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2008年9月

2008年9月25日 (木)

雑想 2

 不図したはずみでポルノの、あれは何というのだろう、動画とか静止画像とか販売しているらしいサイトにぶつかってしまった。驚いてノートパソコンをバタンと閉じてしまうほどうぶでもないので、しばし観察してみる――と、これは……。ひどいとは思っていたがこれほどとは。「緊縛ナントカ」はまだいい、双方の合意に基づくのであれば、つまり双方がマゾヒスト(ジル・ドゥルーズ『マゾッホとサド』参照のこと)であるかぎりにおいてという条件つきで。
 鞭の使用もそのかぎりではまあよい(『失われた時』には鋲の打たれた鞭にさる男性が身を委ねる場面があるし)。
文字通りの意味で吐き気を催したのは、女性を妊娠させる云々というようなタイトルが少なからず見られたことだ。孕む/孕まぬを決するのは男性ではなく、絶対的に女性でしょう? (「でしょう?」という言い方になってしまうのはわたくしが結局のところ男性だから。代弁すると偽善になるように思われるので。女性なら端的に「である」と言い切っているところだ。) こういうのはどうにかならないものか。フェミニスト諸賢は何をやっているのだろうか。

 フランス語では言葉(langue)が女性名詞で、だから〈男であるところの詩人が、女であるところの言葉に働きかけて、作品を産み出す〉というような構図に、フランス文学を読んでいて出会ってしまうのは決して珍しいことではない(この点はドイツ語も同断)。音楽も女性、大地も女性。楽器を女に見立てるというのは詩でも写真でもごくありふれた紋切型である。大地の豊穣とは、要するに大地の妊娠のこと。もうこういうの、いい加減やめにしませんか。J'en ai marre, ça me dégoûte, ça me donne la nausée !

 たぶん、他の語彙によって考えなければならないし、また考えられるはず。
 クレオール問題といった文脈でも、一方で刺戟を受けながら、他方では同様のことを感じてしまう。混血。女性がいうのなら特に問題はない。だが男性による礼賛はどうなのだろう? これはただの譬喩にすぎないと、そう反論されるかもしれない。しかし、譬喩なら何でも許されるというわけではあるまい(しかも無償の譬喩ほど無意味かつ非「生産」的なものもないのだ)。決めるのは、ここでもやはり女性である。

 こうしたことはまた、翻訳論ともかかわりをもっている。あらゆる言語が「混血」でありハイブリッドであるとするならば、わざわざそうした点を、しかも特殊例を持ち出して強調する必要はあるまい。日本語もまた、つねにすでに(しかも高度に)「混血」であり続けてきたのだから。根強い「純粋言語幻想」に対してショックを与えるため? だがその療法は期待されただけの効果をもたらしえているだろうか。「美しい日本語」がどうのこうのとのたまう人々はまだ大勢おります。
 日本語には確かに女性名詞のようなものはないけれども、「言語=女」といった譬喩は割と簡単に通じてしまうのではないかと思う。詮ずればそれは、われわれもまた無意識にそのような考え方を受け入れているということだろう。妊娠のことについて無意識のままでは済まされないと、見事に言い切った斎藤美奈子『妊娠小説』(1994 年)の衝撃はもはや忘れ去られてしまったのだろうか。交われば孕むと、そして孕むのは(もちろんつねに)女だと、われわれはそういう事実を突きつけられたはずなのに。

(見方を変えれば、冒頭で言及したようなポルノは、中身を見たわけではないからアレだけど、『妊娠小説』、あるいはまた松浦理英子「嘲笑せよ、強姦者は女を侮辱できない」 (1992 年、『セクシュアリティ』 1995 年所収)の批評性を、理解というか誤解・曲解し、開き直ったすえの「成果」といえぬこともない。唾棄すべき「成果」というほかないが。)

 フェミニズムの苦戦(でよいのだろうか)は、独自の詩学を「産み出す」ことが今のところあまりできていないこととも幾らか関わりがあるように思う。多和田葉子がやはり偉いと思うのは、「無精卵」というような短篇を書くことができるからだ(『群像』 1995 年 1 月、『ゴットハルト鉄道』 1996 年)。小説もそうだし、この言葉自体も多様な解釈が可能だろうから、ここでは喚起するだけにとどめるけれども、「豊饒」とはとてもいえぬこの概念の「貧しさ」にしばらくは耐えつつ、詩学的な方向での思考を重ねてゆく必要がありはしないか。

(まあ日本の場合、フェミニストの(旧世代の)第一人者と目される人が同性愛に対する偏見を恥ずかしげもなく誇示したりするわけだから、なおのこと大変ですよねえ。)

 「豊饒」を目指して構築されてきた男性側の詩学は、もう anything goes である。ロリコン。ペドフィリー。ネクロフィリー。モノホンのロリコン・ペドフィルと話をして身体的に吐き気を催した人間だからということもあるだろうけど、わたくしはどちらかといえば、ベドフィリーの「豊かさ」よりは、ここでいうような意味での「貧困」の方を支持したいと思う。フランス人(やドイツ人)のことなどこの際どうでもよい、日本人が「妊娠としての創造」というようなものに付き合う謂れはないだろう――と言い切ってしまえればよいのだが、えーと、イザナミとイザナギのあの「古事」、それに「言霊」は、そうするとどうなるのだろう。

 ともかく、そう考えると、植物というのは基本的には自家受精を行なうわけだから――例外も少なからずあるけれど――何というか、素晴らしい生物ではある。
 今パリは栗(マロニエ)の季節で、ペールラシェーズ墓地などを歩くと、旨そうな栗がわんさか落ちている。あの墓地の栗は食えるのだろうか?

〔付記 ラグビーがまだ始まらない、というかシーズンはとっくに始まっているのだがわたくし自身がまだ見ることができず――たぶん十一月のテストマッチまでずっと見られない――退屈しています。退屈ついでに「ラグビーとホモソーシャル」といったことをぼんやり考えていたら、脱線して変な方向に転がってしまいました。ははっ。
 ちなみに BBC のサイトではジェレミー・ガスコットが「ウィルキンソンの時代は終わった」とコラムに書いています。「イングランドはもっと攻撃的にならなくてはいけない」と。わたくしはウィルコはセンターでもよいと半分くらい本気で考えてはいますが、そしてガスコットのいうように、フラッドを SO の第一バックアップとして育てるのは結構なことだと思いますが、ジョニーをベンチ要員とするのはまだまだ時期尚早でしょう。例えばウェールズのような SO 二人制も過渡期としては十分アリではないでしょうか。〕

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2008年9月23日 (火)

フランス語ライティングについての覚書 1

 指導教授からのコメントには "La qualité de votre rédaction m'impressionne." とありました(明日の面談に先立ってコメントを下さったのです)。褒め言葉に含まれうる留保、ただし "certes..., mais" のような明瞭な形ではなく、語句の選択それ自体によって何らかの留保を示唆しうるやり方を完全に把握しているわけではありませんので、これをそのまま受け取ってよいか悩むところです。前後の文脈ももちろんあるでしょうし。それでもやはり、「意外にも」ということは確実にあるはずなので、あくまで相対的な評価にすぎないとはいえるでしょう。
 それはそれとして、直した方がよいだろうといわれた表現を覚書として記しておこうと思います。

Ce qui nous intéresse ce sont les côtés pratique et historique de ce paradoxe, que ne permet au philologue allemand de dépasser que l'ironie romantique.

〔わたくしとしてはむしろ En indicative est l'image de... / En significatif est le fait que... の方に「指導」が下るかと思っていたのですが…

 ここでは "seule l'ironie romantique permet au philologue allemand de dépasser [ce paradoxe]" の "seule" に代えて "ne... que" 表現を使おうとしたわけですが、それは止した方がよかろうと、そういうことでした。ne と que の間に単語がひとつだけだったら OK だったかもしれませんけれど、とにかく、素直に "... ce paradoxe, que seule l'ironie romantique permet au philologue allemand de dépasser" ないし "... ce paradoxe, que le philologue allemand ne saurait dépasser que par l'ironie romantique" とでも訂正することになるでしょう。

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2008年9月14日 (日)

雑想

 外国語で百数十枚書いて見直すということをやっていると、さすがに気が狂いそうになりますね。もっと穏当に、脳髄が芯から痺れてくるといってもいいですが。
 論文がひとまず片づいても、まだ事務的な文書の作成が残っています。けれど、もう考える余力がないので、少しだけダラけつつやることにします。

 思い返せば DEA 終了後は、きっとそうなるだろうという予感があってわざわざパリまでもって来た『細雪』、中公文庫一巻本を一気に読み直したのだった。その時を上回る枚数を書いた今回は、何をしようか? まずはオリヴェイラの新作。それから? それだけ? それから――中原昌也でも読み返そうと思ったら、人に貸していて今手元にないことが判明したので、どうしよう。ホントは『コインロッカーベイビーズ』なんかを読みたいんだよねえ。とりあえず仏訳で読めば? んー、いづれ読む、いつか必ず読むんだけど、今はその時ではないと判断しました。それに、研究と関係ないフランス語の小説なら、読んでるのが今あるし、なかなか進まないけど。あゝそうだ、折角だからふたりの畏友、ともに酒好きなふたりの M に、その小説から、ひとつ文章を贈っておこう。

Pour quelle raison obscure on l'a suivi dans son bureau, Marin et moi devant cette bouteille de whisky, ainsi qu'on buvait à l'époque, du whisky, ensuite seulement on est passés au cognac qui est une boisson de vieux, disait-on alors, on l'a suivi, l'oncle, et plus jamais quitté quand à l'aube devant la bouteille vide il a dit : il faudrait seulement apprendre à boire moins vite. Mais cela, même sept ans plus tard, on n'avait pas encore appris à le faire.

 もちろん、これは自分にも関係ある。でも疲れているから、文脈を解説したり、和訳したりというのは、無し。太字で誤魔化す。

 まあ、いうほど疲れているわけでもないけど、何しろずっと家に引き篭もって書きものをしていたわけで、その間、何ひとつとしていいことがなかったし。〔中略〕忠節なロリータ、貞淑なナオミ、篤実なカリーナ……。
 でも美と忠実が両立したって別にいいぢゃない?(翻訳論の話ですよ、念の為に。) 

Me          :  Look Lauren Bacall and Gena Rowlands, look Myriem Roussel or Isabelle Huppert; in them live together in perfect harmony beauty and fidelity, don't they?... or am I wrong at all?
The rest of the world: Yes, you ARE wrong "AT ALL" !!!

 感嘆符を三つも使って念押ししなくたっていいぢゃないかよおお……。まあ、ファンタスムであることは間違いないけれど(いったい何を書いてんだか)。

 徒しごとはさておき。疲れている時ってやっぱり慣れ親しんだ音楽を聴きたくなりますよねえ、耳を傾けるというより、身を委ねるという意味で。そういうわけでわたくしは今、スクリティポリティなど掛けております。白人にしてはきわめて「ソウルフル」でありながら、押し付けがましいところが少しもないので、こういう弱っている時にはよい感じ。よい感じ。Songs to Remember。それに初期楽曲の編集盤(Early)。
 今気づいたけど、グリーン・ガートサイドの歌詞には girl という言葉がよく出てくる。まず何といっても The Sweetest Girl がそうだし、他に Cupid & Psyche '85 でもこんな詞がある (The Word Girl)。

To do what I should do to long for you to hear
I open up my heart and watch her name appear
A word for you to use a girl without a cause
A name for what you lose when it was never yours

The first time, baby, that I came to you
I'd do things that you want me to
The second time, baby, that I came to you
Oh, you found my love for you

The third time, baby, that I came to you
Ohoho, I knew
The last time, baby, that I came to you
Oh, how your flesh and blood became the word

Name the girl outgrew, the girl was never real
She stands for your abuse, the girl is no ideal
It's a word for what you do in a world of broken rules
She found a place for you along her chain of fools

 要するに「それはただの言葉だ」と、そういうことのようです。いや、その通りだとわたくしも思います。ポップソングなのに深いですなあ。Each time I go to bed I pray like Aretha Franklin (Wood Beez)とか。他にたとえば Absolute という曲には次のような行りがある〔註 引用した歌詞の著作権者の権利を完全にリスペクトします〕。

Where the words are worn away
We live to love another day
Where the words are hard and fast
We talk of nothing new but the past

Where the words are vodka clear
Forgetfulness has brought us near
Absolute a principal
To make your heart invincible
To love

 ウェーザワーザヴァドゥカクリー、「言葉がウォッカのように澄んでいるところでは」! これは何というか、やっぱり英語の勝利としかいいようがないなあ。しかし上の方の「擦り切れた」というのとは違うわけですね、擦り切れた場合でも透けてくるはずだけど。他にわたくしが好きなのは例えば The Sweetest Girl のこういうところかな。

The weakest link in every chain
I always want to find it
The strongest words in each belief
Find out what's behind it
Politics is prior to
The vagaries of science
She left because she understood
The value of defiance

 

          (未完)

            *

〔註記 身を委ねる音楽としては他にE ・コステロの『グッバイ・クルーエル・ワールド』もそうです。このアルバムは一般的には評価が低いし、たとえばP ・マッカートニーとのコラボレーション以降にコステロを知ったような人々には存在さえ知られていなかったりするのですが、わたくしは何故か愛してしまっています。なぜでしょう? 80年代のものだから? あるいはそもそも友人がくれたものだから? とにかく「アイ・ウォナ・ビー・ラヴド」(グリーンガートサイドがコーラスをつけている)から「コメディアンズ」への流れが特に好きなのです。〕

〔註記 2 あまりに莫迦莫迦しいので、みなさん、どうか読まないでください。〕

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2008年9月13日 (土)

アルバン・ベルク弦楽四重奏楽団

 今夏に解散していたとのこと。実はベートーベンの中期・後期弦楽四重奏曲群はパリに CD をもってきていて、折に触れ聴いていたのだが、解散を知ったのはつい今しがたのことである。結局、生で聴く機会は得られなかったわけだが、まあそれはよい。覚書として。

 それら CD は「愛聴」しているとひとまずは言えるけれど、安んじて身を委ねられるというものではない。俗にいう「研ぎ澄まされた」音ということもあって、聴く側にも体力・精神力が要求される感じがする。何度聴いても飽きることがないということでもあるのだろうが、たまにはもう少し猥雑な、というのが無理なら――もちろん無理なのはわかっている――アタックのより少なく強い演奏が聴いてみたい。ゴダールの『カルメンという名の女』で使われたのはどこの楽団だったかな、そう、映画ではミリアム・ルーセルが第二ヴァイオリンを弾いていた…… Plat とか、確かそんな名前だったような気がするけれど、あー思い出せない。とにかく、ABQ とは違った感じの楽団を御存知でしたら、ぜひ御教示お願いいたします。

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