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2009年7月

2009年7月28日 (火)

ワールドカップ 2019 開催決定

 嬉しさより、大会が成功するかどうかという心配が先に立ってしまうし、自分自身も含めて 10 年後の日本国がどうなっているか全く想像もつかないが、まあ決まってよかったのでしょう、たぶん。

 芝を育てる、インゴール(サッカー場を使用する場合)を拡張する、陸上トラックのある競技場は避ける、近鉄花園ラグビー場に照明を設置する(橋下知事!)――などなど、金のかかる要望は、考えていて空しくなるけれど、それでもいちおう書く。国立霞ヶ丘はだから今のままでは二重にダメでしょう。やはり秩父宮と花園、それに熊谷、瑞穂などのラグビー場をメインにして欲しい。

 それから、開会式典の「アトラクション」。
 2002 年のサッカーのがどんなだったか既に忘れてしまっているけれど(開幕戦でジョルカエフがボールを奪われ、ルブフが抜かれたシーンはいまだに覚えているのだが)、とにかく勘違いせず、簡潔に済ませてほしいと思う。
 戯れに私案を書きつけておく――
 照明が点くと、サッカーの試合が行われている。これは適当でよく、11 人揃っている必要も実はない。
 重要なのは、両サイドのゴールキーパー、つまりはフルバックである。ボールが適当に(というか適切に)蹴られて A チームのキーパーの方に転がってゆく。キーパーはダイレクトで蹴り返すのが望ましいが、とにかく相手チームのキーパーまで直接届くキック力が――それだけが――必要となる。
 もうお分かりかと思いますが、そう、で、B チームのキーパーは、自分に向かって飛んできたボールをキャッチし、それを抱えたまま駆け出すわけです、荒野をめざして。あ、いや、違うな、相手ゴールを目指して。何だかワクワクしてきますねえ。誰がいいかなあ、キーパー A はキック力、キーパー B はキャッチ力+脚力。日本人 FB はキャッチし損ねてしまいそう。絶対に落としてはいけないところだから、ここはやはりイチローか。で、川口能活が蹴ると。
 ……冗談はほどほどにして、真剣なところ(いやそもそもが戯言ではあるんですけど)、金野-谷藤みたいな組合せがいいと思うが(B の方は吉田義人でもいいかもしれない)、日本人にこだわる必要もないとすれば、J・M・エルナンデスが蹴り、〈2019 年に「過去の名フルバック」の一人と目されているであろう誰か〉が楕円球を抱えて走る。できればスコットランドとかウェールズ、フィジーのようなところのプレーヤーがいいかな。あああああああ、われながら素晴らしいグッドアイデアであるような気がしてきた。
(キーパー A が蹴った瞬間に真円球が楕円球に変わるというような妖術があれば尚よいのだが、技術的に可能なのだろうか。)

 ともかく、年齢的にいって、現在高校生くらいの人たちがジャパンの中心になるだろうから、ホントがんばってください。昂奮のあまり失禁してしまうような、あるいはそうでなくとも、胸の締めつけられるような、そういう試合を期待しています。

 商業主義の影響力がラグビーにおいても強まる一方であるだけに、スポーツにおけるアマチュアリズムといった事柄については思うところもないではないけれど、とり急ぎまずはお祝いまで。

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2009年7月18日 (土)

翻訳とそこに賭けられたもの

 隣家から聞こえてきた母と子の会話。

Un, deux, trois, quatre, cinq, six, sept, huit, neuf, dix... applaudis, Maman !
Bravo, Niel, you're No. 1, you're No. 1 !
Applaudis ! Maman.
Bravo ! T'es génial !
Applaudis ! Maman...

 フランス人なのに、英語風の名前を授けられた泣き虫ニール。ブラヴォー。動詞 applaudir を知っていて「アン・ドゥ・トロワ」を知らぬわけはないから、おそらく書き取りの練習だったのだろう。「ママン」の方はアクースティック・ギターを爪弾くのに割と忙しかったようで、どちらかといえば投げやりな仕方で「喝采」を贈っていたのがフランス風――といえばいえるかもしれない。
 (ついでながら、英語風の命名は実は決して少なくありません。ギヨームではなくウィリアムとか。)

 関連して、昔、大阪で目撃した出来事を思い出した。京阪電車に乗っているときのことである。野江という駅に停車したとき、わたくしの向かいに祖母らしき女性と一緒に、だが座席に膝を突いて窓の外を眺めていた小さい男の子が「の、え」と、駅名表示を読み上げた。隣の祖母は「この子、初めて読んだわ!」と取り乱し気味だった。それ迄読むことのできなかった「の」か「え」のいづれかが突然読めるようになったらしい。祖母の感動など全く意に介さず、男の子が文字の読み取りに熱中していたのが面白かった。「の、え、反対から読んだら、え、の」。孫に対する祖母の無償の愛、それがもたらす感動は、無償であるがゆゑに気づかれることはなく、だがその分だけいっそう、伸びやかな成長を促す。

              *

 アンリ・メショニックの追悼を兼ねることになってしまったパリ 8 のコロック(シンポジウム)。合掌。全体的には、あまり面白くなかった。というより、今頃そんなことを云々してどうする?といいたくなるような遅れを感じた。だからこそ『他者という試練』が書かれなければならなかったわけだが、これだったら、例えば日本でハイデガーやデリダを研究している人の方がよほど刺戟的な発表を行なうことができたのではないだろうか?

 個別の発表について。

 フロイト他、ドイツ語からの翻訳家として知られるジョルジュ=アルチュール・ゴルトシュミットは、読んでいた著書からして、完璧なバイリンガルによる、だからフランス語とドイツ語との間を往還するエッセーになるのだろうと、ぼんやり考えていたが、その通りになった。

 ファビエンヌ・デュラン=ボガール、私はこの人が『クリティック』誌に発表したアントワーヌ・ベルマン及びアンリ・メショニックの書評(FDB, "Pour oublier la langue", Critique, no 643, décembre 2000)の「書評」を書いたことがあるのだが、その時に感じたのと同様の不勉強を今回も感じずにはいられなかった。たとえばフロイトの名高い「Unheimlich(keit) 不気味なもの」。仏訳でずっと問題になってきたこの言葉を、デュラン=ボガール氏は l'inquiétante étrangeté と訳すことに何の疑いも抱いていなかったようで、聴衆の一人(旧知の間柄らしいが)から、さしあたって今は l'inquiétant と訳すことになっているとの指摘がなされたのも当然というほかない(念の為に、現在またしても新訳全集が準備されている)。
 そもそも、フロイトが heimlich は結局 unheimlich なのだという説の根拠として援用していた論(Carl Abel, "Über den Gegensinn der Urworte", Sprachwissenschaftliche Abhandungen, 1885)は、まさにお国の大言語学者エミール・バンヴェニストによって完全に反駁されたはずだが(Émile Benveniste, "Remarques sur la fonction du langage dans la découverte freudienne" (1956), Problèmes de linguistique générale, Gallimard, coll, "Tel", 2 vol., t. I)
、今この 21 世紀に、そうした批判がなかったかのように振る舞い、フロイトと同じ論拠を繰り返すというのは余りといえば余りではないだろうか(Critique の書評でもバンヴェニストを読んでいる形跡はなかった)。求められているのはむしろ、言語学的には通らない話が現実にはしかし十分ありうるということを示すことではないのか? バンヴェニストが会場にいれば、きっと同じことをいったろう。

 アルフレッド・ヒアシュは、気の毒なことに、シンポジウムのタイトルにもかかわらず彼を除くほぼ全員がフロイトにしか触れなかったために予定を変更し、デリダの足跡を辿るという形で彼を導入する役割を担うことになった。今更そのような発表をシンポジウムで聴きたいとは思わないし、ヒアシュ氏には責任はないはずだが、残念だった。

 唯一面白かったといえるのは、イタリアの研究者ヴァレンティナ・ディ・ローザによる、フロイト全集のイタリア語新訳をめぐる問題についての発表だった。理論的に新しい要素があったかどうかは別として、少なくともわたくしは、イタリアの状況は全く知らなかったので、単純にまず勉強になった。
 ディ・ローザ氏は発表原稿のフランス語全訳を配布してくれたので、イタリア語を聴きながらフランス語を読むという、珍しい体験もした。フランス語とイタリア語はかなり似ているけれども、翻訳に対するフランスの態度から悪い影響は受けないでほしいと願う。

              *

 アンリ・メショニックは亡くなったけれど、ジェレミー・マンディの『翻訳学入門』が刊行されるなど、「翻訳学」が地味に盛り上がりつつあるように見える。とりあえず慶ばしいことである。
 ところでアントワーヌ・ベルマンは、翻訳研究における言語学の主導的地位に疑問を投げかけていた。訳者だからというわけではなく(訳者は原著者とは別の人格であって、著者の考えを内面化してはいないはずだし、元来そうすべきではない)、しかしやはりわたくしも、その疑問は共有している。誤解されては困るが、これは学問領域の「縄張り」をめぐる争いなどではない。そうではなく、他者の他者性に対する態度がそこで問われているのである。だから「言語学」という呼称でわたくしが想定しているのは、現に存在し、大学等の施設で行われている個々の具体的な研究のことではなく、それら研究の前提となっている「等価交換」という考え方である。

 そういう意味での「言語学」的前提、すなわち「等価交換」理論の問題は以下のようにいい表すことができる。
 言葉の伝達が為された後で、等しい「価値」がやり取りされたととりあえず見なすことによって初めて言語学的分析は可能となるわけだが、そこにおいては他者の他者性が捨象されてしまう。言語学の意匠を身にまとうまとわぬにかかわらず、翻訳の「質」を問うとき人は、知らずに同様の考え方をしてしまいがちである。「完璧」な翻訳を想定し、そこから各種の「瑕疵」を控除してゆくことで評価を算出するというような「翻訳論」も含めて。
 自分とは異なる存在によって発せられる言葉が――それが外国語であろうと母語であろうと――「わかる」とはどういうことか。完全に「わかる」などとということが一体ありうるのだろうか。
 というよりむしろ、自分がその言葉を理解したかどうか本当にはわからない、それこそが他者の言葉の特質ではないのか。コミュニケーションのいわゆる不可能性が問題なのではない。可能か不可能かがそもそもわからない、その地点から出発しなくてはならないということである。
 (まあ、ジャック・デリダのように「可能であり且つ不可能である」といっても大体は同じになるけれども。)

 ある人が外国語で書かれた本を訳す。その人がどのように翻訳したか――完璧な翻訳をしたか否か、ではなく――を精査することによって、その人が他者、異なるもの(コトなるもの)とどのように関わったかが明らかとなる。「翻訳はただの媒介ではなく、われわれと〈他者〉の一切の関係がそこで決せられるようなプロセスである」(アントワーヌ・ベルマン『他者という試練』376 頁)。だからこそ翻訳家と呼ばれる存在、そしてその存在の手探りの過程が重要となるのであって、そうした認識から始めるのでなければ、「翻訳学」は言語学の単なる一部門になるほかない。
 もちろん、翻訳家にすべてが委ねられているといってもそれは、何をしてもよいということではない。フランス語で思考することによって初めて成立するような論理展開、言葉づかい、そうしたものを――あたかも著者が日本語で考えたかのように見なし――消し去ってしまうとき、翻訳者は結局、訳者の母語へと元のテクストを還元してしまっている。それは littéral に、とはすなわち、文字の上で行なわれる、文字通りの意味における、異なるものの抹殺である。
 実践的に、「大哲学者のテクストを一介の研究者が理解できるのか?」という形で(つまり知的膂力の大小の問題として)問われる場合もあるが、そして導かれる結論はほぼ同じになるだろうけれども、その言い方だけでは十分とはいえない。というか、それだと翻訳の営みが個人の水準での問題に矮小化されてしまう。その水準と同時に――大切なのはこの点だ――異なるものとの関わりという水準においても、翻訳者は問い続けなければならないのである。そのような問いの場所こそが、ベルマンのいう、というのはつまり、来るべき「翻訳学」なのではないだろうか。だとするなら、その射程は明らかに言語学を超えている。

              *

 ウェブ上で、翻訳批評を実践されておられる方を折に触れて見かける。わたくしが目にしえた中でおそらく最良のものを引き合いに出そう(「消える翻訳」)。詳しくは原文をお読みいただきたいが、そこで著者は、カフカ作品の仏訳をめぐるミラン・クンデラや日本語版訳者らの翻訳論を検討しつつ、翻訳における「忠実」概念がいかなるものであるかを問う。個々のお考えすべてに同意するわけではないけれど、共感を覚えたことを記しておく。
 確かなのは、「忠実」を「等価交換」の観点、「完全なる合致」という観点から(のみ)考えたのでは駄目だろうということである。

              *

 翻訳論というものが、存外難しいと思うのは、訳文が読者にもたらす違和感の因って来るところがつねに判然とするわけではないからだろう。異なるものを受け入れたがゆゑのものなのか、それとも(こうした例は決して少なくないけれども)訳者の「語学力」や技倆が不自由だからなのか――。
 おわかりと思うが、ここでもまた、ふたつの水準の問題が交錯している。こうした事態はしかし偶然ではなく、おそらく必然的なものなのである。両者を無媒介的に同一視するのではなく――したがって「完璧」な翻訳にならないのは翻訳者の力量が不足しているからだと(のみ)非難するのではなく――、切り分けつつ関連づける必要があるだろう。

              *

 翻訳における〈異〔コト〕なるもの〉の実例を。
 ハイデガーの特異な、というか面妖な用語、たとえば das in-der-Welt-sein というような言葉がある。日の本では「世界内存在」、あるいは「世界=内=存在」などと訳されることが多い(二本線が一本線になることもある)。
 これは、語の水準でいえば、ほとんど誤訳だろう、〈異なるもの〉を消してしまっているという意味において。
 もちろん、日本語における漢語とは、外から来たものを受け入れつつ(あるいはその振りをしつつ)、その外来性を指示する役割をつねにすでに担ってはきた。外来の異様な概念を漢語で訳すというのは、その限りでは正しい(少なくとも相対的には)といえぬこともない。
 ところで、原語は、実は〈世界の内にある〉という意味の動詞の不定形 in der Welt sein である(英語で直訳すれば to be in the world といった感じだが、要するにドイツ語では不定法はこのように表されることになっておるのぢゃ)。そして、ハイデガーの概念の異様さは、概念の意義ではなく(だって意義が特殊ということになれば、たいていの専門用語は、詩で用いられる言葉同様、多少とも変なもんなんだから)、むしろ動詞を無理やり名詞に仕立てあげた点にあるということができるだろう。ここで碩学・関口存男のコメントを引用する。

名詞化(Substantivierung)といふ奴は、斯くの如き危険を伴ってゐるのです。〔…〕Heidegger は、たとへば "Sein" なる動詞の「名詞化」に對して、純語學的と云つてもいゝほどの、意味形態論的抗議を向けてゐる。その主著 "Sein und Zeit" は、要するに「名詞化」によつて誤られた西洋哲學の再吟味を企らんだものに外ならない。Sein は Seiendes ではない、Gewesenes でもない、要するに「名詞」ではない、nomen actionis 〔動作名詞〕である、しかも nomen actionis 以外の何物でもないと云ふところに、その哲學的功績があります。だから、彼は、諸種の術語を、みんな nomen actionis で表現しようとしてゐる。彼が ich bin という際には、それは今までのやうな「私がある」「私はたしかにゼロではない」「私は無にあらず」「私は缺〔か〕けてゐない」といふ意味の bin 「實在する」ではない。bin は「本當に動詞」なのです。ich bin は、「われ bin をなす」です。文章を作る以上は、名詞を用ひ〔ママ〕ないと簡明に行かないから、動詞をよく名詞化するが、Heidegger は、要すれば名詞化を全然避けて、動詞ばかりであの書物を書きたかつたのでせう(ドイツ語が許しさへしたら)。少くとも、用語は全部「動詞」だと思つて讀まないと彼の云ふ趣旨はわからない。Dasein、Sein からして既にそれです。
 (関口存男「Nomen actionis に關する考察」『ドイツ語学講話』(1939年)、『著作集 ドイツ語学篇 三』三修社、1994年、407 頁)

要するに、動詞です。だから動詞として訳すのが、原語に忠実であり、かつまたその異様さを伝えるやり方だと、ひとまづいえるのではないだろうか。つまり、たとえば、

ハイデガーの〈世界の内にある〉の哲学的射程を、ナチズムとの関連から切り離して記述しなさい

みたいな(〈…〉は便宜上のもので、なくてもよい)。

 異様、異様と繰り返しているけれど、実はそれほど珍奇ではないかもしれないというのは、たとえばキャッチコピーなどで

きれいがいっぱい、おいしいが溢れてる、云々

というような言葉づかいがなされることからも諒解されるだろう。まあ広告業界はそもそも「何でもあり」の世界だが、それはともかくとして、この一文では、形容詞の「きれい」や「おいしい」がそのまま――名詞化の手順を踏むことなく――名詞として用いられている。おかしい。おかしいのだが、そういう言葉づかいなのである。関口存男らがいうように、西洋語では「動詞の不定形がそのまま名詞となりうる」というのが真実だとすれば、西洋ではさほどの違和感は生じないのかもしれない。しかしそれでも、少なくとも日本語への、語の水準での翻訳としては、「世界内存在」よりは「忠実」といえるのではないか。
 (ハイデガーが自著のフランス語等への翻訳の質に注意していたことは、書翰が示す通りである。)

 つねづね思ってきたのだが、「世界=内=存在」のハイフン、あれは何なのだろう。分かち書きされる言語において、まとまりを示すためにハイフンが必要となっているのだとして、それでは、ハイフンの必要ない言語、もともと全てがくっついているような言語にそれをそのまま移し替えることには、どのような意義があるのだろう? 敢えて愚直に考えれば、膠着を断ち切った上で連結し直すということなのか。しかしこの表現には動詞がない。それで本当によいのだろうか……。
 (「われ bin をなす」という構文それ自体に、日本語の統辞論的な問題、かつての中国語との関係に端を発するような翻訳論的問題が、おそらくそうと意識されぬまま(あるいは少なくとも読者の注意を喚起することなく)提示されている点はここでは問わない)。

              *

 久しぶりだからか、たくさん書いてしまいました!
 アルゼンチン対フレンチ・バーバリアンズのマッチとか、感想を書ければよいのだが、録画を見る余裕がなかなか作れないのだよね。

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