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2012年4月

2012年4月 7日 (土)

JJR

 テレビや新聞は相変わらず毎日のように大阪維新の会を取り上げている。批判的記事・番組の方がどちらかといえば多いと見受けるが、いずれにせよメディアは格好のネタを手に入れたといえるだろう。
 ウェブ「論壇」も同様で、政策を真面目に検討しようとするものから、大阪人愚民説、ユの字が絡む陰謀論(橋下徹のブレーンの顔ぶれが論拠)まで、ほとんどありとあらゆる種類の意見に接することができる。

 たとえば中島岳志(大阪市出身だそう)の「橋下・維新の会」国政進出を問う インタビュー/北海道大学大学院准教授 中島 岳志さん/ガラポン幻想と既得権益攻撃」(3 月 19 日付『赤旗』)なる記事。

 アンケートと称した市職員への「思想調査」など、橋下徹大阪市長が進める独裁的な“政治手法”
について、北海道大学大学院の中島岳志准教授に話を聞きました。

憲法違反の「思想調査」などで市職員を攻撃する橋下徹大阪市長に、なぜ20~30代の若者の
支持が集中するのか。背景には、二つの意識形態があると思います。

 一つは「ガラガラポン幻想」です。

 橋下「維新の会」の「維新八策」の内容は、何十年も前から見飽きてきた新自由主義・構造改革の
焼き直しです。ヨーロッパでは90年代の終わりに終わっています。日本でも2009年の政権交代で
パラダイムシフト(社会全体の価値観の変化)が起きるはずでした。リーマン・ショックや
「年越し派遣村」を受け、世論の大半が小泉「改革」はおかしいと思い、新自由主義にノーをつきつけた。

 ところが政権交代後の民主党政権があまりにもふがいなく、自民もダメ、民主もダメとなったとき、
冷笑主義(シニシズム)が加速しました。そこから、現状をガラガラポンしてほしいという一種の
英雄待望論が出てきているのだと思います。

 もう一つは、インターネット上で「リア充批判」=(ネット上の仮想空間ではなく、リアルな現実の
生活が充実している人間への批判)と呼ばれるものです。いわば既得権益バッシングです。

 生まれた境遇も学歴も自分とあまり変わらないのに、たまたま公務員などの安定労働者になった
ような人たちを攻撃する傾向です。

 橋下氏や「大阪維新の会」がうたう「グレートリセット」(壮大なやり直し)や公務員攻撃は、
このような「負の感情」に乗じているのです。実際に、橋下氏は知事選で、公務員の「既得権益」こそ
大阪の貧困の原因だと攻撃していました。

 しかし、こうした既得権益バッシングでは、公務労働はいっそう非正規雇用化し、民間労働者も
低賃金化するという「負のループ(循環)」をもたらすので、貧困層はまったく救われません。

 新自由主義という古い時代への回帰ではなく、真に新しい代替策を示す政治こそ必要なのに、
一部の政党や政治家は「維新の会」にすり寄っています。保守派の私でさえ、“共産党だけがマトモ
なことをいっている”と感じてしまうほどです
。」

 中島氏は確か「W 選」前に、大阪市を解体して特別区を設置するというのなら、きちんとした区分けを示せとかいっていた。「大阪都構想」が目的ではなく手段にすぎないことを理解していない証拠である。大阪市は1989年にいくつかの区を統合したこともあるわけで、区割りそれ自体、絶対的なものでないというのに。

・「20~30代の若者の支持が集中」?
 この「支持」とは何を指していわれているのだろう? 世論調査などがそうした傾向を示しているのかもしれないが、あれはいずれにせよちょっと信用しがたい。
 確実なのはやはり選挙結果だろう。開票後に発表された分析では、70 歳以上の 51.5 %が平松に、他の年代ではいずれも 6 割以上が橋下に投票、とりわけ 30 代では 74.2 %が橋下に投票したという。この結果を素直にパラフレーズすれば、むしろ「70 歳以上を除くすべての年代で橋下が優勢だった」としなければならないのでは?
 つまり、この時点ですでに相当なバイアスがかかっているわけで、こういう談話は端的に愚劣だと思う。
 でもまあ、それで結ぶのもなんだから、敢えてお付き合いするとすれば、30 代は、確かに若くはあるだろうけれど、その意識のあり方を単純に「若者」として分析できるだろうか? というのは、この年齢層だとすでに人の親となっている人も少なくないはずで(これは 20 代にもいえる)、だから「ガラガラポン幻想」というようなものではなく、自分の子供の未来を託したいという現実的な願いや計算がその背景にあったとも考えられるのではないだろうか。そこに「負の感情」だけを読むというのはきわめて恣意的で、だから要するに愚劣な分析といわざるをえない。
 村上龍など、こういった「ガラガラポン幻想」を汲み取るのに長けているけれど(たいていの場合、破壊衝動と結びつく)、中島氏はちょっと『半島を出よ』でも読んでみればいいのではないかな。
 戦争でも起こればいいのに――万事がうまく運ばないとき、こう思ったりすることも、一般論としていえば、ないわけではないだろう。しかし選挙権を有する成人にそうした側面だけしか見ないというのは、政治的事象への取り組みとしてはあまりにお粗末であり、つまりは愚劣である。

・ネオリベ?
 新自由主義(ネオリベラリズム)というのは、いわゆる「もてる者」と「もたざる者」をハンデなしに同一のスタートラインから競わせようという、きわめて不公平な思想だとされている。「もたざる者」はすでに何周も遅れているのに、そしてだからその遅れをいくらかでも縮めるべく、行政を通じて社会が補助しなくてはいけないのに、そうしたものを無くして「公正な競争」を強いるという。
 したがって、既得権益なるものが実際にあるのかどうかは措くとして、しかしそれを攻撃するのは、むしろネオリベラリズムとは反対の行動様式ではないだろうか。何だかよくわからないな。もしかして、公共事業民営化志向や「小さな政府」志向を指してそういっているのか。それは単に無駄遣いを排す政策と考えればよいのでは? あればあるだけ使ってしまうような金銭感覚の持ち主が財政を牛耳ってきた結果が昨今の状況なのだから、まずなさるべきは支出を絞ることでしょうが。

 山口二郎もそうだったけど、こうした無意味なことをいうために北の大地から遥々足を運んでくださらなくて結構ですよ。というか、結局、理のないところに無理を通そうとするから、こういう悲惨なコメントしかできなくなるのだと思う。愚劣さには出来る限り寛容でありたいとつねづね思っているのだが(なんとなれば、わたくしもまた愚かだから!)、物事には限度というものがある。
 そういえば、この人
の専門は何だっけ? 小林よしのりと何かの事でグダグダの口喧嘩をしていたことは朧気に記憶しているんだが、『ゴー宣』って読んだことがないし、よくわからない。とにかく大雑把すぎてどのように感想を述べたらよいか困る談話だ(記者が不適切なまとめ方をした可能性はある)。ああ、共産党の吉井英勝議員は原発の安全性問題で重要な仕事をしていたけれどもね。
 ちなみに『ネオリベ現代生活批判序説』(白石嘉治・大野英士著、新評論、2005 年)という本では、蓮實重彦元東大総長がネオリベとして批判されているが、そちらの(マラルメ研究者による)分析の方がよほど正鵠を射ていたと思う。やっぱり日本のマラルメアンは優秀だわ。

 それから、新聞を始めとするマスメディアは消費増税をどうやら容認しているようだが(彼らは高給取りだから税率が上がってもさほど困りはしない)、たとえば可処分所得が月あたり 20 万円の人がいるとして、そういう庶民にとって消費税率 5 %の上昇とは要するに毎月 1 万円の節約を意味するはずだ。で、何を削るかといえば、たとえば新聞だったりすると思うんだよね。わたくしならそうする。新聞購読を止めてすでに久しいけれど。古新聞やチラシは確かに日常の細々とした作業に便利なんだけど、そのために 4 千円内外を支出するというのは莫迦らしいもの。そういうことがわからないくらゐ、大手メディアは全体として愚劣(この言葉を書きつけるのは何回目かなあ)なんであって、その愚かさはいつの日か因果によって応報されることと思う。
 記事などの内容も愚劣そのもので、これは最新のニュースとなるが、橋下徹と朝日新聞の社説執筆者とのやり取りなんかを読むと、橋下氏の頭の良さというか、大手新聞記者の愚劣さというべきか、そうしたものがよく示されている(税率を上げることと税収が増えること、また消費税と所得税、こうした本来別のもののを判別できないなんて、バカぢゃないのか?)。
 

 とにかく、一地方の行政にここまでニュースバリューがあったかと、少なからず驚かされるが、それとは別に、「そんなに騒ぐようなことか」と白けたり、批判的コメントの上記のような愚劣さに腹を立てたりしながら、最後には虚しさを感じさせられる。なぜなら、結局のところ、根本の、あるいはむしろ唯一の問題は、役所の総人件費が多すぎることだからである。

 たとえば仮に大阪の公務員の総人件費が今の五、六割の水準だとすれば、維新の会の打ち出す政策は全く違ったものになっていただろう。公務員諸君もここまで目の敵にされることはなかったろうし、というか、そもそもこういった政党が結成されることもなかったのではないだろうか。収入に見合った支出という観点から人件費の問題が解決されたとすれば、地方自治体としては他に出来ることはそう多くないからだ。地方債(を発行しているのならそ)の償還財源くらいかな。
 正職員のこうした(名目)賃金の下方硬直性は、問題として指摘されることも少なくないけれども、改めるのはかなり難しいようで(民主党のマニフェスト……)、むしろ馘首の方が易しいほどである。社会全体のことを考えれば、失業者を増やすより、ワークシェアリングの方がずっと好ましいはずだが、なぜかそうはならない。労働組合の存在以外の、経済学的説明がありうるのかどうか知りたいところだが、ちなみにいうなら、大学教員でこうしたワークシェアリングに公の場――といっても個人のブロッグだけど――で言及したのは、わたくしの知るかぎり一橋大学の森本淳生さん唯一人。あとは、後進のポストを奪うことになるからといって別の大学に再就職しなかった塩川徹也先生くらいか。
 ワークシェアリングが一般化しない理由は実は単純で、いわゆる勝ち組・負け組の区別を存続させたい、the winner takes it all の原則を貫きたい向きがいるからだろう。

 そういうわけで(いろいろ割愛します)、わたくしは維新の会の最大の課題は公務員人件費の適正化(収入に見合った支出の実現)と考えているので、それ以外の、たとえば教育基本条例とかにはあまり関心がもてない。国際会議で「制服が厭」と主張して大いに顰蹙を買った日の本の女子高生を思い出したりするよ。つまり、何と恵まれた連中、というかおのれがきわめて恵まれた境遇にあることを意識していないという意味で、何と能天気な連中だろうかと。たとえば、ちょうど労組や共産党の連中が大騒ぎし始めた頃、ある居酒屋チェーンの女性社員が「自殺」するということがあった。過労のあまり自ら死を選んだとすればそれはもはや自殺とは呼べないだろう。こうした邪悪な労働環境の問題を共産党やマスメディアはなぜ追及しないのか。一般論として、思想信条の問題と生命の問題は別のものだから軽重は比較できないけれども、いずれも重大な事柄ではないだろうか。税金をぶんどることしか考えていないかのような東電や市役所の労組の張り切りぶりを見るにつけ、本当に組合が必要なのは例えばこういう居酒屋なんではないかと思わざるをえない。
 うん、そう、この外食チェーンの会長は、確か大阪市の教育顧問か何かに就くよう要請された人物で、この辺り、有名人なら誰でもいいのかといいたくなるような人選には首を傾げてしまう。大前研一だの、堺屋太一だの、竹村健一――はさすがにいなかったか。
 もっとも、この会長氏が都知事選で百万票も獲得した事実を東京の人は忘れてはいけません(この人選だけをもって大阪人を愚民呼ばわりするのは無しだよって話です。マック赤坂についてはノーコメント)。
 有名人が好きなら、それこそ尾木直樹を呼べばいいのに。なんでオカマの真似をしているのかちょっとわからないけど、この人はいちおう本物だと思う。教育以外だと中野剛志とか。

 ついでながら、橋下市長の PR 方法を「劇場型」として批判する向きがあるけれど、そのいい方が批判たりうるとして、でもそれは対処できない反対派が悪い。ナチズムにおけるラジオのように、メディア戦略の重要性は夙に指摘されてきたはず。対応できないのは怠慢以外の何ものでもない。それこそ中野氏のような人を担ぐか、議論の仕方を教わるかでもしないとね。維新の会にファシスト的傾向が本当に認められるとしての話だが、そうした傾向を批判するには何が必要か、もっと真剣に考えなくてはならないと思う。まあ、古賀茂明(松井一郎もそうかな)のようにケレンのまったくない人もいますけどね。
 

 大阪フィルハーモニー交響楽団や文楽協会などの法人に対する助成金停止措置は、際どいところだが、わたくしは賛成せざるをえない。文楽という芸術様式と、役所等からの〈職権を濫用した再就職〉(いわゆる「天下り」)を受け入れる機関としての文楽協会は別ものだという理屈に反論するのは難しい。財務は厳しくなるだろうけれど、そんなのお宅らだけぢゃあないわけで、たぶん、バブル時代の感性(ゼニがあったらまずはハコを作っちゃうという)が死に絶えるまで何とか命脈を保つことができれば、それなりの未来は拓けると思う。

 あと、何だっけ、そうそう原子力発電。原子力安全・保安院やその上位組織である経産省の関係者が、懲戒免職にもならず、刑事的・民事的に告発されてもいない現状で、政府を信用せよというのは無理だ。誰のせいであんな事故が起きたと思っているのか? 東電はいうまでもないが、自民党・政府も同罪だよ。民主党の連中は頭がおかしいんぢゃないか? 信頼を回復したかったら、来たるべき事故の責任を誰がとるかまずは明らかにしなければならない。そして保安院を一番安全性の低い発電所の敷地に移すなど抜本的措置が必要だろう。大飯原発でもいいし、何だったら、もんじゅの敷地内でも構わない。そこで「再稼働するよ」といってみろ。
 3・11 以後、賑やかになった反原発運動にも一分の理はあると思うけれど、原発が全廃されたあとに前景化するはずの中央対地方、ないし都市対田舎という問題に処方箋が用意されないかぎり、全体としてプラスに働くとは思えない。東京や大阪は節電すれば何とかなるとして、しかし特殊な交付金なしでやって行けない市町村があるという現実をどうするのでしょう? 助成金にすがろうとするのが悪いといった批判は的外れだ。そうした金を恃みとするほかない土地、拒否しないことが確実視されるような土地を選んで原発を作ったに違いないわけだし、そのような地方が生み出されてしまう構造こそが問題だからである。
 それに、もう少し戦略を練らなければ、反原発運動は、テロリスト東電による値上げの要因とされかねないと思う。

(未了)

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