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2018年5月 3日 (木)

憲法記念日

 この春は実に久方ぶりに新しめの音楽作品を入手した。歳を食うと音楽鑑賞に対する熱意が下がるというのはわたくしにも当てはまる現象だったようで、新作はとりあえず買うことにしている贔屓の音楽家もいるにはいるのだが、その人たちもいい加減草臥れてきているのだろうね、熱心に活動しているようには見受けられない――というかそもそも現役なのか怪しまれるところがあるので、近年は CD を購入したりする機会が非常に少なくなっていたわけです。ザ・キンクスさん(レイ&デイヴ・デイヴィスさん)、アルト・リンジーさん、スクリティ・ポリティさん(グリーン・ガートサイドさん)におかれましては如何お過ごしでいらっしゃるのでしょうか。
 そういうわけで今聴いているのはサンダーキャット『酔ってしまって』(Drunk, 2017)とケンドリック・ラマー『蝶からピンはねする』(To Pimp a Butterfly, 2015)。うーん『蝶に春を売らせる仲介をしてその上前を撥ねる』ということなんだが、でも「ピン」が語源通り「一割」を掠め取るという意味なら、音がたまたま似ているからといって to pimp を「ピン撥ね」で受けるのは無理があるかもしれない。DeepL でフランス語に「翻訳」すると "de proxénète un papillon" となる。構文解析の失敗。Google 翻訳によれば「蝶をポン引きします」って(笑)、逆だろ。まあええわ。とにかく〈羽ばたこうとしているものを搾取する〉ということで、その意味では、CD ジャケットに butterfly というより moth に見える生物の写真があしらわれているのも(初見で笑ってしまいましたけどね)意図されたことなのかもしれない。人間が「搾取」する蝶類といえば専ら蚕という蛾なのだから。(ちなみにわたくしは庭の柚子や山椒で誕生した揚羽蝶の幼虫を部屋で育てて成虫を世に送り出すという慈善事業を毎年行なっている。)
 ともかく、どちらのアルバムも楽曲、編曲が大変によく出来ている。名曲の名演というやつ。今年はこの二作、それに買おうか買うまいか迷っているカマシ・ワシントンで過ごせそうな気がするよ。いづれにせよもはや、白人のいわゆるロックを新たに開拓するという選択肢は無い。無い。

 憲法を変えるという話はひとまず将来的な目標ということに落ち着いたのかな。わたくしは個人的には九条改変にはさほど関心がなく、大勢に従うつもりでいる。戦争はむろん無いに越したことはないけれども、世界の何處かで日々戦闘は行なわれているわけだしねえ。ちなみに日本が戦争を仕掛けることが仮にあるとすればその相手はアメリカ合衆国(と敢えていうならロシア)を措いて外にはないはず。そして戦争は、やるからには勝たなくては意味がない。今はまだその時ではないだろう。
(ちなみにいうと、今後核兵器が仮に実戦で使用されるとすれば被弾するのは日本以外にはありえないともわたくしは考えている。唯一の被爆国という事実、そしてそこから立ち上がったという事実は決して軽くはないのである。さらに福島における放射性物質汚染がそこに付け加わるとすれば!)
「九条改変」に反対する似非左翼の「戦争が出来る国にしてはならん」といった類の議論にどうにも苛立ってしまうのは、アメリカの意向に逆らえないという前提がそこに認められるからです。逆らえないがゆゑにアメリカ主導の戦に駆り出されぬよう憲法を護るべしという話ですね。顚倒というのはまさにこういうことをいうのであって、憲法が国内最高法規ではないという現実を改めること、その手始めに他ならぬその憲法に「アメリカには従わないぞ」と書き込むというようなことは端から思考の埒外に置かれているわけです。結局こうした連中も自民党同様、現状に居心地の好さを覚えているんでしょうね。アメリカ従属という現状を前提として様々な問題をのらりくらりとやり過ごすというのは、ひとつの戦術としてはアリとは思うけれど(辺野古への米軍基地移設問題とか)、戦略としては完全に間違っている。現実的な戦略というのは、変革さるべき現実をまさに変革すべく企みを巡らすことです。その第一歩は「日本国憲法は日米安保条約ならびに地位協定より上位である」と憲法に書き込むことを措いて外にはないと思う。改憲ですよ、改憲。もちろん書き込んだだけでは駄目だけど。ああこの文章はダ行がやたら多いなあ。書き込んららけれはらめらけろ。今度はラ行ばかりになってしまった。ええい、日本語は難しいなあ。これでどないだ!「書き込むだけでは全く不十分だけど」。

「全く」で思い出した。ある翻訳書を読んでいて、「……はまったく容易ではない」といういい方が気になった。原文が pas facile du tout / pas du tout facile というような全否定表現であることはそれこそ容易に察せられるけれども、わたくしの語感では「全く……ではない」は時としてむしろ部分否定の表現となる。全く(容易というわけ)ではない、のように。わたくしなら多分「……は容易ではまったくない」などと書くだろう(肝腎なのは〈全くない〉をひとまとめに扱う点である)。まあいいんですけど。

 似非左翼についてもう一言しておくと、前川前文科事務次官を矢鱈もち上げるのも莫迦の証だと思う。文科省高官ということは、日本の教育を(一層)駄目にした張本人か、あるいはそうでなくともその質の低下に対し何も手を打たなかった人物ということだろう。安倍憎し、というのはよい。安倍は糞である。しかし斬る材料が「加計学園問題」(だけ)というのはあまりに情けない話ではないか。獣医学部はもうひとつくらゐ新設してもよかった、とするならば、それが四国、つまり九州や山陰以上に冷遇されてきた地に創設されたことはむしろ僥倖なのでは? 新幹線だの高速道路だの、合理的判断とは別の次元で誘致がなされた例はこれまでにも少なからずあったろうに。何を今更、聖人君子のようなことをいっているんだ。しかも御前さんは公務員の〈職権を濫用した再就職〉に加担していたわけだろう?
 だいたい――段々腹立ちの度合が増して参りましたよ――東大法卒の「高級」官僚といったって、しょせん学部卒だろう? それはつまり大学の半分しか経験していないってことぢゃないか(わたくしは「文I→法」の連中に莫迦にされがちといわれる文卒だけど大学院博士課程まで進学したよ)。なぜそういった連中が大学のあり方を決められるのか。教員たちもチッターやブロッグでこっそり「忙しすぎて云々」などと愚痴を零すのはやめにして、そろそろ正式に抗議すべきではないだろうか。

 わたくしは実は安倍晋三に密かに注目しておりました。注目というのは、「日本をとりもろす」といった世迷言を信じて期待を寄せるということではありませぬ。CIA の狗として誰もが知る人物を祖父にいただく政治家としてアメリカとどのような関係を築くのか――その点にいくらか関心を寄せていたということです。
 で、注目していたのですが、狗の仔はやはり狗ということで最終判断を下すべき時が来たようです。彼の成したことの内、評価できるのは金融緩和(円の流通量を増やすことでドルに対して円安に導くこと)だけですしね。その効果もしかしながら消費税率を引き上げることで少なくない部分を打ち消してしまったわけですから、本当に白痴というほかありませんね、この御仁は。
 それに対し、失策は山ほどあるといって差し支えないでしょう。消費増税もそうですが、最大の罪は、第一次内閣時に明らかとなった、東電福島原発の津波対策の不備を放置したことですね。野党が何故そこを突かないのか理解に苦しみます。パブリックエネミーなるものを認定しうると仮にすれば安倍と東電・勝俣、経産省・松永の三人がダントツでナンバーワンでしょう。一回死ぬだけでは到底贖えぬほどの罪です。それに比べれば「森友・加計問題」など(醜悪ではあれ)何ほどのこともない。

 本題が何だったか見失ってしまったけれどもとりあえず筆を擱く。

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