« 憲法改正、あるいは『朝まで生テレビ !』 | トップページ | 第48回衆議院議員総選挙 »

2016年12月23日 (金)

決定的なイマージュ

 テレビジョンというメディア(ないし装置)の可能性はまだ十分に汲み尽くされてはいないと思うけれど、現状はといえば、九割五分五厘くらゐは資本主義の走狗、より正確には資本主義を利用して富の不公平な分配を推し進めようとする資本家の走狗となってしまっているわけで、すぐれたプログラムといっても自ずと限界はあるに違いない。
 その点をひとまづ措くなら、『逃げる恥だが役に立つ』はよく出来たドラマだったと思う。まあ初めは「どうせガックスがただただ可愛いだけのドラマだろう」と高を括っていたのだが、そしてもちろんガックスは最後までチャーミングであり続けたわけだが、想定以上に頑張っているなあと。
 物語の内容についてはすでに多くの人たちが語っているのだろうし、そこにさらに何かをいい添えようという気はない。ただ、テレビドラマとはいえ映像作品であるからにはやはりそこにはいわゆる〈決定的なイマージュ〉が無くてはならないはず。このドラマには少なくともふたつ――勿論ガックスその人の声や姿は別として――ずっと記憶にとどめておきたいイマージュがあった。

 ひとつ目。
  1234567893_2

 別角度からのショット。
  456789123_2

 原作にこういう場面があるかどうかわからないけれど、これは素晴らしい。字は下手だが。ありえないほど(念の為に、これは「素晴らしい」にかかっていますよ)。資本家の狗にすぎぬ放送局が一体どの口で……などと野暮な事をいうのはぐっと堪え、ただただ惚れ惚れとしてしまう。美女と黒板(あるいは文字)といえばゴダールを思わせるが(ガックスをA・ヴィアゼムスキーに置き換えてもこのイマージュは成立する)、そういえば次のイマージュもゴダール的といえるかもしれない。

 234567891

 345678912

 類似からの思考。性差を越え、人と機械の種別を越えて、ペッパー君、君はなぜこんなにもガックスと似ているのか(いやむしろ逆にガックスがペッパー君に似ているというべきなのか)。
 あれはいつ頃だったか、確か人工知能学会機関誌の表紙に描かれた女性型家事代行ロボットが物議を醸し、かなり強く批判されたことがあった。この場面もそうした批判に通ずるものといえるのではないだろうか。
(もっとも、物語では残念なことにガックスがこのロボットを抱擁することで批判の鋒先を鈍らせてしまっている。ガックスはむしろ助走をつけてペッパー君に跳び蹴りを喰らわすべきだったと思う。)

 今更ゴダールか(しかも60-70年代の「政治的」な)!というような小賢しい(笑)指摘は「役に立たない」。だって日本のテレビはゴダールの水準には全く及びもしていないのだから。とにかくこうした決定的イマージュがあったというだけでも、このドラマは素晴らしいと、冒頭の留保のことなど忘れ去って、強くいいたいのです。

 気になったこと。クールの途中でガックスの顔が変わったように見受けられた。彼女の顔は、額と眉、やや腫れぼったい瞼と奥二重で切れ長の眼の塩梅が南の島の人っぽくってよかったのだが、疲れて瞼の肉が落ちたのだろうか、目が大きくなっていった。だからこそペッパー君と似てしまうということにもなったわけだが、少し脱線して私事を書いておくと、同じような南の島出身の女の知り合いと初めて出会ったとき、誰かに似ているなあ、ああガックスだと感心したことがあった。歳はずいぶんと下だが彼の女は不肖のわたくしに多くのことを教えてくれた。ひとつは〈迎合的な笑い方〉。この笑い方をわがものとした時、自分が大人になったなあと実感したのだった。

 星野源のことは名前そのものを含めて何も知らなかったけれど、声がいいね。少し黒人っぽい響きがあるかと思っていたが(つまりオバマ大統領も声がいいよねというような素材の話です)、あるとき、あっそうだ、スティーヴ・ウィンウッドに似ているのだと思い当った。ああだからある種の、そういった意味での「ソウル」が感じられたというのもあながち間違いではなかったということになるだろう。歌の純粋な上手さという点では比較にならないし、そもそも比較するのがおかしいのだが、何處となく似たところがあるということで。

 ※ 映像はすべて著作権者に帰属します。

|

« 憲法改正、あるいは『朝まで生テレビ !』 | トップページ | 第48回衆議院議員総選挙 »

映画・テレビ」カテゴリの記事

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 決定的なイマージュ:

« 憲法改正、あるいは『朝まで生テレビ !』 | トップページ | 第48回衆議院議員総選挙 »