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2008年7月

2008年7月24日 (木)

コニャック=ジェ美術館

 十八世紀の作品を中心としたマレ地区の美術館。無料の博物館としては近所のカルナヴァレ美術館が有名だが、規模はだいぶ小さいものの、こちらもそれなりに見応えがある。

 「廃墟のロベール」と呼ばれたユベール・ロベールの作品を見に行こうと急に思い立ち、自転車で向かう。楕円の形に縁取られた一対の油絵、「事故」(L'Accident)と「家畜用水飲み桶」(L'Abreuvoir)である。いずれも1804年頃の作品。ディドロに「廃墟の詩学」を「発見」させた画家で、実在の廃墟群がありえない組合せで一枚のタブローに登場させるなど、綺想画に分類できないこともない作品を多く描いた。
 一般に廃墟画を完成させたとされるドイツのC・D・フリードリヒ作品とは対照的に、とにかく人がごちゃごちゃ「無意味」に多く描かれるのが特徴で、ディドロなどはその点を最後まで批判しつづけたけれども、古代・中世の「偉大」な廃墟群と、日々の暮らしに没頭し、廃墟の価値にはまるで無関心の人々との対比こそが、この画家における「崇高なもの」を形作っている(建築の領域における「崇高」を絵画の領域に移し変えればこうなる)と哲学研究者B・サン・ジロンはいっている。たとえば「事故」には、廃墟として残るファサードから墜落中のひとりの男が描かれているけれど、その手には花束が握られている、つまり彼は古美術としての廃墟には関心がなく、たんにそこに生えていた草花を摘んでいる最中に足場が崩れて落ちてしまったというわけである。
 もう一方の「水飲み桶」は自身の墓碑を登場させている。わたくしはそのラテン語の碑銘を確認しに行ったのだが、自分の墓(を含む遺跡)を人々が通り過ぎるという、「廃墟となったルーヴル・グランドギャラリーの想像図」(1796年)同様の、二種類(あるいはそれ以上の)時間の同居する
、眩暈を覚えるような時間性が廃墟画のひとつの特質であり、その点を考察することは、藝術作品の時間性を考える際にいくらか有益であろう――今わたくしが取り組んでいるのはそうした事柄である。

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2008年7月15日 (火)

チーズ覚書 その 1.1

 やはり塩分の摂りすぎだったのだろう、いくらか調子の悪さが感じられたのであまり食べないようにしていたが、落ち着いたペースで徐々に食べ始める。
 今凝っているのは、新たな種類を開拓する代わりに、塩味きつめのロックフォールとそら豆を併せたもの。作り方はごく簡単で、熱いそら豆にチーズを和えるだけ。薄皮は剥かないのかと人に訊かれたが、もちろんそんなことはしない、男だから(笑)――というのは冗談で、本当は薄皮にも栄養があるそうなので、一緒に丸ごと食うというにすぎない。いずれにしても、そら豆自体には味は付けず、チーズのそれだけでまかなうというのが(たぶん)関西風である。

 もっとも、日の本に帰ったらフランスのチーズなど食べないだろう――ひとつにはフランスのものはフランスの地で食さないと本当の味はわからないから(値も張るし)、そして帰国したら和食でそれなりに満足するはずだから――と思うので、実のところ関西風も関東風もないのだが。
 そら豆というものを、わたくしは大人になるまで、それもかなり後になるまできちんと食べたことがなかった。いま思い返せば、父が肴として常備していた(させていた)あのカリカリに揚げた豆菓子がそら豆だったような気がする。薄皮ごと油で揚げると見事なツートーンに変貌し、いかにもつまみでございという風情で袋に納まっていたのだが、あんなの今も売っているのだろうか。
 そういうわけで、当然「そら豆の皮にくるまれて眠りたい」というような言い方があることも知らなかった。これを教えてくれたのは当時の助手(今は先生)の U さんだったが、なるほど言いえて妙である。

 食べ物のことを考えると、いろいろ連想が湧いてくるけれども、大阪の人間として、いま一番食べたいのはハモである。漢字で書けば鱧だ。湯引き梅肉和え。天麩羅。湯引き梅肉和え。天麩羅。実は関西の夏を長い間経験していないせいで、鱧ともずいぶん無沙汰している。お隣(京都の方)が一次帰国するので何か欲しいものはないかと親切にも尋ねてくださったのだが、「俺は鱧が食べたい」と血の叫びをぶつけたら「私が代わりに味わってきてあげる」と、これまた親切に請合って下さり、「関西人の暖かさ」が胸に染みた。ともあれ、何もかも東京が悪い。あの都が本当の意味で好きになれないのはきっと鱧を食う習慣と無縁だからに違いない――と、革命記念日の今日は暴論で〆てみる。

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2008年7月 1日 (火)

マドモワゼル X のこと

 久しぶりに大学に行く。パリ市内ではもう見当たらないような古い――題材も写真の撮り方も――感じの絵葉書が売られていて購入する。こういうのを探していたのでちょっと嬉しかった(Stefano Bianchetti という写真家の作品)。いちおう描写を試みると、ちょうどメトロ 6 番線の車両が西日を浴びながらベルシー橋の上を通過する瞬間を切り取ったもの。新国立図書館やボーヴォワール橋(本ブログのプロフィール・ページの橋)が存在しないことから、またメトロの車両が古い型であることから、この写真がそれ以前のものであることがわかる。調べたところではビアンチェッティ氏は〈陸橋を通過するパリのメトロ〉の構図をシリーズとして撮っているようである(わたくしはつい「地下鉄」と呼んでしまうが、パリの「メトロ」は 2・5・6 番線などが一部地上を走っている)。

 生協書籍部のようなものはこちらにはないけれど、ここはやはり土地柄というべきか、移民(と思われる人たち)がキャンパスの一角で古書を商っており、絵葉書もそのコーナーにあったものである。
 校舎に囲まれた区画に新しい建物が出来ていた。工事が始まる前、まだ唯の空き地だった頃、そこで「ビー部」が集っているのを見たことがある。部といっても、わたくしが見た時は五、六人の学生にコーチひとりだけで、女子がふたりほど混じっていた。バックスの何かムーブを反復していたのだが、ディフェンスのいない練習だと男女混合で出来るのだなと妙に感心した記憶がある。彼らは今どこで練習しているのだろうか。

           *

 別の日、国立図書館に行く。こちらも久方ぶり――というより、元々そう頻繁に通ってはいない。行けば行ったで、ほとんど休憩もとらず四、五時間集中して調べ物をするけれども、問題は研究者向けの階層が地下にあることだ。採光はそれなりに確保されるよう設計されてはおり、早い時間帯では机のランプもつけなくてよいほどだが、要は地下に押し込められる感じが厭なのである(正確には地上階なのだが、気分的には地下にいるのと同じだ)。自然光を採りいれる、天井をきわめて高くする、等々の工夫にもかかわらずそうなのだ。確か設計者の回顧展をポンピドゥでやっているはずである。

 とにかく、調べ物が終わるとわたくしは、出口から大体いつもセーヌに面した側の広場に向かう。入口が仏式一階にあり、そして地上階の天井が高い分だけこの部分も高くなっているわけだから、セーヌを結構な角度から見下ろすことになる。左手前方には、対岸へ渡るシモーヌ・ド・ボーヴォワール歩道橋がかかっており、遥か前方を望むとシネマテークも見える。
 川をぼんやり眺めながら普段のようにそこで×××をきめていると、後から声がかかった。
 ×××をおもちじゃないですか、もしかして?
 なぜ×××を請う人たちはいつも「もしかして = 偶然にも
」(par hasard)というのだろう? もっているのは明らかなのに。もちろん、問われた側がそもそも他人からもらったにすぎず、持ち合わせがないということだってフランスでは多いにありえるわけだが。

 仕方ないなあという表情を作りつつ――こうやって助け合うのは悪いことじゃあないし、人間的な感じもするので厭ではないのだが、喜んで差し上げるという風にはどうしたってなりにくい、人情として――わたくしは×××を差し出す。ふだんならそれで片がつくところだった。気分の良いときなどは「二度とやらないからな、覚えとけ」と、その時初めて出会い、二度と出会うこともないだろう人に向かって無意味な説教を余興として垂れることもあるのだが、いずれにせよ連中はさっさと立ち去るのが常だった。ところが彼女は、なぜかそこにとどまり、わたくしの傍らで×××をきめ始めたのである。

 それがマドモワゼル X だった。われわれはしばらく立ち話をした。現在マステール 2 の院生で、アグレガシオンの準備をしていること、課程修了論文はそれが終わってから仕上げるだろうこと、専門はヘーゲルの政治理論(「それは政治的な研究? それとも哲学的なの?」というわたくしの愚かな質問に「政治哲学の問題」とエスプリをもって答えた)、哲学的な議論にちょっと参り気味であること、ただしドイツ語は読めないとのこと、×××は一日一回に決めていること、もっとも例の法律の施行前はそもそも嗜む習慣がなかった(「始めたのはちょっとした子供っぽい反抗心からかな」)とのこと……。

 ×××が尽きると、「そろそろ食事の時間だから」といって彼女は去っていった。わたくしもその日はユーロがあったのですぐ帰路につく。それだけ。後日、友人に話すと、似たような経験を語ってくれた。とりあえずの結論としては「われわれは謙虚」というところに落ち着いたのだが、たぶん彼女たちは純粋に×××が欲しかっただけだとわたくしは思う。というより、そういう「謙虚」な人間と見えたからこそ×××をねだったというところではないだろうか。
 「イクス」嬢というのは単に名前を聞いていないからで、「知らない」という以上の意味はない。次に会うことがあったら尋ねてもよいが―― Xavier (グザヴィエ)の女性形 Xavière だったりして(そんな名前はなかったよなあ)。とにかくアグレガシオン合格に向けて、幸運を祈っている。

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