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2016年6月25日 (土)

憲法改正、あるいは『朝まで生テレビ !』

 あー観なければよかったといつも思う番組(とはいえこれまで数回しか観ていないけれど)。
 理由のひとつ、たぶん最大の理由は司会の田原総一朗その人だろうね。なぜ人の話を遮るのか。「老害」とはいうまい。この御仁は前からそうだった。ひとつには根本的に莫迦だから。もうひとつ、こちらの方がより重要と思うが、莫迦な一般大衆でしかない視聴者にはこの番組での議論は理解できまいと思い込んでいるから。そのような前提に立ち、敢えて初歩的な質問を次から次へと繰り出すことで結局議論の展開を阻害するというのは、番組の、引いては電波の私物化以外の何ものでもない。予備知識のない、すなわち啓蒙される必要のある「一般大衆」がこんな番組を見るわけないだろう。本当に苛々する。早く引退してくれないかな、この糞爺。
 田原氏くらゐの知名度がなければこの種の番組は主宰できないとでもテレビ朝日は考えているのだろうか。この日のパネリストに名を連ねた三浦瑠璃でもたとえば十分に務まるだろうよ。まあ、議論の質がどうしようもなく退屈なので司会を受けることはなさそうだけど。
 もっとも、三浦氏の各種分析にわたくしは十分に説得されたことは実はない。聡明なのはわかるが、その論理展開には何か誤魔化し、といって悪ければ偏向があるような気がする。突き詰めて分析したことはないけれど。
 それにしてもこの人は自身のエロティシズムに気づいているのだろうか。『ケイゾク』というドラマの主人公・柴田純のような無意識過剰な東大生など現実にはほとんど存在せず、東大女子は実際は人一倍自意識が強いもので、当然(というのはつまり見世物としてテレビに出ようかという人ゆゑ)、三浦氏も自分がどう映っているかには気づいているだろう(自意識の制禦を放棄したような東大男子・玉木雄一郎との対比が興味深かった)。エロといってもそれは、鼻が亀頭みたいな形をしているからではなく、衣装の胸元にスリットが入っているからということでもない。まずは言葉とのかかわり方に宿るある種の資質のことである。『マゾッホとサド』(知らない人は是非読んでくださいね!)のジル・ドゥルーズ風にいえばマゾ的な関わり方なのかもしれない(未確定)。
 念のために急いでいっておくと、この女性をどうにかしたいとかいうことでは全くなく、見世物としてのテレビにおける(自己)演出というテーマに沿った注目です。だってテレビにはそれしかないんだから。
 それから、権力とそのエロティシズムのかかわり。三浦氏はこの場では明らかに一種の権威を身にまといながら(つまりだからそういう演出なので)発言している。そ……

 とはいえ、この日のプログラムで一番重要なのは「憲法改正」の部分である。田村憲久は憲法の何たるかを根本的に理解していない、あるいはむしろ理解しようとしない下種野郎だが、この種の連中が自民党には掃いて捨てるほどいる。たとえば第一次安倍内閣で法務大臣を務めた長勢甚遠は「国民主権、基本的人権、平和主義、これをなくさなければ本当の自主憲法ではないんですよ」(2012年創生「日本」東京研修会)と述べたらしい。ありえない。こんなのパブリック・エネミー・ナンバーワンでしょう。東大法学部から旧労働省。こんな奴が法務大臣とはね――と書いたところで時間切れだー。三十分後に日本対スコットランド戦が始まる。

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