同様、タメ語が親しさをいつも保証してくれるとは限らないということである。

 こんなことをぼんやりと思ったのは、フランス語二人称親称 tu で書かれた小説『癒しえぬもの』を読んだからだ。実験的とはいえ、フランスで初めての試みというわけではない(ちなみにいうとフランス語の「チュ」は bisou つまり挨拶のキスの音以外の何ものでもないのだが、この民間語源学はドイツ語 du の試練にさらされるやもろくも崩れ去ってしまう)。またいわゆる社会的問題と直接に交わるものでもない。近親者の死に触発され、夫さえ知らぬところで書き綴られたアンヌ・ゴダールの初めての小説は、いろいろな意味を込めて私的なと呼ぶ以外にないけれども、飽きさせることなく最後まで読ませる力量は見事である。祖父がメルキュール・ド・フランス出版の社長だったという出自や、いくつかの出版社に持ち込まれるものの上手くゆかず、最後に託されたミニュイ社の女性編集者が出版を決めたという経緯、またアンナ・ガヴァルダと同じ賞を受けたことはともかくとしても、著者がルネサンス時代の対話篇(ダイアローグ)についての考察(Le Dialogue à la Renaissance, PUF, 2001)によって博士号を授与された研究者であることと、この小説の二人称形式とは何らかの関係があると考えることも不可能ではないだろう(その点はここでは展開しない)。

 二人称で指し示されるのは、夭折した息子の記憶を、老いと格闘しつつ何とか失わず己のうちにとどめようとする母である。その母の子、したがって故人のきょうだいであるらしい語り手が自身を je で指し示すことはない。その意味でテクストはモノローグであるかのような印象を与える。いうなれば――それ自体端正なフランス語とあいまって――銀塩写真のように、あるいはガラスをコーティングされた表面のように精緻で滑らかな肌触りを一見したところ呈しているのである。このテクスチャーにはしかし、決定的な、しかも取り返しのつかぬやり方でひびが入れられている。初めからといわなければなるまい。その裂け目、「癒しえぬ」その傷は、他ならぬこの tu から、ということはつまり je と tu の間の決して無化しえない距離に由来するものだからだ。この母が亡き息子――小説としては三人称 il で呼ばれる――を tu と呼ぶだろうことを忘れてはならない。つまり母は、彼(の記憶)を余すところなく自分のものにしようともがくのだが、je と tu の間にあらかじめ穿たれた裂け目がそれを不可能にするのである(引用は作品最後の段落)。

 そしてこんな日が訪れるかもしれない、朝いつものように、ふだん以上でも以下でもない同じ疲労とともに目覚めたあなたは、でも何かとても単純なことを忘れてしまっている感じがする。あなたにはそれが何かわからない[…]。けれどもその何かがなければ、現在は、その現在に形を与えていたものから切り離されてしまうだろうし、あなたはもう自分がここ[…]にいることをどうやって説明すればよいかわからなくなってしまうだろう。にもかかわらず、あなたはやがて、その思い出せぬものが何であるかいい表すことができなくなってしまう、それがただ単に何かひとつの言葉だったか、それとも全く別のものであったか分からなくなるのだ。何かが自分に欠けていると思うことさえできなくなり、それを知りたいという気持も余計なものとやがては感じられるようになる。そのとき、気づかぬうちに、忘却があなたを救い出し、あなたは抵抗をやめる。そしてあらゆるものを手放すその瞬間にあなたはこう思うのだ、それでも結局のところ自分は――まさしくこの断念によって――忠実であり続けるのだと、そう、癒しえぬものに対しては。[Anne Godard, L'Inconsolable, Minuit, 2006, p. 157]

 最愛の息子の記憶を失わぬために、その記憶と共に生きるために、記録を残すことを敢えて避けつつ生き延びる母が、まさに生き永らえ老いてしまったがための明晰の翳りゆえに、その記憶を喪失するということ。これほど悲劇的なこと、「慰撫しえぬ」こともあるまい。失われるということはつまり、書き留めぬことによって共棲が約束されていたはずの je と tu の間に「癒しえぬ」断絶が横たわっていることの証だからである。だが、にもかかわらず、語り手の言葉があたかも福音のように響くとすればそれは、その裂け目ゆえにこそ母は、ナルシス的主観性による我有化(私物化)とは違う種類の記憶的関係を生きることができるようになるからだ。そして読者は、母に二人称で呼びかける語り手もまた同様の関係をやがて生きるようになるだろうことに思い至る。というよりむしろ、語り手はテクストを綴ることによってそのような関係をまさに生きているのである。他者の、過去の我有化に抗うこの関係はひとまずダイアローグ的と呼ばれうるだろうが、この関係は二人称親称によって書かれるがゆえに、つまりこんなにも近しく親しいのに合一がかなわぬという、胸を引き裂かれるような痛み――だがわれわれは日々こうした痛みを生きているはずである――をもたらさずにはいない。万人に薦めようとは思わぬが、記憶についての高名な小説を締め括るプルーストの勝利宣言(だがなんと陰翳を帯びた宣言だろう)とはまた違った本作の慎ましやかな言葉遣いはやはり貴重に思われるし、畸形的なところは少ないとしても、すぐれた小説であることをわたくしは疑わない(プルーストの名を出したのは彼女の好む作家のひとりだからである)。

 というようなわたくしの感想に対し彼女は「ほめちぎって私を困らせようとしているでしょう?」と謙虚に答えたのだった。われわれの会話が親称でなされるか敬称でなされるか、それはいわずにおきたいと思う。

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