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2007年9月22日 (土)

訳者あとがき(没)第二案

 現在翻訳中の(正確には初校用ゲラの上がりを待っている)本の「訳者あとがき」に苦しんでいる。友人と酒をダラダラ飲んでいるうちに「ラグビーで書いてみればどうか」と、突拍子もない話になった。もちろん初体験ゆえのとまどいも大きいわけだが、苦しんでいるのは書く事柄自体というよりむしろ、紙幅が中途半端に少ないにもかかわらず、本の内容に関してとは別に、著者初の全訳ということもあってそれなりに情報を盛り込まなければならないという、要するに注文の多さが原因である。といって編集者に含むところは全くないのだが、とにかく試しに――アイルランド対ジョージア戦に続いて南ア対トンガ戦も見逃してしまった腹癒せに――やってみるのも一興(一驚?)かと思った(ただし未完)。

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[…]訳さるべき作品の異質性が張り巡らす稜線に **** は言及している(*** 頁)。作品が翻訳家に対して突きつけるというその「抵抗線」は(むろんテクストの行のことでもあるが)ラグビーのディフェンス・ラインに喩えることができるかもしれない。翻訳(者)は何とかそのラインの向こうに抜け出たいと思う。あるときは左右に揺さぶりをかけてそこに空隙をつくろうとし、あるときは渾身の力業で正面からの突破を目論む。それまでの苦労が嘘のように扉がひとりでに開いてしまうこともあれば、入り込む隙のまったく見当たらぬ強力なラインも存在しているだろう。しかもこの pénétration には終わりがない。貫通=洞察に成功したのも束の間、翻訳はすぐさま次のラインに直面することになるからである。フランス・ラグビーの理想としてしばしば言及されるピエール・ヴィルプルー(あるいはジャン=クロード・スクレラ)の言葉

しかし結局のところ、ボールをもっているときには、壁に突っ込んでゆくのではなく開いた扉から入るのでなくてはならない。今日、扉はかつてより開き難くなっている。時には肩から体当たりして扉の開きをよくすることも必要となるだろう。それでもやはり人が入ってゆくのはつねに扉からなのだ。〔Pierre Salviac (dir.), À propos de rugby, Anglet, Atlantica, 2003, p. 95.〕

は翻訳体験にも通ずるだろうひとつの真理を語っているように思う。鍵のかかっていない扉を見つけること。それはいわば「異なるもの」に迎え入れられることだ。しかし同時に、そしてここが肝腎なのだが、いずれにせよ抵抗線が貫かれるとき、翻訳の側も実は作品によって貫かれ、そして「彼方からやって来たもの」を迎え入れている……

 ***

 しかし、だとすると、サッカーのゴール前の攻防にも同じことがいえるかもしれない。ウィングやサイドアタッカーによって最奥部コーナー付近にまでもち込まれたボールが「マイナス気味のクロス」として折り返され、あるいは単純にコーナーキックでもよいが、ともかくボールの軌道に沿う形でアタックとディフェンス双方のプレーヤーが入り乱れる。互いに貫き合っているといってもよい――言葉の響きだけを捉えると「乱交」のようだが、ともあれサッカー観戦で最も瞬間沸騰的に興奮の高まる局面であり(むろんサッカーの素晴らしさはこの局面に尽きるものではない)、同時にサッカーがラグビーに最も接近する瞬間である。違いがあるとすれば、サッカーはこの「ラインをめぐる攻防」がたいてい一回きりのものであるという点だろうか。ラグビーは原理的にはこれがトライラインまでいわば無限に繰り返されるからである。
 だがしかし、もっというと、見かけ上のラインとは別に、サッカーはフィールドの縦横斜めに長短さまざまなの線が張り巡らされるスポーツでもある。その線によって「敵」と「味方」、だから「作品」と「翻訳(者)」が画然と分かたれているのではないけれども、場合によってはサッカーの譬喩の方がよりふさわしいことがあるかもしれない(ちなみにわたくしの訳している書物はドイツ語・フランス語の間で書かれたものであり、したがってその日本語訳は三つの言語の間に成立することになる)。

「あとがき」はやはり難しい。とにかくこのエントリーを無理矢理終わらせるために、フランシス・マルマンド(バタイユやブランショの研究のほか、ジャズに造詣の深いことでも知られる)を引用しておく。ラグビーの母国イングランドの英雄ジョニー・ウィルキンソンに捧げらるべき言葉である。

ドロップ・ゴール、それは人類史上最も考え抜かれたキックを蹴り込もうと不意に企てたキッカーの意思によって太陽系さえ運行を止めてしまうあの宙吊りされた瞬間であり、水晶のように澄みわたった完璧な瞬間である。だがしかし、ドロップ・ゴールが企てられるたびに人はひとつの疑念に貫かれるのだ。果たしてこれは本当にラグビーなのだろうかと。〔Francis Marmande, ibid., p. 90.〕

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