カテゴリー「翻訳論」の記事

2020年8月14日 (金)

翻訳(論)について

『他者という試練』が版元で品切れになっていることに気づいた。いつ頃そうなったのかわからない。皆が「ポチッとする」例の通販サイトの該当ページを覘いてみると何と! 一万円を超える――どころか二万五千円などという法外な値がつけられているではないですか。いやーこれはちよつと。六千八百円でも高い(自分が学生だったら多分買えない)と思うのに。
 手元に何冊か置いてあるので、欲しい方に(消費税抜きの定価で)譲ることは可能だろうし、是非そうしたいところだけど、それが結局おかしな値段で転売されてしまえば意味はなくなる。いやあ、困っちゃったなあ、というわけで、差し当たりわたくしに出来ることはないので、来るべき重刷に備えて訳文を見直すこととする。重刷がいつになるのか、その際、版を修正することは可能なのか、またそもそも重刷されるのかわからないけれども。

       *

 翻訳論ってやはり難しい。自他の訳業の不備を指摘したり、改善策を提案したりするのは技術的に充分可能としても、それを翻訳行為の本質に結び付ける形で論ずるのはそう簡単なことではない。例えば小説の翻訳に即していうと、文学について、言語について、またもちろん原作についての思考が必要ということがひとつ(それなしでは昔日の「誤訳の指弾」と大して違わなくなるわけだから)。そして、実務との距離が他の研究におけるより近いということも大きい。
 要するに、原文の性質に応じ変わってくる「翻訳」のあり方それぞれについて別箇の考究が必要となるからだろう。その点に思い至らず十把一絡げに「翻訳」と称するものだから、云々。
 一例として、昨今の「翻訳研究入門」みたいな本で必ず一章が割り当てられている「字幕翻訳」。まず名称がおかしい、というのは古えの無声映画で挿入される説明文の翻訳としてなら妥当であろうけれど、現代の有声映画では文字列は、ゴダール作品か、さもなくば劇中で発せられる外国語(米語作品におけるスペイン語など)の説明としてしか殆どそもそもは用いられまい。つまり、「字幕翻訳」と称される作業は――それ自体はもちろん必要なものだが――実のところ原典では声として発せられる言葉を文字に変換し、それをフィルムというか映像に被せているわけで、これは厳密にいうなら、文書の翻訳とは種類の異なる営みだろう。「変換」と、だからとりあえず表現したわけだが、そしてしかしこの「変換」は、いうまでもなく、拡大された「翻訳」として、考究さるべき営みではあるけれども、「字幕翻訳」研究者はおそらくそこまで考えてはいないよね。無声映画時代に活動を始めた作家(たとえばヒチコック)はもちろんのこと、有声映画時代の才ある作家も音声なしで語る術を心得ているはず。それは北野武の作品を観れば例えば直ちに諒解される。初期傑作群の掉尾に位置するだろう『キッズ・リターン』(1996)で不可欠な台詞は一番最後の「まーちゃん、俺たちもう終わっちゃったのかな――ばかやろう、まだ始まっちゃいねえよ」だけだよね! それ以外の台詞はなくてもさして困らないはずなので、ええつまり、申し上げたいのは、映像で勝負しているだろう作品の、その映像に、元は存在しなかった文字列をスーパーインポーズすることの意味を、皆さんは一体考えたことがあるのかと、ささやくように問いたいのです、わたくしは。
 現状はというと、制度的な翻訳研究は、そうしたことを考えさせるようにはなってゐないと思う。語られる言葉を書き付けるという営みは、人間一般の言語活動にとって重要というのみならず、実のところ日本語の誕生という世界史上の一大事件にさへ触れている、決して軽々しく扱ってはいけないもののはずだが、そうした事柄とほとんど無関係に産出される論攷の数々にわたくしはうへえとなる。なる。
(うへえとならない為に、翻訳とは別の「現地化 localisation」として例えば考究してはどうかと提案しているのだが、どうなることやら。)

 閑話休題(なんと便利な表現だろう!)。関西大学大学院で講師をしていたとき、院生諸君の笑いを獲得する「鉄板」のネタが少なくともふたつあったことをあなたは知らないでしょう。ひとつは、わたくしはフランス語領域担当ということもあり(他の二人は独語と英語)、ルネサンス前後のいわゆる「知の移転」の概要を講ずる役割を担っていた。というか自分でそのように決めたのだったが、この translatio studii と現代の translation studies、これら両者は字面は似ているよね、ちなみにこのことを指摘したのは世界で私が初めてです――という冗談は受けた(あるいはむしろ、院生さんが優しさをもって笑ってくれたというべきでしょうか)。
 いまひとつ、笑われたのは、例えばイタリア南部の農夫の日常を描いた小説を日本語に訳した場合に、主人公のイタリア人がトマトを握りしめながら「なんでやねん!」などと上方言葉を発するのはありえないというような話(むろん笑いはホワイトボードに「なんでやねん」と書き付けたときに起こる)。
 大切なのは、(日本とまるで無縁な)イタリア農民が日本の一方言を話すことなどありえないということ(これは皆さん理解してくれた)と同時に、ではなぜ共通語は喋ってよいのかという点である。よくよく考えてみればわかることだが、日本のことなど何ひとつ知らぬ、どころか興味さへもたぬイタリア人農夫が、上方の言葉はいうまでもなく、共通であれなんであれそもそも日本語を話すわけがない。話すわけがないのに皆――というのはつまり翻訳された外語人たちは皆――共通の日本語を巧みに操っている。驚くべきことだが、驚くより先にまづはそれが不自然(fremd, étranger, strange)なことと思える感性が翻訳論には必要だとわたくしには思われる。

« […]. – Mais alors, il y a une différence immense entre une toilette
de Callot et celle d’un couturier quelconque ? demandai-je à Albertine.
– Mais énorme, mon petit bonhomme, me répondit-elle. […]. »(Proust : À l’ombre des jeunes filles en fleurs (1919), À la recherche du temps perdu, édition de J.-Y. Tadié, t. II, 1988, p. 254)

「[…]。じゃあ、カロの装いとそこら辺りの仕立屋の装いではたいへんな違いがあるんですか? 私はアルベルチーヌに尋ねた――もちろん段違いよ、坊やね」。彼女は私にそう答えた。

 井上究一郎は文章が上手い。本当に上手い。だがしかし、フランス人が「坊やね」などというだろうか。いいはしまい。というより、「私」やアルベルティーヌはそもそもなぜ日本語で話をしているのか? そこのところに何の疑いも抱かぬような人はたぶん翻訳を論ずるにあたって最重要の資質を欠いていると、わたくしには思われる。
(念の為にいい添えておくなら、そうした資質がなくとも翻訳は可能だし、立派な訳業が産み出されることさえあるだろう。)

 中井秀明さんがウェブサイトをひとつにまとめられるとのことで、以前読んだ評論(2009年2月)を再び読む機会があった。わたくしが上に述べたような事柄が別の角度から触れられている。文章の主題ではないけれども、初読の際に印象に残った箇所である。

「カフカが『aller(行く)』と言うと、訳者たちは『marcher(歩く)』と言う」。このクンデラの言い分がほんとうに正しければ、訳者たちの不忠実は、「aller」と「marcher」の違いが明らかなのと同じだけ明らかだ。でも注意したい。『城』の仏訳者たちはけっして「aller」(フランス語だ)を「marcher」(フランス語だ)に言い換えた(これなら「類義語化」でもいい)わけではないのだ。正確には、「gehen」というドイツ語を「marcher」というフランス語に翻訳したのである。この違いはあいまいにしておいてはならない。なぜなら、このように正確に認識することで、「行く」と「歩く」に対するのと同じような、自動的な不忠実の判定ができなくなるからである。

 えーつまりカフカはあくまで gehen と書いているのであって、aller と書いてはいないということ。きわめて重要な指摘と思う。そして翻訳研究に携わる人は、この一点に先づは立ち止まる、というか躓いて欲しいと願う。翻訳とは、そもそもが無理な営みであると、外語人にこちら側の言語を無理やり喋らせることなのだと。あるいはむしろ、その外語人がこちら側の言語を学ぶ、その手助けを行なうことであると(ふつう人はまづ共通語を学ぶよね、方言ではなく)。
 これまであまり問題とされてはこなかった事柄、あまりに自明だからということだろうか、折角だからベルマンに即していうと、

異国趣味風処理は外国語の土地固有表現を翻訳者の地元の固有表現で訳すことによって鄙俗化へと通じうる。パリの隠語でブエノスアイレスの隠語(ルンファルド)を訳す、あるいは「ノルマン言葉」(parler normand)でロシアやイタリアの農民の言葉を訳すような場合がそれにあたる。しかし残念ながら、土地固有の表現は他の土地の固有表現には翻訳されえない。互いに翻訳し合うことが可能なのは共通言語(コイネー)、「洗練された」言語同士だけなのである。こうした異国趣味風の処理、つまり外国の異なるもの(エトランジェ)を国内の異なるもの(エトランジェ)で訳すというやり方が行き着くのは原典を虚仮=滑稽にすることでしかない(ベルマン『翻訳の倫理学』68頁)。

「互いに翻訳し合うことが可能なのは共通言語(コイネー)、「洗練された」言語同士だけなのである」という点について著者はこれ以上展開してはいないけれども、『他者という試練』などの議論を敷衍して次のように説明することができるだろう。すなわち、ロマン主義者たちが詩と翻訳を同一視したのは、日常の言語から生み出される詩の言葉がある次元においてその日常言語から切り離されている(そうでなければ詩とはいえない)のと同じように、翻訳は元の作品が土着の言語から切り離されるある次元を見つけ出すことによって、その作品を別の言語へと移し替える(そうでないと翻訳は成立しない)という、形式的な同一性のゆゑだった。そして共通語が実のところ誰のものでもない言語、通辞のための便宜上の言葉にすぎないとすれば、まさしくそこにこそ、そしてそこにおいてのみ、翻訳の入り込む余地があるということである。

       *

 ところで、実務に携わる人は躓いているだけでは駄目で、そこから起き上がって翻訳しなくてはならないのでしょう。元々外語人が書いたものなのだから、すらすら読める方がむしろおかしいのだと、個人的には強く強く思うけれど、売れるためには、あるいはともかく商品として売り出されるためには、いくらか妥協が必要である。

 実はある小説を翻訳しようかと思い立ち、翻訳可能性を測るため、久しぶりに読み返してみるということがあったのです。大家の名作のひとつだがなぜか日本では現代語訳がなく、ずいぶん昔のおそらく英語を経た重訳があるのみという、少々変わった扱いを受けている作品。地の文は何とかなりそう、だが問題(わたくし個人の課題)は台詞の文体で、現代日本語における言葉遣いの性差がただただ煩わしいなあと、もやもやしていた。しかるべき方言を恃みにすれば言葉の性差の問題はほぼ解決されるのになあ、云々と。要するに職業としての翻訳家になりたいわけではないので妥協は本当に厭なわけです(わたくしが翻訳に手を染めるのは主として使命感からである)。そうして逡巡しているうちに、ある出版社のサイトで当該作品の翻訳がついに出ることを知り、一般人として純粋に喜ぶとともに、もやもやから(意図せぬ仕方ではあれ)解放されたことに安堵したのだった。

       *

 他にも書くべきことがあったような気がするけれど、一旦ここで留め擱く。

 

 

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2015年4月18日 (土)

多和田 変身 カフカ

(これから書く! かもしれない)

(題は 体言・用言・体言 の並びです。その用言が「他動詞」なのか「自動詞」なのか、あるいは別の種類のものなのかはわかりませんが)

     *

 いくらか話題になっているようです。フランツ・カフカ作、多和田葉子訳の『変身〔かわりみ〕』(『すばる』5月号)。

グレゴール・ザムザがある朝のこと、複数の夢の反乱の果てに目を醒ますと、寝台の中で自分がばけもののようなウンゲツィーファー(生け贄にできないほど汚れた動物或いは虫)に姿を変えてしまっていることに気がついた。

Als Gregor Samsa eines Morgens aus unruhigen Träumen erwachte, fand er sich in seinem Bett zu einem ungeheueren Ungeziefer verwandelt.

 独日それぞれを代表するといってよいだろうアレゴリー作家の組合せ、とはいうものの多和田葉子は自分で書きたいことが沢山ある人でしょうから、御本人が附記(「カフカを訳してみて」『すばる』同号)で述べるように頼まれでもしなければ翻訳はなかったことでしょう。

 一読してああ面白いなあ――そもそも原著が面白いわけですが、それとは別にこの翻訳の企みが――と思ったのですが、最初と最後の段落を分析するだけではおそらく済まないでしょう。でも何か書くとなると大変ですよね!
 とりあえず、チッターである翻訳家が『すばる』同号所収の水村美苗と鴻巣友季子による対談「日本語と英語のあいだで」をきっかけとして何か囀っている。妙に苛つかされる囀りゆゑ、引用したうえで註釈を施して茶を濁そうと思います。

Sakino Takahashi‏@sakinotk 4月15日 
今は、翻訳論の世界は激動期なのかも。「超訳」やその後の「新訳」(の結構な部分?)など、原文の内容とかけはなれた「わかりやすさ」が求めらたことに対して、文芸翻訳家のみなさんが反攻勢をかけておられる。しかも、翻訳を通して日本語の書き言葉の幅を広げようという…。断固支持します。
 〔12リツイート 18お気に入り〕

 なんだかいろいろひどいなあ。
「今」ってどういうことだろう? もしかしてこの御仁には「今-ここ-私」という時空間しかないのか?
 しかも「激動期」、「反攻勢」って……三流ジャーナリズムが苦し紛れに使って己の思考の粗雑さ、語彙の貧しさを露呈させてしまう典型のような言葉ぢゃないか。
「文芸翻訳家のみなさん」というのも正確ではないよね。
 さらに、「翻訳を通して日本語の書き言葉の幅を広げよう」という箇所。近年は「翻訳の創造性」など、翻訳家による自己肯定が賑やかしくなっているけれど、そんなことを考える必要ってあるのかなと、わたくしは常々疑いを抱いている。原文に忠実に訳す(そしてその結果として「日本語の書き言葉の幅」とやらが拡がることも時にあるだろう)ということで何が不足なのでしょう?

 わたくしの考えでは、公刊された書物の水準に限るなら、翻訳論がその名に真に値するようになったのは2008年、すなわちベルマンの著作が邦訳され、また偶然にも三ッ木道夫編訳の『思想としての翻訳』が刊行された年のことである(ちなみにいうなら水村美苗さんの『日本語がどうのこうの』も同年刊行)。
 もちろん、柳父章の仕事を忘れるわけには参りませんが、その著作はどちらかといえば、近現代日本語は翻訳によって形作られてきたという、一般的教養を供するものとしてしか遇されなかったのではないでしょうか。
(一因として、柳父氏の依拠する理論が古いということ、また著者自身が「カセット効果」と呼んで注目していたはずの、言葉のフェティッシュ的側面を十分に展開できなかったということを指摘しなくてはなりません。)
 また、さらに、本になってはいないものの、貴重な、そして傾聴に値する翻訳論がインターネットで公開されてきた点を忘れてはいけません。中井秀明さんの御名前をとりあえず記しておきましょう。
 己が訳したからいうのではなく、ベルマンの著作は翻訳論の基本的文献であって、読まずに翻訳を論ずるというのは端的にありえない。そして、高橋さきの氏はたぶん読んでいないのだろうけど、鴻巣氏はその2008年の段階ですでに『他者という試練』を読んでいる。高橋氏が鴻巣氏にあれこれいうのはだから根本的におかしいと、わたくしは考えます。
 

ただねぇ、反攻勢の闘いだからしかたがないのだけれど、ことばが過激なの。論述分や理系の文章では、フツーにやってることが、いちいちエッコラショなわけ。基本が「しゃべりことば」的(雑です)部分なのでしょうがないけれど、訳文を参照せずに、「宣言」だけ読むとただの勝手訳&自己韜晦宣言。
 〔2件のリツイート4件のお気に入り〕

 この人の小さい拗音(「うぅん」とかね)がおしなべてキモイ点は措くとして、「エッコラショ」って、何? これもキモイわ。次の「レンテンマルク」、「感じられ。」も同断。

今回「すばる」の水村・鴻巣対談(訳例つき)や、鴻巣・片岡の『翻訳問答』(訳例つき)で、具体的に、語られている内容←→訳文を検討してみたのだけれど、論述文の翻訳を普段から手掛けている当方からすると、用語がインフレなんてものでなくレンテンマルク状態にも感じられ。

 敢えていうけど、「インフレ」って、
    通貨流通量の膨張(インフレーション)→通貨価値の下落→(通貨で計られるところの)物価の(相対的)上昇
 という一連の状況を称して用いられる術語なので、単純にいって不正確だと思う。

ともかく、ぎりぎりのところで日本語の幅を広げる、過去の翻訳の延長線上での「ギリ線翻訳調」(中高生みたいな訳文のはなしではない)は、自分もやってきたことだし、断固支持。

しかし、レンテンマルク状態とも感じられる用語は、誤解をまねいているとは思います。

もちろん、実験に失敗はつきものということなのか、「スバル」最新号の多和田訳?(翻案としか読めず)のカフカ「変身」は、「透明な翻訳」(鴻巣さんの用語は独自なので要注意。原文に引っ張られた稚拙な訳のことではない)ではないと思量。

もう少し、論述文や理系の文章との連通がはかれるとよいのだけれど……。いってることはいっしょなのだから……。通訳しきれない/拒絶されちゃう的状況。

 多和田葉子訳『変身』が「失敗」でありかつまた「翻案としてしか読めぬ」理由は? ドイツ語原文と対照したわけでも(おそらく)ないのに?
 ていうか、なんで「スバル」って片仮名なの? もしかして富士重工業謹製の車に乗っておられるのか? 値段の割に速くていいですよね、スバル(笑)

 他方、鴻巣氏の特殊な「透明な翻訳」についての注意喚起は正当。
 鴻巣氏が『翻訳問答』で、欧米における「透明な翻訳」が自国語で元々書かれたかのような訳文を指すのに対し、日本では、原文が透けて見えるような、翻訳ということがわかる訳文を指すと述べているらしく、この『すばる』の対談で水村氏がそれを喚起しているわけですが、前者はいわゆる covert translation のことだとして、しかし後者については聞いたことがないなあと訝しく思いつつ、あれこれ書物の頁を繰りに繰ったのですが(概ねこのようにして出典は見つかるものなのだが)、うううわからない、今のところは。
 とにかく、前者の「透明な翻訳」とはつまり、実際には翻訳が介在しているのにそれがあたかも存在しないかのような訳文、翻訳作業や翻訳家が「不可視」の領域に貶められているような事態を指していうものだが(L・ヴェヌティが例えばその「不可視性」を批判している)、一方、鴻巣氏によれば日本の場合、翻訳の存在を前提として、しかし翻訳家は技巧を極力避けて、己が目立たぬようなやり方で原文を忠実に移し替えるというものと読める。極端にいえば翻訳機械のようなものだろうか。わたくしにはそのようにしかイメージできなかった。
 というより、これは「翻訳における忠実」に対する具体的分析なしに模糊としたイメージだけで話を進めることができるという姑息なやり方ぢゃないの? だとしたら翻訳論としては後退でしょう。
 よくわからないな。貴重な時間を費やして考えるほどのものでもあるまいし。というわけで、徒に混乱を招く用語は不適切であると、鴻巣さんを非難しておく。
(透明という日本語はどちらかとえば肯定的な意味を帯びているのに対し、transparent はもっと無色透明、中立な言葉ですよね、いづれにしても)

井口耕二 a.k.a. Buckeye‏@BuckeyeTechDoc 4月15日
一理あると思うけど、私は、そういう意識を持つことに異を唱えたい。RT @sakinotk …原文の内容とかけはなれた「わかりやすさ」が求めらたことに対して、文芸翻訳家のみなさんが反攻勢をかけておられる。しかも、翻訳を通して日本語の書き言葉の幅を広げようという…。断固支持します。

結果としてそうなることはあるだろうけど、積極的にやるのは話が違う、と。RT @sakinotk ともかく、ぎりぎりのところで日本語の幅を広げる、過去の翻訳の延長線上での「ギリ線翻訳調」(中高生みたいな訳文のはなしではない)は、自分もやってきたことだし、断固支持。

 他の翻訳家による介入。わたくしも同意見である。
 使命感を抱くのは悪い事ではないのでしょうけれど、「日本語の幅を広げる」のは何も翻訳家にだけ課せられた仕事というわけではないはず。そんなに幅を拡げたければ作家になればよいのではないだろうか。

Sakino Takahashi‏@sakinotk 4月15日
翻訳自体は積極的にやっている鋭意。ただ、そのなかで「ぎりぎりのところで」なので、実際には「結果としてそうなる」というはなし。なにせ、用語がレンテンマルクなので、訳文をみないとそう判断できないし、それは問題だと思います。RT@BuckeyeTechDoc

文芸翻訳の翻訳者にかかっている「なんでもいいからわかりやすくしろ(=内容からはなれてもいいから)」的圧力は、他分野とは桁がちがうみたいだし、その反発もあるのでしょう。RT@BuckeyeTechDoc

@BuckeyeTechDoc ご本人たちからは、こう書くと文句がくるかも、ですが、実際には、「ぎりぎりのところで日本語の幅を広げる」=「狭めない」くらいの感じかなぁと、訳文からは判断しました。だったらそう書けよって、思いますが。

 何が語られているのか全くわからぬ、理解不能。サイバースペースの無駄使いと思う。(Yeah, that might also be the case with me, but so what!)

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 (以下、草稿)

Als Gregor Samsa eines Morgens aus unruhigen Träumen erwachte, fand er sich in seinem Bett zu einem ungeheueren Ungeziefer verwandelt. Er lag auf seinem panzerartig harten Rücken und sah, wenn er den Kopf ein wenig hob, seinen gewölbten, braunen, von bogenförmigen Versteifungen geteilten Bauch, auf dessen Höhe sich die Bettdecke, zum gänzlichen Niedergleiten bereit, kaum noch erhalten konnte. Seine vielen, im Vergleich zu seinem sonstigen Umfang kläglich dünnen Beine flimmerten ihm hilflos vor den Augen.

ある朝、グレーゴル・ザムザがなにか気がかりな夢から目をさますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な虫に変わっているのを発見した。(カフカ『変身』高橋義孝訳・新潮文庫)
ある朝、グレーゴル・ザムザが不安な夢から醒めると、ベッドのなかで、ものすごい虫に変わっていた。(カフカ『ドイツ3・中欧・東欧・イタリア「世界の文学」』城山良彦訳・集英社)
ある朝、グレーゴル・ザムザが不安な夢から目を覚ましたところ、ベッドのなかで、自分が途方もない虫に変わっているのに気がついた。(カフカ『変身』池内紀訳・白水uブックス)
ある朝、不安な夢から目を覚ますと、グレーゴル・ザムザは、自分がベッドのなかで馬鹿でかい虫に変わっているのに気がついた。(カフカ『変身,掟の前で 他2編』丘沢静也訳・光文社古典新訳文庫)
ある朝、グレゴール・ザムザが不安な夢から目覚めてみると、ベッドのなかで自分が薄気味悪い虫に変身してしまっているのだった。(『カフカ・セレクションIII異形/寓意』浅井健二郎訳・ちくま文庫)
ある朝、グレゴール・ザムザが、落ち着かない夢から目ざめてみると、彼は自分がベッドのなかで、大きな毒虫に変わっているのに気がついた。(『カフカ:世界の文学セレクション36』辻ひかる訳)
ある朝、グレゴール・ザムザが不安な夢からふと覚めてみると、ベッドのなかで自分の姿が一匹の、とてつもなく大きな毒虫に変わってしまっているのに気がついた。(カフカ『変身』中井正文訳・角川文庫)
ある朝、グレゴール・ザムザがなにか胸騒ぎのする夢からさめると、ベットのなかの自分が一匹のばかでかい毒虫に変わってしまっているのに気がついた。(カフカ『変身』岩波文庫・山下肇訳)
ある朝、ひどく胸苦しい夢から目がさめると、グレゴール・ザムザは、ベッドの上で自分が一匹の巨大な甲虫に変身していることに気がついた。(『世界幻想名作集』河出文庫・種村季弘訳)

グレゴール・ザムザがある朝のこと、複数の夢の反乱の果てに目を醒ますと、寝台の中で自分がばけもののようなウンゲツィーファー(生け贄にできないほど汚れた動物或いは虫)に姿を変えてしまっていることに気がついた。

»Ach Gott«, dachte er, »was für einen anstrengenden Beruf habe ich gewählt! Tag aus, Tag ein auf der Reise. Die geschäftlichen Aufregungen sind viel größer, als im eigentlichen Geschäft zu Hause, und außerdem ist mir noch diese Plage des Reisens auferlegt, die Sorgen um die Zuganschlüsse, das unregelmäßige, schlechte Essen, ein immer wechselnder, nie andauernder, nie herzlich werdender menschlicher Verkehr. Der Teufel soll das alles holen!« Er fühlte ein leichtes Jucken oben auf dem Bauch; schob sich auf dem Rücken langsam näher zum Bettpfosten, um den Kopf besser heben zu können; fand die juckende Stelle, die mit lauter kleinen weißen Pünktchen besetzt war, die er nicht zu beurteilen verstand; und wollte mit einem Bein die Stelle betasten, zog es aber gleich zurück, denn bei der Berührung umwehten ihn Kälteschauer.

グレーゴルは思った。「やれやれおれはなんという辛気くさい商売を選んでしまったんだろう。年がら年じゅう、旅、旅だ。(…)なんといういまいましいことだ」(カフカ『変身』岩波文庫・山下肇訳)

「あああ、神様」とグレゴールは心の中でつぶやいた。「なんて酷な職業を選んでしまったんだろう。あけても暮れても旅旅旅。(…)こんな生活は悪魔が持っていけばいいんだ。」

『すばる』2015年5月号には、水村美苗/鴻巣友季子「対談 日本語と英語のあいだで」

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2014年9月23日 (火)

『翻訳の倫理学』について

(2015年5月吉日加筆)

 アントワーヌ・ベルマン著『翻訳と文字』の日本語訳刊行から三ヶ月が経過しました。
 『異なるものの試練』(邦題『他者という試練』)の時とは異なって、ベルマン氏のこともある程度は知られるようになっている――ウィキペディアにも彼の項目がいつの間にか立てられていることに驚きつつ、わたくし自身の名前の赤リンクは削除しておきました――ことなどから、補足として殊更に付け加えることはありません。必要とされる方が読んで下されば、訳者としては本望であります。
 宣伝広報も出版社に全面的に委ねており、何部売れたかなども把握しておりません。

 ひとこと表紙カバーの写真について説明をしておくならあれは――わかる人には一目瞭然でしょうけど――パリ滞在中に利用した国立図書館(BnF)と対岸の、シネマテークなどを擁するL・バーンスタイン広場の間に架けられた「シモーヌ・ド・ボーヴォワール歩道橋」です。本の装幀に使うなどとは夢にも思わぬまま無造作に撮影された写真で、解像度が低いなど技術的な問題もあったのですが、それでも何とか他人様に見せられるようになってはいるとすればそれは、ひとえにフォトショップ・オペレーターの匠の御蔭です。
 カバーの表側ならびに本体の扉頁の意匠は、わたくしの原案をデザイナーが仕上げてくれたもの。参考として託した他の写真をカバー裏側(フランス語にいう quatrième de couverture)に利用するというのは編集者とデザイナーの発案ですが、いずれにしても、放っておくと大学の教科書然としたデザインになっていただろう(版元のHP参照)ことを思うと、一般書店に陳列されても特別におかしいところのない程度に仕上がってはいると思います。紙の種類も汚れにくいもので、すぐれた選択でしょう。

 本当のところ、翻訳などというものは、カール・ラインハルトが古典文献学と古典の関係について述べたのと同様、(「ポン・ヌフのように」)堅固な橋ではなく、またそうであってはならないはずです。「原典とは実のところ不動の与件ではなく、ひとつの闘争が生起する場」(ベルマン『試練』348頁)であり、かつまた翻訳する側の言語が翻訳の営みを通して変貌してゆくということが真実であるならば。ラインハルトは次のようにその関係をいい表しています(紙幅の都合上、割愛せざるをえなかった文章の一節です)。

あの(一九三〇年にナウムブルクで開かれた[…])会議で明らかとされながら、はっきりと言明されなかったのは、一八〇〇年頃から一九三〇年頃にかけて、歴史学的=文献学的な意識が自らの展開の結果、座標軸を回転させたという事実です。(中略)喩えを使って私(ラインハルト)に話をさせて下さい。人は歴史主義というますます広くなる流れの中で泳ぎ続けることに疲れ、何か不動のもの、確固とした立場や絶対的な価値、いわば島を求め、それを我々のヨーロッパ文化の全時代の中からギリシャの紀元前五世紀の中に固定された古典的なもの、という理想の中に見出しました。そこで明らかとなったのは、島自体が流れと共に漂流する、ということでした。どうすればよかったのでしょうか? 人はその島を固定するために、ありとあらゆる種類の碇をすべての方向へ投げ、最後には現象学風の個人的な信仰告白という碇すら投げるに至りました。(中略)しかし美しい調和は次第に空虚なものとなり、あるいはこの美しい調和から不協和音が現れました。そしてあの(ドイツ古典主義の)最後の期間ほど、たとえ不協和音がすでに潜在的に調和の下に漂っているにせよ、調和が成就しているように見えることはありません。私たちはドイツ・ヒューマニズムの象徴としてシラーの「ギリシャの神々」を、ドイツの歴史主義の象徴として、その精神における最初の大事業、つまり「ギリシャ碑文集成」の事業の開始を取り上げてみましょう。すると私たちは、この両者が互いに十五年しか離れていないことを見出します。「ギリシャの神々」はその修正を加えた再版が一八〇〇年に出版され、アウグスト・ベークは一八一五年にベルリンのアカデミーにギリシャの碑文を収集するための申請を行いました。(中略)しかし彼は、「碑文」の精神がどの程度の規模でギリシャの神々を破壊することになるのか、予測できませんでした。その後、古代について責任ある仕方で言明された全てのことは、以前のあらゆる言明から根本的に区別されました。それは、模範や理想や思弁的な構築、あるいはしばしば言われたように「夢」の代わりに歴史学的な「真理」という形を取った「現実」が入り込んだためだけではなく、それ以上に直接的な関係、古代の声から直接呼びかけられる代わりに間接的で距離を置いた関係、古代を制限し明らかにする歴史的・空間的な連続性に関する古代のあらゆる言明のその都度の関係への問いが入り込んだためなのです。(Reinhardt, Karl : « Die Klassische Philologie und das Klassische » (1942), Begriffsbestimmung der Klassik und des Klassischen, hrsg. von Heinz Otto Burger, Darmstadt, 1972, S. 68-71.ブルガー編著『ドイツ古典主義研究』相良守峯監修、加藤慶二他訳、エンヨー、1979、曽田長人「近代ドイツのヒューマニズム」『早稲田大学地中海研究所紀要』第5号、2007、46頁、註21より、アラビア数字は漢字に改めたうえで引用した。)

 「すなわち、豊かさが始まるのは/海なのだ」という、ヘルダーリンの詩句(「追想」)が思い出されるようなラインハルトの喩えは、翻訳の領域においてもさまざまなことを考えさせる。翻訳は「島」と「島」の間に橋を架けることなのだと、さしあたってそう考えることが可能として、しかしそれら「島々」が不断に「漂流」するのであってみれば、翻訳も架橋【かけはし】とは名ばかりの浮橋、舟橋となるほかないのではないでしょうか。とはいえ、この本の表紙のためにロケーション・ハンティングを行なう余裕はなかったため、(石造ではない)木が部分的に用いられた橋で妥協することとなりました。いずれにしても、名前がいいですよね。シモーヌ・ド・ボーヴォワール橋。

 そのような次第で、わたくしは本文・原註の日本語訳ならびに訳註、使用されている三葉の写真、そして表紙カバー表側および扉の意匠原案、また邦題の副題を担当しました。(邦題主題と帯は編集者の領分。)
 本文や原註の内容については原著者本人に問い合わせるのが最善です。訳者は作者とは別人格であって、著者に成り代わることはできませんので。
 訳文についての疑問には訳者として最大限の誠意とともにお答え(お応え)する所存です。

      *

 ついでながら、同様に割愛しなくてはならなかった訳註をもうひとつ。プルースト『花咲く乙女たちの蔭に』より。

 参考のため同時代のフランス語小説における会話の例を紹介しておこう。学校の試験として課された「ソポクレースが地獄からラシーヌに『アタリー』の失敗を慰めて書き送る手紙を想像せよ」という題目に対するあるひとりの「花咲く乙女」の解答を別の「乙女」が他の「乙女たち」に読んで聴かせる場面である(会話ならびに地の文中の「話し言葉」を斜体で、挿入節による重層的な展開を下線で示した。便宜上、改行箇所を増やしてある)。

La lettre de Sophocle à Racine, rédigée par Gisèle, commençait ainsi : « Mon cher ami, excusez-moi de vous écrire […].
[…]. qu’Andrée, consultée comme plus grande et comme plus calée, d’abord parla du devoir de Gisèle […], refit à sa façon la même lettre.
« Ce n’est pas mal, dit-elle à Albertine, mais si j’étais toi et qu’on me donne le même sujet, ce qui peut arriver, car on le donne très souvent, je ne ferais pas comme cela. Voilà comment je m’y prendrais. D’abord si j’avais été Gisèle je ne me serais pas laissée emballer […]. Dès l’exposition du sujet ou si tu aimes mieux, Titine, puisque c’est une lettre, dès l’entrée en matière, Gisèle a gaffé. Écrivant à un homme du XVIIe siècle Sophocle ne devait pas écrire : « Mon cher ami. »
– Elle aurait dû, en effet, lui faire dire : mon cher Racine, s’écria fougueusement Albertine. Ç’aurait été bien mieux.
– Non, répondit Andrée sur un ton un peu persifleur, elle aurait dû mettre : “Monsieur”. […].

ジゼールがしたためているソポクレスのラシーヌあての手紙というのは、こんなふうにはじまっていた、「親愛なる友よ、[…]ここに手紙をしたためることをおゆるしください[…]。
 […]アンドレが頭のいい年長者としてずっと相談を受けながら[…]自分流に、この手紙をつぎのようにつくりなおしたときだった。「まずくはないわ」とアンドレはアルベルチーヌにいった、「でも、もし私があなたで、これとおなじ問題を出されたとしたら――出されるかもしれないのよ、こんなのはとてもよく出る問題だから――私はそんなふうにはやらない。私ならこうやるの。まず、私がジゼールなら、あがってしまわないで[…]。ジゼールは、最初からへまをやってるのよ、主題を述べるときから、ねえ、そうじゃない、チチーヌ、そういってわるければ本文にはいるときから、といったほうがいいわね、だってこれ書簡文なんですもの。十七世紀の人に手紙を送るのにソポクレスが、親愛なる友よ、なんて書くはずはないんですもの。」――「むろん、親愛なるラシーヌよ、といわせるべきだったわね」とアルベルチーヌがせっかちに声を高めた、「そのほうがよかったんじゃないの。」――「よくないわよ」とアンドレは、ちょっと茶化すような口調で答えた。「《貴下》と出るべきよ。[…]。」
(Proust : À l’ombre des jeunes filles en fleurs (1919), À la recherche du temps perdu, édition de J.-Y. Tadié, op. cit., t. II, 1988, p. 264-266.プルースト『花咲く乙女たちのかげに 第二部』井上究一郎訳、ちくま文庫、1992、374-378頁)

これはどちらかとえば裕福な家の子女の言葉である。ちなみにアンドレは、「最良の時間とはジョージ・エリオットのある長篇小説を訳しているとき」と語られるような少女(p. 295)。あるいは

« […]. – Mais alors, il y a une différence immense entre une toilette de Callot et celle d’un couturier quelconque ? demandai-je à Albertine. – Mais énorme, mon petit bonhomme, me répondit-elle. […]. »(Proust : À l’ombre des jeunes filles en fleurs, op. cit., p. 254)

「[…]。じゃあ、カロの装いとそこら辺りの仕立屋の装いではたいへんな違いがあるんですか? 私はアルベルチーヌに尋ねた――もちろん段違いよ、坊やね」。彼女は私にそう答えた。

 ふふふっと、思わず笑みが零れてしまうような一節ですね。井上究一郎はほんとうに文章が上手い。

      *

 翻訳者としては、本の売れ行き以上に、受容のされ方が気に懸かるのですけれど、読んでくださった方全員がWWWで御意見御感想を表明するわけではなく、基本的には待つほかありません。といいつつウェブ検索を敢行してみた限りでは、まともに読んでくださった(うえでまとまった分量の御意見を表明された)のは、やはりというべきでしょうか、中井秀明さんお独りのようです。いわゆる実務翻訳・産業翻訳に従事されながら、翻訳思想について根本から考えておられる中井さんにはわたくしは常々敬意を抱いており、今回の訳本をたとえば献呈申し上げてもよかったのですが(ウェブを介していくらか交流はあります)、何というか、内輪のなれ合いみたいな印象を与えることを恐れ、敢えてそのようにはしませんでした。

 それ以外はというと例えば……あるチッターで要約された本書の内容の一部(たぶん「訳者あとがき」と前半)を読んだのみで

意味のコミュニケーションを理想化した昨今の翻訳工学(トランスレーション・スタディーズ)」という整理は過度に一面的では…と思うけど、訳者の発言をふまえたものなのか。単純に見て、ベルマン以降の〈翻訳の倫理学〉的構えは今日のTSの重要な一翼をなすものだと思うけど。>RT

などと呟いてしまう日本文学研究者とか。(なんだこの人は。日本語で書かれたものなら何にでもとりあえず首を突っ込まずには済ませられぬ「いっちょかみ」ですか! 「TS」問題はもはや「単純に見て」何か有効な指摘を行なえる段階ではなく、戦争が始まっているのですぞ>RT)

 また例えば、広義の文学的翻訳を扱うと著者が述べているのに、そしてだから読む必要はそもそもないはずなのに、同じチッターに反応して(「トランスレーション・スタディーズ=「翻訳工学」は、メウロコ!」って、この言葉づかい……)飛び付いてはしまったものの、想像していたのと違っているので、虚心坦懐に読むことを放棄してしまった「理科系」翻訳家とか。
 理系だろうと文系だろうと、文章はまず正確に(とはしかし作者の意図通りにということでは必ずしもない)読まないと話は始まらないはずなのですが、そして(先に述べたように)訳者は著者とは別人格であって、正確に読まれた上での批判はむしろ歓迎しているわけですけれど、その水準には全く達していないあまりの読めていなさ加減には、ちょっと一言したくなりもします。鱗はまだ貼りついたままだから。

「翻訳の複数性」(同じ原文に対して訳文が複数ありうる)という議論も、これまたまやかしだと思う。というか、ただ一つのものを目指して刻苦勉励しているわけでもある。読まれる状況の複数性の議論とごっちゃになった「翻訳の複数性」の議論なんて、くそくらえ。

 「翻訳の複数性」うんぬんは訳書12頁あたりのことでしょうけれど、その「複数性」は「同じ原文に対して訳文が複数ありうる」などということではありません。『他者という試練』ですでにベルマンは、ヘルダーリンの訳業に関連して、翻訳の恣意的な複数性には否定的な見解を述べています。

[…]ヘルダーリンの作業は、実際の形成時期にまで遡って把握された作品との、根柢的でただ翻訳においてのみ可能な関わり方から来ている。だからこそ、それは恣意的なものでも、解釈の領域に属すものでもないといいうるのだ。最大限譲っていうならこの同じ根柢的な関係性から出発しつつも結果的に別の形の翻訳ができあがる可能性はあるだろう。そうであっても、ヘルダーリンが外国語や外国語作品とのかかわりにおける翻訳行為のひとつの本質的な可能性に、さらにはひとつの本質的な必然性にさえ確実に触れていたとはやはりいえるのであって、それを彼はきわめて厳密な仕方でいい表わしたということなのだ。翻訳は「実際の形成時期まで遡る」からこそ、作品とひとつの関係を、他の関係から類推しえぬというばかりか、より根本的でより「責任ある」関係を結ぶ。〔351頁〕

『他者という試練』は読んでない? ああ、それは仕方ありませんねえ、でも『翻訳の倫理学』を読めば、それが「同じ原文に対して訳文が複数ありうる」というような話ではなく、文学には文学の、法律には法律の、科学論文にももちろんそれ固有の翻訳があるということなのは明らかです(9頁)。考えてみれば当たり前のことなのに、言語学的トランスレーションスタディーズではなぜか一律に、ただひとつの「翻訳」として研究されているのはおかしいというのがベルマンの指摘の要諦です。「読まれる状況の複数性」とやらは、文学の生成研究に属すような「読者論」(最近翻訳研究にも輸入されている)のことだと思いますが、ベルマンは読者のことを考える翻訳について否定的に述べていますよ、まさにこの本で。つまり、「ごっちゃ」にしているのは、批判した気になっている当の御本人ということになります。
 というよりこの方、もしかして文(脈)を読まずに語だけで理解しようとしています? 「速読」法として、視線を斜めに走らせながら鍵語をつかまえてあたりをつけるというのはアリかもしれませんが、そしてそのように読まれるとの想定に立って書かれる本もあるのでしょうけれど、この本がそのように書かれてはいないということに気づきませんか?

 この程度の読解力で、いっちょまえに本を批判した気になる人もいるわけですね。え、と驚く方もいるかもしれませんが、わたくしは驚くよりも呆れてしまいました。この人もいっちょかみだな。いや違う、不真面目なんだ。不真面目で不誠実、非倫理的。
 そうしたこと以上に疑問に思うのは、なぜ必要のない、つまりこの人が携わっているのとは別の翻訳について書かれた、そして結果的には、自身の知性の無残を晒すことになってしまう本をわざわざ読もうとしたのか、という点です。本を御購入くださった大切なお客様ですから、それなりに遇するべきなのでしょうけれど、その購入の仕方が実は問題でね。

さきほどポチりました。日本の研究者側の翻訳論は、翻訳不可能性で止まっているし(現場はその先で七転八倒しつつ成果をあげている)、最近の翻訳スタディーズとやらは、紹介される限りは情報処理工学かという感じだしで、自力でなんとかするしかなく喘いでいたところです。

「ポチ」るというのは、わたくしの拙い翻訳力によれば、amazonで購入するということです。アマゾンでなくともとにかくインターネット通販で買ったと。しかし、広い意味でグローバル化に異議を唱えている本を、そのグローバル化の権化のような企業を通して購入するのはまずいのではないでしょうか。水村美苗の例の『日本語がどうのこうの』のアマゾン・レビューを見たときにも同じことを感じました。あなたがたは、他ならぬアマゾンで「ポチ」ることによって実はこの本の最も深いところにある意図を裏切っているのだと。(まあ、著者の方も、とにかく売れればよいやと思っていたかもしれませんけどね! とするなら読者も作者も真面目さが欠けていることになる。)
 もっと実際的な水準でいっても、本屋で手に取って購入を検討してみれば、自身に関係のない本を買ってしまうなどという世にも不幸な出来事は避けられたはずです。
 (この翻訳家の事例では、冷静に文章を読むことができていれば、そうした「不幸」が「幸福」へと成り変わる可能性もないではなかったろうと思われるだけに残念でなりません。)

 結論、というか教訓

  本は本屋で買うのが最善である。

      *

 変なところに着地してしまったので、今日はこの辺で一旦やめにしておきたいと思います。

      *

 (2015年1月追記)

 久保哲司さんが『図書新聞』に書評をしてくださいました(というか長らく気づかずにいましたが、昨年10月ですね)。どうも有難うございました。

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2014年2月 8日 (土)

翻訳論二編

 有線放送で最近耳にする楽曲、どこかで聞いたことがあるなあと、でも想い出せない、きっとこの曲自体がそれなりに知られたもので、だから要するに聴覚上のデジャ・ヴュだろう……と思っていたら、「パクリ」疑惑がもち上がっているんですね。それで想い出した。オリジナル・ラブの「接吻」。
 今回、疑われている側が「サンプリング(引用)」を否定しているらしく、ややこしいことになりそうな塩梅ではあるけれども、まあ「オリジナル」の方だってもしかすると隠された元歌があるかもしれないし。
 それで、その問題の一曲を初めて通しで聴いてみたわけですが、うーん、これは……(創作方法としての)剽窃としても、(一種の「翻訳」としての)カバーとしても評価できないな。田島貴男は自分のトム・ジョーンズみたいな声で朗々と歌い上げることを前提に作曲したわけだろうから、そこでは声や演奏と楽曲との間にある種の必然的な関係が存在しているはず。とするなら、本当に意味あるカバーとは、そのような紐帯を一度断ち切ったうえで、別の新たな紐帯というか関係をその曲と自分の声なり演奏なりとの間に打ち立てるのでなくてはならないだろう(声・演奏を言語と捉えれば文学の翻訳と事情は同じ)。そうして打ち立てられた新たな関わり方によって作品の新たな一面が見出されること、それが翻訳の真の意義のひとつである――というのがゲーテ、そしてアントワーヌ・ベルマンの主張だった。そのような意味での発見はないな、残念ながら。
 今回の事例で尚のこと悪いと思われるのは、元歌の核となっているサビをそのまま自身の曲の核心としてしまっている点だ。早い話、いずれの楽曲も、このサビの部分がなければ成り立たないような(というかサビだけエンドレスで聴きたくなるような)ところがあるので、本当に剽窃があったとしてだが、その剽窃よりむしろ、元歌の中核にあるサビをパクって、自分の歌の主役に据えるという曲作りの作法がそもそもおかしいのではないか。
 Pet Shop BoysがU2のWhere the Streets Have No Nameをカバーする際に、あの「君の瞳に恋してる」を一部取り込んだことがあったけれども、あれは何をしていたかといえば、この二曲はどこか似ているよねっていうひとつの発見、つまりは批評ですよね。そういう洒落気があればよかったのですが。

    *

 昨年暮れに翻訳論の注目すべき本が二冊、なんと同日に刊行された。
 ジョン・サリスの『翻訳について』(原著2002年)、そしてアントワーヌ・ベルマンの『翻訳の時代』(原著2008年)。

 後者はなぜか訳者の岸正樹さんが御恵投くださったので、何か書くべきなのだろうけれど、ベンヤミンはちょっとわたくしの手に余るところがあるなあというのが正直なところ。恵投返しで赦してもらえれば有難いのですけれど! 日本語で改めて読み返すことによって発見もあるだろうから、まあ追々に。ベンヤミンの「専門家」たちは読んでいるのかな。そういう人々の感想を聞きたいものである。今のところ、ウェブ上ではそのようなものは見当たらない。
 なぜあの本の前にベンヤミン論が?と思われた人もいるかもしれない。あの本、つまり『翻訳と文字』はわたくしが訳します。もっと早い時期に刊行されているはずだったのが、計画よりだいぶ遅れて三月中に何とか出るかな。今は初校刷が上がってくるのを待っているところです。前の本では著者校正の時間は実質的に一週間しか与えられなかった。一週間では文章の見直しなんかとても出来ないので、今回はたっぷり時間をとるつもりでいたのだが、そういうわけにはゆかないようである。

 前者も、見た限りでは、ひとりだけ、カントを中心に研究している人がチッターで紹介しているのみかな。他に同様にチッターで「この「翻訳」についての書物を西山さんの翻訳で読めるというのが素晴らしい」というような趣旨の「呟き」を漏らしている人がいたけれども、西山達也氏の仕事を知っている者からすれば、そんなことは言われなくてもわかっていることなのであって、これはだからほとんど意味のない内輪褒めである。いやまだ読んでいないわけだから、褒めてさえいないな。むしろ皆、西山氏がいずれ上梓されるであろう翻訳論をこそ心待ちにしているはず。
 以下、乱雑なメモを。

 哲学研究者が翻訳を論ずるとき、ややもすると言葉を論じているのと何ら変わりのない議論になってしまうところがある。それは言葉そして翻訳の本質に根ざす必然的横滑りではあるのだが(デリダなどは当然わかったうえでやっている)、「翻訳」事象一般に還元されてしまうのはまずいようにも思われる。ベルマンが繰りかえし注意を喚起しているのもその点だが、ジョン・サリスは言語と翻訳を同一化してしまうのではなく、両者を切り分けつつ関係づけようとしており、この辺りの問題を整理したい向きには一読をおすすめしたい。もっとも、整理とはいえ、それら二者の複雑な絡み合いが単純化・矮小化されることなく明晰に記述されているということなので、すっきりするというより、問いの所在がはっきりするといった方がよいかもしれない。

 新味があると思われたのは、「無翻訳の夢」という主題、正確には、翻訳の問いを「無翻訳の夢」という主題を通じて考えている点である。
 夢というのは、それが現実にはありえないからだが、にもかかわらずそれは絶えず夢見られる。「翻訳をしないということ」、「あらゆる翻訳を超えたところで思考を開始するということ」〔22頁〕、つまり翻訳の彼岸で考えるということは、実のところは「まったく何も意味することができない無言へと陥ってしまうことにほかならない」〔25頁〕。

しかしながら、たしかに思考が言説によって拘束されていることは間違いないとしても、思考とはまさに翻訳にほかならないのだと主張するためには、翻訳という語の意味を過剰に逸脱させなければならないように思われる。〔26頁〕

 翻訳論のひとつの問いがだからまさにここから始まる。「無翻訳(no translation)」というのは、サリスから少し離れていえば、地球上に言語が唯ひとつしか存在しない、あるいはその裏返しとして、地球上のあらゆる人間があらゆる言語を操る(オムニリンガル?)ような極限の状態ばかりではなく、地球上の諸言語が互いに無関心・不干渉であるような状態、また例えば「英語に訳され易いような日本語で書く」という、翻訳に伴う障壁を無化したり減じたりするような傾向も含まれるだろう。あるいはまた、翻訳の拒絶というあり方(水村美苗『私小説 from left to right』)などもそうかもしれない。サリスもだからグローバリゼーションに言及しているのだが、ちょっとあっさりし過ぎてその点では物足りなく感じた。

グローバル化によって、これらの境界は抹消されるのではなく、たんに通過しやすいものになるだけなのである。どれほど通過しやすいものになるとしても、数々の境界は残り続ける。このことを保証しているものは言語的な差異にほかならない。たとえ境界の存続を保証するものが、ほかに存在しなくなってしまったとしてもである。〔33-34頁〕

とサリスは述べているけれども――そしてサリスは何もグローバル化を時事的に批判すべくこの本を書いたわけではないだろうから過大な期待は無用だが――わたくしはこの点ではそれほど楽観的にはなれない。境界はなくなりはしまい。だがそれは、国際的・多国籍的企業体が、まさしく境界の存在ゆえに利益を得ることができるようなシステムになっているから、まただから、その限りにおいてでしかないだろう。

 ほかにcountertranslationという概念が出てくる。サリス自身が提唱しているもののようである(Boys-Stones, Graziosi, Vasunia, The Oxford Handbook of Hellenic Studies, Oxford University Press)。

〔…〕歴史の厚みと多様性、そして錯綜ゆえに、たとえばギリシアの思考に到達するためには、数多くの折り重なった層を分離し、翻訳作業によって堆積したものを掘り起こすという注意深くかつ粘り強い作業が必要となるのである。近代の言語をギリシア語に翻訳し戻す[translate one’s own language back into Greek]――ギリシア語へと重ねて翻訳する[translate back upon]――ことなしに、近代語からギリシア語へと移行する[translate from one’s own language to Greek]という逆翻訳[countertranslation]によってはじめて、ギリシア語のテクストへと接近することが可能になり、たとえばハイデガーが提起したようにアリストテレスをギリシア語へと翻訳しなおすことが可能になるのである。〔32頁〕

Only by way of a countertranslating that translates back from one's own language to Greek without translating one's own language back into -- back upon -- Greek can one, as Heidegger proposed, translate Aristotole back into Greek, gaining an access to the Greek text. [John Sallis, On Translation, 2002, p. 6]

一読してやや混乱したが、countertranslationとは、サリスが他の書物で

[…] contertranslation, since it runs backward, reversing or undoing translations effected in the history of metaphysics and before that history [Salis, The Gathering of Reason, second ed., Buffalo, SUNY Press, 2012, p. xiv, preface to the second edition]

などと述べていることを考慮するとどうやら、単純に翻訳をなかったことにする(to undo the translation)のではなく、「歴史の厚みと多様性、そして錯綜」を踏まえたうえで、出発点に戻るということのようだ〔234-236頁など〕。そのようにしてギリシャ語に立ち戻らなくては本当の意味でたとえばアリストテレスを解釈(ハイデガーにとっては翻訳でもある)できないと。
 たとえば西欧語話者からすれば、ギリシャ語の手前にラテン語が立ちはだかっており、ギリシャ語との直接的関係を享受できるわけではない。だからといって、間をすっとばすようなことも出来はしない。フランス語なり英語、ドイツ語なりは程度の差はあれいずれもそのラテン語からの翻訳によって出来上がってきた経緯があるからだ。つまりcounter-はこの場合、戻すという意味と、以前の翻訳に抗うという意味の両方をもつことになる。
 哲学を始めとする理論的文章を読むとき、そしてとりわけ自ら理論的に考え、展開しようとするとき、原著・原語に返らなくてはならないわけで、だからサリスがこのように論を展開するのは当然なのだが、そうすると「無翻訳」とこのcountertranslationとの関係はどうなっているのだろうか。

一方で、我々は決して無翻訳の地点には到達することができず、他方で、諸言語が互いに離散している状態を効果的に制禦することで翻訳の作用を帳消しにし、諸言語が完璧に調和しあう無翻訳の地点を事実上回復するような、翻訳/逆翻訳の地点にも到達することができないように思われる。〔33頁〕

とすると、これは同じ事態の二面、単純に善悪と割り切ることはできないだろうけれど、とにかくそうした二面ということなのか。いずれにせよ、サリスは少なくともギリシャ古典研究は理想的なあり方として後者の「翻訳/逆翻訳」を目指すべきといっているように読めないこともない。
 ひとつ疑問に思うのは、現在、ギリシャ古典研究、たとえばプラトンの研究は世界的に英語で行われるようになっている、つまり論文は英語で発表されているのだが、そのことはまったく無関係なのだろうか。プラトンとの直接的関係を夢見ながらフランス語話者が(おそらくは)フランス語で考えたことを英語に「翻訳」する。このいわば技術的な、道具としての「翻訳」作業を英語話者は免れているわけで、この点が言及されてもよかったのではないかと少し思った。簡単には答えが出そうにないので、続きはまた別の機会に考える。

 サリスは、意味の単純な再現(これは伝達と呼んでもよいだろう)を困難にするような翻訳を「非相互的」と規定している。たとえば wine → 葡萄酒 → wine という具合に戻す(すなわち「逆翻訳」する)ことが不可能な翻訳である。厚みをもつテクストの翻訳はどうしたって「非相互的」なものになってしまう。だがしかしと、サリスはつけ加えていう。こうした「非相互的」、非伝達的翻訳が意味を保存・再現し損なったがゆえに、つまり意味を軸とした翻しや「循環」を阻害するゆえに不完全と見なすのではなく、意味なるものの概念を見直すべきだと〔238頁〕。
 意味を中心に翻訳を考えても無駄というのが、メショニックやベルマンの解釈学的翻訳論批判の要諦だった(彼らは解釈学をやや矮小化しているような気がするけれど)。ガダマーに言及するサリスもまた、そうした解釈学的傾向から完全に自由というわけではないが、それでも「精神と文字」という不毛な二元論の再検討の手がかりとして有効な議論が提起されているように思う。とりわけ、翻訳をコミュニケーションと同一視する傾向をますます強める言語学的翻訳研究者たちに読んでもらいたいと願っている。

 それはそうと、これもインターネットで読んだ記事なのだが(http://dotplace.jp/archives/7448)、『翻訳について』は初刷七百部とのこと。ちょっと衝撃を受けますよね。それだけしか売れないと見積もられたのだから。この種の本はもちろん、売れればよいというものでは全くないわけだけれど、それにしてもね。この記事を読んでわたくしは、四月から始まる講義のシラバスの「参考書」欄にこの本を挙げようと決めた。ベルマンの本も挙げましたけど、こちらは間に合うかなあ、また著者校が一週間かよ。

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2013年6月15日 (土)

ウェールズに勝った日

 これがモノホンのウェールズ協会代表でないこと、つまり2011年ワールドカップ四位のチームを母体とし、今年のシックスネーションズを制したレッドドラゴンの一本目でないことは、ラグビー・ファンなら誰でも知っている。はるばるファー・イーストの島国を訪ねてくれた若い選手たち――ありがとう、そしてお気の毒さま!――にはこんな高温多湿の中でプレーした経験がない点も承知している。それでもやはりこれは正式なテストマッチであって、日本協会代表が勝利したということは歴史的事実としてたぶん永遠に残る。誠に晴れがましい慶事である。

 冷静にゲームを振り返れば、ウェールズが大外までボールをほとんど動かさなかったことで日本は助かった。第二テストでの失トライはまさにそのようにして外側にミスマッチを作られたことによるわけだが、逆にいうとあれ一本だけというのは、幸運ともいえるし、ウェールズ側が日本を見くびって、外に振らなくとも内側で簡単に崩せると考えていたからともいえるだろう。対策は他に、SH田中はおそらく止められないから、せめてSO立川は抑えようというくらいではなかったか。日本側のアタックとしては、立川のところでラインブレークできれば非常に有利になるのだけどね。それはさすがにさせてもらえなかったということ。

 WTB福岡にトライを取らせるような形にはならなかったが、大畑をたぶん超える俊足と、同じ年代の大畑より高いように見える守備意識は、新たなエースの誕生を予感させた。怪我にだけはくれぐれも気を付けて2015年、そしてもちろん2019年のワールドカップで活躍してください。

 二番手SHの日和佐は、ブレークダウンでボールから目を離す場面が二、三あり、失ターンオーバーの原因となっていた。能力は高いはずだが、これではちょっと任せられないな。ヘッドコーチがおそらくは指摘しているのだろうけど。

 このテストマッチ、梅本洋一さんはどうコメントするかなと、自然にnobodyのサイトにアクセスしようとして、ああ、梅本先生は鬼籍に入られた――まだ信じられないけれど――のだったと、思い返した。ちょっと泣けてくるけど、先生、ついに勝ちましたよ。

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 そういう慶ばしい日に見たテレビ番組「たかじんNOマネー」では橋下徹が例の発言に関し弁明を行なっていた。
 率直なところ、彼の発言の何が問題なのか、わたくしにはわからない。

 ・本当にそういうことがあったのならきちんと片をつけていつまでも――千年とかいってますが――ゴチャゴチャ言わせぬようにしようということ、そして
 ・敗戦国だからといって日本のことをあれこれ責めるけれど、韓国は例えばベトナムでひどいことをしたよねと、イギリスも数多い中の一例としてインドでひどいことをやったよね、フランスも、オランダも、中国も、そしてもちろんアメリカも、かつて日本やベトナムその他でひどいこと、本当にひどいことをしでかしたわけだし、今も世界のどこかでやっているよねと、反論しようということ、

これが骨子だと思うけれど、何処におかしな点があるのか。

 ああ、ひとつ問題点を挙げるなら、誰かの悪意によって「従軍慰安婦」がいつの間にやら sex slaves と「翻訳」され、それが定着しつつあるらしいので、そうすると正しいことを言っているのに、その sex slaves という言葉だけが取沙汰されて益々日本の立場が悪くなってしまいかねないということはあるだろう。これって、翻訳研究とか地域文化研究とかの重要な主題になるんぢゃないのかな。
 (一般には、戸塚悦朗なる弁護士が国連人権委においてそのような方向付けを行なったことになっている。1992年のことであると。二十年かけて定着してしまった誤訳をひっくり返すのは容易ではないけれど。)

 番組では大谷やら須田やら飯田橋やらが揚げ足取りに終始していたけれど、いったい君たちは何処の国の人なの?
 反体制というのは、まあたぶん社会には必要。だけど、「体制に対する批判・監視」と称して、大多数のマスメディアや「良識派」文化人・コメンテーターが打ち出す主張が、中国政府や韓国政府の主張にどうにもこうにも沿った形で展開されるのは何故かしら? ああいった連中は、それぞれの国における体制そのものでしょうが。
 そういう「良識派」とやらは、ふつうの言葉では売国奴というのだけど、あるいはもっと穏健に、中国や韓国のロビイストのエージェントでも構わぬけれども、いずれにせよわかってないのかな。本当の左翼、本当の反体制(そのようなものがあるとしての話だが)とは、外国の反体制派と連帯し、共同戦線を張るものだということが。だいたい、右翼だの左翼だのいわれるけれど、語源に遡れば、いずれ革命政府内での分類なのだから、日本のメディアは全然違いますよね。
 真の左翼とは、地球規模の反体制であるイランとの連帯をたとえば模索するものだ。

 共産党や公明党は、党組織、党の運営はまともに見えるが、与党としては好ましくない。自民党はとにかく景気をよくしてくれたらよいのだが、どうせアメリカには何もいえまいし(というか自民も別方向での売国奴だよね)、ワタミの社長を候補に立てるようなセンスには辟易せざるをえない(福島の原発の問題を放置した安倍の過失は問われぬまま終わるのか?)。民主党や社民党は次の選挙で潔く無と化してほしい。中韓ロビイストのエージェントみたいな政党は要らん。維新は維新で「燃える闘魂」(だったっけ?)を担いじゃって、また北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国にでも派遣するのか?――せっかくウェールズに勝った記念すべき日に、「戦争に負けるとはこういうことか」と改めて思わされるなんて!

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2011年9月20日 (火)

『イトウの恋』

 マキオカシスターズこと T さん(複数形になっているけど人物としてはひとり)から教えられた中島京子『イトウの恋』(講談社、2005 年)を読む。京都で食事した際話題にのぼったもので、この時はすでに火星(水星だったかも)から地球に帰還していたはずだが、諸般の事情によって手に取るのがだいぶ遅くなってしまった。読後感としては、もっと早くに読めばよかった!……

※五月のエントリーですが、続きの部分(いちおう評論の形をとっています)は別のサイトで読める「電子雑誌・同人誌」に加筆修正のうえ投稿し直しましたので、御関心の向きはこちらの URL を御参照くださればと思います。

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2011年6月17日 (金)

『ハングルの誕生 音から文字を作る』

 野間秀樹『ハングルの誕生 音から文字を作る』平凡社新書、2010年

(引用)

 このように単音文字〔アルファベット〕を見ると、文字の平面では、子音字母は鞏固な〈かたち〉を有してい[105]るのに、母音は〈かたち〉が朧である。謂わば、母音は子音と子音の間の空洞を吹き抜ける風である。母音は音の平面で生起するのである。西方からやって来た単音文字〔アルファベット〕とは、ゲシュタルト〈かたち〉を構造的に配する人が〈読む〉という営みの中で、子音間の洞穴を母音という風が吹き抜け、〈言語音〉が生起する仕組みである。
 こうして私たちは、東方への〈アルファベット・ロード〉とはその根幹によいては〈子音字母ロード〉だったことを知る。アジアを渡りきった〈子音字母ロード〉の終着地で、朧なる母音に、断固としてゲシュタルト〈かたち〉を与えたのが、〈訓民正音〉であった。

 中原に発した漢字のシステムと、地中海に発したアルファベットのシステムを見た。私たちが創ろうとする、朝鮮語を描き出す文字は、〈象形〉を基礎とする〈六書〉のシステムを採らず、〈音〉から出発することになる。単音文字のシステムを採るのである。
 しかしここで重要なことは、次の点である。〈正音〉はアルファベットのシステムを知ってはいたが、単純に受け継ぐことは、しなかった。と言うよりは、一切の曖昧さを拒否するという点で、原理的には拒絶に近い。子音文字の道は既に歩き終えている。〈正音〉は、西方からやって来たアルファベット・システムの、一千年以上も朧であった母音の空隙を、母音字母という鮮明なゲシュタルトで満たすのである。そしてその母音のゲシュタルトの位置づけは、ラ[106]
テン文字などとは根底から異なっていた。〈正音〉は、ラテン文字のような、母音字母と子音字母が単に線状に並列される二次元的な配列システムではない。次章で見るように、全く新たな立体的配置のシステムを確立するのである。西方に発する子音文字〔アルファベット〕は極東における〈訓民正音〉の誕生をもって、史上空前の全面的単音文字〔フル・アルファベット〕システムとして完成する。

 [108]いよいよ、文字を創ることになる。総戦略は既に定まっている。〈音〉から出発すること。漢字のように対象を〈象形〉して形を与えるのではなく、〈音〉に形を与えること。そしてその〈音〉とは、流れて消えゆく言語音を、単位に区切り、各々の単位に形を与える〈単音文字〉とすること。子音と母音を取りだし、〈子音字母〉のみならず〈母音字母〉にもゲシュタルト(かたち)を与えること。

 訓民正音はこれほどまでに凄いんだと殊更に強調するような口吻には――実際すごい文字ではあるにせよ――いささか辟易させられるが、いろいろ教えられることが多い。読んでいて中沢新一『イコノソフィア 聖画十講』の漢字・ひらがなに関する章を思い出した。

 ラテン文字やアラビア文字がそうであったように母音を「空隙」として、風穴として曖昧なままにしておくことと、朝鮮語のようにそれに形をきちんと与えること。ハングル(文字)に対する個人的な違和感(ごく小さなものにすぎない)の因って来たるところがわかった(未了)

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2011年5月12日 (木)

本の感想

 京都国立近代美術館に「パウル・クレー おわらないアトリエ」展を見に行く。T さんと。生成研究的展示の質量は期待したほどではなかったけれども、さまざまな発見――「油彩転写における差異と反復」(ごめん、T さん、結局俺が書いてしまったよ)とか――があり、楽しかったです。
 現在は東京に巡回中。
公式サイト

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 目を通しておかなければと思いながら、火星(金星だったかな)に滞在していたこともあって長らく入手できずにいた『帝国日本の英文学』(齋藤一著、人文書院、2006 年)をようやく読むことができた。簡単に感想を。

 大まかには「ポストコロニアル」研究ないし批評と呼ぶことができるだろう。英文学研究者一般が身にまとう(しかし本人は気づいていないことも多い)自負や自意識にはいつも辟易するのだが、序章・終章で真率に述べられる本書成立の動機や経緯、書かれなくてはならなかった必然性等々についての説明には、率直にいって大いに共感を抱いたし、またいくらか感動を覚えさえした。近代日本の文学史や翻訳史では二葉亭四迷の果たした役割が(もちろん正当に)強調されたりするが、全体として明治以降の第一外国語というのはやはりつねに英語だったわけで、いろいろと苦労があるようだ。
 本書の主題を要約すれば、「西洋植民地主義を批判する西洋文学の紹介・翻訳が日本植民地主義の正当化に利用される傾向があったという文脈を踏まえ、その正当化への抵抗を試みたと見なしうるいくつかの事例について論ずる」ということになるだろう。たとえば中島敦、あるいは(コンラッド『闇の奥』の訳者としての)中野好夫。前者についての章「英文学者、中島敦」は、ヴァレリーの扱いも含めて面白く読むことが出来た。ただ、本書の白眉と想定されているのだろう第四章「日本の闇の奥」はといえば、趣旨はよくわかる(し、成功していれば「翻訳による批評」の格好の例となりえた)のだが、実証の水準でいえば不完全という印象を拭えなかった。単純にいって、渉猟する文献が少ない、あるいはむしろ、論述をもっと長く厚く、十分に展開すべきではなかったかという気がするのである。

 著者は、以下の二文の下線部(いずれも、抵抗むなしく征服され、奴隷労働を強いられている人々のことを指している)

Behind this raw matter one of the reclaimed, the product of the new forces at work, strolled despondently, carrying a rifle by its middle.

He was an improved specimen; he could fire up a vertical boiler. He was there below me, and, upon my word, to look at him was as edifying as seeing a dog in a parody of breeches and a feather hat, walking on his hind-legs.

に中野好夫が「恭順蛮人」、「所謂恭順蛮」という日本語表現を宛てたことを問題とする(たぶんこれは素晴らしいアイデア)。素直な訳ではそれぞれ「教化された者たち」、「改良見本」とでもなるだろうところを、なぜ訳者はそうしたのか。確かに、翻訳としてはいささか作為的であり、何かあると思わせる事例とはいえる。当時の文献を調査し、「恭順蛮」や「恭順」、「蛮人」あるいは「蕃人」といった表現の使用例を検討した結果として著者は、次のような仮説を立てる。

ショッキングな霧社事件から十年後に出版された『闇の奥』の読者は、この作品を日本植民地主義への批判として読みかえるのではなく、西洋植民地主義批判として受容しつつ日本植民地主義を暗に肯定することを求められていたはずだ。たしかに、「所謂」といいきれるほど「恭順蛮人」が一般的であったかについては疑問が残る。しかしそれでも、中野が使用した「恭順蛮人」と「所謂恭順蛮」という言葉には、読者に対して、悲惨な霧社事件、肯定すべく要請されていた日本の植民地主義支配の「闇の奥」を想起せしめる力があったのではなかったか。中野好夫は読者に対して『闇の奥』という西洋植民地主義批判のテクストを日本植民地主義批判として読みかえることを可能にするヒントを与えていたのではないか。〔107-108頁〕

霧社事件(1830 年)というのは、日帝の臺灣に対する弾圧の代表的・象徴的事例で、中野はだから「俺たちも白人と同じことをしているんだぞ」と、この訳語を通じて仄めかしているのではないかということである。
 わたくしは、戦争に際しての藝術家や文学者の言動というものに強い関心を抱いているのだが(知らなかったでしょ)、最初に抱いたのは、「英文学者」は一体何をやっていたのだという憤慨にも似た感情だった。中野好夫が生存中にこういうことを誰かが思いついて、当人に直接尋ねればよかったのに。もちろん、彼が真実を述べるとは限らないけれども、作家本人の談話というのはやはり重要なコンテクストなのであって、その点が惜しまれる。惜しまれる。敢えて思弁を弄しておくと、戦後になって自身の体制翼賛主義を中野が自己批判したということは、ここで問題となっている箇所に特別の意義は(少なくとも訳者の意識において)なかったということになるのではないだろうか。まあ、小林秀雄のように「俺は反省なぞしない」といわれても困るし、というかいずれにせよ、証言をそのまま文字通りに受け取ることはできないのだが、それはともかく。

私は、『闇の奥』の中に書き込まれたわずか二語の「恭順蛮人」「所謂恭順蛮」という訳語が、当時の読者をして、『闇の奥』というアフリカにおける西洋植民地主義批判を含んだ作品を、台湾や中国における日本植民地主義の問題へと接続し、西洋と日本との差異を強調する国策を批判させるような力を秘めていたなどと断言したいのではない。むしろ、〔文献調査の結果を踏まえれば〕その逆をいわなければならないのかもしれない。〔…〕もし中野が本気で『闇の奥』を反国策的文書として世に出そうとしたのであれば、「恭順蛮人」ではなく例えば「帰順蕃人」という言葉を使うべきだったからである。〔117頁〕

著者は、調査の結果から実証的にいえる事柄をこのように限定している。まあそれが妥当だろう。論述の要は「「蛮人」については断言を控えるべきだろうが、「蕃人」については、これは霧社事件や台湾高山族の存在を想起させるキーワードだったといいきってよいだろう」(116頁)という箇所だろうが、霧社事件を引き起こしたのが「蕃人」だったとして、しかし「蕃人」という語がその事件(のみ)に送り返されるというのは、論理としておかしい。臺灣研究の専門家であるらしい方のブロッグでは

 たしかに「蛮人」「蕃人」というターム(「蕃人」が普通だろうけど)、は、戦前の日本では、台湾の原住民を指すことがほとんどだろうし、霧社事件が衝撃的な事件だったのはまちがいない。だけど、1940 年の時点では、霧社事件で蜂起した原住民の後裔は、なおのこと「恭順」の意を表明せざるを得ないほど、植民地統治は「完成」されていた。また、霧社事件を引き起こしたタイヤル族だけでなく、30 年代には、ブヌン族の「兇蕃」が「帰順」し、「恭順」の態度を明らかにしていた。こんなニュースは、総督府の『理蕃の友』を眺めれば、いくつも出てくる。
 高砂義勇隊の南洋派遣はまだ行われていないものの、日中戦争に「軍夫」として「血書志願」するという「美談」も、竹内清の『事変と台湾人』なんかを見れば、ちゃあんと掲載されている。
 つまり 1940 年に中野が『闇の奥』を翻訳した時点では、「恭順蛮人」という言葉は、齋藤が言うように霧社事件そのものを想起させるというよりは、「その後」の統治の「成功」を示すものとしてストレートに受け止められた、と考える方が、「状況証拠」からすれば、よほど「自然」なはず。

と指摘されている。つまり、事件の禍々しさではなくむしろ、「俺たちは白人と違って巧くやってるぜ」といったような、別の意義をこの箇所に読み取ることも決して不可能ではないということで、残念ながら推論としてはこちらの方が蓋然性が高いといわざるをえない。

 たぶん、この研究(論文としての初出は 1999 年)はまだ完成されていない。「教化された者」と「恭順蛮人」の違いは、たとえば所謂文学的趣向によって説明することも不可能ではないわけで、翻訳をめぐってはさらに重層的に論ずる必要があるのではと、これは自戒も込めて、そう思った。それに『闇の奥』も今では四種類(いやもっとか?)存在しているわけですからね。

 他に参考として
  
今週の本棚」(若島正、毎日新聞、2006年5月14日)。
  「私の闇の奥」(三交社版『闇の奥』訳者の藤永茂さんのブロッグ)中の記事ふたつ

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 それから David Damrosch の What Is World Literature? の翻訳が出たんですね。鴻巣友季子さんによる書評

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2011年4月18日 (月)

『トラデュイール』第2号

 中井秀明さんに『トラデュイール』第2号(2010年11月発行)を送っていただく。「翻訳とフランスに関するフリーペーパー」。
 内容は、中井秀明「翻訳論 志賀直哉「国語問題」再考」/西野幸博「学校教育への「翻訳」の導入の提案」/中井「書評 柳父章/水野的/長沼美香子編『日本の翻訳論 アンソロジーと解題』」となっており、いずれも読み応え十分の論攷である。入手法など詳細は
当該ブロッグ記事を御参照ください。

 翻訳のことを考えようとすると、どうしても中国語伝来という出来事に触れぬわけにはいかない。たんなる文字体系の移入ではなく、「日本語」の形成の一契機としての漢字使用である。確かに、それ以前の「日本語」はより多くの音韻をそなえていたことなどが例えば橋本進吉の研究によって明らかとなってはいる。しかしそれは当時の言葉の輪郭がいくらか明瞭になったというにすぎず、「やまとことば」の全貌は未だよくわかっていない。というより、科学的誠実に徹するかぎり、「やまとことば」がいかなるものだったか(今のところ)知りようがないとするほかないのである。
 翻訳というのは、第一に、話される言葉が文字に書かれる、その際の言葉の変容、そして第二に、中国語書字を利用することによる日本語の変容を、とりあえずそう称している。音を分析するための文字(言葉を音素に分解し再構成するのに都合の好い文字)であるアルファベットなどとは異なって、中国語の文字の多くはそれぞれに意味があることから、当時の「日本人」は、一部の言葉について、音を一切考慮せずに語義のみを媒介として、日本語と中国語を対応させるということを行なった。これは現代の概念からいえば翻訳にきわめて近い。つまり、「やまとことば」が確たる与件ではないとすれば、それは書かれた文字を通して類推されるほかないが、その場合われわれは翻訳という一種の変換作用の逆のプロセスを再構成しなくてはならないということである。
 始めには、だから翻訳があった。ドイツ語のように、だがしかしこの翻訳は、すでに文字があり、曲りなりに表記されてもいた彼の言葉におけるより根源的というべきかもしれない。根源的ということは、始原の形姿など誰も知りえない以上、原理的な考察による解明が要求されるということである。この主題をめぐってまず挙げらるべき基本文献は、いうまでもなく山城むつみ「文学のプログラム」(「漢文訓読について」『批評空間』11号、1993年10月、『文学のプログラム』太田出版、1995年)である。今頃になって称揚する人がいるので「あれあれ」と思っていたら、文庫で再刊されていたのですね。ただ、この論攷、それ自体非常に面白いのは間違いないけれども、やはりたとえば金文京『漢文と東アジア 訓読の文化圏』(岩波新書、2010年)で概説されているような実証的というか学問的試練を経る必要があるとわたくしには思われる。

 折に触れて覗くブロッグの記事にこういう一節があった。『思想地図β1』に対する書評である。

もう一つ、読み進めてきてがっくり来たのが、巻末である。〔…〕。一番酷いのは、最後の浅子佳英のコム・デ・ギャルソン〔ママ〕論で、その中に出てくる、コム・デ・ギャルソンの「ゲリラルール」5か条の翻訳が、全てまさに誤訳だらけなのだ。〔…〕。

たとえば3の原文はこうだ。

The location will be chosen according to its atmosphere,historical connection,geographical situation away from established commercial areas or some other interesting feature

これを浅子氏はこう訳している。

場所の雰囲気や歴史的な接続をするために設立。商業地域や、その他興味深い機能から、地理的な距離に従って選択されます。

ちょっと英語の出来る人なら、この訳には絶句するだろう。まさにムチャクチャと言っていい。こんな理解でコム・デ・ギャルソンを論じたのでは、コム・デ・ギャルソン側が迷惑なのではないか。

 やー、すごいですねえ。わたくしは絶句というよりむしろ爆笑し、ついで、どうやったらこういう訳になるのか、そのメカニズムが知りたいと本気で思いました。とはいえ、この種の訳文は実のところ予備校や塾でしばしば見かけられるものである。そうした場合、単純に日本語運用能力が不自由(つまり原文の「意味」の把握には成功したものの、それを「まとも」な日本語として再構成できない)か、そうでなければ、英語もまたひとつの言語であるということ、すなわち英語であれ何語であれ、このようなことを話す人がもしいれば頭が少々おかしいと判断されてしまう、だからこのような文章は端的にありえないということに思い至らないか、いづれかだったけれども、この例は後者だろうか。自動翻訳の真似? そう見えぬこともないが、コンピュータには文頭の実詞をほぼ機械的に「主語」と見なす能力は少なくとも備わっているわけで、まあ、この訳文を読んで唯一理解できるのは、訳者が「接続」という言葉を使いたかったという点だけだ。
 学校英語については一言書きつけたことがあるけれど、そのときにいったのは、日本語作文の経験がない人には英文和訳は無理ということ自体が問題なのではなく(できるかできないかといえば、もちろん、できはしないが)、そういう人は、英文和訳の作業を通して、生涯でおそらくは初めて、ある程度の質量を伴った日本語を書くということだった。この体験は、中国語の伝来した時期や、明治維新以後の日本で社会的に起こったことの個人の次元での反復にほかならず、山岡洋一さんなどは翻訳と英文和訳は違うと語気荒く述べたりするけれど、原理的にはそれらはきわめて近い事象なので、そうした点をケアできる――安産であれ難産であれ、ともかく今まさに生徒のうちで生まれようとしている言葉への感性をそなえた――教師をたとえば育てなくてはいけないだろうとも書いた(そういう水準に達している英語教師はほとんどいないでしょう)。

 原理的にというのは、「思弁として」、あるいは「理屈の上で」ということではない。そうではなく、歴史的諸条件をつねに考慮しつつ、実際にあったこと、ありえたこと、ありえようことのメカニズムを丁寧に解き明かすべくということである。その意味で、中井さんの論攷は、一見したところ翻訳から離れるようでも、やはり翻訳についての原理的な考察の試みといわなければならない。関心のある向きには一読をお勧めしたい。長くは書けないので、ごく簡単に感想を。

 古代の日本で、右のような根底的翻訳に近い形の翻訳が行われたとして、それは中国語から日本語への翻訳ではなく、日本語から中国語への翻訳であったということが「容易に想像される」のである。この方向性は、とても大きな問題をはらんでいる。なぜならこれは、分析仮説を定立した主体が、やまとことば話者ではなく、大陸からの渡来人であったことを意味するからだ。ようするに、「イケ」と「池」との結びつき、訓の成立に先立って、日本語は、他者である中国語による分析を受けている。換言すれば、日本語は、その書くことの端緒において、中国語のロジックに「ドップリ漬かっている」。

これは重要な指摘だと思う。「翻訳」や「分析」が双方向的に行われたとしても別段問題はなさそうに思うけれど。神野志隆光さんを引いているのも適確である。

 日本人の精神の「奥の奥」には、「やまとことば」と単純に同一視できない潜在的な国語が保存されている。おそらく、この潜在的な国語は、ハイブリット的に成長を続ける現実の国語の陰で、実際には成長が停止している「やまとことば」がそれとして成長を続けた場合にそうなっていたことが望まれる理想的な国語の映像として、日本人の意識の深いところに居座っている。すなわち、事実としては、この理想化された国語は、どこにも存在しない。存在しない像として与えられたものであり、いわば無だ。この無が、純粋なズレ、自己目的化した差異を、いまここにある日本語との間に絶えず生み出し続けているのである。

バルト的な「言葉の夢=夢の言葉」はあってもいいと思うし、実際にあると思うけれど、それとは別にこうした「潜在的」な言語を想定すれば、確かにいろいろな問題の理解が容易になる。一言つけ加えると、たとえば藤井貞和さんなどは、こうした「潜在的」日本語の(ほとんど不可能な)探求をずっと続けている人である。

 素朴な疑問。この「潜在的な国語」は、その後ずっと無傷のまま生き延びて今日に至るのだろうか。というのは、「いまここにある日本語」自体は変化しうるものだし、事実としてさまざまな形をとってきたのわけだが、両者の関係は一方向的なものなのだろうか。後者が前者に影響を与えるということはないのかと、いい換えてもよい。あるいはまた別の観点からいえば、中国語の衝撃(吉本隆明『初期歌謡論』ほか)により「抑圧」されてしまったこの言語は、折に触れて「回帰」し――抑圧されたものは必ず回帰するというのが精神分析の教えである――、平安・鎌倉・室町・戦国・江戸各時代の多様な日本語の出現に一役買ってきたということはないのか、抑圧が(部分的にであれ)解かれてなお、言語の「無意識」=「無意識」の言語は原形をとどめ続けるのだろうか。 

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2009年8月14日 (金)

「ナチス標語、外国語なら合法」

ナチス標語外国語なら合法=ドイツ裁判所 (8 月 14 日 6 時 15 分配信 時事通信)

【ベルリン時事】ドイツ連邦裁判所は13日、使用が禁止されているナチスの標語について、外国語で書かれていれば合法との判断を示した。
 被告のネオナチ活動家は、ヒトラー青年団の標語「血と名誉」が英語で書かれたTシャツ100枚を所持していて起訴された。ドイツではナチスのシンボルの使用を禁じており、一審は罰金4200ユーロ(約57万円)の有罪判決を言い渡していた。
 同裁は「ナチスの標語はドイツ語で書かれて初めて特有の意味を持つ」との見解を表明。外国語なら刑法に違反しないと指摘した。

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 「ドイツ語の責任」という文学的かつ政治的な問題(というか文学は政治なのだが)に連なる出来事。きわめて興味深い事例なので自分用にメモする。

 検索してトップに出たサイトの記事 "BGH-Entscheidung: Nazi-Parolen nur in deutscher Sprache strafbar"。

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