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2015年4月

2015年4月30日 (木)

統一地方選挙 後半戦

 住友クン石川クン、それにもちろん内田クンはなんでそんなに必死なの?

 石川康宏センセ曰く、

「大阪の3市長選、維新系が全敗 都構想に打撃」。「吹田、八尾、寝屋川の3市長選は26日、大阪維新推薦候補がいずれも落選した。大阪市を廃止し五つの特別区を新設する『大阪都構想』の住民投票を控え、打撃となった」。まずはよかったですね。 〔125リツイート 43お気に入り〕

 大阪維新推薦候補が落選する一方で、それぞれの市議会銀選挙では維新公認候補が上位当選したのは何故かを分析するのが学者の仕事と思うのだが、東京新聞の記事を引用して「まずはよかった」って! つまりこの囀りは学問的なものでは全くなく、ただの政治的人間のそれということですね、肩書で権威づけられているように見えるけれど。
「北の海のサカナと吉本新喜劇を愛する北海道生まれの西宮人」とのことで、そもそもどういう資格で大阪の話に嘴をさしはさんできているかわからないのですが、内田樹と仲の良い経済学者。この人は、全世界で起こっている経済の金融化(その結果として例えば、日経株価が上昇しているかぎり安倍政権はビクともしない)になぜ抵抗しなくてはいけないかとかいった事柄をきちん理論的に説明できるのかな。わたくしに対して説明してくださる必要はないのですが(わたくしは理解しているので)、わかっているのなら民主党の岡田や枝野に講釈してやればどうでしょう。

 同じ神戸女学院の内田センセはこんなことを書かれている。

AERAの原稿だん。大阪市廃止構想について書きました。全国で政令指定都市は20。大阪は京都神戸名古屋横浜とともに1947年「五大都市」に選ばれ、府県からの行政権を委譲されました。その自治の特権を自分から「要らない」と言い出した都市は日本にはありません。たぶん、世界にもない。 〔353リツイート 137お気に入り〕

 まずは兵庫県民が口を出すなと、あるいは大阪市議会・市役所が過去にしでかしてきたことを精査してから出直して来いと、繰り返しておきます。(参考URL:http://blogos.com/article/108019/
 いつものように良い事をいっているなと刹那は思うけど、少し考えればやはり、いつものように詐欺的話法だな。特別区に編成し直される=自治権・「行政権」を放棄するではないでしょう。そんなことをいうなら東京都下の特別区はどうなる? 確かに、自治のある部分は手放すことにはなる。大規模な開発、より具体的には、現在の市域を越え出るような事業、地下鉄や道路、また市外の人間も利用するだろう施設の建設・管理・運営は原則できなくなるわけですが、そのような事態を指して「自治の権限は要りません」と、あたかも自治権のすべてを放棄するかのごとく書くのは事実誤認かもしくは、ためにする誤魔化しでしょう。

 先の石川クン、また次に言及する住友クンもそうだけど、民主主義に対して大きな誤解があるように思うなあ。大阪市のことばかり考えとったらあかんと、府民から――あるいは大阪市民も府民であることからすると、市民自身の府民的部分から――制裁を受け、広域行政の権限を取り上げられようとしているわけですが、そういった(まさしく政治的な)争いがない世界こそ民主的だとか、先生方におかれましては、もしかしてお考えなのでしょうか。利害の衝突はどうしたって起こるもので、問題はだから、如何にして調整するかという点ですよね。数年かけてようやく住民投票にまで漕ぎ着けたこの過程はまさに民主主義的なものだったと、またしたがって、たとえ否決されたとしても、この投票自体が民主主義のひとつの達成(ないし実践)というべきものだとわたくしは考えています(もちろん否決されたら予告通りショックで寝込みますけど)。

 石川センセが沖縄沖縄いっているから、ついでに一言しておくと、沖縄ではまた別の調整方法が採られている。際限のない、とはいわぬまでも、できるかぎり長い引き延ばしですよね。最善ではないとしても、現状では他に方策はないわけです。これも立派な民主主義の実践だと思う。沖縄の場合は巨額の振興予算によってそれが可能となっているのに対し、大阪のためにそのような予算はつかない。だから別のやり方が必要なのです。
 つまり石川クンは、大阪の問題と沖縄の問題を同列に扱う、というか同一平面(チッターのことですよ)で扱うことで両者を隠微に繋げ、それで自らのお話に説得力をもたせようとしているのですが、それら問題は構造的に同じではなく、そもそも(先生が理解しうる水準では)つながってはいないのです。この人、本当に大学の先生なのかな?

 府立大の歴史学者、民主主義研究が御専門であるらしい住友陽文センセもひどいなあ。

民主主義の社会だからこそ意見の違いはあり、それで対立もある。両者の調和は相互の妥協(政治の積み重ね)に依存する。しかし、それを忌避して制度で対立を解消するというのは、これは民主主義ではなく、専制主義だ。民主的社会が大人どうしの社会なら、専制主義は大人と子供の社会だ。  〔15リツイート 3お気に入り〕

ある自治体と別の自治体が対立するのはごく自然なこと。大阪府と大阪市の場合も同様。それを制度によって対立しないようにするというのは、大阪府に大阪市が逆らえないようにするということだ。だからこそ大阪府に制度的に逆らえない特別区を設置するのだ。この点、大阪市民は知っておくべきだ。   〔28リツイート 4お気に入り〕

いずれの囀りも、まさに仰る通り――いやむしろごく当たり前の事柄なので、「だ、だ、だ」と偉そうに強調するほどのこともない。というか、大阪市民(の一部分)がそのように働きかけているという認識になぜ至らないのだろう……ああそうか、この先生は、主権者は住民であって、とりあえずの代表である議員・議会の主張が気に入らなければ引っくり返せるという、民主主義のルソー的原理を忘れているのか(数年前に平松氏が落選した選挙を例えば思い出さなくてはいけません)。理解して賛同している大阪市民も少なからず存在するだろうに、市民全員が騙されているみたいな話になってますよね。大阪愚民説……。
 それから、大阪市が政令指定都市になる際、住友クンがいうようなやり方で決定されたのでしょうか。調べてみなければわかりませんが、1947年といえば、敗戦から二年弱。そこに十分な「政治の積み重ね」があったとは思えない。
 いろいろひどいや。他の囀りみても、基礎自治体と広域自治体の区別がついていない(か、敢えてつけていないかの)ようだし、一般人に反論されてブロックするし。

komoro‏@induindex·21 時間
大阪での対立が酷すぎて、市民に悪影響が出てしまったからでしょう。市議会がちゃんと機能していればそもそも都構想なんて出てきてませんよ。歴史的な経緯をすっ飛ばして制度批判するのは感心しないですね。  〔6リツイート 14お気に入り〕
@akisumitomo: ある自治体と別の自治体が対立するのはごく自然なこと。

komoro‏@induindex·12 時間前
@akisumitomo ブロックされてしまいました。。

Betteroff‏@Betteroff2525·11 時間前
@akisumitomo まず対立しない構造と逆らえない構造は性質が違うという事は理解してるよな?

 住友クンは他にも

大阪市という復元不可能な巨大なシステムを閉じようとしている。立ち止まって熟考するための選択を。~主張「私たちは大阪市解体に反対します」HPのtweetボタンで拡散を! http://sadlosaka.wix.com/sadlosaka#!our-point/cvet … #SAVEOSAKA517 @SADL_OSAKAさんから 〔15リツイート 3お気に入り〕

こんなことを仰っているんですが、「巨大なシステム」というのは例えば、大阪市交通局の「敬老パス」のことを考えてみたらいい。
 報道によると、

大阪の無料敬老パス 市営バスに800億円不必要交付金の計算 2012.04.16 16:02

 財政破綻寸前の大阪市で、橋下徹・市長が70歳以上はタダで乗り放題の市営地下鉄・バスの「敬老パス有料化」に踏み込んだ。当然のごとく、銭カネの話にはことのほかシビアな大阪市民からは反発が起きている。

 大阪の敬老パスは、お年寄りが“タダ乗り”すればするほど交通局が儲かる仕組みになっている。敬老パスは福祉事業として実施されているため、市の一般会計の福祉関連予算が組まれる。それが、市交通局の地下鉄とバスの事業会計に分配される仕組みだ。

 橋下氏が高齢者を敵に回してまで見直しに踏み込んだのは、高齢者福祉という謳い文句を隠れ蓑に、交付金を“掴みガネ”として懐に入れてきた市交通局を“解体”する狙いがある。

 パス導入当時の1973年に約2億5000万円だった交付金は、高齢者の増加とともに増え続け、今では毎年約80億円が投入されている。

 制度導入当初は「1人当たりの年間推定乗車回数を算出して、発行枚数をかける」(市交通局経理課)という、実際の利用状況とは関係ないドンブリ勘定で弾き出されてきた。

 大阪維新の会の美延映夫・幹事長の指摘。

「交通局は高齢者のためといいながら、実は赤字続きのバス事業を補填するために敬老パスの交付金を利用してきた。それが赤字にもかかわらず、かつては1000万円を超えるバス運転手の給料を肩代わりするような結果を生んできた」

 制度導入時から、市交通局はなぜか「高齢者はバスしか使わない」という利用予測をもとに、交付金をバスに9割、地下鉄に1割の割合で配分してきた。制度発足から2007年度までの36年間の交付金の合計は1472億円。このうち、1335億円がバス事業に繰り入れられている。

 ところが、2008年のICカード導入後の利用実績によると、地下鉄65%、バス35%という結果になった。この利用実績に合わせて交付金の配分を見直すと、ざっと800億円が不必要にバス事業に注ぎ込まれてきた計算になる。

 2008年度からは、前年のパス利用実績に応じた額を交付金として支出するようになったが、それでも今も敬老パスはバス事業の赤字補填の役割を果たしている。

 市交通局の2010年度決算では、地下鉄が239億円の黒字の一方、バスは15億円の赤字だが、会計書を紐解くと、黒字の地下鉄から30億円を繰り入れている。つまり、実際のバス事業は45億円の赤字といえる。

 公営企業は独立採算が原則だが、交通局はこう話す。

「地下鉄・バスは一体経営。地下鉄駅に乗客を運ぶために維持している赤字路線もあり、その責任を地下鉄にもとってもらう観点から繰り入れを行なっています」

 こうした収入の“付け替え”の理由は、バカ高い市バス運転手の給料を支払うためというほかない。現在も民間バスより約200万円高い平均739万円。橋下氏は3月、給料40%カットを打ち出した。  ※週刊ポスト2012年4月27日号

福祉名目の予算の付け替えというシステム。考案した奴は確かに頭がいい、というか、頭=てっぺん=ペテンがいい、という意味でのペテン師だろう。燃料費や適正な人件費などバス運用に本当に必要な経費の赤字の補填として流用されているなら問題はないのですが、システム全体として見ればこれはどうみたって、不必要に高い給与(バス運転手は特殊技能だと思うし、それなりの額は貰ってよいと思うけれど、民間との比較では高すぎると見なされる)を支払うための仕組でしょう。
 こんなシステム、要らんやろ? 復元せんでええわ。
 職員給与の引き下げと敬老パス有料化は「システム」として一体のものであり、この連関が適正化された結果、福祉予算が減った、あるいは本当の意味における福祉事業に充てることが可能になったとすればこれは、とりあえずは善といえるのではないでしょうか。
 この種のシステムを壊すという意味での改革であるかぎり、大阪都構想は善であるとわたくしは考えている。

 こうした仕組はおそらく無数に存在している(大阪以外でもね)。財政難ゆゑのサービス切り下げという話がもち上がったら、住民はまずその切り下げが職員厚遇の維持とトレードオフではないのかと、疑った方がよい。
 住友クンの囀りは一見何やらかっこいい事をいっているようだが、実のところ全く無意味であって、悪いシステムはやはり「復元不可能」なやり方で改めるべきだと思う。

(未了)

 

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2015年4月18日 (土)

多和田 変身 カフカ

(これから書く! かもしれない)

(題は 体言・用言・体言 の並びです。その用言が「他動詞」なのか「自動詞」なのか、あるいは別の種類のものなのかはわかりませんが)

     *

 いくらか話題になっているようです。フランツ・カフカ作、多和田葉子訳の『変身〔かわりみ〕』(『すばる』5月号)。

グレゴール・ザムザがある朝のこと、複数の夢の反乱の果てに目を醒ますと、寝台の中で自分がばけもののようなウンゲツィーファー(生け贄にできないほど汚れた動物或いは虫)に姿を変えてしまっていることに気がついた。

Als Gregor Samsa eines Morgens aus unruhigen Träumen erwachte, fand er sich in seinem Bett zu einem ungeheueren Ungeziefer verwandelt.

 独日それぞれを代表するといってよいだろうアレゴリー作家の組合せ、とはいうものの多和田葉子は自分で書きたいことが沢山ある人でしょうから、御本人が附記(「カフカを訳してみて」『すばる』同号)で述べるように頼まれでもしなければ翻訳はなかったことでしょう。

 一読してああ面白いなあ――そもそも原著が面白いわけですが、それとは別にこの翻訳の企みが――と思ったのですが、最初と最後の段落を分析するだけではおそらく済まないでしょう。でも何か書くとなると大変ですよね!
 とりあえず、チッターである翻訳家が『すばる』同号所収の水村美苗と鴻巣友季子による対談「日本語と英語のあいだで」をきっかけとして何か囀っている。妙に苛つかされる囀りゆゑ、引用したうえで註釈を施して茶を濁そうと思います。

Sakino Takahashi‏@sakinotk 4月15日 
今は、翻訳論の世界は激動期なのかも。「超訳」やその後の「新訳」(の結構な部分?)など、原文の内容とかけはなれた「わかりやすさ」が求めらたことに対して、文芸翻訳家のみなさんが反攻勢をかけておられる。しかも、翻訳を通して日本語の書き言葉の幅を広げようという…。断固支持します。
 〔12リツイート 18お気に入り〕

 なんだかいろいろひどいなあ。
「今」ってどういうことだろう? もしかしてこの御仁には「今-ここ-私」という時空間しかないのか?
 しかも「激動期」、「反攻勢」って……三流ジャーナリズムが苦し紛れに使って己の思考の粗雑さ、語彙の貧しさを露呈させてしまう典型のような言葉ぢゃないか。
「文芸翻訳家のみなさん」というのも正確ではないよね。
 さらに、「翻訳を通して日本語の書き言葉の幅を広げよう」という箇所。近年は「翻訳の創造性」など、翻訳家による自己肯定が賑やかしくなっているけれど、そんなことを考える必要ってあるのかなと、わたくしは常々疑いを抱いている。原文に忠実に訳す(そしてその結果として「日本語の書き言葉の幅」とやらが拡がることも時にあるだろう)ということで何が不足なのでしょう?

 わたくしの考えでは、公刊された書物の水準に限るなら、翻訳論がその名に真に値するようになったのは2008年、すなわちベルマンの著作が邦訳され、また偶然にも三ッ木道夫編訳の『思想としての翻訳』が刊行された年のことである(ちなみにいうなら水村美苗さんの『日本語がどうのこうの』も同年刊行)。
 もちろん、柳父章の仕事を忘れるわけには参りませんが、その著作はどちらかといえば、近現代日本語は翻訳によって形作られてきたという、一般的教養を供するものとしてしか遇されなかったのではないでしょうか。
(一因として、柳父氏の依拠する理論が古いということ、また著者自身が「カセット効果」と呼んで注目していたはずの、言葉のフェティッシュ的側面を十分に展開できなかったということを指摘しなくてはなりません。)
 また、さらに、本になってはいないものの、貴重な、そして傾聴に値する翻訳論がインターネットで公開されてきた点を忘れてはいけません。中井秀明さんの御名前をとりあえず記しておきましょう。
 己が訳したからいうのではなく、ベルマンの著作は翻訳論の基本的文献であって、読まずに翻訳を論ずるというのは端的にありえない。そして、高橋さきの氏はたぶん読んでいないのだろうけど、鴻巣氏はその2008年の段階ですでに『他者という試練』を読んでいる。高橋氏が鴻巣氏にあれこれいうのはだから根本的におかしいと、わたくしは考えます。
 

ただねぇ、反攻勢の闘いだからしかたがないのだけれど、ことばが過激なの。論述分や理系の文章では、フツーにやってることが、いちいちエッコラショなわけ。基本が「しゃべりことば」的(雑です)部分なのでしょうがないけれど、訳文を参照せずに、「宣言」だけ読むとただの勝手訳&自己韜晦宣言。
 〔2件のリツイート4件のお気に入り〕

 この人の小さい拗音(「うぅん」とかね)がおしなべてキモイ点は措くとして、「エッコラショ」って、何? これもキモイわ。次の「レンテンマルク」、「感じられ。」も同断。

今回「すばる」の水村・鴻巣対談(訳例つき)や、鴻巣・片岡の『翻訳問答』(訳例つき)で、具体的に、語られている内容←→訳文を検討してみたのだけれど、論述文の翻訳を普段から手掛けている当方からすると、用語がインフレなんてものでなくレンテンマルク状態にも感じられ。

 敢えていうけど、「インフレ」って、
    通貨流通量の膨張(インフレーション)→通貨価値の下落→(通貨で計られるところの)物価の(相対的)上昇
 という一連の状況を称して用いられる術語なので、単純にいって不正確だと思う。

ともかく、ぎりぎりのところで日本語の幅を広げる、過去の翻訳の延長線上での「ギリ線翻訳調」(中高生みたいな訳文のはなしではない)は、自分もやってきたことだし、断固支持。

しかし、レンテンマルク状態とも感じられる用語は、誤解をまねいているとは思います。

もちろん、実験に失敗はつきものということなのか、「スバル」最新号の多和田訳?(翻案としか読めず)のカフカ「変身」は、「透明な翻訳」(鴻巣さんの用語は独自なので要注意。原文に引っ張られた稚拙な訳のことではない)ではないと思量。

もう少し、論述文や理系の文章との連通がはかれるとよいのだけれど……。いってることはいっしょなのだから……。通訳しきれない/拒絶されちゃう的状況。

 多和田葉子訳『変身』が「失敗」でありかつまた「翻案としてしか読めぬ」理由は? ドイツ語原文と対照したわけでも(おそらく)ないのに?
 ていうか、なんで「スバル」って片仮名なの? もしかして富士重工業謹製の車に乗っておられるのか? 値段の割に速くていいですよね、スバル(笑)

 他方、鴻巣氏の特殊な「透明な翻訳」についての注意喚起は正当。
 鴻巣氏が『翻訳問答』で、欧米における「透明な翻訳」が自国語で元々書かれたかのような訳文を指すのに対し、日本では、原文が透けて見えるような、翻訳ということがわかる訳文を指すと述べているらしく、この『すばる』の対談で水村氏がそれを喚起しているわけですが、前者はいわゆる covert translation のことだとして、しかし後者については聞いたことがないなあと訝しく思いつつ、あれこれ書物の頁を繰りに繰ったのですが(概ねこのようにして出典は見つかるものなのだが)、うううわからない、今のところは。
 とにかく、前者の「透明な翻訳」とはつまり、実際には翻訳が介在しているのにそれがあたかも存在しないかのような訳文、翻訳作業や翻訳家が「不可視」の領域に貶められているような事態を指していうものだが(L・ヴェヌティが例えばその「不可視性」を批判している)、一方、鴻巣氏によれば日本の場合、翻訳の存在を前提として、しかし翻訳家は技巧を極力避けて、己が目立たぬようなやり方で原文を忠実に移し替えるというものと読める。極端にいえば翻訳機械のようなものだろうか。わたくしにはそのようにしかイメージできなかった。
 というより、これは「翻訳における忠実」に対する具体的分析なしに模糊としたイメージだけで話を進めることができるという姑息なやり方ぢゃないの? だとしたら翻訳論としては後退でしょう。
 よくわからないな。貴重な時間を費やして考えるほどのものでもあるまいし。というわけで、徒に混乱を招く用語は不適切であると、鴻巣さんを非難しておく。
(透明という日本語はどちらかとえば肯定的な意味を帯びているのに対し、transparent はもっと無色透明、中立な言葉ですよね、いづれにしても)

井口耕二 a.k.a. Buckeye‏@BuckeyeTechDoc 4月15日
一理あると思うけど、私は、そういう意識を持つことに異を唱えたい。RT @sakinotk …原文の内容とかけはなれた「わかりやすさ」が求めらたことに対して、文芸翻訳家のみなさんが反攻勢をかけておられる。しかも、翻訳を通して日本語の書き言葉の幅を広げようという…。断固支持します。

結果としてそうなることはあるだろうけど、積極的にやるのは話が違う、と。RT @sakinotk ともかく、ぎりぎりのところで日本語の幅を広げる、過去の翻訳の延長線上での「ギリ線翻訳調」(中高生みたいな訳文のはなしではない)は、自分もやってきたことだし、断固支持。

 他の翻訳家による介入。わたくしも同意見である。
 使命感を抱くのは悪い事ではないのでしょうけれど、「日本語の幅を広げる」のは何も翻訳家にだけ課せられた仕事というわけではないはず。そんなに幅を拡げたければ作家になればよいのではないだろうか。

Sakino Takahashi‏@sakinotk 4月15日
翻訳自体は積極的にやっている鋭意。ただ、そのなかで「ぎりぎりのところで」なので、実際には「結果としてそうなる」というはなし。なにせ、用語がレンテンマルクなので、訳文をみないとそう判断できないし、それは問題だと思います。RT@BuckeyeTechDoc

文芸翻訳の翻訳者にかかっている「なんでもいいからわかりやすくしろ(=内容からはなれてもいいから)」的圧力は、他分野とは桁がちがうみたいだし、その反発もあるのでしょう。RT@BuckeyeTechDoc

@BuckeyeTechDoc ご本人たちからは、こう書くと文句がくるかも、ですが、実際には、「ぎりぎりのところで日本語の幅を広げる」=「狭めない」くらいの感じかなぁと、訳文からは判断しました。だったらそう書けよって、思いますが。

 何が語られているのか全くわからぬ、理解不能。サイバースペースの無駄使いと思う。(Yeah, that might also be the case with me, but so what!)

     *

 (以下、草稿)

Als Gregor Samsa eines Morgens aus unruhigen Träumen erwachte, fand er sich in seinem Bett zu einem ungeheueren Ungeziefer verwandelt. Er lag auf seinem panzerartig harten Rücken und sah, wenn er den Kopf ein wenig hob, seinen gewölbten, braunen, von bogenförmigen Versteifungen geteilten Bauch, auf dessen Höhe sich die Bettdecke, zum gänzlichen Niedergleiten bereit, kaum noch erhalten konnte. Seine vielen, im Vergleich zu seinem sonstigen Umfang kläglich dünnen Beine flimmerten ihm hilflos vor den Augen.

ある朝、グレーゴル・ザムザがなにか気がかりな夢から目をさますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な虫に変わっているのを発見した。(カフカ『変身』高橋義孝訳・新潮文庫)
ある朝、グレーゴル・ザムザが不安な夢から醒めると、ベッドのなかで、ものすごい虫に変わっていた。(カフカ『ドイツ3・中欧・東欧・イタリア「世界の文学」』城山良彦訳・集英社)
ある朝、グレーゴル・ザムザが不安な夢から目を覚ましたところ、ベッドのなかで、自分が途方もない虫に変わっているのに気がついた。(カフカ『変身』池内紀訳・白水uブックス)
ある朝、不安な夢から目を覚ますと、グレーゴル・ザムザは、自分がベッドのなかで馬鹿でかい虫に変わっているのに気がついた。(カフカ『変身,掟の前で 他2編』丘沢静也訳・光文社古典新訳文庫)
ある朝、グレゴール・ザムザが不安な夢から目覚めてみると、ベッドのなかで自分が薄気味悪い虫に変身してしまっているのだった。(『カフカ・セレクションIII異形/寓意』浅井健二郎訳・ちくま文庫)
ある朝、グレゴール・ザムザが、落ち着かない夢から目ざめてみると、彼は自分がベッドのなかで、大きな毒虫に変わっているのに気がついた。(『カフカ:世界の文学セレクション36』辻ひかる訳)
ある朝、グレゴール・ザムザが不安な夢からふと覚めてみると、ベッドのなかで自分の姿が一匹の、とてつもなく大きな毒虫に変わってしまっているのに気がついた。(カフカ『変身』中井正文訳・角川文庫)
ある朝、グレゴール・ザムザがなにか胸騒ぎのする夢からさめると、ベットのなかの自分が一匹のばかでかい毒虫に変わってしまっているのに気がついた。(カフカ『変身』岩波文庫・山下肇訳)
ある朝、ひどく胸苦しい夢から目がさめると、グレゴール・ザムザは、ベッドの上で自分が一匹の巨大な甲虫に変身していることに気がついた。(『世界幻想名作集』河出文庫・種村季弘訳)

グレゴール・ザムザがある朝のこと、複数の夢の反乱の果てに目を醒ますと、寝台の中で自分がばけもののようなウンゲツィーファー(生け贄にできないほど汚れた動物或いは虫)に姿を変えてしまっていることに気がついた。

»Ach Gott«, dachte er, »was für einen anstrengenden Beruf habe ich gewählt! Tag aus, Tag ein auf der Reise. Die geschäftlichen Aufregungen sind viel größer, als im eigentlichen Geschäft zu Hause, und außerdem ist mir noch diese Plage des Reisens auferlegt, die Sorgen um die Zuganschlüsse, das unregelmäßige, schlechte Essen, ein immer wechselnder, nie andauernder, nie herzlich werdender menschlicher Verkehr. Der Teufel soll das alles holen!« Er fühlte ein leichtes Jucken oben auf dem Bauch; schob sich auf dem Rücken langsam näher zum Bettpfosten, um den Kopf besser heben zu können; fand die juckende Stelle, die mit lauter kleinen weißen Pünktchen besetzt war, die er nicht zu beurteilen verstand; und wollte mit einem Bein die Stelle betasten, zog es aber gleich zurück, denn bei der Berührung umwehten ihn Kälteschauer.

グレーゴルは思った。「やれやれおれはなんという辛気くさい商売を選んでしまったんだろう。年がら年じゅう、旅、旅だ。(…)なんといういまいましいことだ」(カフカ『変身』岩波文庫・山下肇訳)

「あああ、神様」とグレゴールは心の中でつぶやいた。「なんて酷な職業を選んでしまったんだろう。あけても暮れても旅旅旅。(…)こんな生活は悪魔が持っていけばいいんだ。」

『すばる』2015年5月号には、水村美苗/鴻巣友季子「対談 日本語と英語のあいだで」

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2015年4月11日 (土)

さよなら! 民主……

 「あなたがたはね、だからこれね、わたし取材ね、事務所を通じてしか受けませんから。取材拒否ですから映さないでください」

 維新の党所属衆議院議員上西小百合の妄言。

 たしかに、遥洋子氏がいうように(関西テレビ『胸いっぱいサミット』4月4日)、この件は女性議員だから特段の注目を集めたという側面もあるけれど、何より維新の党/大阪維新の会所属議員だからこそ、報道陣はいきり立ったことも見逃せまい。いま日本で醜聞が最も望まれているのは、安倍晋三と維新の党(大阪維新の会)なのだろうから。いずれにせよ、性別とは無関係に、国会議員の職務放棄は、民主主義の観点からして当然、糾弾されなくてはならないでしょう。

 上西は小渕ドリル優子や高市早苗ともども是非是非 shine して欲しい death ね!

      *

 統一地方選挙前半戦においてまず特筆すべきは、大阪で民主党所属候補がほぼ全員落選したことだろう。とにかく爽快で目出度い。自民党や共産党と同じことを主張しているのでは存在意義などありえないのだから。さよなら!

 もちろん、民主党なる政党がなくなったからといって、日本から民主主義がなくなるということではない――はずなのだが、強くそう打ち出すことができないのは、つまり「はず」とつけ加えぬわけにいかないのは、日本にはそもそも民主主義が存在しているのかよくわからないからです。
 もし民主主義が日本に(まだ)根付いていないのだとすれば、その責任は行政の側にではなく、住民の側にある。東京や愛知、神奈川の一部の先進的地区を除けば、日本人は(いまだ)「お客さん」状態なのではないだろうか。
 大阪では類を見ないほど大規模な行政制度の改変が企図されており、その分だけわかりやすくなっているけれど、住民投票まで一月を切ったこの時点でもまだ(市側の)「説明不足」というような意見が聞かれる。あるいはマスメディアはそう報じている。この段階で「よくわからない」だの「説明が不十分」だのという連中は主権者という自覚がないわけで、選挙権が剝奪されればよいのにと思う。

 もっとも、推進側の説明も(訳あって)正確ではないので、維新のタウンミーティング(こういったものが毎週末開催されていたことだけでも日本国民は驚いて欲しい)や市役所主催の説明会に出向いてもよくわからないというのは、ありえぬことではない。
 この改革は、大阪府内の金の配分を改めるということ、より詳しくいえば、大阪市の人口が府全体のそれの七割を占めていた時代の仕組が、三割まで低下した今日でも維持されていることが発端となっている。都構想反対派は「大阪市の金が奪われる」みたいな扇情的ないい方をするけれど、その金(の単純計算では半分強)はもはや大阪市のものではない(参考URL:https://twitter.com/ysk_0718/status/590395623053987841)。加えて、大阪市は随分と出鱈目な金の遣い方をしてきたのだから(参考URL:https://twitter.com/jinasan/status/590661716205273088)、大きな事業に手を染める権限を奪いますよということ。その事実を認めて配分の仕組を現状に合わせるかどうか、が争点というわけなので、どうしても血腥い話にはなりますよね。
(前にも書いたと思うけど、大阪市の現在の税収は、大阪市民の支払う税金の総額を大きく超えるもので、実際には市民以外の人間が大阪市域で働いたり、買い物したりした分も相当の割合を占めている。府外の人が「落とした」分については、今のところ、如何ともし難いですよね。人が集まる処という意味での「都」は一定数に限られてくるのですから。大阪都市圏が大阪市はいうに及ばず大阪府さえ超えている点は、いわゆる「関西州」という枠組によっていくらかは是正されるでしょう。)
 都構想が成立したところで、大阪に薔薇色の未来が拓かれるわけではありません。金の配分がいくらかは是正されるとしても、本当に必要なところにその必要度に応じてというわけにはなかなか参りはしないでしょう。民主主義とはある意味で金の奪い合いなのですから。ただ、住民の民度や知性に応じる形で愚かな行政がふたつ(大阪府と大阪市)あるよりは、ひとつ(大阪府=都)の方がまだましという、そういう選択なんですよ(大阪府だって金の遣い方は市と大して変りはしなかった)。それでもなお、実現されれば劃期的な改革ではあるのですが。大阪人にとり、そしてまた民主主義にとって。

 AY市議会議員のとっちゃん坊やみたいな顔、というか、とってつけたような顔。これほどまでに「とってつけた」感を見せつける貌、わたくしはこれまで目にしたことがありません。長時間の直視に堪えないことと関係があるのかどうか、でもやはり一種の見ものではある。
 とにかく大阪自民はさほど遠くない過去に「都構想」を主張していたのだから、いま反対なのはあまり説得力がない。

 参考URL:https://twitter.com/friedmaple/status/511416141999136768

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 改革(善きにつけ悪しきにつけ)に対する昨今のさまざまな反応を見て感ずるのは、日本が金持ちだといまだ前提されているということである。軽く眩暈を覚えさえする。大学制度改革についてであれば、まず下村のような下種野郎(以前には町村のような下種野郎もゐました)、また学部教育しか受けていない、ということは大学の半分しか知らないような役人のいいなりとなっている大学人たちに情けなさを感じぬわけにはいかないのですが、それは措くとして、国家予算の多くの部分が借金によって賄われている点に無自覚な人が多すぎはしないだろうか。給料は今の半分でいいので事務作業から解放してくれ!と訴える教員がそろそろ現われてもよさそうに思うが。
 公共団体のいわゆる「住民サービス」も然り。金がなければ過剰な「サービス」が行なわれなくなるのは理の当然と思われるのだが、それが例えば大阪都構想の欠陥として喧伝されるのは、議論としておかしいし、結局のところ住民が「お客」意識をもっている証左だろう。
 たとえば、手前味噌になるけれども、自前でスポーツクラブに通って健康維持に努めている愚母などは、さしたる症状もないのに、「一割負担」だからといって病院に日参する糞爺・糞婆を軽蔑しております。政府に頼りすぎないという一点に関しては母は正しいといわざるをえません。おのれの負担は「一割」でいいとして、残りの「九割」を誰が負担していると思っているのか。またその金がいつまでも続くとお思いか。

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 大阪の行政改革(いわゆる「都構想」)と並んで現在、日本の民主主義の大きな危機を象徴するのは、沖縄・辺野古への米軍基地移転ですよね。
 辺野古への移設については、わたくしは明確に反対の立場である――ただ、そのように立場を明確にしただけでは実のところ何もいったことにはならないわけで、そこに加えて、普天間基地周辺の民間人住居・施設を強制的に移転させるとともに、中共政府に対して、これ以上の軍拡、いま以上の「右傾化」を慎むよう警告するという具体案を提起しておこう。
 中国共産党が何もしなければ極東は現状維持で済むわけなのであって、面倒事の根源はまずは中国の帝国主義的膨張主義にあることを指摘したい。それが仮に一切ないとすれば、理屈からいって、米軍が日本に駐留する必要はないのだから(辺境警備のために自衛隊の基地はいずれ存続するだろうし、在日米軍のもうひとつの目的、すなわち日本の監視という目的からして駐留自体が零になることはありえないのだが)。

 翁長知事はなるほど辺野古への移設に反対してはいる。とはいうものの、例えば隣接する浦添の松本市長によるなら、知事は、城間那覇市長らと共に、那覇軍港の浦添への移設の推進派だという。

 なぜ協議に応じないのか? (松本哲治「百花繚乱日記」ブログ、3月25日)

語られている内容から判断するかぎり、問われているのは「沖縄対浦添」という構造であり、とするなら翁長知事は、日本政府に対しては「日本対沖縄」という対立構造を持ち出して弱者の立場を標榜しながら同時に、浦添市に対しては同形の構図の強者として振る舞っていることにもなろう。日本(政府)が沖縄の権利を十分に認めていないというのが確かであるとして(確かだと思うが)、しかし沖縄県もまた同様のやり方で、浦添市の権利を十分に認めてはいないということだ。こういう人物を信頼するのは難しいね。

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