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2015年10月

2015年10月11日 (日)

アルゼンチン 対 ナミビア(C)

アルゼンチン 対 ナミビア 64-19(36-7) トライ数 9-3 公式統計

 久しぶりに見たホアン・マルティン・エルナンデス。二本目のFHみたいな扱いを受けているのはなぜだろう。しかもゴールキッカーではなくなっている(この試合では13番ゴンザレス・イグレシアスが務めた)。まあ怪我の絶えない人だし、彼の存在を前提としないチームづくりがなされてきたのだろう。実際、SHからのパスを、エルナンデスではなくCTB(特に12番のソシノ)が受ける場面も少なからず見られた。パスの受け手を複数置くというのはよいことである。また、これはそういう戦術なのだろうけど、例えばフィールド右寄りのスクラムからの展開であらかじめエルナンデスとソシノが位置を入れ替えていることもあった。スクラムサイドの防禦の観点から位置を入れ替えるというのは比較的よく採られる配置だが。

 とにかく、圧倒的な地力の差を背景に、プーマスがパスプレーを中心としつつ走り勝った試合。

 準々決勝の相手はアイルランド。対オールブラックス戦を見ないまま適当に放言してしまうと、ブレークダウンで勝つか少なくとも対等にならない限り、結構な差で負けそうな気がする。
 いい換えれば、準々決勝四試合のうち唯一、ヨーロッパのチームの優位が予想されるということである(大方はそういう見方に立っていることでしょう)。しかしわたくしは、アルゼンチンを旧来の「北対南」の構図には入らぬ新興国と考えるので――アイルランドの悲願に共感しないでもないけれど――やはりロス・プーマスに勝ち上がってほしいかな。

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2015年10月 4日 (日)

アルゼンチン 対 トンガ(C)

 

アルゼンチン 対 トンガ 45-16(20-13) トライ数 5-2 公式統計

 先月行なわれたニュージーランドとアルゼンチンの対戦(26-16)は見逃したのだが、この対トンガ戦前半を見ながら(そして後半を見ながら書いております)、このディフェンスでオールブラックスをよく20点台に抑えたものだと、不思議に思った。実際、ロス・プーマスもトンガもファースト・タックルが甘く、数え切れぬほどのラインブレークが見られたのだった。もちろんこの水準のチームでは二線防禦が相応に機能するため(この点ではアルゼンチンに一日の長があると感じられた)、トライ合戦という風には必ずしもならないけれども、ファースト・タックルの緩さゆゑという一面をとりあえず措いて、双方のライン攻略のさまを楽しむことができた。公式統計によると、ゲインライン突破回数は「アルゼンチン 45 - 62 トンガ」。参考までに他の取組では例えばこうなっている(左が多い方のチーム、下線は勝利した側)。

ニュージーランド 73- 45 アルゼンチン
トンガ 54 - 50 ニュージーランド
イングランド 51- 26 フィジー
オーストラリア 39 - 34 フィジー
ウェールズ 55 - 36 フィジー
南アフリカ 62 - 49 日本
日本 59 - 35 スコットランド
日本 68 - 48 サモア 

 観戦の印象としては第一に、両チームともボールの扱いが巧い。その上で、トンガのパス・プレーはループあり、リターン・パス(フワッと浮かせてラインブレーク)ありと、非常に魅せるものだった。試合開始直後こそ、首へのタックルなど規律の問題が見られもしたが、普通に好チームである。
 アルゼンチンについては、このチームはスクラムの強さを恃みにすることができず、またブレークダウンでの反則すれすれのプレーを平然と行なうようなタマもいないため、素早いボール・リサイクルと、小柄だが俊敏・俊足のバックスで勝負することになっているようだ。わたくしの愛した2007年のチームとはほとんど別物だが、エルナンデスが在籍するかぎりは――とはいえこの試合には登場しない!――、そしてまたトップ8の多様性(従来はスコットランド、アイルランド、ウェールズが犠牲となってきた)のために応援せざるをえない。
 他方でわたくしは太平洋の島々のチームにも肩入れしており、結果として、どちらが勝ってもよいというか、どちらも勝ってほしいという無理筋の祈りを捧げながらの観戦となった。そして結果的には攻防とも相対的にしつこい側、とりわけディフェンスの懐のより深いチームが勝利した。トンガの「懐の浅さ」というと語弊があるけれど、たぶん、次のフェーズをあまり考えずに瞬間瞬間で思い切り事に当たるという気質は、継続の観点からすると、また引いては勝敗の観点からしてやはり不利に働くのだろう。一発でトライまでもっていけなければターンオーバーされるということだから。そういうところを「改める」と結局どのチームも変わりがなくなってしまうわけで、難しい問題だー。
 両チームの対戦は初めてだそう。こうした取組も祭りとしてのワールドカップの長所ですよね。

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2015年10月 2日 (金)

ウェールズ 対 フィジー(A)

ウェールズ 対 フィジー 23-13(17-6) トライ数 2-1 公式統計

 ようやくJ sports に加入することができた。
 今大会のベストマッチ候補であろう(少なくとも日本人にとっては)対南ア戦の再放送にぎりぎりのところで間に合うというタイミング(八月に申し込んでいたというのに何故こんなに時間がかかるのか)。
 読売テレビの放送では削除されていた映像を見ることができてよかった。試合終了後の選手同士の挨拶では、スカルク・バーガーが笑顔で日本側選手たちを称賛する場面が素晴らしかったと思う。三大会目のトンプソンと大野は頑張った甲斐ががあったね。
 
 とにかく何度見返しても――またJスポのYアナや解説の小林さん、村上さん、日本ラグビー狂会の佐々木さんや中尾さん、そしてもちろん故梅本洋一といった面々の歓喜・号泣(?)を想像して――その都度泣いてしまう好ゲームである。

     *

 それで早速、A組のウェールズ対フィジーの試合を見たわけだが、実況担当者が賢しらに解説までやってしまうので、申し訳ないけれど副音声に切り替えた。「ゴ(ール・ト)ラーイ」の日テレの実況の方がまだ許せる――と思う一方、日テレのアナウンサーにも不満がないではない。例えばこの人はなぜかイングランドに肩入れをしている気味があって、イングランドとイギリスの区別がついているのだろうかとか、「ロイヤル・ファミリー」と一括りにしているけれど、兄王子と弟王子でジャージの色が違っているだろ!とか、あるいはそもそもイギリス皇太子がウェールズ公を名乗るゆゑんを御存知ないのかとか、サッカーでもラグビーでもイングランド・チームを応援するのは世界中で「イングランド人」だけなのにとか、いろいろ不安を抱かせる人ではあった。しかしそれでも、実況本番で取り乱してしまうという、スポーツ・アナに欠かすことのできない資質に恵まれてはいるということにしておきたい。

 ウェールズとフィジー。2007年の対戦ではレッド・ドラゴンが「椰子の木」チームを力で抑え込もうとして失敗し、ある意味で非常に馬鹿馬鹿しい点の取り合いの末に後者が勝利した。2011年の対戦では、陰惨なまでに前者が後者を叩きのめすという結果となった。
 今回の対戦が示したのは、ウェールズはやはりワールド・ラグビーというかラグビー・ワールドに不可欠なチームであるということだったと思う。フィジーのような something different の可能性があるチームを活かせるか否かというのは、世界のラグビーの多様性にとりきわめて重要だからである。

 もっとも、現在のフィジーにそれほどの魅力があるかといえば、実のところかなり大きな疑問符を付けないわけにはゆかない。
 パス・プレーにしても、ウェールズのそれが、長短やタイミング、また空間の活用法などの点でまさしく多様性を体現していたのに比べれば、フィジー側のそれは均質性に傾きがちだったと思う。

 というか、「フィジアン・マジック」なるものは本当に存在する(した)のかと、われわれはまず問うべきなのかもしれない。そういうものが本当にあるとして、それはしかしオール・ブラックスによって「つねにすでに」体現されているのではないかと。
 同様の神話として名高いものに「フレンチ・フレア」がある。基本的には駄目なチームがしかし時折「閃き」を得て驚嘆すべきプレーを見せるというような話だが、これはフランスの真摯なラグビー・ジャーナリストによって否定されているらしい(木村安寿「なぜフランス人はかくもラグビーが好きなのか? ふたつの神話をめぐって」日本ラグビー狂会編『日本ラグビー 世界への始動』双葉社、2009年)。

 しかしそれでもやはり、フィジーが「らしさ」の片鱗というか、正確には(一度死んだものの再生の)萌芽を垣間見せたのは、ウェールズの「セクシー・ラグビー」(こちらはむしろ死にかけた中での残余というべきかもしれないが)に触発されたからではないだろうか。実際、この試合ではウェールズのスクラムやモールが一度ならずフィジーFWに負けたのだった。
 ウェールズでは例えば、長らくスクラムを支えてきたタイトヘッド・プロップのアダム・ジョーンズが大会の代表選考に漏れるということがあった。おそらく彼がいれば、対イングランド戦やこの試合でスクラムが劣勢になることはなかったろう。それは十分予測されたことであって、それでもなおフィールド・プレーに重きが置かれたのであるとすれば、それは今後のラグビーも潮流を示唆するものなのかもしれない。

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