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2008年4月 6日 (日)

回顧・2007 年度

 年度が改まった折から、旧年度の「言論界」の出来事を思い返してみる。あゝ、でも全然思い出せない……。
 KY 野 A さんによる「実名暴露事件」というのがあった。自分は匿名なのに、尻馬に乗って他人の名前を嬉々としてさらす頓馬な御仁も現れているようではあるが(KY 野氏は顕名であり、論理一貫性への意志がそこに認められぬこともない。決して共感も賛同もしないけれど)、こういう何といったらよいか、ヴェルデュラン夫人風に「やりきれない」というべきか、ともかくただただ「KM い」連中には近寄らぬのが賢明だろうと愚考する。

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 新しい方からいえば、年度末の押し迫った 3 月 29 日、アントニオ・ネグリ不在のなか行なわれた安田講堂での記念行事「新たなるコモンウェルスを求めて」での次のような談話(引用は「文芸空間」 http://literaryspace.blog101.fc2.com/blog-entry-334.html というサイトより )。

姜尚中と上野千鶴子が壇上にあがってトークしている

1968 年というのは私たちにとって、特別な年でした
その 40 年後である、この 2008 年に、在日と女が教授としてここに立っているのは、当時からしたら考えられないことですし、皮肉ですよね

そんな話に、会場はドっとわいていた

「在日と女が教授としてここに立っているのは……」という発言は上野千鶴子さんの言葉だと思うが、どうしてこの人はいつもこうなのだろう? こうして気を利かせたつもりの発言が「100% の勝利宣言」としか聞こえないのは上野さんの、そして結局は、彼女にそのような発言を強いるわれわれの不幸なのである。聴衆の中にはそれこそ「在日」も「女」もいたと想像されるが、その人たちは賛同の意を込めて笑ったのだろうか。

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 だがそれより重大なのはやはり、本橋哲也さんが、ガヤトリ・スピヴァク不在のなか行なわれた 7 月の沖縄での討論会(於 宜野湾市佐喜眞美術館)で発したという次の発言である(引用は「討論の広場:スピヴァク講演会 14」(http://blog.goo.ne.jp/usrc2/e/12bc3137e8343d3c123160b19cad20c1)より)。

あなたがた〔コメンテーター〕はスピヴァクを読んだのか。あなた方はサバルタンなのか。ちがうでしょう。サバルタンとは、ベンガルで、強制労働に従事させられ、自らのおかれている状況を言語化できずに、本という概念すらしらない、そのような子どもたちのことでしょう。彼女はその子どもたちに学校をつくり、そして、そこを毎年訪問しているのです。そのような研究者はいますか。この会場にはサバルタンはいない。

 この件については本質的なコメントがすでに各方面からなされている。あとは本橋さん御自身の説明を待つばかりという状況であるので、そこにさらに何かをつけ加えることはしない。自戒の意味を込めた一般論として感想を記すならば、われわれは〈沖縄は日本ではない〉という大切な点を忘れがちではないだろうか。沖縄が日本の一部だと思い做せるとすればそれは、彼らが「ヤマトグチ」を使用してくれているからこそ、あるいは同じことだが、彼らへの「ヤマトグチ」強要がとりあえず「成功」したからこそなのである。その辺りの意識や配慮(境界の意識といってもよい)は、口でいうのはたやすいけれども、実践するのはとても難しい。

覚書として。
 BOOKS Mangroove 店長さん「店長は読書中:スピヴァクは来ず ! !
 打越正行さん「討論の広場:スピヴァク講演会 1
 小田亮さん「とびとびの日記ときどき読書ノート:沖縄の「スピヴァク不在の…」
 pilate さん「今日もぐだぐだ:サバルタン
 font-da さん「G★RDIAS:お前ごときがサバルタンなものか!

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 小田さんのブログには教えられることが多いけれども、やはり昨年度の、プロ野球をめぐる事件というか騒動もわたくしはここで(だいぶ後から、というか今しがた)知った。「騒動」の大元となったドラゴンズ監督・落合博満の選手起用、そして玉木正之さんのブログ記事などはすでに旧聞に属すものだろうから割愛する。小田さんは次のような形で問題の所在を指摘されている(「野球の最も美しい瞬間」について)。

〔…〕ブログでこの話題を取り上げようと思ったのは、「野球の瞬間の美しさ」にもとづいた批評の危うさについて、ドラゴンズ・ファンとしてではなく、研究者として感ずるところがあったからです〔…〕。
 「野球の瞬間の美しさ」という視点を野球批評に持ち込んだのは、蓮實重彦さんです。玉木さんは野球批評に関するそのエピゴーネンとして登場しました。そして、「野球の瞬間の美しさ」は、「プレー=出来事の単独性(比較不可能性かつ置換不可能かつ再現不可能性)」にあります。それは「経験の単独性」と言い換えてもいいのですが、そのような経験の単独性は、テレビ観戦ではなく、その場にいて、そこにいる人たちとの場を共有していたという経験がなければ成り立ちません)。

 この一節では多くの事柄が問われているけれども、後半の「経験の単独性」と「テレビ観戦」の関係については触れない。
 さて、「「野球の瞬間の美しさ」にもとづいた批評の危うさ」について、さらに玉木さんが蓮實重彦さんのエピゴーネンだという点についてはだいたい同意である。ただ、蓮實さんのプロ野球批評の要諦は、「瞬間の美しさ」の顕揚そのものというよりむしろ、〈そこを超えれば野球が野球でなくなってしまうような境界を触知する〉ことだったとわたくしは考えている。どこまでが野球か?――それこそが蓮實重彦の批評の基調をなす問題意識だった。「美しさ」とは――彼のいう「美しさ」の厄介な点だが――野球の可能性を拡げる(あるいは野球を「脱領域化」する)プレーを指して用いられたとりあえずの言葉にすぎなかったはずである。

 そのような意味での批評は、むろん巷間でしばしばいわれるように、ある種の危機意識と切り離すことができない。危機とはこの場合、野球選手がただ野球のために野球する、その結果、野球がいわば自家中毒によって頽廃してゆく事態を指す。
 残念ながら玉木さんにはその点が理解されていないよう見受けられる。だからこそ「野球の瞬間の美しさ」などという無意味なことこの上ない代物をたてまつるはめになってしまうのだ。そんなものはただ後からついて来るに過ぎないというのに。わたくしの考えでは、蓮實的野球批評の意義を意識的に理解した(スポーツ)批評家は梅本洋一さんら、ごく少数の人たちだけである。もっとも、そうと意識することなく実践しているライターも決して少なくはないだろうが。

 玉木さんの不幸は、プロ野球批評が実は歴史的な産物だったという事実と無関係ではない。端的に表現すれば、蓮實重彦には長嶋茂雄がいたが、玉木正之にはもはや新庄剛志しかいなかったということだ。
 100% プロ野球選手でありながら、「この人はもしかするとそれ以外の何ものかであるやもしれぬ」と思わせもする、掛け値なしに天才的な四番打者兼三塁手が、しかし好きなときに好きなように三振し、ベースを踏み忘れ、トンネルをやらかす。それもまた「どうしたって」野球である――そのことを教えてくれたのが長嶋だった。本人は野球を、ただ野球だけをしているつもりなのに、つねに野球の境界線を超人的な歩幅で踏み越えてしまう巨きな人。『どうしたって、プロ野球は面白い』という本は、不在の中心として(ある時期まで)プロ野球界に影響を残していた長嶋茂雄への切ないオマージュの書であり、タイトルには
そうした反語の意味が含まれていると思う。実際、長嶋引退後のプロ野球は「どうしたって」つまらなくなってしまったのだから。長嶋こそ、小難しい言葉を操ることなく(彼の繰り出す言葉はある意味きわめて難解だが、それはまた別の話)、その身ぶりによって批評を実践しえた稀有なプレーヤーだった。絶後のといってもよい。ショートゴロをサードゴロに、サードフライをショートフライに変えてしまうことのできるプレーヤーはその後現れてはいない。
 その「どうしたってつまらない」野球界を何とか――つまり長嶋の記憶とともに――支えたプレーヤー、例えば江川、秋山、中畑、そして落合といったプレーヤーたちがフィールドを去ってしまえば、残るのは、野球という領域に安住して、その境界など少しも考えることのない「プレーヤー」ばかりである。そうならないことを希求した蓮實さんのプロ野球批評はだから、その意味では歴史的役割を終えたということになるかもしれない。
 水島新司の描く野球漫画の数々もまた批評精神のなせる偉業ではある。だが藤村甲子園山田太郎や真田一球や水原勇気が夢想の産物(決して貶めて言うのではない)であり、そのためにおそらくは時代を超えて読み継がれうるのに対し、長嶋茂雄がかつて現実に存在した(したがって今はもうプレーヤーとしては存在しない)という事実ゆえに『どうしたって、プロ野球は面白い』は、もはやほとんど追悼文集としてしか読むことができなくなっている。
 ついでに一言しておくと、
新庄の不幸(何だか不幸な人ばかり出てきますが)は、本人はあくまで野球をしているつもりなのに他人が「それは野球ではない」と五月蝿くいうものだから、終いには人がいうところの「野球」と、それ以外の領域との間を、野球そのものを脱領域化することなく往来するだけで満足せざるをえなくなった点にある。純粋な野球能力を比較するとさすがに長嶋に失礼だが、それでも新庄には、窒息しつつあったプロ野球にいくらかでも新鮮な息を吹き込む可能性があったように思う。あらゆるフライをジャンプしながら捕まえようとする新庄のプレーは、長嶋があらゆるサードゴロを「地を這う猛ゴロ」へと変貌させたのと同じ種類の偉業を目指してのものだったに違いないからである。そうした意味において、玉木さんを始めとする批評家諸氏の過失はきわめて重大といわざるをえない。新庄が(スーパースターではなく)トリックスターに堕してしまうのを押しとどめることができなかったのだから。

 それでも、「プロ野球批評」精神は例えば梅本さんの「フットボール批評」に受け継がれている(蓮實さんの批評が、組織的競技であるフットボールに通用しない点を指摘したのも梅本さんだったが)。そこを超えればサッカーがサッカーでなくなってしまい、ラグビーがラグビーでなくなってしまう地点、つまりフットボールの可能性を、未来を察知し触知すること。それが現代的なスポーツ批評の目標である。2007 年ラグビー・ワールドカップにおけるアルゼンチン代表ロス・プーマスの批評的実践をわれわれは記憶にとどめておかなければならない。

 最後に、批評意識を欠いたまま顕揚される「野球の瞬間の美」なるものの醜悪さに関して。
 問題となった日本シリーズの選手起用。9 回表の日本ハムの攻撃でクローザーの岩瀬が先発山井に代わって登板する。得点は 0-1 、誰もが痺れるところだ。だがしかし、この場面で最も美しい展開とはおそらく次のようなものなのである。岩瀬の投じた一球目を打者が本塁打する。そして次の打者も初球を本塁打し、たった二球で日ハムが逆転する。その後、岩瀬は後続をあっさり(理想としては三球で)断ち、裏の攻撃で中日が再逆転してサヨナラ優勝――つまり、完全試合などにはさほど意味がないという岩瀬の教え、それを具現する「あの」二球こそが、この場合にありえたであろう「野球の最も美しい瞬間」だったのである。
(経験の単独性を意味しうる「あの」という指示語は、条件法過去(仮定法過去完了)という時制が要求するものであり、筆者の錯誤から来るものではない。)

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