カテゴリー「アート」の記事

2009年1月20日 (火)

雑談(1)

「氷の世界」などと大仰ないい方をしましたが、気温が氷点下マイナス 10 度の日は実際には二、三日のことで、それ以降は割に過ごしやすい日が続いています。
 それにしても、ラグビーがないとある意味「平和」ですねえ。うっかり週末のハイネケンカップ放映を見逃してしまったための無聊ということでもあるのですが、イスラエルの「ガザ侵攻」、要するにテロリズムでありジェノサイド――あるいはゲットーを対象としたホロコースト――にほかならぬ軍事行動がさしあたって停止されることになったのは何にしろよかった。もっとも、根本的解決には程遠く、というよりむしろ、いろんな人がいろんなことをいっているのですが、「真実」はどこにあるのか、何が根本的解決なのか、全然わかりませんね。むろん、真実がウェブ上に(even in English, you know)ごろりと転がっているわけもなく……。

 どちら様もお気づきにはならなかったと思うので自分からいってしまいますが、このブログは先月 27 日以来、秘かに「戦時態勢」を敷いてきました。シルヴィ・カスパールの朗読しかり、オリヴェイラの映画――ヴェネツィアとともにパレスチナが喚起される――、そして未来主義もまた然り。
 未来主義(とりわけマリネッティによる「宣言」)がいわゆる「戦争の美学化」を明示的に語った嚆矢というのは常識に属す事柄でもあるので、敢えて触れることはしなかったのですが、乱暴にまとめてしまうと、藝術が担うとされてきた道徳的また(広義の)哲学的「有用性」の否定ないし軽視が、半世紀ののちに、五感の満足の手段として、藝術の代わりに戦争へと行き着いてしまったというようなことです。

 タブローを中心に展開されたイタリアやフランスの未来主義藝術を補完するかのように、プルーストは登場人物の一人にこう語らせています、「ドイツ軍の空襲があればもはやヴァグナーは必要ない」と(『見出された時』)。戦争に直面し、映画ではなくヴァグナーの歌劇を引き合いに出すプルーストの感性が古いのか新しいのか、単純に決することは難しいけれど、ともかく彼が批判的に思い浮かべていたものを現代生活のうちに探すとすれば、それは要するに絵プラス音、すなわちテレビということになるでしょう。事実、湾岸戦争テレビ報道はマリネッティの「宣言」のある意味における正しさを立証することになりました。
〈戦争こそがわれわれの五感を満足させる〉というテーゼは、〈スペクタクルは戦争でなくてはならない〉という別のテーゼに容易にそして不断に反転する可能性がある。そのゆえにこそ(と強引に論を進めることが許されるなら)、〈戦争のスペクタクル化〉の装置たるテレビ、とりわけそのスポーツ中継に注目しなければなりません。現代のスペクタクルがその本質からして平面的なものであるとするならば、いかにしてそこに空間性を回復させるかということが問題となるでしょう。
(しかし同時に次のような疑問が湧いてきます。スタジアムでのナマの観戦もつねにすでに「平面」によって媒介されているのではないか? 立体を平面に閉じ込める原理をひとまずキュビスムと呼ぶならば、キュビスト彫刻とはそれでは一体何だろう? パソコン画面で「見る」名画はタブローなのか? などなど。)

 鏡は魔法によって過去を映し出すとオリヴェイラはいっています。鏡とは何の謂いか、よくわからないところもあるのですが、つねに現在的とされるテレビや映画における時間を考えるにあたって、彼の作品は大切なことを示唆しているように思われます。

 夏目漱石の『薤露行』(1905 年)は『アーサー王物語』の翻案――

 世に伝うるマロリーの『アーサー物語』は簡浄素樸という点において珍重すべき書物ではあるが古代のものだから一部の小説として見ると散漫の譏は免がれぬ。まして材をその一局部に取って纏ったものを書こうとすると到底万事原著による訳には行かぬ。従ってこの篇の如きも作者の随意に事実を前後したり、場合を創造したり、性格を書き直したりしてかなり小説に近いものに改めてしもうた。主意はこんな事が面白いから書いて見ようというので、マロリーが面白いからマロリーを紹介しようというのではない。そのつもりで読まれん事を希望する。
 実をいうとマロリーの写したランスロットは或る点において車夫の如くギニヴィアは車夫の情婦のような感じがあるこの一点だけでも書き直す必要は充分あると思う。テニソンの『アイジルス』は優麗都雅の点において古今の雄篇たるのみならず性格の描写においても十九世紀の人間を古代の舞台に躍らせるようなかきぶりであるから、かかる短篇を草するには大に参考すべき長詩であるはいうまでもない。元来なら記憶を新たにするため一応読み返すはずであるが、読むと冥々のうちに真似がしたくなるからやめた。
 〔漱石による端書。太字の部分は特に意味はないけれど、何だか面白いので。〕

――として知られますが、鏡についての印象深い一節をそこに読むことができます(第二章「鏡」)。

 ありのままなる浮世を見ず、鏡に写る浮世のみを見るシャロットの女は高き台の中に只一人住む。活ける世を鏡の裡にのみ知る者に、面を合わす友のあるべき由なし。
 春恋し、春恋しと囀ずる鳥の数々に、耳側てて木の葉隠れの翼の色を見んと思えば、窓に向わずして壁に切り込む鏡に向う。鮮やかに写る羽の色に日の色さえもそのままである。
 〔…〕
 古き幾世を照らして、今の世にシャロットにありとある物を照らす。悉く照らして択ぶ所なければシャロットの女の眼に映るものもまた限りなく多い。ただ影なれば写りては消え、消えては写る。鏡のうちに永く停まる事は天に懸る日といえども難い。活ける世の影なればかく果敢なきか、あるいは活ける世が影なるかとシャロットの女は折々疑う事がある。明らさまに見ぬ世なれば影ともまこととも断じがたい。影なれば果敢なき姿を鏡にのみ見て不足はなかろう。影ならずば?――時にはむらむらと起る一念に窓際に馳けよりて思うさま鏡の外なる世を見んと思い立つ事もある。シャロットの女の窓より眼を放つときはシャロットの女に呪いのかかる時である。シャロットの女は鏡の限る天地のうちに跼蹐せねばならぬ。一重隔て、二重隔てて、広き世界を四角に切るとも、自滅の期を寸時も早めてはならぬ。
 去れどありのままなる世は罪に濁ると聞く。住み倦めば山に遯るる心安さもあるべし。鏡の裏〔うち〕なる狭き宇宙の小さければとて、憂き事の降りかかる十字の街に立ちて、行き交う人に気を配る辛らさはあらず。〔…〕かく観ずればこの女の運命もあながちに嘆くべきにあらぬを、シャロットの女は何に心を躁がして窓の外なる下界を見んとする。
 鏡の長さは五尺に足らぬ。黒鉄の黒きを磨いて本来の白きに帰すマーリンの術になるとか。魔法に名を得し彼のいう。――鏡の表に霧こめて、秋の日の上れども晴れぬ心地なるは不吉の兆なり。曇る鑑の霧を含みて、芙蓉に滴たる音を聴くとき、対える人の身の上に危うき事あり。〔…〕
 〔…〕
 鏡の中なる遠柳の枝が風に靡いて動く間に、忽ち銀の光がさして、熱き埃りを薄く揚げ出す。銀の光りは南より北に向って真一文字にシャロットに近付いてくる。女は小羊を覘う鷲の如くに、影とは知りながら瞬きもせず鏡の裏を見詰る。十丁にして尽きた柳の木立を風の如くに駈け抜けたものを見ると、鍛え上げた鋼の鎧に満身の日光を浴びて、同じ兜の鉢金よりは尺に余る白き毛を、飛び散れとのみさんさんと靡かしている。〔…〕女は息を凝らして眼を据える。
 曲がれる堤に沿うて、馬の首を少し左へ向け直すと、今までは横にのみ見えた姿が、真正面に鏡にむかって進んでくる。太き槍をレストに収めて、左の肩に盾を懸けたり。女は領を延ばして盾に描ける模様を確と見分けようとする体であったが、かの騎士は何の会釈もなくこの鉄鏡を突き破って通り抜ける勢で、いよいよ目の前に近づいた時、女は思わず梭を抛げて、鏡に向って高くランスロットと叫んだ。ランスロットは兜の廂の下より耀く眼を放って、シャロットの高き台を見上げる。爛々たる騎士の眼と、針を束ねたる如き女の鋭どき眼とは鏡の裡にてはたと出合った。この時シャロットの女は再び「サー・ランスロット」と叫んで、忽ち窓の傍に馳け寄って蒼き顔を半ば世の中に突き出す。人と馬とは、高き台の下を、遠きに去る地震の如くに馳け抜ける。
 ぴちりと音がして皓々たる鏡は忽ち真二つに割れる。割れたる面は再びぴちぴちと氷を砕くが如く粉微塵になって室の中に飛ぶ。七巻八巻織りかけたる布帛はふつふつと切れて風なきに鉄片と共に舞い上る。〔…〕「シャロットの女を殺すものはランスロット。ランスロットを殺すものはシャロットの女。わが末期の呪を負うて北の方へ走れ」と女は両手を高く天に挙げて、朽ちたる木の野分を受けたる如く、五色の糸と氷を欺く砕片の乱るる中にどうと仆れる。

〔引用は青空文庫のものを使用させていただきました。ふりがなは原則的に省略、また表示できない漢字はひらがなで置き換えてあります。〕

 ルビがないと読みにくい漢字が多いなあ――っていうか首相の麻生は、「漢字力を巡って民主党と質疑」してるんぢゃねえ! 他にやることがいくらでもあるでしょうが。

 とにかく、ランスロ(ット)の眼力はすさまじかったわけですが、では現代において四角四面の「鏡」を割るのは誰か(あるいは何か)、そういう問題が浮上してくるように思われます。もちろん、タイガースが負けるとテレビを破壊してしまう阪神ファンは除いて。

 大衆の時代の到来を十分に意識しつつ制作された未来主義絵画が特権的主題のひとつとして選んだラグビー、「テストマッチは戦争だ」といわれるのとは少し違った意味においてもまた、そして結局のところ本質的に、ラグビーとは戦争なのではないか――そのようなことを考えつつ、二月から始まるシックス・ネーションズを楽しみに待っています。

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2009年1月 8日 (木)

「パリの未来主義」展(於ポンピドゥ・センター)

 大晦日と元旦は例年のように牡蠣とポルトガルの「緑の葡萄酒」をいただいた。ヴィーニョ・ヴェルデはポルトガル旅行の際に「発見」したものだが、パリでも買うことができる。ポルトガルにもなかなか行くことができないので、思いを、思いだけを馳せつつ、微かな発泡を時折楽しむことにしている。牡蠣は世界的経済危機に便乗してか値上がりしていたが、やはり旨かった。旨かった。

 チーズについては最近は新しい銘柄を探すことはなくなっている。単純に飽きてきたからである。だからだいたいのところ、クロタンかサン=フェリシアンという塩味のきつくない種類か、塩味のきついロックフォールかブルー・デ・コッスを食べるという感じに落ち着いている。
 あるレストランで食べた「ガトー・オ・スムール」を家で再現しようとしたのだが、どうやって固めたらよいか一秒ほど考えて「あ、やっぱ無理」と諦め、蒸してバターと蜂蜜で和えたスムールに干し葡萄などを混ぜてそのままスプーンで喰らうという、何とも名づけようのない菓子をでっちあげてみた。最近はそれがお気に入りだ。スパゲティを胡麻油と焼きそばソースで和えて軽く炒める、名づけて〈イタリア風焼きそば〉と並ぶ「三大発明」なのではないかとひそかに自負している。

         *

 今パリは最高気温が氷点下というまさに「氷の世界」になっていて、出不精のわたくしさえも、暖を求めて図書館や、美術館、映画館に通う毎日である。

 ポンピドゥで「パリの未来主義」展。昔から展覧会へ行くと腰が痛くなる。たぶん姿勢が悪いのだろうけれど、今回も疲れた。展覧会自体はまあよかったのだが、詳しいことはここにはとりあえず書かない。未来派についての研究を細かくフォローしているわけではないので、単なる印象としていえば、ピカビアのキュビスム絵画は何だか変だった。セザンヌ以来のとひとまずいえるだろう「キューブ」の原理を理解していないのか、理解したうえで抵抗しているのか、あるいは単純に習熟の度合いが低く、いわば「理に落ちた」仕上がりとなってしまっているのか、よくわからない。

 興味深い発見は、ラグビーを題材とした絵画があったこと。
 アルベール・グレーズの「フットボール・プレーヤーたち」(Albert Gleizes, Les Joueurs de football, 1912-1913)は現在、米国立美術館(ワシントン・DC)に所蔵されているものだが、カタログの解説にはこうある(訳すのが面倒だから、とりあえず原文だけで勘弁してください)。

Les Joueurs de football sont à cet égard une œuvre d'autant plus importante qu'elle s'empare d'un thème parmi les plus fertiles du moment. En effet, le rugby -- qui porte encore pour nom "foot-ball" -- est alors un sport particulièrement plébiscité par les artistes, comme en témoignent les singuliers Joueurs de football (1908, Solomon R. Guggenheim Museum, New York) du Douanier Rousseau ou la fameuse Équipe de Cardiff... (1912-1913, cat. no 60) que Delaunay expose au même Salon des indépendants de 1913. Aussi la représentation du rugby ne relève-t-elle pas de la pure fantaisie badine mais bien plus du désir stratégique d'investir une imagerie moderne et polulaire, fédératrice et efficace. Présidée par un effort certain de lisibilité, la toile figure plusieurs personnages en mouvement distribués selon différents plans qui, malgré la remarquable décomposition prismatique, sont une concession expresse à la perspective traditionnelle. Vêtus de maillots bariolés, les rugbymen sont nettement individualisés. L'un d'eux, au centre, s'échappe avec le ballon ovale, seul élément désigné par Gleizes pour expliciter le sport représenté. [Colin Lemoine, Notice pour A. Gleizes, Les Joueurs de football (cat. no 59), Le Futurisme à Paris, catalogue d'exposition, Paris : Centre Pompidou/Milan : 5 Continents, 2008, p. 198]

 ロベール・ドローネーはラグビーを題材とした作品を複数残しているが、1913 年の「アンデパンダン展」に揃って出品されたグレーズの上記作品と並んでこの「カーディフのチーム」(Robert Delaunay, L'Équipe de Cardiff (3e représentation), 1912-1913)が今回展示された(この絵画は見たことがあった)。出展されなかった他のタブロー二点ともども絵葉書を購入したので写真に撮ってみる。Delaunay_cardiff_2

 ドローネーはどこでゲームを見たのだろうか。この時期フランス代表はウェールズ代表に負け続けたが、たとえば 1913 年 2 月にはパルク・デ・プランス(パリ)で 8-11(トライ数 2-3)で惜敗している。それともこれはやはり Cardiff R.F.C. のことなのだろうか。

 キュビスム(ただしドローネーはそこから少し区別される)が視点の複数化によって特徴づけられるとすれば、大きなフィールドのここかしこで複数の出来事が同時多発するフットボールやクリケット、野球などが対象となりうることは容易に理解できる。同時に、未来主義的な傾向に沿う形で、運動(mouvement)の表現が追求されていたこととももむろん関連があるだろう。この時代は他に例えば「空の征服」――飛行機に代表される――を課題としてもいたので、ハイパントやラインアウトなど、プレー空間の上方への拡張を特色とするリュグビーは、スポーツのなかでもうってつけのキュビスム的主題となっていたわけである。

 すでにどこかで書いたことだが、フィールドは縦方向にも(dans l'axe)横方向にも(au large)可変的なものである。タッチラインを踏み越えることなく空間の可能性を横に、縦に、そして上方に向かって開発すること、それがあらゆるラグビー・プレーヤーに課せられた使命――勝利は義務ないし課題にすぎない――である。

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2008年7月24日 (木)

コニャック=ジェ美術館

 十八世紀の作品を中心としたマレ地区の美術館。無料の博物館としては近所のカルナヴァレ美術館が有名だが、規模はだいぶ小さいものの、こちらもそれなりに見応えがある。

 「廃墟のロベール」と呼ばれたユベール・ロベールの作品を見に行こうと急に思い立ち、自転車で向かう。楕円の形に縁取られた一対の油絵、「事故」(L'Accident)と「家畜用水飲み桶」(L'Abreuvoir)である。いずれも1804年頃の作品。ディドロに「廃墟の詩学」を「発見」させた画家で、実在の廃墟群がありえない組合せで一枚のタブローに登場させるなど、綺想画に分類できないこともない作品を多く描いた。
 一般に廃墟画を完成させたとされるドイツのC・D・フリードリヒ作品とは対照的に、とにかく人がごちゃごちゃ「無意味」に多く描かれるのが特徴で、ディドロなどはその点を最後まで批判しつづけたけれども、古代・中世の「偉大」な廃墟群と、日々の暮らしに没頭し、廃墟の価値にはまるで無関心の人々との対比こそが、この画家における「崇高なもの」を形作っている(建築の領域における「崇高」を絵画の領域に移し変えればこうなる)と哲学研究者B・サン・ジロンはいっている。たとえば「事故」には、廃墟として残るファサードから墜落中のひとりの男が描かれているけれど、その手には花束が握られている、つまり彼は古美術としての廃墟には関心がなく、たんにそこに生えていた草花を摘んでいる最中に足場が崩れて落ちてしまったというわけである。
 もう一方の「水飲み桶」は自身の墓碑を登場させている。わたくしはそのラテン語の碑銘を確認しに行ったのだが、自分の墓(を含む遺跡)を人々が通り過ぎるという、「廃墟となったルーヴル・グランドギャラリーの想像図」(1796年)同様の、二種類(あるいはそれ以上の)時間の同居する
、眩暈を覚えるような時間性が廃墟画のひとつの特質であり、その点を考察することは、藝術作品の時間性を考える際にいくらか有益であろう――今わたくしが取り組んでいるのはそうした事柄である。

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2008年5月12日 (月)

カサヴェテス

 笠辺哲という漫画家がいる。あまり詳しくないのだが、酔うと漫画を無理矢理押し付けてくる癖のある友人が『短篇マンガ集 バニーズほか』(2005 年)を貸してくれたことがあった。もうずいぶん前のことだ。とても面白く読んだし、評判をとっているらしい『フライングガール』も是非読みたいところだが、まあこれは日の本へ帰ってからになるだろうか。
 ところで、駄洒落の続きというわけでもないけれど、『バニーズほか』を読んだときから気になっていたことがある。笠辺哲って、どう考えても、カサヴェテスだよねえ――と友人には本を返す時に言ったのだが、まるで相手にされなかった。作品自体は、ジョン・カサヴェテスの映画のように暴力があからさまに充満し、時としてそれがほとんど画面から溢れてこちらに迫ってくるような感じではとりあえずないにしても、名前はきっとオマージュの意味でのもじりだろう。誰かがすでにいっているか、あるいはわたくしの友人以外はみな知っていることなのかもしれないが、備忘録として書きとめておく。

〔後日譚 その友人曰く、「知らなかった」のではないとのこと。いずれにしても大した事ではないけれども、いちおう名誉のために補足しておきます。〕

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2007年10月 5日 (金)

アート・リンゼイ「ベイジャ・メ」ビデオクリップ

 ファッション畑で知られるブラジルの写真家マルセロ・クラジルシックが制作した「ベイジャ・メ」のビデオクリップを見ることができた。制作者本人がミュージシャンの諒解を得てアップロードしているように思われるのでたぶん無問題だろうし、すぐに消されることもないだろうと思われるが、備忘録として書き留めておく(http://www.youtube.com/watch?v=mOJ-nxWDs1U)。

 ベイジャ・メとはつまり「私に接吻して」という意味のポルトガル語で、ブラジル音楽のスタンダードをアート・リンゼイがカバーしたもの。アルバム『インヴォーク』の最後を飾る曲である(Arto Lindsay, "Beija-me", Invoke, 2002)。日本盤ではボーナストラック「フォゲーテ・パルティクラ」のカバーが後に続いており、肩の力の抜けたゆるいゆるいゆるい雰囲気を心地よくも増幅している。

 ヒロインがボサノバ・ギターに合わせて――合っているんだか合っていないんだかわからないいい加減な感じに見せつつ深いところでやっぱり(つまりベースラインに)合わせて――踊っているところに左右から交互に、リンゼイ本人も含む男性たちが次々と現れては「接吻」するという前半、ベースとドラムスだけの間奏に合わせて(?)男性たちが妙な舞踏を決めてから、ヒロインと一緒にサッカーボールを手で運ぶ遊戯――え、もしかしてラグビー? ウォークライ?――に興じる中盤、そしてエンディングでリンゼイがヒロインと同じ衣裳でゆらゆらしているところへ、今度は逆にヒロインが登場して接吻するという構成は、深遠な意味などなくそのまま歌の雰囲気を伝えているだけなのだが、とてもよい感じだ。ブラジルはいいなあと、改めて、無責任だがそう思った。ブラジルのラグビーってどんなだろう、是非見てみたいものである。

 細かいことをいうと、前半部・エンディングの秀逸なアイデアは、実はすでにエルヴィス・コステロの「アイ・ワナ・ビー・ラヴド」のクリップで使用されている(『グッバイ・クルエル・ワールド』1984年、クリップはエヴァン・イングリッシュ&ザ・リッチ・キッズ監督)。が、こちらは豪州メルボルンのとあるインスタント証明写真撮影ボックス内でコステロ本人が次々にキスされるという対極的なもの。歌詞に合わせ、チャーミングではあるが同時にややシニカルでほろ苦い感じが強調されている(http://www.photobooth.net/music/musicvideos.php?musicvideoID=7)。ビデオとしての出来栄えも素晴らしいけれど、同じアイデアが全然違った風に活用されているのが何より面白い。そういえばこの曲もカバーであった。

 挨拶のキスにはいまだ慣れないし、日本も採り入れればよいのになどとはまったく思わない。しかしそれが習慣となっている人たちの所作を見るのは素敵な体験である。コミュニケーションの仕方にもいろいろあるのだなと感心する。そういえば、フランスに来て、人々が力を全く込めずに握手するということを発見し軽く驚きました。

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2006年5月24日 (水)

鈴木親 写真集『Shapes of Blooming』届く。

 三年余り前のことだが、Trees are so special という素敵な名前のギャラリーを訪ねて恵比寿に出かけたことがあった。「ghost flowers」とこれまた素敵なタイトルを冠された鈴木親(ちかし)の写真展のためである。
 その直後、あるサイトで
同展のレポートを読み――多少の縁もあって、多数の執筆者を擁すそのサイトは折に触れ訪れていたけれども、展覧会評の著者、松井宏氏がどういう人かは知らなかった――共感を覚えた。簡潔だがひとつひとつ頷けるところがあり、この人は映画だけでなく写真にも相当詳しいのだろうなどと素人のような(いやもちろんわたくしは素人なのだが)感想を抱いたりもしたのだった。試みに一節を引いてみよう。「きっと鈴木は言うだろう、写真というのはゴーストを甦らせるものだと。事物をゴーストに変容させるものだと。〔…〕 ソニックユース「nyc ghosts & flowers」を聴く僕らは、鈴木親の写真を見ながら確実にゴーストへと変容してゆく。映像=言葉ならざるものを映像によって垣間見るのだ」。そう、写真は(映画とはまた別の仕方で)ゴーストを招来し、出来させる。
 ところで、花々が題材にとられたのはおそらく偶然ではない。博物学者のビュフォンだかジョフロワ=サン・チレールだかが指摘していたことを多少表現を換えつつ繰りかえせば、隠された内側を覗き見るために解剖が必要な動物と違い、花は暴かれるべき裏面も内面ももたず、初めから一切をあらわにしているものだからだ。そこには虫や鳥や人によって知覚され感受さるべき匂いや色や形姿があり、そしてそれがすべてである。われわれに見えていないもの、われわれが知覚しえぬものなど、そこには全く存在しない。
 にもかかわらず鈴木親はその花を、しかも栽培種紫陽花という、これ以上ないほど顕示欲にまみれた花をわざわざ闇に置く。「黒く塗れ」ではない。光の、したがって色彩の剥奪としての闇だ。色も形も、辛うじて感知しうるぎりぎりのところまで光を奪われたうえで、フィルムに焼き付けられるのである。元来、「見える/見えぬ」という問題から自由であったはずの――なぜなら一切が見えているのだから――花の存在そのものを顕現させるために。これはいわば花の存在論に正面から取り組んだ恐るべき試みであり、まさにそういうものとして受け取られなければならない。存在が動揺するとき、そこにはゴーストが回帰しているはずだからである。

 その藝術的価値の高低とはあくまで無関係だが、写真というのはオリジナルプリントでも相対的に安価なものではあって、昂奮ゆえか、わたくしはついふらふらとその紫陽花の写真を購入してしまった。やや顔が蒼ざめていたと思うが、まあよい。後日、プリントを受け取りに行く途中でたまたま知人と出会い、帰りがてら食事をしつつ写真を鑑賞することになった。ものがものであるだけに、本当は一片の闇も存在しない場所で見るべきだったのだろうが、ファストフード店のような安っぽいところで眺める気にはどうしてもなれず、なぜか薄暗い店で包みを開けることになってしまった。古典的表現でいえば「闇夜に茄子」も同然の紫陽花のゴーストを、彼女は(失意のうちにであれともかく)「見る」ことができたのだろうか?

 時が移り、わたくしはある海外都市に滞在するようになった。そこで松井氏と出会うことになるとはまったく考えもしなかったし、実をいうと、鈴木親写真集の情報にたまたま(それもだいぶ遅れて)遭遇するその時まで、おのれの共感のことなどすっかり忘れていた。急いで入手したその『Shapes of Blooming』(東京、トゥリーズ・アー・ソー・スペシャル、2005)には全部で 20 点の作品が収められている。コストパフォーマンスがだいぶ悪いように感じてしまうのは、わたくしの吝嗇ゆえのことだろう。だが印刷されてしまえば闇がただの黒色に変容してしまうのは――つまりフィルター使用はありうるにせよ、原則として人があえて色づけせずとも発色してしまうのが、オートクローム以来の「天然色」写真の神秘であるわけで――事実なのである。ともあれ、内容にはおおむね満足していると記しておきたい(エレン・フライスの序文が日英仏三ヶ国語で記されているのも御愛嬌だ)。市川実和子など人物の写真も数点含まれるが、「Ghost flowers」も新たに撮られたものが収められている。ほとんど翳ばかりの写真を見つめる人間というのは傍目にはかなり不気味に映るかもしれない。だがそれでもやはり後に残るのは、賭けてもよいが、fiat umbra というメッセージを慎ましやかに発している鈴木親の作品なのである。

〔追記 Treesaresospecial は現在は代官山に移っています。〕

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