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2009年1月 8日 (木)

「パリの未来主義」展(於ポンピドゥ・センター)

 大晦日と元旦は例年のように牡蠣とポルトガルの「緑の葡萄酒」をいただいた。ヴィーニョ・ヴェルデはポルトガル旅行の際に「発見」したものだが、パリでも買うことができる。ポルトガルにもなかなか行くことができないので、思いを、思いだけを馳せつつ、微かな発泡を時折楽しむことにしている。牡蠣は世界的経済危機に便乗してか値上がりしていたが、やはり旨かった。旨かった。

 チーズについては最近は新しい銘柄を探すことはなくなっている。単純に飽きてきたからである。だからだいたいのところ、クロタンかサン=フェリシアンという塩味のきつくない種類か、塩味のきついロックフォールかブルー・デ・コッスを食べるという感じに落ち着いている。
 あるレストランで食べた「ガトー・オ・スムール」を家で再現しようとしたのだが、どうやって固めたらよいか一秒ほど考えて「あ、やっぱ無理」と諦め、蒸してバターと蜂蜜で和えたスムールに干し葡萄などを混ぜてそのままスプーンで喰らうという、何とも名づけようのない菓子をでっちあげてみた。最近はそれがお気に入りだ。スパゲティを胡麻油と焼きそばソースで和えて軽く炒める、名づけて〈イタリア風焼きそば〉と並ぶ「三大発明」なのではないかとひそかに自負している。

         *

 今パリは最高気温が氷点下というまさに「氷の世界」になっていて、出不精のわたくしさえも、暖を求めて図書館や、美術館、映画館に通う毎日である。

 ポンピドゥで「パリの未来主義」展。昔から展覧会へ行くと腰が痛くなる。たぶん姿勢が悪いのだろうけれど、今回も疲れた。展覧会自体はまあよかったのだが、詳しいことはここにはとりあえず書かない。未来派についての研究を細かくフォローしているわけではないので、単なる印象としていえば、ピカビアのキュビスム絵画は何だか変だった。セザンヌ以来のとひとまずいえるだろう「キューブ」の原理を理解していないのか、理解したうえで抵抗しているのか、あるいは単純に習熟の度合いが低く、いわば「理に落ちた」仕上がりとなってしまっているのか、よくわからない。

 興味深い発見は、ラグビーを題材とした絵画があったこと。
 アルベール・グレーズの「フットボール・プレーヤーたち」(Albert Gleizes, Les Joueurs de football, 1912-1913)は現在、米国立美術館(ワシントン・DC)に所蔵されているものだが、カタログの解説にはこうある(訳すのが面倒だから、とりあえず原文だけで勘弁してください)。

Les Joueurs de football sont à cet égard une œuvre d'autant plus importante qu'elle s'empare d'un thème parmi les plus fertiles du moment. En effet, le rugby -- qui porte encore pour nom "foot-ball" -- est alors un sport particulièrement plébiscité par les artistes, comme en témoignent les singuliers Joueurs de football (1908, Solomon R. Guggenheim Museum, New York) du Douanier Rousseau ou la fameuse Équipe de Cardiff... (1912-1913, cat. no 60) que Delaunay expose au même Salon des indépendants de 1913. Aussi la représentation du rugby ne relève-t-elle pas de la pure fantaisie badine mais bien plus du désir stratégique d'investir une imagerie moderne et polulaire, fédératrice et efficace. Présidée par un effort certain de lisibilité, la toile figure plusieurs personnages en mouvement distribués selon différents plans qui, malgré la remarquable décomposition prismatique, sont une concession expresse à la perspective traditionnelle. Vêtus de maillots bariolés, les rugbymen sont nettement individualisés. L'un d'eux, au centre, s'échappe avec le ballon ovale, seul élément désigné par Gleizes pour expliciter le sport représenté. [Colin Lemoine, Notice pour A. Gleizes, Les Joueurs de football (cat. no 59), Le Futurisme à Paris, catalogue d'exposition, Paris : Centre Pompidou/Milan : 5 Continents, 2008, p. 198]

 ロベール・ドローネーはラグビーを題材とした作品を複数残しているが、1913 年の「アンデパンダン展」に揃って出品されたグレーズの上記作品と並んでこの「カーディフのチーム」(Robert Delaunay, L'Équipe de Cardiff (3e représentation), 1912-1913)が今回展示された(この絵画は見たことがあった)。出展されなかった他のタブロー二点ともども絵葉書を購入したので写真に撮ってみる。Delaunay_cardiff_2

 ドローネーはどこでゲームを見たのだろうか。この時期フランス代表はウェールズ代表に負け続けたが、たとえば 1913 年 2 月にはパルク・デ・プランス(パリ)で 8-11(トライ数 2-3)で惜敗している。それともこれはやはり Cardiff R.F.C. のことなのだろうか。

 キュビスム(ただしドローネーはそこから少し区別される)が視点の複数化によって特徴づけられるとすれば、大きなフィールドのここかしこで複数の出来事が同時多発するフットボールやクリケット、野球などが対象となりうることは容易に理解できる。同時に、未来主義的な傾向に沿う形で、運動(mouvement)の表現が追求されていたこととももむろん関連があるだろう。この時代は他に例えば「空の征服」――飛行機に代表される――を課題としてもいたので、ハイパントやラインアウトなど、プレー空間の上方への拡張を特色とするリュグビーは、スポーツのなかでもうってつけのキュビスム的主題となっていたわけである。

 すでにどこかで書いたことだが、フィールドは縦方向にも(dans l'axe)横方向にも(au large)可変的なものである。タッチラインを踏み越えることなく空間の可能性を横に、縦に、そして上方に向かって開発すること、それがあらゆるラグビー・プレーヤーに課せられた使命――勝利は義務ないし課題にすぎない――である。

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