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2008年5月

2008年5月25日 (日)

ハイネケン決勝 マンスター 対 トゥールーズ

 カーディフのミレニアム・スタジアムの観客席が赤で埋め尽くされている。蓮實重彦がこの光景を見れば「やっぱり私は正しかった」と大威張りでいうかもしれない。その赤はしかし、当地のレッド・ドラゴンのためでも、スカーレッツのためでもなかった。三分の一くらいはトゥールーズの応援なのだろうけれど、多くは、赤(プラス白い「勝利の三本線」)のレプリカ・ジャージを着込むマンスターのサボーターだった。

 客席は一様に赤かったが、ゲームの方は、誰もが指摘するだろうとおり、対照的な二チーム間による、かなりわかりやすい「スタイルの戦い」となった。もちろん「フォワードのマンスター対バックスのトゥールーズ」という言い方は、それぞれの傾向を単純化しているだけで、実際にはバランスのとれた好チーム同士といってよい。

 トゥールーズは、9 番から 15 番まで全員フランス代表という状況にはなかなかならないが、この日も果敢に展開プレーを主体として戦い、よいブレークが少なからず見られた――といちおうは言えるだろうが、開始早々に PG を外してしまったエリッサルドが、その後 DG を続けて二回(一本成功)狙ったのが気になった。決勝戦だから効率よくということか? あるいは、とにかく先制点が欲しかったということなのだろうか。しかしいずれにせよちょっと弱気にすぎないか? 確かに、本来の XV ならともかく、当日のメンバーの実力を比較するかぎりでは、スタッド・トゥールーザンが有利とは必ずしもいえない(ちなみにラグビープラネットの予想では三点差でトゥールーズの勝ち)。だが前半終了時点での得点差は 10-6 でマンスターのリードだったのである(トゥールーズは終了間際に PG で得点している)。これはつまり、よいプレーが多数ありながらも、全体として有効性に欠けるということ、そしてマンスターの作戦に沿った形でゲームが推移していたことを意味してはいないだろうか。

 そのマンスターの方は、「ル・ピケンゴー」(いつ頃からフランスで使われるようになったのだろう?)を主体として攻める。ほぼアイルランド代表に等しい FW 陣、つまり W 杯アルゼンチン戦で全く動けず、今年の 6Ns (例えばイングランド戦)でも二列のオコネルが独りむなしく奮闘しただけの――これら試合はまた、オガーラがキック合戦でエルナンデスに、パス合戦でシプリアニに、それぞれ敗れた試合でもあった――FW 陣が今日は最高の働きを見せた。スクラムも優勢だったし、とりわけ三列は攻守にわたって頼もしかった。
 ピック&ゴーはいかにも効率が悪そうに見える。実際、そこだけを注視するなら効率的とは決していえまい。しかし、先にトライをとったのはマンスターだった。トゥールーズのラインディフェンスはいつものように堅固で、パスプレーでの前進があまり期待できなかったことを考えれば、結局この戦い方が理に適っていたということになるだろう。トライは、ゴール前相手ボールのスクラムをターンオーバーし、FW が押し込んだものである。こういう局面でのディフェンスがトゥールーズの課題だというのはわかっていたのだが、まさにその弱点を突かれてしまったわけだ。
 トゥールーズのゲーム運びが今日は少しおかしかったと思うのは、相手 FW が強力なのはわかっているはずなのに、その強いところで敢えて勝負しようとするところがあったからである。ラックからボールが出されエリサルドにパスされる。どう見ても素直に外へ展開すべきところで、しばしば
内に返してラックサイドを再度(駄洒落ですよ)突かせる場面が目に付いた。厳密なスタッツはわからないけれども、相手が初めから――だってピック&ゴーに賭けているんだから!――多く集まっているところにわざわざ味方を突っ込ませる戦術の意義がわたくしにはよくわからなかった。マンスターにとってはむしろ好都合だったのではないか。作戦だったのだろうが、上手く行かなければ途中で切り替えるだけの器用さというか、良い意味での狡猾さがエリッサルドにはあると思っていたのだが。こういうマッチではケレールのような強い SH が活きるということはわかったけれど、負けてしまってはねえ……。

 BK のプレーにも見るべきところはあった。まず何といってもマンスター 14 番のドゥゴゥレット(!)つまり Doug Howlett 。困ったときには右に回すという決まり事でもあるかのようにオガーラが頼りにしているのがよくわかったが、相変わらず攻守に安定していた。前半のトライにつながる場面でのサインプレーでの働きも見事だったが、後半の幻のトライの場面でのランは実に素晴らしかった。
 フォワードパスにより無効とはなったものの、CTB マフィとティポキがコンビネーション(+個人技)でブレーク、パスを受けたオゥレットが、右端をフォローする FB にも助けられつつ、相手 WTB ドンギーと FB エマンスの間を駆け抜けてゴールエリアを陥れる。オゥレットは別カテゴリーなのかもしれないが、「アイランダー」三人衆によるこのアタックがこの日のひとつ目のハイライトだった。スピードの衰えを全く感じさせないことにも驚かされたが、自分より外に位置するディフェンダー(大外の FB をマークしている)の背中に向かって走るコース取りの的確さには脱帽するほかない。エマンスのディフェンスは、本物のランナーに対してはまだまだ脆いところがあるといえるかもしれない。ちなみにアナウンサーは、絶叫しながら実況したあと、「これは痛い!」(Ça fait mal !)と、二回繰りかえして言っていた(そのあと安堵する)。テストマッチではフランス 2 のアナは中立の立場を崩さないのだが、クラブ・レベルだとフランスに肩入れしているのが割とはっきりわかる。

 トゥールーズの方も負けてはいない。まさにトゥールーザンというか、フレンチというべきか、「らしい」トライを、フィールドの同じ側で奪う。迫ってくるハウレットや FB の頭越しにエマンスがショートパントを仕掛け、自らキャッチ、がら空きとなっているゴールに向けてもう一度蹴り込む。ハウレットにずっと抑え込まれていたドンギーと、こうした場面でしばしば決定的な絡みを見せるジョジオンが追いかけて、オガーラと競る。ライン前でオガーラがセーブしかけたところを、ジョジオンが足を伸ばしてゴールエリアまで転がし、ドンギーがタッチダウン。コンバージョンも決まって同点となった。後半 20 分のことである。エマンスは今日も、攻守双方で大いに目立つこととなったわけだが、解説の F・メネルは「ありがとう、セドリック」と、アナは「これこそがトゥールーズです」と、それぞれ二回繰りかえしていた。
 それ以外の場面では、全体的にパスのミス、ハンドリング・エラーが今日も多かった。つまりこの点はシーズン最後まであまり改善しなかったわけで、敗因のひとつに挙げなければならない。

 トゥールーズのこのトライは素晴らしかった。しかし振り返ってみれば、反撃もここまでだった(他に見ものとしては、プルースの SO ばりのタッチキックというスペクタクルもあったが)。同点になってから残り 20 分の攻め合いは、要するに 0 対 0 と同じことだし、確かに見応えがあった。とはいえ、ゲームは結局のところマンスターに支配されていたということになるかもしれない。パスプレーの割合を増やして派手に展開したのが良かったのだと思う。見ていて実に面白かった。おそらく相手の疲労を見計らってそのように切り替えたのだろうが、トゥールーズの方は、ラインディフェンスにはっきりと綻びが生じるようになり、残り 15 分のところでついに反則を犯してしまう。一度、マンスター・ゴール前まで攻め込んだ時はさすがに興奮させられたけれど(起点はエマンス)、堅い防御にしびれを切らしたエリッサルドが、ゴールエリア内に向けて不正確なキックパスを試み、チャンスを潰えさせてしまう。結局、それ以外の時間は自陣でプレーすることになり、PG による 3 点の差を引っくり返すことができずに終わった

 結果からいえば、今日は、マンスターのプレー振りに「これこそまさにラグビー」と感じさせられた。トゥールーズの方は、全体的に消極的だったのが残念だった。負傷欠場者が多いこともあって、危機感が強かったのだろうと推察するが、勝ち目はあまりなかったように思う。

〔追記 どうでもよいことですが、マンスターの濃紺・赤二色づかいのジャージ、微妙といえば微妙ですけれど、パンツが白であるというだけでも、トゥールーズのジャージよりは好ましく思えるし、またツートーンということでいえば、同系統のジャパンのそれよりも洒落て見えます。ラグビー専業のブランドをやはり応援してはいますが、その点を敢えて無視していうと、わたくしはナイキよりアディダスの方が好きですので、ジャパンのジャージを今度 Y-3 にデザインしてもらってはいかがでしょうか?
 
フランス(的なもの)に対して、どちらかといえば厳しい物言いをすることが少なくありませんがそれは、嫌いだからではなく、一時的に滞在しているにすぎない日本人が「フランス万歳!」みたいになるのはとてもとても恥ずかしいことと思われるがゆえ、つまりは努めて冷静に振舞っているということにすぎません。日本に帰ったらもっと普通に応援できるようになるでしょう。
 
あと、中尾さんが以前に触れていらしたけれど、トゥールーズの Millo-Chluski は、フランス 2 では「ミロ=シュルスキー」と発音されています。

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2008年5月18日 (日)

トップ 14 クレルモン 対 ペルピニャン

 フランス国内リーグ「トップ 14」の上位争いに直接関係するマッチ。昨日からしばらくの間、無料で視聴できるようになっているカナル・プリュスでの放送(ユーロが始まったって絶対に加入しないぞ!)。解説は、あいかわらず成熟・老成を知らぬ声のトマ・カステニェードである。
 クレルモン=オーヴェルニュの方は、SH ミニョニと三列のヴェルムレン〔※〕、WTB のマルジウが負傷欠場。FB には確か CTB で代表キャップを得ているバビが入った(フロッシュはベンチ)。ペルピニャンでは、来期から南アのライオンズでプレーすることになっている FB モンゴメリーは、ボクスの合宿に参加する予定のため最後の試合になるらしい。それが関係したのかどうか、ハイパントのキャッチに大失敗し、トライを許す原因となった。

 両チームとも積極的にボールを回してラインブレークを狙うという、とても面白いゲームだった。双方ともにディフェンスが大きく崩されることはなく、それだけに紙一重のところを抜いてゆくというスリリングな攻撃が多く見られたような気がする。
 スクラムはどちらかといえばペルピニャンが優勢だった。クレルモンの方は SO のブロック・ジェームズ(元豪ウェスタン・フォース)が、安定したプレースキックや的確なプレー選択にもうかがえるとおり好調を保っており、いつものように迷いのないアタックを展開していた。ミニョニの代役ピックも遜色ないプレーぶりだった。

 ペルピニャンの CTB マルティ(13 番)は、代表のゲームでは、得意技である相手に当たってターン(スピン)しつつ抜いていこうとするプレー以外に感心したことが実はほとんどなかったけれど(もっとも、成功したところを見た記憶もほとんどない)、このレベルだとやはり光っている。相手側のジュベールが今日はあまり目立たなかったのと対照的だった。
 とくに印象に残ったのは、前半の前半、12番が突破して出来たラックから、SH → SO →マルティとボールが渡った(だから 12 番はラインにいない)場面で、小刻みにステップを踏みながら敢えて真っ直ぐ走り込むことによって、対面の CTB 二人を引き付け、後から走り込むモンゴメリーのためにスペースを作ったプレー。クレルモンの 14 番のタックルが素晴らしかったためにモンゴメリーは
半分ブレークしただけで止められてしまい、外の WTB にパス出来なかったのだが、マルティのプレーはアウトサイド CTB のお手本といってよいだろう。こうしたプレーをテストマッチでも見せて欲しいものだ。

 ペルピニャンは確かに好チームなのだが、弱点はもしかすると「助っ人外人」に頼っている SH ・ FB かもしれない。モンゴメリーが悪かろうはずは無論ないにしても、大幅なプラスをもたらしているようには見えなかった。このマッチでは PG をふたつ外したのがチームとしては非常に痛かったと思う。失トライの原因になったキャッチング・ミスについては、まあこのレベルでもそういう失策はあるのだなあと言うほかないが、目測を誤ったというより、突っ込んでくる相手プレーヤーが目に入り腰が引けてしまったように見受けられた。ウェールズのギャットランド監督は「モンゴメリー、狙うよ」と XV に指示することだろう(六ヶ国対抗で素晴らしい精度のキックで魅せたL・バーンが欠場するのは痛手だが、きっと誰かが蹴って、プレッシャーをかけるはず)。
 SH のキュイシテールは、数年前は確かスコットランド代表でほとんど唯一世界レベルに達している選手とまでいわれていたはずだが、その後はずっと精彩を欠いたままである。今日の試合でも、ラックへの寄りが遅れがちだし、絡まれた場合に強引にボールを出すこともできず、結果としてプレーの全体的な速度が落ちる原因になっていると感じられた。プレーの方向を決めることができる(アタックの起点になれる) M・ブレアの方が、現時点では評価が高くなるのもやむなしといえるだろう。

 試合後もたっぷり時間を取ってスタジアムやロッカールームの様子が伝えられるのは悪くない。くつろぎつつインタビューに応じるプレーヤーを見ていればどうしたって「わがチーム」というような愛着が湧いてくるだろうし。面白かったのは、クレルモンの 11 番マラガが、他の選手はすでに奥に引っ込んで着替えを始めているのに、芝の上で大勢のファン(多くは少年少女)に囲まれて帰してもらえず、泣きそうな顔でサインさせられていたことだ。ルージュリーは別格としても、彼が一番人気ということなのだろうか(ただし今日はあまりよいところがなかった)。

〔※ Elvis Vermeulen の表記はヴェルムレンが適切だろう。まず、外来の言葉なので(本人はフランス人だが名前自体は外国語起源ということ)、 en の原則的発音(a の鼻母音)には必ずしもならないということがひとつ――つまり、この場合の en はアルファベットの n をそのまま読むときの音であり、日本語表記の慣例に従うとすれば、パリジェンヌやセゴレーヌなどのように、エ(ン)ヌ、エ(ー)ンとなる。類似の発音の例として作家のヴィクトール・セガレン(Segalen)を挙げることができる――いや、そんなマイナーな名前でなく、偉大なフランカー、セルジュ・ベッツェンを思い出せば十分だろう。また TF1 ・フランス 2 ・カナル・プリュスすべてのアナウンサーが一律に「ヴェルムレン」と発音していることも傍証として挙げることができる。念の為にウィキペディアを覗いてみると――ちゃんと項目があることに何より驚かされる――「ヴェルムラン」となっているが、これは正しい情報とはいえない(細かいことをいえば、語の途中の r はさほど強調されないため、実際は「ヴェァ…」と聞こえるが、慣用との兼ね合いからして「ヴェル…」に落ち着くだろう)。〕

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2008年5月15日 (木)

チーズ覚書 その 7

 順番を飛ばしていた七番目はブルー・デ・コース(Bleus des Causses)。「コース」(ないしコッス)とは何だろう? 地名だろうか。まあそんな謂れはどうでもよい。とにかくこれも青かびチーズのひとつである。
 ロックフォールより湿り気がある、というよりむしろ、はっきりと水気を含んでおり、その分だけ匂いがきつく立ち上るように思う。今のレパートリーの中ではラストに食さるべきフロマージュである。
 いずれにしても塩分はきわめて多いはずで、大阪→東京→パリと、本拠が移るたびに、食べ物に含まれる塩分が確実に増えてきている。成人病も心配といえばそうなのだが、このまま行くと舌がばかになりそうな気がして、ちょっと怖い気がする。でも今晩もきっとチーズは食うだろう。

         *

 こないだまではキャレと青かび/クロタン(ド・シェーヴル)の組合せだったのだが、キャレ(これも旨かった)がなくなったので、別のものを探していたところ、サン=マルセランを見つけた。が、前に食べたのとはどこか違う。どういうことだ、マチウ(とマリ)。確かにあれはまだごく若いものだったけれども、しかし、いくら何でも「ヨーグルトのような味」からこんな風に熟成しはしまい。本当にサン=マルセランだったのか? それともわたくしは何か大きな勘違いをしているのだろうか。

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2008年5月13日 (火)

メディアの違い

 柴田元幸さんの新エッセー集が刊行されていることに気づいた。あらゆる情報・潮流に乗り遅れがちな――かつて「トリノコ族」なる揶揄の言葉があったと記憶する――昨今だが、わたくしなどが宣伝するまでもなく、おそらくはガンガン売れていることだろう。一部のページが Flash player を利用して試し読みできるようになっているので、とりあえずリンクしてみる(「自動翻訳のあけぼの」)。

 わたくしもいちおう柴田先生の伝説的授業、駒場総合科目の「翻訳論」に出席していた人間だが、お人柄に関する思い出話をここに書きつけようというのではない。そもそも私的な付き合いというようなものではなかったし、劇的なエピソードがしたがってあるわけでもないけれど、ひとつだけ記しておくと、キャンパスでわたくしなどを見つけ、遠くからでも手を挙げて合図してくださる先生は、そうそういないと、当時も思ったし、今もそう思っている。わたくしが参加した年度に TA としてお世話くださり、現在は翻訳家(大学教員)として御活躍されている畔柳和代さんもたいへん気持のよい方だった。

 授業での、だからつまり英語や翻訳にまつわるお話のうちで印象深かった事柄のひとつは、「宿題として提出する訳稿は、印刷されることを前提に作成しなさい」という指示だった。もちろん「翻訳家になれるよう皆さんがんばってください」といった、詐欺みたいな話をなさるはずもなく、要するに、自分が書くメディアを意識せよと、まあそういうことだった。
 当時はまだ手書きが許されていた。そして、「半マス空け」や「1.5 マス空け」といった、手書きの世界においては微細な意味作用を担いうるテクニックが、ほとんど無意識のうちにだろうけれど、そうした手書きの訳文には用いられていたらしい(わたくし自身はすでにワープロに移行していた)。印刷されて世間に流通する書物というメディアにおいては確かに、そして残念なことにといわなくてはならないが、「1.5 マス」のような微妙なスペースは許容されえない。授業参加者数百名の全員が翻訳家になれるわけではないにせよ、とにかく〈他人に読まれうる形式・メディアで書いている〉ことを意識しなさい――それが柴田先生の教えのひとつだった。むろん翻訳にかぎらず、文章一般の作法に通ずる事柄ではある。

 自宅のプリンタで印刷したワープロ原稿、校正刷(ゲラは完成した書物にきわめて近いがそれでもやはり)、書物のページ。これらはそれぞれ別ものである。ワープロソフトのウィンドウで読まれる場合と、たとえばブログとして投稿されウェブ・ブラウザ上で読まれる場合も、やはり互いにメディアとしては異なっている。論文その他の書き物の最初の読者(著者本人も場合によってはそこに含まれる)が読むことになるのは、現在ではたいていワープロ原稿だが、原則としていえばそれは最終段階のメディアではないということになる(もちろんレイアウトその他を整えてページ・プリンタで出力すれば、それなりに綺麗な紙面は得られるが、そういった細かい点はここでは除外する)。

 M・マクルーハンの『メディア論』に即していうなら、人は「内容」とは別の次元で、いうなればメディアそのものを味わう。だからこそ、自分が生で見たラグビーのマッチに関する新聞報道や雑誌等の批評文、そして中継録画さえも――おそらくは焦がれるようにして?――欲するのである。それぞれ異なるメディアとして。念の為にいい添えておくと、この場合、「生観戦」もすでにある種のメディアによって媒介されているという可能性を忘れるべきではない。事実、「生」で見ていても「リプレイを見たい」と思わず感じてしまう人は少なくないはずだ(贔屓のチームがコテンパンにやられて泣きそうになっていても、スタジアムの「オーロラビジョン」におのれの姿が映し出されるや、つい笑顔で V サインを送ってしまう人を時々見かけるが、あの人たちはいったい何だね?! )。

 ちなみに、プロの書き手ではない「素人」の方々――ワタクシもその一人――がブログ運営に快楽を感じ(「運営欲動に衝き動かされ」でもよい)、熱心に投稿を続けるとすればそれは、第一にブログが簡単に利用しうる〈他人に読まれうる形式・メディア〉だからではないだろうか。ウィキペディアの賑わいもそれで半分くらいは説明がつくだろう。ある意味でごく当たり前のことをいっているにすぎないのは承知しているが、肝腎なのは(読まれ)〈うる〉という可能性それ自体であって、必ずしも自分の意見を公表し、実際に読まれることだけが目指されているのではないとわたくしは感じている。われわれは、内容がどうあれ、記事を書きながら、ブログというこのメディアそれ自体をまずは味わっているといってもよい。もちろん、だからといって、何を書いてもよいというわけにはいかない。いかない。いかない。
 要するに、「発言」に対する免責事由とはなりえないにしろ、ブログというメディアを、直接的にいわゆる「公共空間」へ接続しうる形式としてのみ捉えるだけでは十分でなかろうということだ。内容を云々するのとは別の次元が、そこには同時に含まれているはずだからである。

〔追記 ラグビー批評の分野で、ご自身が生で観戦したマッチしか論評しないことを原則としていらっしゃる(ように見受けられる)方を知っているが、わたくしはその姿勢に敬意を払っているし、またその批評を毎回楽しみにしてもいる。つまり本エントリーで語られていることは、その場合の「生」か「テレビ」かという問題とは異なる次元での話である。〕

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2008年5月12日 (月)

カサヴェテス

 笠辺哲という漫画家がいる。あまり詳しくないのだが、酔うと漫画を無理矢理押し付けてくる癖のある友人が『短篇マンガ集 バニーズほか』(2005 年)を貸してくれたことがあった。もうずいぶん前のことだ。とても面白く読んだし、評判をとっているらしい『フライングガール』も是非読みたいところだが、まあこれは日の本へ帰ってからになるだろうか。
 ところで、駄洒落の続きというわけでもないけれど、『バニーズほか』を読んだときから気になっていたことがある。笠辺哲って、どう考えても、カサヴェテスだよねえ――と友人には本を返す時に言ったのだが、まるで相手にされなかった。作品自体は、ジョン・カサヴェテスの映画のように暴力があからさまに充満し、時としてそれがほとんど画面から溢れてこちらに迫ってくるような感じではとりあえずないにしても、名前はきっとオマージュの意味でのもじりだろう。誰かがすでにいっているか、あるいはわたくしの友人以外はみな知っていることなのかもしれないが、備忘録として書きとめておく。

〔後日譚 その友人曰く、「知らなかった」のではないとのこと。いずれにしても大した事ではないけれども、いちおう名誉のために補足しておきます。〕

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2008年5月 7日 (水)

外国人の書くフランス語

 ポーランド出身のクシシトフ・ポミアンなどを読んでいると(いま読んでいるのは Krzysztof Pomian, L'Ordre du temps, Gallimard, 1984)、外国人の書くフランス語だなということがよくわかる。もちろん、フランスの大歴史家でもあるポミアンのフランス語(実に見事なものだ)にケチをつけようなどというのではなく、むしろ面白がっているのである。

 1984 年、つまりほとんど四半世紀前の本である点はさて措いて、特徴的と思われる点をひとつ挙げるなら、S - V、つまり主部と述部の倒置構文の多さということになるだろうか(太字が述部、主語はその直後に置かれている。下線部は論じられている主題)。

   Dès le XVIe siècle, sinon plus tôt, se met en place une éthique des lettres centrées sur l'idée du sacrifice présent supposé donner des fruits durables dans l'avenir ici-bas ; la complète un dispositif de célébration des hommes illustres de la "république des lettres, des sciences et des arts", comparable à celui qui glorifie les héros de la guerre, avant que ces derniers ne laissent la préséance aux grands bienfaiteurs de l'humanité. Dans le domaine de l'économie correspond à cette éthique la condamnation des dépenses somptuaires et de la consommation ostentatoire, qui, même quand elle invoque des arguments traditionnels, justifie les investissements productifs, permmettant au capital de porter des profits et de s'agrandir avec le temps. Le rapport entre présent et avenir commence ainsi à être pensé et vécu comme une croissance. [p. 292.]

 第一文のような倒置は、文頭にこうした副詞表現を用いる場合によく見られるものである。主部が〈主語 éthique プラス長い修飾語句〉という構成になっていることもあって、ほぼ必然的にこうなるといってよいかもしれない。
 ポワン・ヴィルギュル(セミコロン)に続く第二文に関してはしかし、「ふつう」こうは書かないのではないかという気がする。主部が同様に長く、また段落の主題 éthique を文頭で際立たせる狙いもあるのだろうし(この文では代名詞 la で承けられている)、必然性はわかるけれど
。倒置の問題だけではなく、現代フランス語ではどちらかといえば短めの文が好まれるということもある。不定形でない動詞の目的語たる代名詞が文頭に来るというのも珍しいように思う。もっと「穏健」に ce qui la complète c'est un dispositif... などと書く人もいることだろう。少なくともわたくしはこのような文を書く勇気がもてない。
 従属節は抜かして、第三文はどうだろう? correspondre 自体は倒置構文で用いられる頻度のきわめて高い動詞である。その場合の基本フォーマットは À cela correspond ceci (「cela に対応するのが ceci である」)となるが、ここでは Dans le domaine... という副詞表現が文頭に置かれたせいで、à cette éthique が動詞の直後に来、その後に主語 condamnation が続く形となっている。第二文はちょっと真似できないけれど、こちらの方ならわたくしにも採りいれられそうな気がする。

 倒置構文のこのような三連発はさすがに珍しいのではないだろうか。そういえばハンナ・アーレントの英語は、修飾語句がとにかく動詞と目的語(に相当する部分)との間に入り込む点を特徴としていた。フランス語のようなヨーロッパ的言語もそうだが、とりわけ語順の自由がかなり利くドイツ語の影響が強い英語だったといえる。ということはつまり、間に入り込むというより、むしろ動詞が後に回るといった方がよいのか。

 1934 年生まれのポミアンは 1973 年から活動の拠点をフランスに置いている。ポーランド語のことがわたくしには全くわからないので不確かなことしかいえないけれども、どの程度その「母語」が影響しているかという問題はやはり興味深い。

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2008年5月 6日 (火)

『他者という試練』訳者あとがき補遺 続

 訳者あとがきに書ききれなかった事柄をアトランダムに。〔長くなったので別エントリーとして続けます。最初のエントリーはここ。〕

 (未了)

              *

 著者の姓 Berman の発音は [-anne] です(鼻母音でも通じないことはないですが)。

              *

 紙幅の関係で、「関連文献」リストからは例えば翻訳文学の傑作群のほとんどを除外せざるをえなかった。それでも、少数ながら採りいれられた翻訳文献は、原則として、三つの「言語」にかかわるという共通点をもっている。ペソア-タブッキ-日本語、アルトー-デリダ-日本語、あるいはハイデガー-クラーク-日本語、など。いわずもがなのことではあろうが、念の為に。

              *

 翻訳「作法」として次のようにいわれることがある。元の言語において「普通」の表現は、翻訳する側の言語においても普通の語句で表現されるべきだと。一面では確かにその通りである。しかし、あちら側で「普通」のその表現が、こちら側に馴染みのないもの、新奇ないし珍奇なもの、つまりは「異なるもの(エトランジェ)」である場合、その論理だけでは立ち行かなくなるのではないだろうか。
 極端な例だがキリスト教の「神」、イスラムの「神」――これらは或る特別な、しかし(いわくいいがたいにせよ)指し示されるものが何かという点で誤解の余地のない「存在」についての言葉である――を日本語に訳す場合などがそうだ。「普通」の言葉を「普通」に受け取ることがかなわぬとき、他なるものについての真の思考が、自覚するとしないとにかかわらず、翻訳者のうちに生じざるをえない。この経験を出発点として(したがって自覚的に)翻訳を思考すること。それがベルマンのいう「翻訳学」の眼目である。
 別のいい方をすると、翻訳作業にかかわる複数言語それぞれの枠内でのみ考えていては、翻訳についての思考が深まってゆくのは難しいということになるだろう。もちろん〈異なるもの〉であるかどうかについての客観的な指標は存在しない(外国語テクストはそれ全体がそもそもひとつの〈異なるもの〉であるが、それとは別次元の話である)。だが、本当の意味で「普通」というわけではない言葉を、訳者が「普通」に受けてしまえば、異質性・外来性が殺される、あるいは損なわれ、不当に矮小化されることにもなりかねない。
 他者論の次元でなく、もっと即物的にいうこともできるかもしれない。他者性の代わりに、たとえば訳語の正確性といった問題を考えてみればよい。訳者が「普通」だと見なして「意訳」してしまうとき、元の語に当然孕まれている豊かな――それが「普通」の言葉であるなら尚のことそうなろう――意義が、実は訳者の「理解」の及ぶ範囲へと矮小化され、限定的にしか伝えられないという可能性が生じる。哲学や思想の「伝達」において、それは致命的な誤りである。技術的にいってもそうだし、そして結局は、他なるものとの関係構築においてもそういうことになる。

              *

 WWW 上で読める文書の紹介(もちろん既によく知られているものもあるだろうけれど)。

 ・昼間賢「ラマダンの夜が明けて
   『INSCRIPT』内のエッセイ。昼間賢さんはオリエントの文化(とりわけ音楽)にも造詣が深いフランス(語)文学研究者。

 日本にその「中東」(正確にはパキスタン、中近東、北アフリカ)からミュージシャンを招いて催された音楽祭「フェスティヴァル コンダ・ロータ 2006」にかかわった際の翻訳経験が語られている。著書に『ローカル・ミュージック~音楽の現地へ』がある。
 映画字幕の翻訳もそうだが、音楽の歌詞翻訳についても、その翻訳が表現といかなる関係をもつかが考えられなければならない。グナワ・ディフュージョンの歌詞がこの現代の日本語に翻訳されることの意義を、昼間さんは強調している。非常に勇気づけられる「メッセージ」である。

              *

 ・山岡洋一『翻訳通信 ネット版
   翻訳家山岡洋一さんによる翻訳論を集めたサイト(別に書物として翻訳論を刊行されている)。

 山岡さんは、ベルマンをわたくしが翻訳しているとき、訳者として意識していた翻訳家のひとりである。『他者という試練』では実にさまざまな論点が提出されているが、そのうちで現実的に最も大きな困難に出会うだろうと思われたのが、翻訳者が自ら理論構築を目指さなければならないという、〈理論と実践〉の問題だった。実際、フランス人翻訳家が自身のブログで「ベルマンも俺たちの仲間だったのに、何だか遠い所に行ってしまった」というような感慨を述べたりしている。それに対し山岡さんは、まさに翻訳家として主体的に翻訳を思考するということをなさってきた方である。自前で理論構築を目指される点にもわたくしは敬意を抱いている。
 ひとこと断っておくと、翻訳者は原著者を内面化したり原著者に自己同一化する者ではないし、そうでない方が望ましいとわたくしは考えており、ここでは中立の立場から言うのだが、山岡さんとベルマンの相違点は事実上、〈原著者が日本語で書くとすればこう書くだろうと思える翻訳〉に対する評価の違いにほぼ集約されうる(この文言は山岡さんのもの)。翻訳理論史に通じていれば、これがシュライアーマッハーによって定式化された問題であることはすぐわかるはずだ(「翻訳のさまざまな方法について」三ツ木道夫訳『同志社大学外国文学研究』 77-79 号)。つまりそれは、同じ本質的な問題系を、それぞれ別の語彙で(したがって別の観点から)思考しているがゆえに(ほぼ必然的に)生じる違いなのである。詳しくは山岡さんの論「二葉亭四迷の呪縛」ほか、ベルマン『他者という試練』第 10 章などを参照されたい。

              *

 ・「翻訳学とパース記号論
   パースと翻訳論についての博士論文(フランス語)。プルースト研究者で、だがジャック・ル=ゴフの翻訳も(すでに二点)なさっている菅沼潤さんのブログで知った。

 ベルマンはここでは、ミシェル・バラールの著作からの孫引き以外では、シュライアーマハーの翻訳者としてのみ登場する。わたくし自身はまだ読み始めたばかり――いつ終わるか、あるいはそもそも読み終えられるのか――だが、印象としては、翻訳研究への寄与と同時に、あるいはひょっとするとそれ以上に、パースの言語論の一端が、翻訳論という視点のおかげでより明らかになるかもしれないというところである。より詳しい紹介は菅沼さんの当該エントリーを参照されたい。

              *

 ・明治学院大学 言語文化研究所 紀要『言語文化』 22 号(2005 年 3 月)
   特集 翻訳:セシル坂井「翻訳の力学」、四方田犬彦「訳と逆に。訳に。」、阿部・マーク・ノーネス「悪態的字幕のために」、ジャック・レヴィ「訳しそこなわれた文字」他、全 7 篇(PDF)。

 セシル坂井さんは、アンヌ・バイヤール坂井さんらとともに、仏ガリマール社「プレイヤード叢書」の谷崎潤一郎作品集(2 巻本、1997-98 年)に中心的に関わった方。谷崎はそれ以前すでに仏訳されており、たとえば『陰影礼賛』など、少なからず読まれていた作品もあったのだが、この新訳はとりわけ翻訳の質の高さによって評価されている。
 
ジャック・レヴィさんは中上健次作品などの仏訳者でもある。

 阿部・マーク・ノーネスさんの論攷は L. Venuti (ed.), The Translation Studies Reader, 2000, 2004 所収のオリジナルを山本直樹さんが邦訳したもの。ベルマン『他者…』同様、ゲーテの箴言がエピグラフに用いられている。
 映画字幕を翻訳論の枠組で扱うということは実はわたくしは、ある人と話すまで全く考えもしなかった。文学や広く文章一般の翻訳は、原則として文のみ、つまりは言葉のみによって「情報伝達」を行なうのに対し、映画にはそれ以外の側面が含まれているからだ。というより、映画とはまずもって言葉なしの映像のみによる表現形式として誕生した歴史的経緯があるのだから、言葉つまり台詞が表現の主となることは、トーキー時代においても、一般論としてはありえないというべきだろう。事実、少し前まではサイレント映画制作でキャリアを開始した監督が、まさに視覚的な、しかし音響面も決してないがしろにしない作品を作っていたのだし、サイレント時代の経験がなくとも、台詞に頼らぬ映画を作る現代作家は少なくない。
 それゆえ、字幕翻訳の研究には、映画という表現形式から字幕のみを取り出すことについての理論的な考察が必要となるように思われる。
 そしてその理論には、音声言語を文字言語に移し変えるという、狭義の翻訳とは別の変換作用についての考察も伴わなくてはならないだろう。しかも、オリジナルの音声――俳優たちの声――はそのまま残され、その上で映像に文字が付け加わるのだから、実際の字幕つき映像において事態は、オリジナルより複雑化しているのである。
 もちろん、このことは台詞を軽視してよいということを意味しないし、ましてや明らかな誤訳の単純な正当化ないし擁護が意図されているのでもない。
 

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2008年5月 5日 (月)

マダム C のこと

 暑くなってきたためか、二年前の夏頃、パリの或る映画館でフランス人女性と知り合った頃のことがふいに思い出された。映画好きなら誰でも知っている名画座のひとつ。だが、「名画」としてそのスクリーンにかかる作品の多くは、実際には盛期ハリウッド産のものである。

 フランスは総じて(つまり政治とか科学技術とかいったエリートの領分は別とすれば)「テキトー」な国である。定刻という意味での時間に話を限っても、鉄道のダイヤやテレビ番組、要するに各種プログラムが、予定された通りに実行されることはあまりない(鉄道は将来的には「是正」される可能性もないとはいえないが)。テレビのプログラムなど、予定された枠からは必ずといってよいほど(たいていは後に)ずれてしまうし、付随して出来てしまった隙間を埋めることができずに画面がしばらくのあいだ暗転するといったことも決して珍しくない。日本でなら「放送事故」と称されかねない事例である。日本からフランスに来た人は〈こんなに緩くても社会は回る〉という現実に驚き、多くは羨望を覚えるはずだ。その人間くささに。
 もちろん、こうした鷹揚さというか、余裕といえばよいか、要するにテキトーな態度を保てるのは、フランスが何より広い土地を有す農業国であり、また観光資源にも恵まれているという、経済的な支えがあればこそである(よいことづくめではなく、原子力発電への依存は将来的に深刻な問題となりうるが)。そうした基盤の違いを抜きにして、フランス人と日本人の「気質」を比較するのは愚かだが、とにかく――フランス人は多くの(どうでもよい)局面ではかなり緩い緩い緩いということにしておく。念の為にいい添えておくと、フランス人が時間というものから全く自由ということではない(スペインやイタリアから見れば「セカセカ」しているということはともかくとして)。近代以降の人間は時を、あるいは「時計」を内面化しているのだが、それに対する(いわば質的な時間を生きることを通じての)抵抗の様態が異なっているのである。

 そういう次第で、映画も定刻どおりに始まることはあまりない。件の名画座に戻ると、その日、休憩に出た従業員がなかなか戻らず、ラオール・ウォルシュの『白熱』目当てに立ち並んだ客は館前の歩道で待たされるはめになった。わたくしはすぐ前の女性と苦笑やら「困ったねえ」というような言葉を交わした。それがマダム C だった。相手が話を聞いてくれる人間と見るや、「お喋り好き」(自分でそういった)の彼女は、映画のことや日本文化のことを話し始めたのだった。

 たいていの場合「グッド・リスナー」であるという気質(真に受けないでください、というかワタクシは本気でそう思っているけど、他人は「こいつ阿呆だ」と笑い飛ばせばいいんです)がこの場合、よかったのか悪かったのか、それは何ともいえない。だがとにかく、上映終了後にわれわれはまた出入口前のホールで出会い、かなり長い間立ち話をしたのだった。そして最後に電話番号を交換する――まるで古えの「ボーイ・ミーツ・ガール」ではないか。女性が輝かんばかりに活き活きと話す(のを見聞きする)のは、つねに素晴らしい体験である〔「女は愛嬌」みたいなことをいっているのではありません〕。それがたとえ七十歳の人であったとしても。

 興味深い話もあった。幼時から映画に親しんできた立派な――トリュフォーは好き、ゴダールは認めるけど嫌いという、まるで淀川長治のような――シネフィルならではの体験談。たとえば――第二次世界大戦期まで、映画館にかかる大半がフランス映画だったのが、戦後は一変してハリウッド映画が優勢になったこと。本ですでに知識を得ていた事柄だとしても、 CIA の工作によって感性をまさに変えられてしまった当の本人の口からそれを聞くことができたのは、まあ貴重なことだったと思う。あるいは、エロール・フリンに憧れていたけれど、彼が「親ナチ」だと知らされてからは軽蔑するようになったこと。ああ、そういうのってありますよねえ、そういえばケーリー・グラントが MI6 の依頼でゲーリー・クーパーを監視していたんですってね――と、言いそうになったがやめにした。クーパーのファンだったら気の毒な気がしたから。
 もっとも、そういう「古臭い」映画しか見ないという人でもなかった。彼女が電話をかけてきて「一緒に見よう」と誘ってくれた映画はジョゼフ・マンキーウィッツの『裸足の伯爵夫人』だった。もちろん往年の名画として鑑賞することも十分に可能な作品ではあるけれども、同時にかなり奇妙な映画ともいえるだろうからである。ハリウッドの歴史において、危うい時期の製作だったのは確かである。また、近年の、だが価値ゼロのフランス映画(タイトル等は失念した)上映終了後に、それらしい人(つまりマダム C らしき人)が怒りをあらわにしていたとの目撃情報も得ている。
 『サユリ』も見たそうである。主演女優が実は香港の人だということは知っていたのだろうか。とにかくわたくしは問われて、藝者のことを難儀しながら説明した。多少は嘘も交えつつ。たぶん増村保造の『刺青』なんかも見た方がよいのだが、マスムラのことは知らないようだった。

 醒めた視点からいえば、おそらく、話を聞いてくれる人なら誰でもよかったのだろうという気はする。もちろん、ここのところの日本文化ブームとは切り離せないだろうし、実際、マダム C も書や山水の庭園に憧れを抱いていた。ともかく、繰りかえすがわたくしは、どんなにつまらない話にも耳を傾け「面白く」聞くことができるグッド・リスナーであるし(というか世の中、本当に面白い話などそうそうない)、階段や道路では彼女の手を取り、しばしばその背に手を添えることもした。Vous êtes attentionné. フランス語の勉強にもなった(フランスの若者も敬老精神はもちあわせないそうである)。アジア人を召使と(無意識のうちに)見なしている可能性? ないとはいえないだろうが、それは考えないようにしている。ただ、彼女は、わたくしが映画館前の立ち話に疲れて「喫茶店に行こう」と提案するよう仕向けるだけの手管を失ってはいなかったと、その点は記しておきたい。La très française. なぜなら、代金は誘った方が(当然!)支払うのだからである。

 このボーイ・ミーツ・ガール的物語はある日とつぜん中断する。わたくしの仕事が急に忙しくなったからだ。電話で「traduction をすることになったので映画館にはしばらく行けません」と伝えた。マダム C は最初、わたくしの家族とまったく同じ反応をした。「学校の課題は大変ねえ」。Mais non, Madame... それはただの宿題です。わたくしは本を「拙訳」するんですよ……。
 400 頁超の本を一年で訳そうとすればそれなりの覚悟が必要だし、事実、映画館に行く回数は大幅に減ったのだった。Au revoir. 翻訳が終わって本来の生活に戻った現在も、映画はフランスでしか見られないものに限って見るようにしている。彼女との再会はもうしばらく先となりそうである。だからそれまで、どうかお元気で。
 

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2008年5月 1日 (木)

チーズ覚書 その 8

 チーズの「旅」第八弾はクロタン・ド・シェーヴル。
 チーズ盛り合わせなどで口にしたものも実は結構あるはずで、これもすでに食っているかもしれない。ややこしい名前だが、実際に書いてみると、覚えやすくはなる。ややこしいのは、実態はほとんど同じなのに、まさに呼称によって、クロタン・ド・シャヴィニョールと区別されているからである。呼称、つまりアペラシオン(ドリジーヌ・コントロレ)。
 ピンポン球くらいの――山羊の「クロタン」はこんな大きさなのか?――円筒形をしたチーズ。一見、手をかけて作られた和菓子のようでもあるが、齧るとまず香りに「うッ」となる。ごく軽く。しかしそれも、食っているうちに慣れてきて、結局「ああこれも旨い」と感じられてくる。二種類の違いは、両者を並べて食すのでなくては、わたくしにはわからない。ははは。いつかまたそのうちに。
 朝からこんなチーズを食うと口臭が発生しやしないかと少しばかり思わないでもないが、まあ気にしない。調べてみると、「バゲットに載せてオーブンで焼いたものをサラダと一緒に採る」というやり方もあるとか。サラダが面倒くさそう。でもうまいのだろう、きっと。

 ギャヴィン・ヘンソンがハイネケン・カップのマッチで痛めた足首を手術することになったらしい。六月の南ア遠征はつまりアウトということだ。SH のM・フィリップスもアウト、D・ピールも出場が危ぶまれるなど、真の意味でのベスト・セレクションは不可能となってしまった。負傷はスポーツにつきものとはいえ、非常に残念なことである。

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