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2007年9月

2007年9月30日 (日)

ウェールズ 対 フィジー 10-25(34-38) プール B

 フィジーが今大会初めて本気を出したゲーム。結果は開幕戦に続く二回目のアップセットとなった。双方のディフェンスの「緩さ」をマイナスと取る人もいるだろうが、それは両チームの持ち味を敢えて前面に出したということで、批判的になる必要はない。他の点で十分に楽しめるゲームだった。ウェールズを応援する人間としては「もう一度だけチャンスを!」といいたいところだが、もう無理して取り繕うことは不可能になった。フィジーのプレーぶりは真に称賛に値する。その調子で南アフリカも倒して欲しいと思う。
 それにしても今日のフィジーだったら、ジャパンは絶対勝てないだろう。主将でもある SH のラウルニや SO リトルはつねに安定しているとしても、CTB ランベニや、とりわけ WTB デラサウは昨日まで眠っていたのかと思わせる別人のような働きだった。スクラムはやや劣勢だったけれども、モールは一歩も引かず、逆に押す場面さえあった。そう、「リーサル・ウェポン」のようなキー・プレーヤーの覚醒が真の組織プレーを促したことと並んで、セットプレーでの FW の頑張りが勝因のひとつだったといってよい(ブレークダウンでの仕事ぶりはいうに及ばず)

 開幕戦のフランスがそうであったように、ウェールズには、どこかフィジーを舐めているといえばよいか、「いざとなればいつだってトライは取れる」という考えが頭にあったと思う。事実、前半の後半から後半の前半にかけてのパスプレーによるトライ連取は見事な、実にウェールズらしい、フィジーでさえ対応しきれない圧倒的なものだった。だが、このゲームに関しては、もうひとつ「いざとなれば」として想定されていただろうスクラムでの優位が得られなかった。前半のまだ眠っている段階で三トライ連取され、仕切り直しの意味でウェールズは、フィジー・ゴール前のペナルティでゴールではなくスクラムを選択する。最終的にトライとなったものの、フィジー FW は予想以上にもちこたえた。ウェールズとしては、無駄に時間を使ってしまったし、何よりゲームプランが崩れたのが大きかった。というよりそのプラン自体が結局誤りだったのかもしれない。
 フィジーに対して徹底的な FW 戦を挑むことで勝利を得たのが例えば 1999 年のフランスである(プール戦)。ウェールズ FW はそこまで強くないし、また自分たちのスタイルへのこだわりもあるのだと思う。この辺りの中途半端さが、HC ガレス・ジェンキンスの駄目なところなのだが、次のコーチはこの葛藤を、混乱のまま放置するのでなく、真の意味におけるスタイルへと昇華させて欲しいと思う。ともあれ、フィジー・スクラムの健闘によってレッドドラゴンズとしては、展開にしか活路を見出すことができなくなったということだ。
 二本のコンバージョンの失敗はちょうど得点差と同じだが、もちろん敗因は、前半のペナルティで PG を狙わなかったことである。

 フィジーのディフェンスが素晴らしかった。いわゆるタックル率などスタッツはこの際どうでもよい。全体の印象としては、五トライ奪われたにもかかわらず、フィジーが守りきったゲームである。ターンオーバーの多さもさることながら、とにかくフィットネスが落ちず、ブレークダウンへの組織的働きかけが最後まで行われた点にそのことはよく現れている。そして、今大会初めて炸裂したいわゆるフィジアン・マジックによるパスのつなぎもよかった。「オフロード」パスも多数成功した。この種の連続プレーはシックスネーションズにはないものであり、ウェールズが後手後手に回ったのも無理はない。
 レッドドラゴンズに関していうと、前にも書いたことだが、フックがセンターでは活きないということが改めてはっきりした。それが明らかになるには、ジャパンでは力不足だったということだろう。ウェールズの展開プレーの肝は、SO(ないし SH)からのパスの勢いを殺すことなく活かし続けるという点にある。パスを受けたプレーヤーは絶対に抜けるというのでないかぎり、無理に突っ込まずパスするか、余裕をもってラックを作るという約束事があるのだと思う(見ている限りではそう思えるということです)。そうしたなかでフックだけが、無闇に突っ込んでプレーを遅滞させる、あるいはボールを奪われるという失策を繰りかえしていたのがこの試合の前半。後半に入って彼が素直につなぎに徹するようになるとウェールズのラインは見違えるように動き、トライが生まれた。フックをチームに完全にフィットさせること、そして FW の強化が今後の鍵となるだろう。日本戦でトライをあげたが今日も豊富な運動量で攻守に貢献した LO のアルン・ウィン・ジョーンズ、そしてマイケル・オーウェンを軸にしてはどうかと、素人の思いつきだが記しておきたい。

 八日後の対南アフリカ戦はどのようになるのだろうか。フィジーが今日と同じくらいの出来であれば、心臓に悪いゲームとなるかもしれない。だがわたくしはまず明日のアルゼンチン対アイルランドで胸が締め付けられるだろう。

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2007年9月28日 (金)

トンガ 対 イングランド 20-36(10-19) プール A

 パリはこの一週間でグッと気温が下がり、外で長時間過ごすにはマフラーが欠かせなくなった。先日の日本の試合に続き小雨の中での観戦だが、それなりに人は集まっている。トンガ人だろうか、故郷の言葉で応援しているグループもあり、どちらかというとトンガの勝利を、あるいは少なくともその健闘を期待する人の方が多いように思われた。わたくしもその一人だったが、しかしウィルコのプレースキックに対するブーイングはいただけない。「批判」はプレーで、つまりゲーム内容、そして結果を通じて行うべきである。

 少なくとも前半、見ていて面白いのは間違いなくトンガだった。ラックでのボールの争奪は今日は互角だったが、それに続くプレーはまったく違い、トンガの場合は、さらにラック・サイドを攻めるのであれ、ラインに展開するのであれ、ほぼ同じテンポでプレーが継続される。ハーフのさばきも、FW の集散も、ライン攻撃でのサポートも間断するところがなかった。雨がなければ「オフロード」・パスがもっと活用されただろう。イングランドはまるでオールブラックスのようなこの攻撃に、前半の前半は対応できず苦しんだ。もっとも、パニックになっているようには見えなかった。われわれの願望とは逆に、自分たちが負けるなどとは全く思っていなかったのだろう。
 流れが大きく変わったのは、イングランド二つ目のトライのあたりではなかったか。トンガの左オープンの展開でパスが乱れ、拾ったイングランド WTB サッキーが独走してあげたものだが、数的にも不利で、インターセプトされかねないほどディフェンスラインが接近してもいた状況なので、SO ホラは無理して長いパスを試みる必要はなかった。もちろん結果論だが、内容で劣勢に立たされていたイングランドは逆転 PG に続くこのトライで落ち着きを取り戻し、それからは再逆転を許すことなく、着実にリードを広げていくこととなる

 点差が大きく開いてしまったのは、とりわけ後半、トンガのタックルが決まらなくなって何度もブレークを許したため、スクラムやモールで圧倒的に優位に立ったため――トンガによるモール拒否は頭の良い戦術である――、そしてもちろんウィルキンソンのキックが炸裂したためである。いや、キックだけではない。タックル、セービング、ハイパントのチェース、デコイランなど、今日もまた「ウィルコ・ショー」といって差し支えないほどの活躍。後半の CTB ファレルのトライは、ループかと思わせるサポート・ランが結果的に(あるいはそういうムーブだったのか?)ファレルのマークをも引き付け、出来たギャップをファレルが突いたもの。
 明らかにバテてしまったトンガ・ディフェンスを CTB テイトが個人技で突破したり、あるいは FW がパスも交えて割と簡単に突破したりする場面もあったが、準々決勝以降ではそう上手く行くまい。展開を志向するのは結構なことだ(「ウィルコ・ショー」のエクスキュースという意地の悪い見方はしない)。しかし前半はまったく抜ける感じがしなかったし、もっともっと工夫する必要があるだろう。ゲームメーク可能で、かつ高い確率で DG を成功させられる 12 番がいれば、ウィルキンソンを軸にムーブを多用した展開を試みてもよいのにと、そんなセンターなどいはしないからこその現スタイルであることは承知の上で敢えて夢想したくなる。ダラーリオは好きな選手だったけれども、さすがに衰えは隠せないようで、あの粘り腰の色っぽい突破はもう見られないようだし、せめてバックスのプレーでそういう色気を多少は感じさせてくれてもよいのではないか。

 トンガの敗退は残念だが、今後の活躍が楽しみである。ジャパンとも来年戦うことになる。
 明日はフィジーとウェールズのプール二位を賭けたマッチがある。応援しているレッド・ドラゴンズには勝ってもらわないと困るが(金を賭けているわけではない)、対ワラビーズ戦で主力を休ませたフィジーがどういうラグビーをするか、非常に興味深い。

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ミア・ハンセン=ラヴ監督『すべては赦される』

 どういう筋か、監督はどのような人かといった予備知識なしに漫然と見進めてゆくと、これはカップルの破局の物語であったかと一瞬とまどうかもしれない。一人娘に対しては良き父親として振る舞いながらも、精神に一種の失調をきたしつつある夫は、仕事を放棄し、ドラッグに溺れた果てに恋人をオーバードーズで死なせる事件を起こしてしまい、ついに妻から離別を宣告される。

 -- Est-ce que tu peux pardonner ? 〔赦してくれるかい?〕
 -- Je crois pas... je veux plus jamais te voir... 〔赦すなんてできないと思う、もう二度と顔を合わせたくない……〕

上映時間 1 時間 45 分のうちかなりの部分を割いて的確にまた効果的に語られてきた事の顛末を知るわれわれは、妻の「赦すなんてできないと思う」をもっともな言葉と思う。しかしこの映画のタイトルは「すべては赦される」(Tout est pardonné)である。だからここで終わるわけではない。
 続く後半で映画は 11 年後の娘を中心に展開する。17 歳の彼女はある日、自分たちを捨てて何処かへ消えたと思っていた父が同じパリに住んでいることを知らされる。「捨てた」のが自分たち母娘の方であることも。勇気を奮い(だが友人に連れ添ってもらって)会いに来た娘を、父は近くの植物園に連れて行く。人工的に造られた高台に潅木の間を縫って登る三人。その姿を後ろから、その上方の空まで含めて捉える仰角のショットが素晴らしい。上昇の運動によって「赦し」――ただし誰が誰を赦すのかは問題ではない――がなされていることを瞬間的に言い切る技倆は見事だと思う。また、このシーンによって、再会のぎこちなさにもかかわらず、二人が同じ空間を共有していることが強調されることにもなる。
 そして次に今度は二人きりで父に会った娘は、自身の記憶がかなり曖昧であること、だが父と過ごした日々の記憶がとりわけアパルトマンの部屋の様子と結びついていることを父と共に確認することになる。初の長篇作品とはいえ、監督ミア・ハンセン=ラヴの確かな技術をわれわれは知らされる。瞳が落ち着きなく左右に揺れ動く娘コンスタンス・ルソーを襲うほとんど実存的な動揺を目撃しながらわれわれは、彼ら親子が過ごしたウィーンやパリの部屋の様子をきわめて鮮明に思い出すことができるからだ。

 急逝した父の葬儀を済ませ、祖父や母とバカンスを再開する最後のシーン、娘は庭先のテーブルでの茶を途中で辞して独り散歩に出かける。なだらかな斜面を下ってゆくコンスタンス・ルソー。部屋にこもって嘆き悲しむというやり方がさりげなく退けられている点に注意しなくてはならない。そして同時に、もうひとつ、決定的な選択がなされている点にも。そう、ここでは斜面を登ってゆくというやり方も可能であったろう。パリの植物園で演じられた「赦し」のドラマの反復として。
 ここでの選択は決定的である。同じ行為を繰り返しても、その高みにもはや父はおらず、したがって、斜面を登ってゆくという上昇の運動によって映画は悲劇として昇華するほかなくなる。それはいわば「赦し」が完結するということである。しかし娘は父の不在をすでに 11 年生きてきたのだから、「すべてが赦される」としても、それで彼女の生が大きく変わってしまうことなどありえない。実際、父と会い、手紙を交換することによって失われていた記憶を補綴する作業は、それ自体として大切なものではあれ、彼女の生のほんの一部を占めるにすぎないことが簡潔なやり方で示されている。「すべてが赦される」とは、過ぎ去った 11 年が取り戻され、無に帰されるということではなく、つまり生を悲劇として完成に導くことではなく、時間のなかで「赦し」を生きてゆくことにほかならない。だから彼女は斜面を下ってゆく。草叢の間をどこまでも。〔Mia Hansen-Løve, Tout est pardonné, 2007〕

〔付記 本作は『すべてが許される』として公開されるようです。〕

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2007年9月26日 (水)

日本 対 カナダ 12-12(5-0) プール B

 それなりに興奮し、まだ余韻も残っているので、なかなか冷静には書けないが、勝ってもよかったマッチではあった。ゲーム運びとしては、前半にあと 3 点でも追加しておけば、もう少し楽になっただろう。前半の早い段階でトライをとることができたために、必要なしと考えられたのだろうか。だが、そう簡単ではないとわかってきた時点で戦略を切り替えることもできたはずだ。あるいは、最初のプレースキックを外したことで、大西が当たっていないと判断されたのかもしれない。しかし、最後のコンバージョンは、彼の顔を見て「これは入るな」と思わせるくらいの気合が伝わってきた。
(主審の J・カプラン氏は今日はミス(反則などの見逃し)や不可解な判定が多かったように思う。カナダ人の間では「勝利を奪われた」との非難が渦巻いているが、むろんそんなことをいうなら日本も同じだ。)

 両チームともミスが多く、ラグビーの現在が十全に反映されたとはいい難いマッチだったが、それでも最後まで興味をつなぐことができたとすればそれは、得点が最後まで競っていたから(ハラハラドキドキは見世物としてはまあ大切なことではある)、そしてジャパンが積極的に展開しようとしていたからである。カナダのラインディフェンスが詰めてこず、かなり弱かったこともあり、ライン攻撃はブレークを予感(ほんの少しだが)させるものだったので、もっと継続に挑めばよかったと思う。後半途中から出場した SH キムのプレーを見て、彼が先発だったらと感じた人も多いはずだ。サポーターとしては、簡単に動じなさそうな冷静な面構えも頼もしかったが、何より彼のパスは受け手をスピードに乗せるものだった。
 得点が競ったのは、ジャパンの攻撃力不足だけでなく、カナダのゲーム・プランのせいでもある。実際、アタックは相当まずかった。FB のM・パイクらのカウンターアタックはほとんど見られず、ゲーム・メーカーである SH の M・ウィリアムズ(好選手だった)のキック以外では、FW のピック&ゴーだけだった。ライン攻撃が止められたからなのかもしれないけれど、大外にはほとんど振ってこなかったのはジャパンにとって幸いだった。二つ目のトライとなるキックパスは見事。あれで終わっていたら、ジャパンは体力だけでなく知力もないと思われるところだった。

 ジャパンは今日も数多くのタックルをやらされることになったが、成功率も含めよくやったと思う。ゴール前でのカナダ FW の押し込みを防ぎ切るには、「ジャッカル」できる人、相手をかちあげて後退させられる人があと数名必要だろう。やはりトンプソン、マキリ、オライリー、ロビンズが目立ったとはいえ、その他のプレーヤーももちろんがんばった。「プラネット・ラグビー」の選評はマン・オブ・ザ・マッチにオライリーを選んでいたが、おそらくマキリの間違いだろう。もっとも、その二人に優劣をつけることに意味はない。有賀も今日はノックオンせず最低限の仕事はこなした。不動の FB として定着するためには、レイサムやモンゴメリー、あるいはトラーユ並みのタッチキックが蹴れるように練習しなければならない。
 アタックでは、いわゆる「エイトの突破」が結局最後まで見られなかったのは残念である。四試合を通じて箕内の衰えが強く感じられた。かつては、最後に平にパスを送ったマキリのように決定的な仕事をしていたように記憶するし、もともと特別な強さが売りではなかったとはいえ、彼がタックルされても簡単に倒れずもっと持ちこたえていれば、もう少し攻撃は楽になったと思われる。バックスのサインプレーは今大会はほとんどなかった。今日あたり、本職の SO がいればかなり有効だったろう。最後の局面、カナダ SH の反則につながるマキリのショートパントは明らかに外にいるロアマヌを飛び込ませるためのものだったが、反応できていなかった。結果オーライとはいえ、あそこでキックというのは不可解な判断だった。
 フィニッシャー(あるいはペネトレーター)として遠藤がある程度通用することがわかったのは収穫である。少なくともひとつの攻撃の型は出来たのだから。逆にロアマヌの使い方は最後まで明確でなく、チーム内での役割が最後まではっきりしなかった。
 殊勲の大西は、高校時からの期待値にようやく追いついたというところだが、彼がワールドカップを通じて目覚め成長したという点に、ジャパン強化のヒントがあると思う。考えてみれば当たり前のことだが、プロ化以降の競技の進化は相当なものなので、実戦経験なしに力をつけることは今日ほとんど不可能となっている。テストマッチは「テスト」の場ではないという真理ないし常識にもかかわらず、テストマッチ自体の機会にそもそも恵まれないジャパンにとってW杯は、要するに数少ない本当の意味での真剣勝負であると同時に強化の場でもあるという、二重の意義をもつものであることが改めて感じられた。PNC などももちろん貴重な経験であるが、しばらくの間は、ワールドカップという四年の区切りを道標として強化計画を立てるのがジャパンにとっては最善であると思う。

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2007年9月24日 (月)

フィジー 対 オーストラリア 12-55(5-22) プール B

 ワラビーズはラーカムとモートロックの欠場にもかかわらず全く危なげのないゲーム運びでプール一位を決めた。バーンズはもちろん、J・ハクスリーも好選手であった。
 フィジーは(そしておそらくサモアやトンガも)同じ南半球とはいえ――「半球」で分けるやり方がつねに有効とは考えないが――オーストラリアなどとは別の時間を生きているようである。動作のひとつひとつが「ノッソリ」しているといえばいいか、ラインアウトにも歩いて参加するし、身体が少しでも痛めば、ところ構わず座り込んでメディカル・スタッフを要求する。ラインアウトのスローワーが時間の浪費で再三反則を宣告されるのさえ、フィジー的にはどこが問題なのかわからないとでもいうような(もちろんテストマッチとしては非常に痛い反則だったが)。
 プレーのひとつひとつも、とにかくドカーンとぶち当たったり、さして意味もなさそうな大技を繰り出すのが美徳とされているようだし、団体スポーツであるにもかかわらず、一対一の戦いという側面がしばしば顔をのぞかせる。名曲 Lazybones(堀内敬三の素晴らしい訳詩も)を思わず歌い出したくなるようなチームである。

 それはしかし全く問題ではない。というより、そうでなくてはジャージの椰子の木エンブレムが泣く。だが憎らしいほど安定したワラビーズの効率的なプレーぶりを見ていると、タックルくらいは世界標準のやり方を導入してもよいのではないかと思われてくる。スタッツの数字はともかくとして、(散発的なビッグ・タックルは除けば)詰めずに待って手だけでタックルというのではこのレベルにあまり通用しないことはすでに明らかではないか。ここくらいディシプリンを課しても「フィジーらしさ」(そういうものがあるとして)は失われはしまい。相手の突進のすべてにゲインを許していては疲労が溜まって肝腎の攻撃もままならなくなるし、プレッシャーを受ければフィジー人だって慌ててボールが手につかなくなるのだから。
 大きなお世話だろうが、あの体格がありながら……と歯がゆく感じた点を記して見ました。

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2007年9月22日 (土)

訳者あとがき(没)第二案

 現在翻訳中の(正確には初校用ゲラの上がりを待っている)本の「訳者あとがき」に苦しんでいる。友人と酒をダラダラ飲んでいるうちに「ラグビーで書いてみればどうか」と、突拍子もない話になった。もちろん初体験ゆえのとまどいも大きいわけだが、苦しんでいるのは書く事柄自体というよりむしろ、紙幅が中途半端に少ないにもかかわらず、本の内容に関してとは別に、著者初の全訳ということもあってそれなりに情報を盛り込まなければならないという、要するに注文の多さが原因である。といって編集者に含むところは全くないのだが、とにかく試しに――アイルランド対ジョージア戦に続いて南ア対トンガ戦も見逃してしまった腹癒せに――やってみるのも一興(一驚?)かと思った(ただし未完)。

 ***

[…]訳さるべき作品の異質性が張り巡らす稜線に **** は言及している(*** 頁)。作品が翻訳家に対して突きつけるというその「抵抗線」は(むろんテクストの行のことでもあるが)ラグビーのディフェンス・ラインに喩えることができるかもしれない。翻訳(者)は何とかそのラインの向こうに抜け出たいと思う。あるときは左右に揺さぶりをかけてそこに空隙をつくろうとし、あるときは渾身の力業で正面からの突破を目論む。それまでの苦労が嘘のように扉がひとりでに開いてしまうこともあれば、入り込む隙のまったく見当たらぬ強力なラインも存在しているだろう。しかもこの pénétration には終わりがない。貫通=洞察に成功したのも束の間、翻訳はすぐさま次のラインに直面することになるからである。フランス・ラグビーの理想としてしばしば言及されるピエール・ヴィルプルー(あるいはジャン=クロード・スクレラ)の言葉

しかし結局のところ、ボールをもっているときには、壁に突っ込んでゆくのではなく開いた扉から入るのでなくてはならない。今日、扉はかつてより開き難くなっている。時には肩から体当たりして扉の開きをよくすることも必要となるだろう。それでもやはり人が入ってゆくのはつねに扉からなのだ。〔Pierre Salviac (dir.), À propos de rugby, Anglet, Atlantica, 2003, p. 95.〕

は翻訳体験にも通ずるだろうひとつの真理を語っているように思う。鍵のかかっていない扉を見つけること。それはいわば「異なるもの」に迎え入れられることだ。しかし同時に、そしてここが肝腎なのだが、いずれにせよ抵抗線が貫かれるとき、翻訳の側も実は作品によって貫かれ、そして「彼方からやって来たもの」を迎え入れている……

 ***

 しかし、だとすると、サッカーのゴール前の攻防にも同じことがいえるかもしれない。ウィングやサイドアタッカーによって最奥部コーナー付近にまでもち込まれたボールが「マイナス気味のクロス」として折り返され、あるいは単純にコーナーキックでもよいが、ともかくボールの軌道に沿う形でアタックとディフェンス双方のプレーヤーが入り乱れる。互いに貫き合っているといってもよい――言葉の響きだけを捉えると「乱交」のようだが、ともあれサッカー観戦で最も瞬間沸騰的に興奮の高まる局面であり(むろんサッカーの素晴らしさはこの局面に尽きるものではない)、同時にサッカーがラグビーに最も接近する瞬間である。違いがあるとすれば、サッカーはこの「ラインをめぐる攻防」がたいてい一回きりのものであるという点だろうか。ラグビーは原理的にはこれがトライラインまでいわば無限に繰り返されるからである。
 だがしかし、もっというと、見かけ上のラインとは別に、サッカーはフィールドの縦横斜めに長短さまざまなの線が張り巡らされるスポーツでもある。その線によって「敵」と「味方」、だから「作品」と「翻訳(者)」が画然と分かたれているのではないけれども、場合によってはサッカーの譬喩の方がよりふさわしいことがあるかもしれない(ちなみにわたくしの訳している書物はドイツ語・フランス語の間で書かれたものであり、したがってその日本語訳は三つの言語の間に成立することになる)。

「あとがき」はやはり難しい。とにかくこのエントリーを無理矢理終わらせるために、フランシス・マルマンド(バタイユやブランショの研究のほか、ジャズに造詣の深いことでも知られる)を引用しておく。ラグビーの母国イングランドの英雄ジョニー・ウィルキンソンに捧げらるべき言葉である。

ドロップ・ゴール、それは人類史上最も考え抜かれたキックを蹴り込もうと不意に企てたキッカーの意思によって太陽系さえ運行を止めてしまうあの宙吊りされた瞬間であり、水晶のように澄みわたった完璧な瞬間である。だがしかし、ドロップ・ゴールが企てられるたびに人はひとつの疑念に貫かれるのだ。果たしてこれは本当にラグビーなのだろうかと。〔Francis Marmande, ibid., p. 90.〕

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フランス 対 アイルランド 25-3(12-3) プール D

 「北半球で最も強い」二チームの対戦は、さしたる波乱もなくフランスの順当勝ちで終わった。スクラムを支配し、ブレークダウンもほぼすべて制圧と、フランスは FW の強さでゲームの主導権を握る。主将ラファエル・イバニェズがいつものようにスクラムでもフィールドプレーでも文字通り先頭に立ち、他のメンバーも惜しみなく堅実なタックルを繰り返す。まるでアイルランド FW のようだった――というか、アイルランドは FW の頑張り(力比べはともかくとして)という自分たちの本領で上回ることができなかった。
 レ・ブルーにとっては全く危なげのないマッチだったが、それはある意味では退屈ということでもある。つまり確実に勝つための戦略として、折に触れて採用されるキック主体のゲーム運びだった。見所は、モールから取り残されたシャバルがアイルランドの 7 番と 8 番に相次いで踏みつけられるという「珍プレー」を除けば、サインプレーが綺麗に決まったひとつの目のトライか。
 アイルランド陣 22 メートル・ライン付近の右タッチ際のフランス・ボールのスクラムの場面で、右 WTB クレールがオープンサイドのチャンネル 1 に移動し、それに合わせて対面のアイルランド左 WTB トリンブルがショートサイドを空けてオープン側のラインディフェンスに参加する。トリンブルは 6 番に大外をケアするよう合図を送っていたのだが、がら空きになった右隅にミシャラクが蹴り込んだショートパントを、クレールはスクラムの外側を回ってキャッチ、タッチダウン。最初からこれを狙っていたのか、それとも途中でトリンブルの移動を見て変更されたのかわからないが、とにかくミシャラクのキックの前にクレールは動き出していた。アウトサイドにかけたミシャラクのキックは、カーロス・スペンサーのようだった。
 ミシャラクはまだ 24 歳だが、長く代表を務めているためベテランのようにも感じられる。10 代での、しかもこのレベルでは珍しい SH からの抜擢(2001 年)は、2003 年までの「第一期」ラポルト体制における、いわば「ディシプリンとフレアの融合」戦略の象徴だった。一般レベルでの知名度・人気は随一である。基本的にはファースト・チョイスの SO として起用され続けてきたけれども、好不調の波が激しいこともあり、折に触れて先発をジュレーズ、スクレラ、ドゥレーグらに譲ってきたという過去がある。今大会開幕戦の先発はスクレラだった。体格で勝るという面も多少はあったろうが、スクレラの安定感が買われたのだろう。そのスクレラが負傷離脱を余儀なくされている現在は、一本目として今のところ好調を維持しているようである。もっとも、プレースキックの不安定さは変わらず、また過去には失トライに即つながる決定的なタックルミスが少なくなかったが、それが修正されているかどうかわからない。ともかく、オリヴィエ・マーニュもトマ・カステニェードも不在のレ・ブルーにあって、ほとんど唯一「フレア」が期待しうる選手なのだから、注目せざるをえないのは確かである。

 アイルランドは突然かつての退屈なチームに戻ってしまった感がある。「かつての」というのは、例えば、勝敗は度外視すれば、91 年大会・ 95 年大会でジャパン――林、梶原、ラトゥ、堀越、吉田、朽木など――の引き立て役になってしまうほどの、フォワードのごり押ししか取り得がないような(あるいはそのように見える)チームのことだ。
 その後、オドリスコルを得たアイルランドが素晴らしいバックスを擁するようになったのは誰もが知るところだが、現在のチームはその面影をまったく失ってしまっている(メンバーをよく見ると、マーフィーやヒッキーは控えになっているんですね)。今日のゲームでも、勝敗がほぼ決してから展開プレーに切り替えたのだが、浅いラインで動きがなく、ブレークできる感じはほとんどしなかった。フランスのディフェンス・ラインが綺麗に揃って非常に早く上がってスペースを消していたことも一因だろうが、こういう場合に唯一加速力で突破できる肝心のオドリスコルがボール獲得のファイトに巻き込まれざるをえないというのは、戦略としておかしいのではないか。いやもちろん BOD は主将だし、元々何処にでも現れる人だから、ある意味それは当然ともいえるのだが、それではフィニッシャー(やペネトレーター)がいなくなってしまう。今日のような出来だと、アルゼンチンに FW 戦を挑まれればアイルランドは相当苦しくなるのではないだろうか。

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2007年9月21日 (金)

日本 対 ウェールズ 18-72(11-29) プール B

 ジャパンが勝てるとまではさすがに思ってはいなかったが、ここまで差を見せ付けられると、無理矢理よかった点を挙げてそこに光明を見出すのも困難に感じられてくる。まずスクラムやモールといった力比べでかなり差があった。それを予想していた、というかそうなっても何とかボールを保持できるようにすべく、ジャパンがマイボール・スクラムの早い球出しをひとつの戦術としたのはよかったが、スクラムやモールをあれほど押されるとは! FW の力ではウェールズと同等(あるいはそれ以上)のカナダに対して、「押せぬまでも押されない」ことを前提として戦術を立てることができなくなったようだ。
 もっともレッドドラゴンズはそうした FW の優位を、そのままジャパンにぶつけてきたのではなく、あくまでパスによる展開のお膳立てとしていた。つまりウェールズ FW はオーストラリアのようにガツガツ当たっては来なかったのだから、ジャパンとしてはある程度はやれるはずだったのだ。しかし、センターのところであれほど簡単に抜かれては、組織的ディフェンスなど成り立ちようがなくなる(ウェールズにとっても、あそこで簡単に抜けてしまったのではテストにならなかったのではないだろうか)。「センター」とはいっても、誰か特定のプレーヤーの個人的責任といえるかはわからない。大西はこの日もタックルを確実に決めていたが、抜けられたのはその大西の左右、つまり 10-12 あるいは 12-13 の間だった。今村のタックルがテンパると手だけになるのもいつものことだが、とにかくこのチャンネル 2(ただしルースな局面も含めてのことなので 10 番・12 番・13 番だけが悪いとは限らない)でのディフェンスの破綻が大誤算だったと思う。しかもそこを突破したのは S・ジョーンズやフック、あるいは SH のフィリップスら BK だけではなく FL の M・ウィリアムズなどもやりたい放題だったのだから、打つ手がなくなってしまう。相手がボールをこぼすほどの「低く速いタックル」も少なからず決まっていただけに惜しまれるけれども、三試合で失点 198(得点 52)、NZ と同組のポルトガルの失点 195 を上回っているのはただただひどい。
 ジャパンのトライはどちらも人を興奮させるに足るものだったが、こちらから仕掛けて取ったものではなかった。前半の「逆転トライ」は、ウェールズがラックのボールを見失ったところを大野が機転を利かせて拾い上げた(やはり彼はすごい)のを、ロビンス・大西・今村・遠藤と 90 メートルつなぎ切ったもの。ジャパンのファンは皆「パスが上手く行くように」と祈ったに違いないが、今村がディフェンスを二人(三人?)引き付けて遠藤にパスするという「13番」らしい働きを今大会初めて見せたのもよかった。また、後半のインターセプトからそのままポスト真下まで走りきった小野澤の個人技も見事だった。

 攻撃の誤算はモールが通用しなかったことだろう。こうなると、FW を誇るカナダとのマッチでは、展開に活路を見出すしかない。ロアマヌの FB は可もなく不可もなくというところだが、最後の場面でなぜボールをタッチに蹴り出したのだろうか。いや、その「無駄なことはしない」という諦めが世界標準であることは承知しているが、やはり展開して欲しかったと思う。とにかく、カナダ FW の突進をかわして、外に外に展開するようにしないと、今日のようにゲームが壊れてしまうし、勝利など望めなくなると思う。

 レッドドラゴンズの方は、BK の陣容が固まり、フックの 12 番、フィリップスの 9 番、またD・ジェームズの 14 番でこれからのゲームに臨むだろう。対フィジー戦は、パスプレーの調整に加え(だからこの局面ではいわゆるスペクタキュレールなラグビーが期待できる)、南アフリカに備えて FW の攻撃も試されるはずだ。ただし、フィジーはジャパン以上に FW が弱いので、本当の意味でテストになるか怪しいところである。

 今晩はプール D の「決戦」のふたつめ、フランス対アイルランドのマッチである。ナミビア相手に本気を出すというのはあまりフランス的でないと思うが、勝ち残りのためにはやむをえぬやり方だった。レ・ブルーにはやはり何かを期待してしまうのだが、わたくしはアイルランドのとりわけバックスの連携、オートマチズムを超えてほとんど組織的「フレア」にまで達しようとしていながら、失調したバックスラインが気になる。
 前回大会ではオドリスコル一人に頼り切りだったのが、その後定着したゴードン・ダーシーを始めとするプレーヤーのこの数年の成長ぶりには目を瞠るものがあった。大半がラインスター・クラブでプレーしているのも大きいだろうが、その自在な連携プレーはシックスネーションズのひとつの華でさえあったのに、本当にどうしてしまったのだろうか。

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2007年9月20日 (木)

Velib' 実践篇

 Velib' に申し込んで二週間弱、ようやく年間契約カードが届く。
 
年間契約のカードは一見ただのプラスチック・カードだが中に IC チップが埋め込まれており、使用時は自転車がドッキングされている borne(端子というかターミナルというかマイルストーンというかそういうもの)に直接かざすだけで済むのが便利である。

 ただ、注意しないと余計な出費生じかねないことが、実践を通じわかってきた。

1 昼間、繁華街に出る場合、20 分を過ぎた頃からステーションを探すべきである。

たいていのステーションにはすでに空きがないので、二つ三つ、場合によってはそれ以上のステーションを回らねばならない可能性が出てくる(各ステーションには近接ステの地図がある)。万全を期すなら、目的地の手前で返却してあとは歩いた方がよい。
 住宅街の場合は逆になる。日中は自転車が一台も残っていないことが多く、待つか歩いて別のステを目指すか、他の交通機関を利用するかしなくてはならない。
〔追記 その後、空きのないステで「15 分無料延長手続」が出来ることを知った。よく考えられた仕組ではある。〕

 他に注意すべき点としては、

2 借りる前に自転車の状態をチェックすべきである。

前のカゴがぐらついているのはかなり多いし、パンクしているもの、チェーンが外れているものも少なからずある。また、ハンドルがどうしようもなく曲がってしまっているものもある(かなりひどいぶつけ方をしないとこうはなるまいと思わせるような状態)。
 
一度借りると、返却後 5 分間は新しい自転車を借りることができないので、時間の無駄を防ぐために必ずチェックして、選ぶべき自転車の番号を決めてから機械を操作するようにしたい。
 
まあ、チェーンは棒切れのようなものがあれば手を汚さず直すこともできるはずだし、パンクの場合でも根性で次のステまで走り抜くことは不可能ではない(というか、わたくしはそうした)。自分が乗っていて故障してしまった場合も、おそらくそのまま返却すればよいようである。修理してくれる人が巡回しているのを見たことがある。
〔自分が壊したのであれ何であれ、具合の悪い自転車をドックに戻す場合、サドルを前後さかさまにしておくのが礼儀というか親切だそうである。〕。

3 また、一方通行の道が想像以上に多いので、目的地までの理論上の所要時間はあてにならない。

先日、自宅近辺から日本大使館まで用足しに、経済観念の赴くまま Velib' で大遠征したことがあった。理論上は 30 分前後のところを乗り継いで(チェーンが外れるなどのアクシデントもあったが)とにかく辿り着き、用事を済ませた。帰りも同じ道順でと思っていたら、なんとオスマン大通りが一方通行だった。つまりわたくしは、つい数十分前に自分が自転車で通った道が一方通行であることに気づかなかったのである。莫迦もたいがいに……と自分で呆れたが、車道を走るのはかなり危険が伴うし、信号のないところや路上駐車の間からひょっこりロラン・バルトが飛び出してくるかもしれないしということで必死だったのと、そもそもかなり広い道ではあったので、一方通行だとは全然気づかなかったのである。

 ともあれ、利用される方は無理をせず、くれぐれも安全運転を心掛けて欲しいと思います。

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2007年9月16日 (日)

ウェールズ 対 オーストラリア 20-32(3-25) プール B

 とても楽しみにしていたのだが、結果としてウェールズが本調子でない、あるいは本質的に弱いということがよくわかったマッチ。「強い弱い」よりも見ていて面白いかどうかの方がわたくしにとっては重要ではあるけれども、ゲーム運びの不器用さにはやはり苛々させられる。対フィジー戦のジャパンがそうだったようにウェールズもまた、ラーカムの不在、ワラビーズへのシンビン適用2回、さらにホーム・チームならではの有利なジャッジという好条件を味方につけることができなかった。
 もちろん、前半途中で主将ガレス・トマスが負傷退場するという不運はあった。ワラビーズがモートロックを失うより、レッドドラゴンズがトマスを失う方がダメージとしてははるかに大きい(2003 年大会からトマスが FB に入ってラインが安定したことがウェールズの復活の大きな要因だとわたくしは考えている)。だが、簡単なムーヴであれほどラインブレークを許していたのでは、先が思いやられる。プレースキックの不調とともに今日の敗因であろう。記憶で書くので不確かだが FW 第三列はタックルはよくやったと思う。それでもワラビーズ・クラスのライン攻撃をすべて止めるのは困難だろうから、ミスマッチが最小限になるようにバックスが頑張らないといけない。今日はディフェンスラインもあまり上がっていなかった。北半球のチームは根本的なスピードでは当然トライ・ネーションズには勝てっこないわけだが、オールブラックスとは違って、ワラビーズ FW は全員がパスプレーに秀でているわけではないのだから、対応は可能と思う。
 攻撃についていえば、SH ピールが不調に見える。ボールの捌きや判断が少しずつ遅れており、その分 SO 以下にプレッシャーがかかるようになっているのではないか(今日のワラビーズのライン・ディフェンスは上がりがかなり早かった)。また特に FW の集散が悪かった。今年のヨーロッパは涼しくて過ごし易かったというのに、もう疲れているのか? あるいは結局これが北半球とスーパー 14 の差なのだろうか。右 WTB シェーン・ウィリアムズは見事。狭いライン際で少なくとも二度相手WTB ツキリを抜いたし(対応できるのは NZ のロコゾコくらいかもしれない)、いつものことだが SH 経験者という器用さが二次・三次攻撃で十分活かされている。逆に左 WTB のマーク・ジョーンズが精彩を欠いたままである。前回大会ではいちおうエース・ウィングとして出場した人だが、今大会では体格を活かしたつなぎも出来ず、簡単にタッチに押し出されてしまう場面が多い。これだったら、J・フックか、今日は控えロックとして登場し、インターセプトと紙一重の素晴らしいパスでトライを演出したマイケル・オーウェンの方がいいかもしれない――と、これはありえない空想にすぎないけれども、より現実的にいうと、現在の右左の使い分け(しかも背番号とは逆になる)をやめて、むしろ M・ジョーンズをショート・サイドに配する方がよいのではないか。
 ワラビーズは BK の好調に加え、FW の集散とディフェンスが素晴らしかった。重要な局面(たとえばウェールズの FL コリン・チャーヴィスが突破を試みたときなど)では必ず二人以上がタックルに入って確実に止めるなど、意識も高かった。プール戦を調整として上手に活用するワラビーズに対し、オールブラックスが大差の連続勝利でプール戦を終えるだろうことを考えると、この両チームの対戦が予想される準決勝は勝敗の行方が全くわからなくなってきた。SO のバーンズも良いプレーヤーだった。他にも、若すぎて選出が見送られたものの有望視されているビールなどもいるわけで、うらやましい限りである。

 パブリックビューイングの会場では、今日はウェールズ・ファンが多かった。英語が少なからず聞こえたので、やはりイギリスから来ているのだろうか。それと、キックオフ時からスクリーン前でずっと待ちぼうけを食っている女性は気の毒だった。関係ないけれど、後半途中まで、ゆうに一時間はスクリーンに背を向けて人を待っていた。今日は EuroSport ではなく TF1 の中継だったが、解説は往年のフランカー、エリック・シャン(懐かしい!)だった。髪をすっきり整えていた以外は全然変わっていなかった。

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2007年9月13日 (木)

日本 対 フィジー 31-35(9-10) プール B

 この試合は勝たなければいけなかった――多くの人がそう感じたことだろう。ゲームの流れや観客を味方につけることに成功したのだし(パリのパブリックビューイングでも、フィジー・ファン以外は最後の攻めでは「負けている側の逆転」を期待していた)、対ワラビーズ戦を犠牲にしてまで勝利を目論んだ試合なのだから。
 それだけ書いてしまうと、他にいうべきことがほとんどないゲームであった。両チームともミスが多すぎる。だから勝つこと、勝つためのプランをどう実行するかというところに注目するほかなくなってしまう。前回大会とは異なりフィジーは、特に日本を研究し対策をとってきたようには見えず、いざとなれば、ザウザウがいなくとも、またフォワードが劣勢になろうと、個人技でトライを量産できるくらいに考えていたのではないだろうか。SO ニッキー・リトルが時々思い出したようにハイパントを蹴り込んでくるものの、ほとんど無策だったし、フォワードはまったく統率されておらず、またノックオンなどハンドリング・エラーが異常に多かった。こんな好条件でフィジーと対戦できるチャンスはそうないといっていいだろう。だから勝たねばならなかった。
 なまじ勝ち点 1 を得たために、プール三位を確保するという現実的な目標の実現可能がまだ残っているのが悩ましい(1 勝 3 敗でカナダ、フィジーと並ぶという可能性)。ウェールズ戦はやはり捨て試合になってしまうのだろうか。その場合、カナダ戦は、今度こそ必勝となるはずだが、勝つための万全のプランを立てることはできるのだろうか。この試合でジャパンは、フィジーの不調にも助けられつつ、ともかく理想的なゲーム運びをした――79 分までは。タイムアップまでの五分ほど途切れなく継続された攻撃は、プランも定石も超えたいわば「フレア」によるトライを目指したのだが、陣形も何も構わずただ回すだけでトライをとれる気配は全くなかった(もちろん体力が限界に来ていた)。15 人で七人制ラグビーをやろうとしているように見えたといってもよいが、最後の最後にフィジーの得意とする形になってしまったのはなぜだろうか? いい換えれば、ここでもプランどおりモールを組んでトライを狙うべきではなかったか?
 侍魂? もしかするとそうかもしれない。モールも立派な戦法だが、そしてジャパンのこの日のモール・トライは非常に美しかったとはいえ、あの場面でモールによってトライを取るのは何か違うような気がする。だが、ライン攻撃があまり通用しないことは明らかだったのだから、冷徹に勝ち負けを考える立場からすれば、これはゲームリーダーのミスということになる。Euro Sports フランス語版の解説ティエリー・ラクロワ(元フランス代表 SO)はジャパンの戦い方を「賢い」(intelligent)と繰りかえし評したが、つまりジャパンは最後の最後でその「賢さ」を放棄したわけだ。この点は賛否の分かれるところだろう。プランを貫徹すべきだったとする意見、そしてジャパンはプランを超える次元で「ラグビーの魂」にどうにか触れたという意見、あるいは願望……。
 わたくし自身は後者の立場をとりたい。ジャパン・フィフティーンは最後の数分間、自分たちの長短所、相手の長短所にかかわらず、とにかくラグビーをしようとした(それがパスプレーだったことは興味深い)。フィジーを上回るにはまだまだ多くのものが不足しているが、それでもジャパンがそうした「ラグビー魂」に衝き動かされたことは肯定的に考えてよいのではないだろうか。わたくしはあまりに楽観的だろうか。しかし選手たちは「勝敗」を度外視したわけではない。というより勝つためにゲームを行なうのは明らかなのだから、彼らはあくまで勝利を、ただしプランとは別のやり方で手にしようとしたと、そういうことだ。
 ゲームの細部について。
 責められるべき明らかなミスは、前半の失トライの原因となった箕内・吉田の「8-9」の失敗と、11 番遠藤へのパスの再三の失敗である。後半は、敗戦の直接的な原因といってよいと思うが、ハイパントをキャッチしたロアマヌが孤立して絡まれ、PG を与えてしまった点が痛かった。あれがなければ、最後に PG で逆転できたかもしれないからだ。それに、やはりショートパントなど苦し紛れに蹴られたキックはほとんど全く無意味だった。
 フォワードはトライも含め素晴らしかったと思う。やや心配された松原のスローイングはほぼ完璧だったし、タックルを精確に決め、またフィジーの FW が淡白だったこともあろうがスクラムやラックでのターンオーバーも少なからずあった。結局フォワードで三本トライをとったわけだから、ただただ称えるほかない。最後の消耗は今後の課題だろう。
 バックスの方は、ロビンスのハイパントが、チェースするプレーヤーとのタイミングも合っており効果的だったと思う。が、ロビンスは SO というよりやはり CTB (あるいは FB)の選手である。SO のところで複雑なことをしないのであれば、むしろ「SO 大西・12 番ロビンス」でよいのではないだろうか(大西のプレース・キックはとてもよかった)。SH 吉田はゲームプランをよく理解して冷静に役割をこなしており、まずまずよかった。怪我の具合はどうなのだろうか。今村は一度だけスピードに乗って突破を試みたが寸前で止められた。あれは国内だと抜けていたのだろう。FB は久住の方が安心できるようにも思うが……。

 次はカーディフでウェールズ戦。0-98 という惨敗は記憶に新しいが、これを上回る大敗ということにはならぬよう祈っている。

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2007年9月10日 (月)

ウェールズ 対 カナダ 42-17(9-12) プール B

 パリは続いて夏日となったようだ。ナントも同様だろう。前半だけでいうなら、カナダは文句のつけようがないゲーム運びだった。わたくし自身は久しく見ていなかった「メイプルリーヴズ」(?)は普通にラグビーが上手く、タックル・アタック両方にわたって切れの良いダッシュでチーム全体を勢いづけながら、カウンター攻撃に冴えを見せた。キャプテンでもある SH モーガン・ウィリアムズは文字通りチームを率いて本当によく戦ったといっていい。
 これが後半にも継続できれば――ということはすなわちウェールズが完敗するということだが――カナダはとうていジャパンが勝利を望めるような相手でないというところだった。しかしカナダの善戦は後半少し過ぎまでで、後はウェールズが 5 トライ連取と圧倒して危なげなく勝利を収めた。前半に 2 トライを奪われたとはいえウェールズのディフェンス陣形は崩れることがなく、綺麗な形でのラインブレークは許さなかったのが、いわゆる「素の力」の違いなのだろう(ただし前半はタックルが「成功」するもことごとく押し込まれていた点は、ジャパンの為にも特筆しておかなくてはならない、カナダに攻め手を渡すと、タックル→少しずつ後退の繰り返しでおそらくジャパンは最後まで持ちこたえられない可能性が高い)。
 ウェールズは時々スロースターターとなってしまうようだ。2005 年シックスネーションズの対フランス戦がまさにそうだったわけだから、「格下」ゆえに舐めてかかったということでは必ずしもないだろうが、後半途中までよいところがあまりなかったのは事実である。おそらく SO ジェームズ・フックはきちんと研究されていたのだろう、今日は良いところがほとんど見られなかった。それにしても、趨勢がはっきり逆転することになった後半途中のウェールズの選手交代はどう考えればよいだろうか。フックに代えてスティーヴン・ジョーンズ、ケヴィン・モーガンに代えてガレス・トマス。要するに「大物」が投入され、流れが一挙に逆転したわけで、その変化の極端さは何だか漫画のような感さえあった。もちろんカナダの疲労が蓄積した時間帯と重なったのが大きかっただろう。わたくしは象徴的な選手交代の効用を 100 パーセント信じてはいない。例えば先に触れたシックスネーションズのフランス対ウェールズ戦、前半押しまくってリードを奪ったものの後半早々の火の出るようなウェールズの攻勢の前にあっさりと逆転を許したレ・ブルーは、再逆転を狙って後半途中に SO ドレーグからミシャラクに代えた。「ミシュー」の象徴力(神話力といってもよい)が全盛を迎えていた頃でもあり、わたくしはスタッド・ド・フランスにいたのだが、観客の声援がひときわ高まったことをよく覚えている。だが、フランスは結局ゲームを引っくり返すことが出来なかったのだった。
 S・ジョーンズとフックの違いは何だろうか。(単にフィフティーンの気が緩んでいたということでないとすれば)ひとつには、「スピードアップ」が世界的な至上命題となっているところに、独特の(突っかけるというよりタメを作る感じの)テンポをもったジョーンズのプレーが効果的だったとはいえるだろう。彼が SO の位置に入ったとたん、トム・シャンクリンや G・トマスらのラインブレークの連続となり、前半あれほど効果的なタックルを決めたディフェンスがほとんど対応できなくなっていたからである。だが最も大きな違いは、単純に前が見えているかどうかという点かもしれない。象徴的なのが前半のインターセプトの場面だ。カナダ陣右奥まで持ち込んだボールをウェールズが展開する。もうこれはどうしたってウェールズ必殺のトライパターンである。ラックからのボールが SH ピールを経てフックに託される。フックはフォワード(フランカーだったか)にやや長めのパスを送るも、カナダ 13 番にインターセプトされ、そのままトライラインまで走りきられてしまった。S・ジョーンズであればこうしたことは起こらなかっただろう。「パスダミー」から自分で抜いてゆくというプレーがジョーンズにはよく見られるが、実のところそれが本当に意図された「ダミー」プレーなのか、見ているだけではわからない。逆にいうとジョーンズは最後の最後まで相手陣形をよく見ているということなのである。今日のゲームを見る限り、次の対ワラビーズ戦での先発 SO はジョーンズになるだろう。15 日が実に楽しみだ。

 とにかく、20 日にウェールズと戦うジャパンは本日の 40 失点を念頭に置かなければならない。レッドドラゴンズの本気のアタックをすべて止めるのは難しいが、仕留めの段階に至るまえに攻撃を寸断してなるべく失点を抑えること。仮に80 点取られてしまったとしても、カナダは特に油断しはしないだろう。むしろ失点を 40 以下に抑えてカナダにプレッシャーをかけたいところだ。
 カナダのプレーヤーは少なくとも体格で日本のプレーヤーを上回っているのは確かなので、攻撃に際しては、よほどスピードに乗ってでない限り、まともにぶつかってもラインブレークは無理である。できるかぎり対面をずらしつつ攻撃を継続して、走りきれるクリスチャンや今村にボールがわたるような展開に持ち込むことが期待される。
 ディフェンス面からいえば、相手にボールを渡すことになるキックは無用である。当たりは相当強いので疲労蓄積の原因になるだろうし、カナダのスリークォーター・バックスやフルバックはみな足がそこそこ(おそらく北川智規並に)速く、カウンター攻撃にジャパンは対応しきれないだろう。だから、なるべくマイボールを失わないようなゲーム運びをして欲しいと思う。

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2007年9月 9日 (日)

日本 対 オーストラリア 3-91(3-23) プール B

 パリは久しぶりの夏日、リヨンもきっと暑かったことだろう。そのなかでジャパンは本当によくやったと思う。かつて自軍の後半のプレーぶりに我を忘れたある監督は思わず「後半もその調子で行け」と檄を飛ばしたという。方向は逆だがわたくしも同じように思った。「前半で終わりならどんなによいだろう!」と。Hotel_de_ville_paris
 準決勝対オールブラックス戦、というわけではないのだから死に物狂いになるはずはないにせよ、ワラビーズは手を抜きはしなかった――と思いたい。だが後半に入り、ワラビーたちが体格に物を言わせてガツガツを当たりにくるようになったとき――一方でそれは屈辱以外の何ものでもなく誰に対してかはわからぬものの無性に腹が立ったのだが他方で――これは「本当の本気」ではないと感じずにはいられなかった。ブラックスやボクス、あるいはフランス相手にワラビーズがガツガツと正面から当たりに来るだろうか。そのような場合、彼らは必ず少しずらし気味に当たって何とかボールを活かそうとするはずなのだ。なぜなら、ラグビーとは、スクラムやモールなどごく限られた局面は別とすれば、ぶつかり合いというよりむしろかわし合いだからである。もろにぶつかれば痛いに決まっているが、それを敢えて選んだ点でやはりワラビーズは手を抜いたといわざるをえない。
 とはいえ、ジャパンのタックル「ミス」を指弾するのは酷だろう。大雑把には 130 のタックル機会に対し成功率七割台、すなわち 30 から 40 のタックル失敗があったわけだが、それらの大半は失トライ 13 と相関関係にある。それぞれの「ミス」が致命的であったのは確かだ。しかし何といっても体格差・体力差は厳然と存在しており、後半の後半に入って二人でタックルに行くという決め事もままならなくなり、個々のタックルの精度も落ちてくるまでは、それでもよくやったと思う。いうべきことがあるとすればそれは要するに、「ジャパンは体格で劣るから仕方ない」という同情――「言い訳」ではない、プレーヤーはそんなことは全く考えもしないはずだ――の余地を残している点で、まだ努力が足りないということだ(本稿も敢えてそうした「同情」を記してみた)。
 そう言わせない為に何をすべきか。答えのひとつが前半の戦い方なのだろう。とにかくタックルを精確に決めつつ、小野のキックで敵陣深くに入る一方で、弥富と、スクラムから敢えて遠く離れた小野、それぞれのロングパスを多用して外に早めにボールを回す。実際、ハーフバックスのパスそのものはとてもよかった。だが、センターの段階ですでにスペースはなくなっているのは何故か。ワラビーズのディフェンス・ラインが今日はほとんどラッシュをかけていなかったことと併せて考えられるべきだろう。前半のミスらしいミスは、ラーカムからリターンパスを受けたエルサムの突破を簡単に許し、そのままトライまでもって行かれた主将佐々木くらいだった。
 ハーフタイムを挟んで相手チームが戦い方を修正してくるのに対し、ジャパンが無修正のまま後半に臨むのはいつものことである。体格差で同情をもらわない為には、別の戦い方も必要となってくるだろう。今後の修正力に期待している。
 前後半通じての攻撃のミスは、ほとんどが相手ボールになりトライに結びつくことも多かったハイパント。チェースやフォローのシステムをある程度全員に浸透させないなら、やらない方がよいように思う。
 メンバーについては、「代役」の二人、とくに北川は攻守で光ったように思う。久住は無用なハイパントがひとつあったもののまずまず。

 ともあれ、最初のフィフティーンが死力を尽くしたのは間違いない。もうひとつのフィフティーンも同程度にはやれるはずだし、楽しみにしています。

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2007年9月 8日 (土)

フランス 対 アルゼンチン 12-17(9-17) プール D (於パリ市役所前広場)

 三回連続で開幕マッチを戦うことになったロス・プーマスには会心のゲームとなった。共に強力フォワードを戦略の基礎に置くチームだが、スクラムとモールで優位に立ったフランス(ラインアウトとラックはほぼ互角)はしかし、その優位を活かしきれなかった。フランス語でいう「コンバ」、つまりボール・コンテストの段階では確かに概ね互角といえるのだが、違いはその後のフェーズで如実に現れる。まず SH のパスアウトがフランス側で遅れた。ウォームアップ・マッチでの軽快なボールさばきは全く見られず、絡まれてワンテンポ、ツーテンポもたつき、その上に、ベテランらしからぬ一本調子が重なった。これはミニョニがリズムを作り出しているというよりむしろ、アルゼンチン・ディフェンスのリズムに合わせることを余儀なくされたということではないか。やはりフランスの攻撃には緩急の差が不可欠なのだ。バックスの走力で優位に立つわけではない今大会では、そのことが特に意味をもつのではないだろうか。走力の無さは、この試合唯一のトライとなったアルゼンチンのコルレトのランに、ドミニシとエマンスの二人とも追いつけなかった事実で証明されている(走ったコースも良かった)。そういった点からして、浅いアタック・ラインの有効性がこの試合では感じられなかった。
 フランスのフォワードは、「コンバ」だけではなく積極的にパス回しにも参加していたが、パスのテンポが速すぎる、というより、タックルされて余裕のない状態でパスが放たれるために、結果としてノックオンやインターセプト(これが被トライの直接の原因)が多発することとなった。このテンポでフォワードがパスプレーに参加するなら、おそらくウェールズ並みのディシプリンが必要だろう(そしてフランスにディシプリンはふさわしくない、そんなに慌てなくていいのだ)。
 対してアルゼンチンは、ピチョットの余裕あるパスアウトが示すように、フォワードは「コンバ」とタックルにほぼ集中していた。ほんの少しの差とはいえ、少しずつ勝ち、結果的にゲームの勝利を導いたことになる。フォワードの一人が悪質な反則を犯したがレフリーが見逃すという運も味方したようである。バックスにしても、有効なタックルはもちろんのこととして、無理な仕掛けはせず、ハイパントを追うことを徹底したのが奏功したといってよい。
 相性ということもある(たとえばフランスはアイルランドに相性が好い)。またアルゼンチンのプレーヤーの多くはフランス・リーグ(トップ 14)に所属しているということもあるかもしれないが、これはお互い様だろう。
 エマンスの FB 起用はディフェンスも含め「あり」だと思う。よいラインブレークがあり、またルージュリーのプレークを助けるパスもあった。つまりエマンス、ルージュリー、ドミニシは三人とも必要なので(特に前二人がそうだ)、彼らの同時起用を可能にする唯一の方法がこれであり、別のゲームでも試されると予想される。

 全体的には、フランスの驕り――「急造」フルバックはそもそもハイパントで狙われるものなのだから、想定しておくべきだった――といってもよいのだろうが、やはりここはアルゼンチンを称えるべきだろう。抽象的ないい方になるが、プーマスの方がより謙虚だった。つまり、フォワードの「コンバ」への集中、そしてバックスでは、SO エルナンデスの執拗なハイパントが物語るように、とりあえず軸となる戦術をしっかり立てて、ゲームに臨んだということだ。型にはまった戦い方といって貶めることもあるいは可能かもしれないが、「格上」相手としては、まずはこうするほかないわけで、アルゼンチンの戦略とディフェンスの勝利、ほぼ完勝である。フランスはもっと落ち着いてプレーしなくてはならない。

 家でテレビが見られなくなり困っていたところ、カフェに向かう直前に実は全試合パブリックビューイングで見られることが判明したので、パリ市役所前広場に Velib' で駆けつけた。あのスペースがほぼ満杯だから、相当の人手があった。若い人が多いように思われたが、フーリガンのような連中はいない(入り口で持ち物チェックは行われている)。シャバルは噂通り「大人気」だった(今日のゲームで、シャバルの突破力はやはり光っており、今後は先発起用もあるのではないだろうか)。というのも、彼がスクリーンに映るたびに、会場からはひときわ高い声援というか、囃し立て(咆哮)が、もうすでにして「お約束」が出来上がっているかのように発されたからだわたくしの印象ではあれは(バティストゥータらと同じ)イエス・キリスト系なのだが……。ともあれ、ここ数年、割とだらしないフランスFW にあって独り気を吐いていた人が、ようやく活躍の場を与えられたのは悪いことではない。

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