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2011年4月

2011年4月20日 (水)

市議会議員選挙

 小学校時代のいわゆる恩師、五・六年生時の担任が市議会議員選挙に立候補しているのを知る。その名前が「選挙カー」から発せられるのを家人が聞いたというのである。
 数日後、候補者一覧を特集した市の広報をワクワクしながら拡げると、懐かしい、だが以前より幾分か柔和になった御尊顔が確かにそこにあった。そうかもう還暦なんだなー。
 枠内のメッセージは何と!手書きである。これはヤバいでしょ。しかも具体的な政策提言がまったく書かれていない! これではよくある「泡沫候補」と思わてしまうのではないか? わたくしが小学生の頃は、少なくとも校区内ではとにかく有名人でいらっしゃったのだが、その後、他の学校に移ったりするなかでも、その神通力は不変であったのだろうか。前例からすると、投票率にも拠るけれど、1500 票内外を獲得すれば何とか最下位で当選できるのだが、いやわたくしなどの危惧をよそに、案外トップに近い得票となるかもしれない(トップでも 6000 行くか行かないかという規模の選挙である)。その後わたくしもその名前を耳にした。騒々しくまた恥を忘れて連呼するのではなく、穏やかに、間隔を空けて。
 思えば小学五・六年は、わたくしの生涯で最も幸福な時期のひとつだった。毎週末、すなわち土曜はいったん家に戻り昼食を摂ってから、日曜は弁当を母に作ってもらって朝から、校庭に友人たちと集い、飽きもせずH先生とソフトボールに興じていたのである。夏などは、日が暮れたのちに校舎内で肝試しをすることもあった。職員室から音楽室までの往還という冒険。校内放送を利用して効果音を適宜流すという凝りようで、「ええんかいな」と子供心に思うこともあった――というのはもちろん嘘で、わたくしたちは何も考えずただただ楽しく過ごすばかりだった。高校を卒業する頃までは、市内で偶然にお会いすることもあったが、近年は御無沙汰していた。

「損得勘定で行動するな」というのが、今もわたくしの覚えている先生の教えのひとつだ。そして、それを自身の行動指針にしてきたつもりではいるのだが、先生、当選したら政策秘書として雇ってくれないかなーなどと夢想しているのも事実である。市議会の議員には政策秘書などいないのが通例だけど。

 とにかく御当選を祈っています。

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2011年4月18日 (月)

『トラデュイール』第2号

 中井秀明さんに『トラデュイール』第2号(2010年11月発行)を送っていただく。「翻訳とフランスに関するフリーペーパー」。
 内容は、中井秀明「翻訳論 志賀直哉「国語問題」再考」/西野幸博「学校教育への「翻訳」の導入の提案」/中井「書評 柳父章/水野的/長沼美香子編『日本の翻訳論 アンソロジーと解題』」となっており、いずれも読み応え十分の論攷である。入手法など詳細は
当該ブロッグ記事を御参照ください。

 翻訳のことを考えようとすると、どうしても中国語伝来という出来事に触れぬわけにはいかない。たんなる文字体系の移入ではなく、「日本語」の形成の一契機としての漢字使用である。確かに、それ以前の「日本語」はより多くの音韻をそなえていたことなどが例えば橋本進吉の研究によって明らかとなってはいる。しかしそれは当時の言葉の輪郭がいくらか明瞭になったというにすぎず、「やまとことば」の全貌は未だよくわかっていない。というより、科学的誠実に徹するかぎり、「やまとことば」がいかなるものだったか(今のところ)知りようがないとするほかないのである。
 翻訳というのは、第一に、話される言葉が文字に書かれる、その際の言葉の変容、そして第二に、中国語書字を利用することによる日本語の変容を、とりあえずそう称している。音を分析するための文字(言葉を音素に分解し再構成するのに都合の好い文字)であるアルファベットなどとは異なって、中国語の文字の多くはそれぞれに意味があることから、当時の「日本人」は、一部の言葉について、音を一切考慮せずに語義のみを媒介として、日本語と中国語を対応させるということを行なった。これは現代の概念からいえば翻訳にきわめて近い。つまり、「やまとことば」が確たる与件ではないとすれば、それは書かれた文字を通して類推されるほかないが、その場合われわれは翻訳という一種の変換作用の逆のプロセスを再構成しなくてはならないということである。
 始めには、だから翻訳があった。ドイツ語のように、だがしかしこの翻訳は、すでに文字があり、曲りなりに表記されてもいた彼の言葉におけるより根源的というべきかもしれない。根源的ということは、始原の形姿など誰も知りえない以上、原理的な考察による解明が要求されるということである。この主題をめぐってまず挙げらるべき基本文献は、いうまでもなく山城むつみ「文学のプログラム」(「漢文訓読について」『批評空間』11号、1993年10月、『文学のプログラム』太田出版、1995年)である。今頃になって称揚する人がいるので「あれあれ」と思っていたら、文庫で再刊されていたのですね。ただ、この論攷、それ自体非常に面白いのは間違いないけれども、やはりたとえば金文京『漢文と東アジア 訓読の文化圏』(岩波新書、2010年)で概説されているような実証的というか学問的試練を経る必要があるとわたくしには思われる。

 折に触れて覗くブロッグの記事にこういう一節があった。『思想地図β1』に対する書評である。

もう一つ、読み進めてきてがっくり来たのが、巻末である。〔…〕。一番酷いのは、最後の浅子佳英のコム・デ・ギャルソン〔ママ〕論で、その中に出てくる、コム・デ・ギャルソンの「ゲリラルール」5か条の翻訳が、全てまさに誤訳だらけなのだ。〔…〕。

たとえば3の原文はこうだ。

The location will be chosen according to its atmosphere,historical connection,geographical situation away from established commercial areas or some other interesting feature

これを浅子氏はこう訳している。

場所の雰囲気や歴史的な接続をするために設立。商業地域や、その他興味深い機能から、地理的な距離に従って選択されます。

ちょっと英語の出来る人なら、この訳には絶句するだろう。まさにムチャクチャと言っていい。こんな理解でコム・デ・ギャルソンを論じたのでは、コム・デ・ギャルソン側が迷惑なのではないか。

 やー、すごいですねえ。わたくしは絶句というよりむしろ爆笑し、ついで、どうやったらこういう訳になるのか、そのメカニズムが知りたいと本気で思いました。とはいえ、この種の訳文は実のところ予備校や塾でしばしば見かけられるものである。そうした場合、単純に日本語運用能力が不自由(つまり原文の「意味」の把握には成功したものの、それを「まとも」な日本語として再構成できない)か、そうでなければ、英語もまたひとつの言語であるということ、すなわち英語であれ何語であれ、このようなことを話す人がもしいれば頭が少々おかしいと判断されてしまう、だからこのような文章は端的にありえないということに思い至らないか、いづれかだったけれども、この例は後者だろうか。自動翻訳の真似? そう見えぬこともないが、コンピュータには文頭の実詞をほぼ機械的に「主語」と見なす能力は少なくとも備わっているわけで、まあ、この訳文を読んで唯一理解できるのは、訳者が「接続」という言葉を使いたかったという点だけだ。
 学校英語については一言書きつけたことがあるけれど、そのときにいったのは、日本語作文の経験がない人には英文和訳は無理ということ自体が問題なのではなく(できるかできないかといえば、もちろん、できはしないが)、そういう人は、英文和訳の作業を通して、生涯でおそらくは初めて、ある程度の質量を伴った日本語を書くということだった。この体験は、中国語の伝来した時期や、明治維新以後の日本で社会的に起こったことの個人の次元での反復にほかならず、山岡洋一さんなどは翻訳と英文和訳は違うと語気荒く述べたりするけれど、原理的にはそれらはきわめて近い事象なので、そうした点をケアできる――安産であれ難産であれ、ともかく今まさに生徒のうちで生まれようとしている言葉への感性をそなえた――教師をたとえば育てなくてはいけないだろうとも書いた(そういう水準に達している英語教師はほとんどいないでしょう)。

 原理的にというのは、「思弁として」、あるいは「理屈の上で」ということではない。そうではなく、歴史的諸条件をつねに考慮しつつ、実際にあったこと、ありえたこと、ありえようことのメカニズムを丁寧に解き明かすべくということである。その意味で、中井さんの論攷は、一見したところ翻訳から離れるようでも、やはり翻訳についての原理的な考察の試みといわなければならない。関心のある向きには一読をお勧めしたい。長くは書けないので、ごく簡単に感想を。

 古代の日本で、右のような根底的翻訳に近い形の翻訳が行われたとして、それは中国語から日本語への翻訳ではなく、日本語から中国語への翻訳であったということが「容易に想像される」のである。この方向性は、とても大きな問題をはらんでいる。なぜならこれは、分析仮説を定立した主体が、やまとことば話者ではなく、大陸からの渡来人であったことを意味するからだ。ようするに、「イケ」と「池」との結びつき、訓の成立に先立って、日本語は、他者である中国語による分析を受けている。換言すれば、日本語は、その書くことの端緒において、中国語のロジックに「ドップリ漬かっている」。

これは重要な指摘だと思う。「翻訳」や「分析」が双方向的に行われたとしても別段問題はなさそうに思うけれど。神野志隆光さんを引いているのも適確である。

 日本人の精神の「奥の奥」には、「やまとことば」と単純に同一視できない潜在的な国語が保存されている。おそらく、この潜在的な国語は、ハイブリット的に成長を続ける現実の国語の陰で、実際には成長が停止している「やまとことば」がそれとして成長を続けた場合にそうなっていたことが望まれる理想的な国語の映像として、日本人の意識の深いところに居座っている。すなわち、事実としては、この理想化された国語は、どこにも存在しない。存在しない像として与えられたものであり、いわば無だ。この無が、純粋なズレ、自己目的化した差異を、いまここにある日本語との間に絶えず生み出し続けているのである。

バルト的な「言葉の夢=夢の言葉」はあってもいいと思うし、実際にあると思うけれど、それとは別にこうした「潜在的」な言語を想定すれば、確かにいろいろな問題の理解が容易になる。一言つけ加えると、たとえば藤井貞和さんなどは、こうした「潜在的」日本語の(ほとんど不可能な)探求をずっと続けている人である。

 素朴な疑問。この「潜在的な国語」は、その後ずっと無傷のまま生き延びて今日に至るのだろうか。というのは、「いまここにある日本語」自体は変化しうるものだし、事実としてさまざまな形をとってきたのわけだが、両者の関係は一方向的なものなのだろうか。後者が前者に影響を与えるということはないのかと、いい換えてもよい。あるいはまた別の観点からいえば、中国語の衝撃(吉本隆明『初期歌謡論』ほか)により「抑圧」されてしまったこの言語は、折に触れて「回帰」し――抑圧されたものは必ず回帰するというのが精神分析の教えである――、平安・鎌倉・室町・戦国・江戸各時代の多様な日本語の出現に一役買ってきたということはないのか、抑圧が(部分的にであれ)解かれてなお、言語の「無意識」=「無意識」の言語は原形をとどめ続けるのだろうか。 

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2011年4月15日 (金)

「3・11 以後」?

 歴史的な大地震とそれに続く原子力発電所の事故、これら一連の出来事には人並みの関心を払っているけれども、「この世の終わり」みたいな論調にはあまり同意できない。もちろん、福島を中心とした地域が、数十年のスパンで人が住めなくなってしまう可能性は零ではなく、予断は許されないとしても、それはあくまでその地域の(とりあえずの)「終わり」であって、日本の終わりではない。
「3・11以前と以後」というようないい方を採用するのはだいたいのところ関東、とりわけ東京在住の人々と見受けるが、そうした物いいの(無意識にであれ)前提となっているのは、「東京が終われば日本が終わる」などとどうやら本気で信じているらしい都知事石原と同断の東京中心主義である。首都は確かに(敵国がミサイルを撃ち込む第一の目標としてであれ)必要なのだろうけれど、それが東京である必要はないのだし、またトンキンが現状の形で存続しなければならないわけでもない。
 というか、国会を含む官公庁機能をすべて福島に移してはどうか。彼の地に新たな原発が建てられる可能性は事実上なくなったわけで、その意味において最高度の安全が保障されているのだから。

 同じことが東京電力(株)の処遇にもいえる。電気の安定供給を(事実上独占的に)担う事業体がいずれ必要なのだとしても、それが東京電力(株)である必要はなく、少なくとも現在の東電はすでに当該事業を継続する資格を失っている。もっとも、放射性物質による汚染は政府当局にも責任があって、これら二者が相応に損害賠償を分担しなければならないだろう。
 報道によれば、東電以外の電力会社も実質的に賠償を分担させられる案もあるという。関電であれ九電であれ、高給をもって鳴らす電力会社がその費用を電気料金に転嫁しないとは考えにくいので、その方式には反対だ。なぜ大阪の人間が余計に出費しなければならないのか。わたくしは厭です。
 賠償額が定まらないことにはいずれ進まない話であるけれど、まずは東電と原子力安全・保安院(ひいては上位の経産省)の連中を「逆さに振って鼻血が出なくなるくらい」締め上げて、有り金を(最低限必要な部分以外は)すべて供出させるのが筋だろう。東電は解体し、100%原資・「リストラ」のうえで、新しい会社を設立すべきである。リストラとはしかし、社員の馘切りということではない。この時期に雇用不安を増大させる必要はないので、大部分の社員は、適正な給料で再雇用し、「電力の安定供給」に努めてもらえばよい。
 そのうえで、福島の発電所から送られてくる電気を利用してきた者が相応の「コスト」を負担する。原子力発電が低コストというのは嘘なので、こうした補償額を経費に含めたうえで過去に遡って計算し直す必要があるかもしれない。そうした措置は当然、他の地域でも必須となるはずだし、結果的に電気料金が上昇する可能性も大いにあるけれど、それは受け入れるほかない。

 原発を作ってくれるよう頼んだ覚えはないと叫ぶ東京人もいるが、今頃そんなことをいっても遅いよ。今回の危機に直面して、「原発反対」だの「自然との共存」だのをおたおたしながら感情的また感傷的に訴える連中もどうかしている。われわれが認識しなければならないのは、「唯一の被爆国うんぬん」といったお題目の背後で、「原子力の平和利用」という名の利権構造が数十年かけて着々と形づくられてきたという事実だろう。この構造からいかに脱却すべきか、それを具体的に考えなくてはならないのである。
 実際、東電のリストラクチャーは、ひとつには東電にとにかく金を吐き出させるため、と同時に、一私企業に対する(当然の)懲罰という意味合いもあるが、そうした次元を超えて、政官業等々の癒着構造の解体をこそ目指してなされるのでなくてはならない。逆にいうなら、東電解体に異を唱える者は、当該利権に関与していると見なされうるわけだ(ホンマかいな)。

 というような愚にもつかぬことを考えて憂さを晴らしていたら、ひとつ思い出した。もうずいぶん前の記事だが、「長谷川洋三の産業ウォッチ トヨタ相談役の危惧:人間の国際化しないと日本ダメになる」(2010/8/24 11:24 )より抜粋する。

「人間の国際化をしない限り日本の将来はおかしくなる。第二の大和民族を作ってもよいから、若い外国人に日本にもっと来てもらい、少子化を食い止めることに取り組むべきだ」 中東協力センターの奥田碩(トヨタ自動車相談役)は2010年8月10日、アブダビ首長国連邦(UAE)のアブダビ首長国のホテルで開いた第35回中東協力現地会議の閉幕にあたってこう発言し、日本の将来に警鐘を鳴らした。

同会議では「中東のダイナミズムをいかに日本の成長に取り組むべきか」をテーマにもっぱら日本企業のビジネスチャンス獲得の在り方をめぐって議論してきた。とりわけUAEを中心に韓国が原発受注をはじめ大型プロジェクトの4分の1を受注するなど国際競争が激化している情勢を踏まえ、官民一体型の新会社、国際原子力開発(仮称)の設立など、国際協力再構築に向けてのリーダーシップの発揮など、威勢の良い発言も相次いだ。

しかし元日本経団連会長として日本にもモノ申す立場の奥田会長としては外に向かって国際化するだけでなく、内側の国際化も必要だという意見だ。「日本には規制が多すぎる。どんな政権でも規制緩和に取り組むべきだ」とも付け加えた。

「人間の国際化」、「第二の大和民族」、「若い外国人」……。何をいっているんだろうか、このオッサンは。いや、文字通りの意味はもちろんわかるし、意図されていることにも誤解の余地はない。しかし何というか、暗澹とした気にさせられる。何が「日本の将来」だ。構造改革とは、本来はこうした事態への備えとしてこそ必要だったはずだが、日本国の政治家はカネの流通経路をちょいちょいと変える以外には何もしなかった。人口が減っても食っていけるように社会の構造を変革すること。簡単ではないけれど、しかし決して不可能ではなかろう。ただしそれは、経営と経済を混同するような連中の手には余る問題である。
(念の為にいい添えておくと、「国際的」人間、つまり混血児が生み落されるのはまあ仕方ないと思うけれども、それを決めるのは女性であって、奥田のような者が云々すべき事柄ではない。)
 それにしても、この種の発言を耳にする度に思うのは、やはり右翼はダメということだ。右翼というのは、社会体制を一枚岩と考える人、あるいはむしろそう思い込ませるべく言葉を弄す人、つまりは「階級闘争」にコミットしない人のことです。自民党はいうまでもないけれど、民主党も、社会党も、結局そう。この時期に消費税という、「逆進性」の高い税金を上げてどうする? そもそも、そんなことをすればますます経済が回らなくなるではないか? 消費税でなくとも、結局景気を冷え込ませることになる増税をまず打ち出した首相の私的諮問機関「復興構想会議」議長の五百旗頭真なども、奥田と同類でしかない。
 また東日本大震災以降、これでもかといわんばかりに喧伝される「がんばろうニッポン」の掛け声。春なのに薄ら寒さを感じさせるこのキャンペーンを主導するのは電通か? 「ぽぽぽぽ~ん」も厭だけど、それ以上に耳を塞ぎたくなるのは、トータス松本の暑苦しくも押しつけがましいダミ声ですよね。奥田碩(何と読むんだろう、すずり?)の言葉をよく読めばわかるけれども、日本は決して一枚岩などではない。すずり男がいっているのは、エスタブリッシュメント、ないし上層階級、つまりトヨタならトヨタの経営陣が「第一の大和民族」として生き延びさえすれば、下層で単純労働に従事する連中が「第二」、「第三」、「第四」の「大和民族」に置き換えられていったところで、日本はまず安泰と、そういうことだ。奥田スズリらのいう「ニッフォン」とは、少数の支配者層――本エントリの文脈では東電解体に反対する人もそこに含まれる――のものであって、それ以外の、要するに誰でもよい働き手は、実際にはそこに含まれてはいないにもかかわらず、自分たちもまた「ニッフォン」人だと、右翼的言説によって思い込まされているわけだ。右翼的思考に拠ってはこの問題を批判することはできない(ちなみにいうなら戦前の「大東亜共栄圏」や前首相鳩山の「東アジア共同体」も同形の詭弁である)。

 要するに、核エネルギーが(兵器的にであれ平和的にであれ)利用され始めた時点で、こうなることは既に決まっていたのであって、「3・11以後」といういい方にはだから何の意味もないということになる。関東人に可能なのは、電気料金支払を拒否すること、したがってまた(電気なしでは生きてゆけないというのなら)東電管内から出ることだろう。そのような形の抵抗が原発巨大利権を(hopefully)突き崩すのである。どうか頑張ってください。

 あと、アカデミアでの反応も問題が多いと思う。たとえば

日本英文学会関東支部ワークショップ「原子力と文学」

 3.11の東日本大震災は、文字どおりに言葉を失う経験であるとともに、私たちの社会を考え直すことを強いる危機として、私たちに迫りました。そのような危機の中で、「文学に何ができるか」という問いが、幾度か耳にされました。本ワークショップは、そうした真摯な問いへの応答を試みるものです。

 今回の震災が、私たち生きのこった者たちの、社会全体の認識をなんらかの形で変えたことは、疑いを差し挟む余地はないものと思われます。こうした認識の変化は、文学研究が取り扱うべき問題、いやむしろ、文学研究こそが責任をもって取り扱うべき問題である、と言えはしないでしょうか?

 変化したのは、現在と未来の社会の認識にとどまりません。現在の危機は、いやおうもなく私たちの過去についての認識も一変させたはずです。

 その端的な一例が、原子力についての認識です。ワークショップ企画者は個人的に東京電力福島第一原子力発電所の危機に直面するまで原子力発電の存在を端的に言って忘れていました冷戦後期にはまだあった、「への想像力が原子力発電には適用されずそこに放射能の危険と恐怖が見いだされることはなかったのです。個人的な悔悟と反省にさいなまれつつ、そこに生じた疑問とは、なぜ核兵器と原子力発電に対する認識が、これほどまでに切断されてきたのか、ということでした。

 おそらくここには、「イデオロギー的なプロパガンダとは別にまさに文学的な水準での忘却の作用が働いていたのではないか。本ワークショップは、この疑問をさまざまな角度から検証することをめざします。さらにはそこから、社会と文学はどのように変化し、文学研究はその変化にいかに貢献し、対応するのか、という問題に取り組む足がかりを得ることもめざします。

 犠牲者の弔いも十分になされたとはいえず、また被災者の生活も先が見えず、原子力発電所の危機も進行中である現在、このような企画は迂遠にすぎるように見えるかもしれません。しかし、そのような迂遠な作業は文学研究にしかなしえないものであり、その作業をいまここでしておくことは、あとから生まれてくる者たちに対して私たちの負う義務ではないでしょうか。これを、登壇者と参加者が共に考える、そのような場を設けたいと思います。

日時:2011年7月10日(日)13:00-

〔以下略〕

 書かれていることは概ね正しい気がするけれども、忘れていたのは、「忘却の作用」とやらが働いていたのは、あなた(がた)だけでしょうといいたくなる。この文章を恥知らずな開き直りと感じるか、むしろ恥を忍んだ真率さを受け取るかは、読者次第である。
 たとえば 1987 年刊の小説に次のような一節がある。1986-87 年の「新聞小説」である。

「原発問題って、正直なところ、わかんないです。でも、そういうポスターって、アイドルのやることじゃないと思います」
「私もそう思っている」
「というのは、わたし、職業としてアイドルやっているわけですよね。つまり、一人でも多くの人に好かれなきゃならないんです。わたしのエゴで言っちゃいますけど、ああいう大事故のあとで、原発大好き、みたいなことを手伝っちゃうと、原発反対の人たちを敵にまわすことになります。そういうのって、アイドルのやることじゃないですね」
「わかった。いちおう、訊いておきたかっただけだ」
前方を眺めて、苛々しながら、氷川はうなずいた。
「これで決まった。スケジュールがきつくて、物理的に不可能ということにしよう。そうすれば、角が立たない」
そうだろうか、と利奈は思った。なんだか、このままでは終わらない気がする。
〔…〕
 朝倉利奈を出し渋っているのは、氷川自身が原発安全キャンペーンに、ムード的に賛成しかねるからである。
 だが、クライアントの要望とあれば、それではすまされない。利奈が嫌がろうと、強引に仕事させる必要も考えられる。
〔…〕
 記者は不審そうであった。
 ――驚かないでくれ。このおれが、原発の本を読んでいる。
 そう前置きして、氷川は端的に、原発が本当に〈安全かどうか〉をだずねた。
 ――福井県の原発群を統括する現地事務所の代表は、チェルノブイリの事故のあとで、「〈絶対に安全〉と外部に向かって言うな」と部下に語っています。その方が現地では説得力があるからです。中央では認識にずれがありますから、「絶対安全」なんて言いきれるんです。人為ミスがないなんて、とても言えませんよ。
〔…〕
「皆さんが考えるほど、〔利奈は〕莫迦じゃありませんよ。この問題に関しては、態度をはっきりさせています」
 と、氷川はつけ加えた。
 利奈の言葉が、一種の建て前であるのを、氷川は感じていた。
 瀬木を接待した帰りの車の中で、利奈は、チェルノブイリ事故について日本のテレビ報道に危機感がすくないのが不思議だと語った。ジェット気流に乗って、放射能は、一週間で、日本まできたのに……。
               〔小林信彦『極東セレナーデ』下巻、新潮文庫、239-256 頁〕

文庫版(初版 1989 年)付録のインタビューで著者は、新聞掲載時の原発問題に関する「つめの甘さ」を修正したと述べ、こう振り返っている。「連載が終わって四日後、一月二十一日の朝日新聞に〈「原発神話」崩れる〉っていう大きな記事が出てた。つまり、新原発の発電コストは石炭・石油を上まわるってことが、明らかになったわけだ」(327 頁)。しかしその後も、計画や建設着工はチェルノブイリ以前に遡るとはいえ、原子力発電所は少なからず造られた。東電の福島第二や柏崎刈羽二号機以降などがそうだ。そのような状況下で、原発の存在を忘れることなどありえないし、あってはならない。東京中心主義というのはそういうことだ。いい換えれば、そこに認められるという「忘却の作用」は、決して「文学的な水準」のものではなく、政治的な作用の結果にすぎないのであって、「イデオロギー的なプロパガンダ」に単純に絡めとられていただけの話だろう。それではちょっとダメなんじゃないですか?

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