カテゴリー「社会・雑感」の記事

2021年10月24日 (日)

衆議院選挙

 政治の季節がやってまいりました。どの政党に、どの候補者に票を投ずべきか。「勝ち馬に乗る」(ないし「勝ちそうな馬に乗る」)というのは確かにひとつの有効な処世術ではあって、そのようにしてしかし日本人は二十年余りを――最近は三十年などといわれてもゐるが――失ってきたのでした。もういいだろうよ!とは皆さん思わないようで、おそらく自由民主党と公明党による連立与党が過半を制することになるでしょう。

 前回の国政選挙ではわたくしは、N国党といづれがよいか悩んだすゑにれいわ新選組に投票しました。身体障碍者を国会に送るというのは留保なしに正しいこと、必要なこととですし(八代英太とかゐましたねえ)、またその後の立花氏の迷走(と見える)ぶりからしても間違ってはゐなかったと思います。
 とはいえ今回も同様の選択するかどうかはわからない。何しろ近畿で立つ候補者がゐないので。党首の山本太郎はおそらく、大阪維新の会と日本維新の会の區別がついていないのでしょう。例の「都構想住民投票」時にわざわざ大阪に乗り込んで反対意見を表明していましたからね。もちろん両者を一体のものと見做す観点はありえるだろう。しかしながら、一方に投票すれば自動的に他方にも票が投ぜられるという具合になってはゐないわけで、わたくしはここで幾度となく表明してきましたが、日本維新の会は特に支持してはゐないのです。特にいただけないのは、議員数を減らすという提言。それは駄目です。前にも書いたけれど、歳費は半分に減らしても構わぬから定数はもっと増やさないといけません。
 しかしだからといって「立憲なんとか」だの「国民なんとか」だのを支持する気にもなれない。東電社員を叱咤すべく福一に乗り込んだ菅直人や対米政策で逸材ぶりを発揮した鳩山由紀夫を忘れたわけではないけれども、他の連中がなあ。なるほど玉木雄一郎はいいことをいっているのかもしれない。でもこの人は結局のところ元財務省職員だろう。信用できるか? 実際、国民民主党は近畿地方に岸本周平という財務省出身の人間を候補に立てている。退官後の民間人時代に内閣参与として竹 平蔵や小泉純一郎を支えたばかりか、野田佳彦に消費税増税を迫って決断させた中心的人物……。だめだめ。こんな奴がでかい顔をしている政党に投票できるわけがない。

「新しい資本主義」って何ですか。竹 平蔵を擁する「成長戦略会議」を廃したのはよいとして、その新しい方の「実現会議」の成員を見れば何と! さして期待はしてゐなかったもののやはり愕然とする。主要三経済団体の長(うち二人は再任だ)に冨山和彦に翁百合に投資顧問……。澁澤榮一の玄孫という出自はともかく、やってゐることは唯の投資でしょう? 投資を莫迦にしていうのではなく、ただただ「何処が新しいのか」と。(渋沢=クローデル賞を貰い損ねた過去があるのでこういう文句もいうことができます。)いやもう全く、言葉がないよ。というか、岸田は何もわかってないでしょう、何かを変えようと本気で考えているにしても。そしてそんな気はまるでないという可能性も大いにあるしね。

 というようなことをうだうだ考えていて、投票先が決まらない。(未了)

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2018年5月 3日 (木)

憲法記念日

 この春は実に久方ぶりに新しめの音楽作品を入手した。歳を食うと音楽鑑賞に対する熱意が下がるというのはわたくしにも当てはまる現象だったようで、新作はとりあえず買うことにしている贔屓の音楽家もいるにはいるのだが、その人たちもいい加減草臥れてきているのだろうね、熱心に活動しているようには見受けられない――というかそもそも現役なのか怪しまれるところがあるので、近年は CD を購入したりする機会が非常に少なくなっていたわけです。ザ・キンクスさん(レイ&デイヴ・デイヴィスさん)、アルト・リンジーさん、スクリティ・ポリティさん(グリーン・ガートサイドさん)におかれましては如何お過ごしでいらっしゃるのでしょうか。
 そういうわけで今聴いているのはサンダーキャット『酔ってしまって』(Drunk, 2017)とケンドリック・ラマー『蝶からピンはねする』(To Pimp a Butterfly, 2015)。うーん『蝶に春を売らせる仲介をしてその上前を撥ねる』ということなんだが、でも「ピン」が語源通り「一割」を掠め取るという意味なら、音がたまたま似ているからといって to pimp を「ピン撥ね」で受けるのは無理があるかもしれない。DeepL でフランス語に「翻訳」すると "de proxénète un papillon" となる。構文解析の失敗。Google 翻訳によれば「蝶をポン引きします」って(笑)、逆だろ。まあええわ。とにかく〈羽ばたこうとしているものを搾取する〉ということで、その意味では、CD ジャケットに butterfly というより moth に見える生物の写真があしらわれているのも(初見で笑ってしまいましたけどね)意図されたことなのかもしれない。人間が「搾取」する蝶類といえば専ら蚕という蛾なのだから。(ちなみにわたくしは庭の柚子や山椒で誕生した揚羽蝶の幼虫を部屋で育てて成虫を世に送り出すという慈善事業を毎年行なっている。)
 ともかく、どちらのアルバムも楽曲、編曲が大変によく出来ている。名曲の名演というやつ。今年はこの二作、それに買おうか買うまいか迷っているカマシ・ワシントンで過ごせそうな気がするよ。いづれにせよもはや、白人のいわゆるロックを新たに開拓するという選択肢は無い。無い。

 憲法を変えるという話はひとまず将来的な目標ということに落ち着いたのかな。わたくしは個人的には九条改変にはさほど関心がなく、大勢に従うつもりでいる。戦争はむろん無いに越したことはないけれども、世界の何處かで日々戦闘は行なわれているわけだしねえ。ちなみに日本が戦争を仕掛けることが仮にあるとすればその相手はアメリカ合衆国(と敢えていうならロシア)を措いて外にはないはず。そして戦争は、やるからには勝たなくては意味がない。今はまだその時ではないだろう。
(ちなみにいうと、今後核兵器が仮に実戦で使用されるとすれば被弾するのは日本以外にはありえないともわたくしは考えている。唯一の被爆国という事実、そしてそこから立ち上がったという事実は決して軽くはないのである。さらに福島における放射性物質汚染がそこに付け加わるとすれば!)
「九条改変」に反対する似非左翼の「戦争が出来る国にしてはならん」といった類の議論にどうにも苛立ってしまうのは、アメリカの意向に逆らえないという前提がそこに認められるからです。逆らえないがゆゑにアメリカ主導の戦に駆り出されぬよう憲法を護るべしという話ですね。顚倒というのはまさにこういうことをいうのであって、憲法が国内最高法規ではないという現実を改めること、その手始めに他ならぬその憲法に「アメリカには従わないぞ」と書き込むというようなことは端から思考の埒外に置かれているわけです。結局こうした連中も自民党同様、現状に居心地の好さを覚えているんでしょうね。アメリカ従属という現状を前提として様々な問題をのらりくらりとやり過ごすというのは、ひとつの戦術としてはアリとは思うけれど(辺野古への米軍基地移設問題とか)、戦略としては完全に間違っている。現実的な戦略というのは、変革さるべき現実をまさに変革すべく企みを巡らすことです。その第一歩は「日本国憲法は日米安保条約ならびに地位協定より上位である」と憲法に書き込むことを措いて外にはないと思う。改憲ですよ、改憲。もちろん書き込んだだけでは駄目だけど。ああこの文章はダ行がやたら多いなあ。書き込んららけれはらめらけろ。今度はラ行ばかりになってしまった。ええい、日本語は難しいなあ。これでどないだ!「書き込むだけでは全く不十分だけど」。

「全く」で思い出した。ある翻訳書を読んでいて、「……はまったく容易ではない」といういい方が気になった。原文が pas facile du tout / pas du tout facile というような全否定表現であることはそれこそ容易に察せられるけれども、わたくしの語感では「全く……ではない」は時としてむしろ部分否定の表現となる。全く(容易というわけ)ではない、のように。わたくしなら多分「……は容易ではまったくない」などと書くだろう(肝腎なのは〈全くない〉をひとまとめに扱う点である)。まあいいんですけど。

 似非左翼についてもう一言しておくと、前川前文科事務次官を矢鱈もち上げるのも莫迦の証だと思う。文科省高官ということは、日本の教育を(一層)駄目にした張本人か、あるいはそうでなくともその質の低下に対し何も手を打たなかった人物ということだろう。安倍憎し、というのはよい。安倍は糞である。しかし斬る材料が「加計学園問題」(だけ)というのはあまりに情けない話ではないか。獣医学部はもうひとつくらゐ新設してもよかった、とするならば、それが四国、つまり九州や山陰以上に冷遇されてきた地に創設されたことはむしろ僥倖なのでは? 新幹線だの高速道路だの、合理的判断とは別の次元で誘致がなされた例はこれまでにも少なからずあったろうに。何を今更、聖人君子のようなことをいっているんだ。しかも御前さんは公務員の〈職権を濫用した再就職〉に加担していたわけだろう?
 だいたい――段々腹立ちの度合が増して参りましたよ――東大法卒の「高級」官僚といったって、しょせん学部卒だろう? それはつまり大学の半分しか経験していないってことぢゃないか(わたくしは「文I→法」の連中に莫迦にされがちといわれる文卒だけど大学院博士課程まで進学したよ)。なぜそういった連中が大学のあり方を決められるのか。教員たちもチッターやブロッグでこっそり「忙しすぎて云々」などと愚痴を零すのはやめにして、そろそろ正式に抗議すべきではないだろうか。

 わたくしは実は安倍晋三に密かに注目しておりました。注目というのは、「日本をとりもろす」といった世迷言を信じて期待を寄せるということではありませぬ。CIA の狗として誰もが知る人物を祖父にいただく政治家としてアメリカとどのような関係を築くのか――その点にいくらか関心を寄せていたということです。
 で、注目していたのですが、狗の仔はやはり狗ということで最終判断を下すべき時が来たようです。彼の成したことの内、評価できるのは金融緩和(円の流通量を増やすことでドルに対して円安に導くこと)だけですしね。その効果もしかしながら消費税率を引き上げることで少なくない部分を打ち消してしまったわけですから、本当に白痴というほかありませんね、この御仁は。
 それに対し、失策は山ほどあるといって差し支えないでしょう。消費増税もそうですが、最大の罪は、第一次内閣時に明らかとなった、東電福島原発の津波対策の不備を放置したことですね。野党が何故そこを突かないのか理解に苦しみます。パブリックエネミーなるものを認定しうると仮にすれば安倍と東電・勝俣、経産省・松永の三人がダントツでナンバーワンでしょう。一回死ぬだけでは到底贖えぬほどの罪です。それに比べれば「森友・加計問題」など(醜悪ではあれ)何ほどのこともない。

 本題が何だったか見失ってしまったけれどもとりあえず筆を擱く。

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2017年10月21日 (土)

第48回衆議院議員総選挙

(投開票日の前日に識す。)

 電子式投票が採用されたら楽だし若者の投票率も(たぶん劇的に)上昇するだろうにと、いつも思う。しかしそれでは民主主義選挙の原則である投票の匿名性が保障されなくなってしまう。個人認証はログイン時のみで、投ぜられた一票と投じた者の関連付けは記録に残さぬようなプログラム設定はむろん技術的には可能だろうけれどね。

 小池百合子「劇場」を遠目に眺めるともなく眺めていたのですが、どうということもないよくある無定見な政治家だねこれは、でもまあ東京のことだから関係ないやと冷笑していたら、国政進出の暴挙に出たので、さすがに無関係といって済ますわけにもいかなくなってしまった。
 もっとも、大阪の小選挙区には候補者はいないし、候補が立てられたとしてもわたくしは投票しないだろうし、という次第で、特定の政党の公約ではなく、いくつかの争点について個人的な覚書を記すことにする。

 ちなみにいうと、わたくしは大阪の政治に限定すれば維新の会を支持しており、それ以外の政党を支持する連中は――利害関係者は仕方ないけど――莫迦だとさえ思っている。増税に頼るのではなく、無駄を省いて必要な政策を行なおうとしているところを評価しているわけです。
 ただ、ひとつ違うなと思うのは、省かれるその「無駄」の中に議員数が含まれている点で、私見では国会議員、とりわけ衆議院議員はもっと増やすべきだろう。一人当たりの歳費は確かに多すぎるけれども、数人、数十人分を削ったところで、高が知れている。むしろ議員の総人件費は現状のまま、人数を大幅に増やす(ことで一人頭の給費を減ずる)ことが必要なのではないか。現状のように馬鹿ばかりだと議員なぞ要らんと思わないでもないが、英語で law maker と称される意味での議員が足りていないから官僚主導になってしまうわけで。それに、高い給料によって優秀な人材を確保するという理屈は(事務方を含む公務員全般の場合)とっくに破綻していると思う。

・消費税増税の「凍結」
 消費税というのは、低所得者の「富」を企業(厳密には株主)や高所得者に移転する装置であって、「可及的速やかに」廃止されなくてはならない。「凍結」や「延期」はだから生ぬるいといわざるをえないけれど、とりあえずの措置としては支持する(他に維新や立憲民主、共産も同様の立場)。
 自民党、というより安倍はおそらく官僚との駆け引きを行なっているので、政権が維持されれば延期の可能性はある。
 「軽減税率がんばります」みたいな話に巧妙にすり替えている公明党は学会ともども地球上から消えて無くなればいい。

・基礎所得(俗にいうベーシックインカム)導入
 これが実現されることで、役所仕事(したがって公務員人件費)が減る、さらに最低限の生活が保障されることによって(少なくとも仕事上の)ストレスから解放されるという点では賛成したいところだ、が。
 真っ先に財源が問題にされるけれど、それはどうとでもなるはず。成立するように行政の仕組を作り直せばね。
 働く人間がいなくなるといった心配は杞憂に終わるだろう。最低限の衣食住しか保障されないのだから、多くの人はやはり仕事に就くことが見込まれる。
 問題はその仕事の種類で、具体的にいうと、いわゆる汚れ仕事を引き受ける人がいなくなるかもしれないという点。零にはならないとしても、相当な人員不足に陥るはずで、その穴を誰が埋めるかといえばもちろんそれは、基礎所得への権利を有しない外国人労働者だろう(わたくしの理解では、国籍が要件となる)。
 つまり基礎所得という制度は少なくとも日本のような国では、「帝国」化と通じていることになる。うーん、これだと諸手を挙げて賛成するのは難しいなあ。各種経済団体・業界団体が切望しているらしい大規模かつ公的な移民労働者導入との違いがあまりないように見える、ということは結局のところ、「発展途上国」の犠牲の上に成り立つ「先進国」という帝国主義的図式の内面化でしかないように見えるので。単純作業に従事する外国人労働者の管理ならびに彼らの基本的人権の保障がいずれも上手くいっていない現状に鑑みるとこれは、小ぶりな政府による福祉国家という高邁な理想の裏にある非人道的真実なのかもしれない。

・憲法改正
 安倍の主導するような改革案は論外だが、たとえば沖縄を始めとする米軍基地所在地における人権侵害に異を唱える社民党や共産党が「護憲」をいうのもおかしい。そうした人権蹂躙はそもそも、現在の憲法が国内最高法規ではないがゆゑのことなのだから。本当に――というのはつまり「55年体制」を維持したいがための見せかけでなく――駐日米軍による被害を無くしたいのであれば、「日米安全保障条約」(を含む類似の条約・協定)の上に置かれるよう憲法を改正しなくてはならないはず。自国民の基本的人権を守れぬ憲法など何の役に立つのかという話だ。

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2016年6月25日 (土)

憲法改正、あるいは『朝まで生テレビ !』

 あー観なければよかったといつも思う番組(とはいえこれまで数回しか観ていないけれど)。
 理由のひとつ、たぶん最大の理由は司会の田原総一朗その人だろうね。なぜ人の話を遮るのか。「老害」とはいうまい。この御仁は前からそうだった。ひとつには根本的に莫迦だから。もうひとつ、こちらの方がより重要と思うが、莫迦な一般大衆でしかない視聴者にはこの番組での議論は理解できまいと思い込んでいるから。そのような前提に立ち、敢えて初歩的な質問を次から次へと繰り出すことで結局議論の展開を阻害するというのは、番組の、引いては電波の私物化以外の何ものでもない。予備知識のない、すなわち啓蒙される必要のある「一般大衆」がこんな番組を見るわけないだろう。本当に苛々する。早く引退してくれないかな、この糞爺。
 田原氏くらゐの知名度がなければこの種の番組は主宰できないとでもテレビ朝日は考えているのだろうか。この日のパネリストに名を連ねた三浦瑠璃でもたとえば十分に務まるだろうよ。まあ、議論の質がどうしようもなく退屈なので司会を受けることはなさそうだけど。
 もっとも、三浦氏の各種分析にわたくしは十分に説得されたことは実はない。聡明なのはわかるが、その論理展開には何か誤魔化し、といって悪ければ偏向があるような気がする。突き詰めて分析したことはないけれど。
 それにしてもこの人は自身のエロティシズムに気づいているのだろうか。『ケイゾク』というドラマの主人公・柴田純のような無意識過剰な東大生など現実にはほとんど存在せず、東大女子は実際は人一倍自意識が強いもので、当然(というのはつまり見世物としてテレビに出ようかという人ゆゑ)、三浦氏も自分がどう映っているかには気づいているだろう(自意識の制禦を放棄したような東大男子・玉木雄一郎との対比が興味深かった)。エロといってもそれは、鼻が亀頭みたいな形をしているからではなく、衣装の胸元にスリットが入っているからということでもない。まずは言葉とのかかわり方に宿るある種の資質のことである。『マゾッホとサド』(知らない人は是非読んでくださいね!)のジル・ドゥルーズ風にいえばマゾ的な関わり方なのかもしれない(未確定)。
 念のために急いでいっておくと、この女性をどうにかしたいとかいうことでは全くなく、見世物としてのテレビにおける(自己)演出というテーマに沿った注目です。だってテレビにはそれしかないんだから。
 それから、権力とそのエロティシズムのかかわり。三浦氏はこの場では明らかに一種の権威を身にまといながら(つまりだからそういう演出なので)発言している。そ……

 とはいえ、この日のプログラムで一番重要なのは「憲法改正」の部分である。田村憲久は憲法の何たるかを根本的に理解していない、あるいはむしろ理解しようとしない下種野郎だが、この種の連中が自民党には掃いて捨てるほどいる。たとえば第一次安倍内閣で法務大臣を務めた長勢甚遠は「国民主権、基本的人権、平和主義、これをなくさなければ本当の自主憲法ではないんですよ」(2012年創生「日本」東京研修会)と述べたらしい。ありえない。こんなのパブリック・エネミー・ナンバーワンでしょう。東大法学部から旧労働省。こんな奴が法務大臣とはね――と書いたところで時間切れだー。三十分後に日本対スコットランド戦が始まる。

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2016年5月21日 (土)

「電通は日本のメディアを支配しているのか」にかこつけて

 日本放送協会がさる番組においてあるジャーナリストの系譜を調査し、それなりに由緒あるものと思われたので公にしたところ、その系譜の本家から誤りを指摘されたという。テレビに出るというのはすなわち見世物になるということで、要するに何でもありなのだろうし、その「詐称」の事実にはさしたる興味もないけれど、番組内で調査結果を知らされたそのジャーナリスト氏の感想が気に障ったので少し書いておこうと思いました。彼は祖先が関ヶ原の戦いでいわゆる西軍側についていたことを知って、おのれの「反権力」的立場に歴史的(系譜的)根拠が与えられたかのように感心していたからです。
 なぜ似非左翼は揃いも揃って莫迦なのか? 関ヶ原の戦いというのは豊臣秀吉死後の権力をめぐる争いだろう。そして石田三成はそもそも権力の中枢にいたわけで、正統性の主張もむなしく、権力を奪われてしまっただけの話でしょう。当然のことながら、もし西軍が勝っていればジャーナリスト氏の「先祖」も権力の側に立ってそれなりの利益を享受していたはず。翻って現代的な、というかジャーナリズムが旨とするような「反権力」とやらは、むしろ権力から身を引いて批判するというあり方を指すのではなかったか。むろん実情がそうではないということ、それをこのお笑いジャーナリストは精神分析的に――とは要するに無意識のうちに――暴き立てたのだが。
 実際、ある程度の規模のメディアは陰に陽に既成権力(エスタブリッシュメント)の一部を成しているのであって、「反権力」など笑止の至りというほかない。

 一部界隈で話題となっているらしい、在日フランス人ジャーナリストによる論説「電通は日本のメディアを支配しているのか」。わたくしも一応、原文ならびに内田センセの丁寧な翻訳に目を通しましたけれど、特に目新しいところはありませんでした。この程度の記事で今更のように騒ぎ立てるなんて……というような厭味は控えますが、一点、気になるところがありました。
 フランス人ジャーナリストM・ゴレーヌ氏は、メディアと電通の関係の分析を専ら広告収入の有無(ないし多寡)という観点から行なっており、必然的帰結として日本放送協会が権力から相対的に独立しているかのごとく論を展開することになるわけですが、果たしてそうか。受信料の法的根拠をめぐるさまざまな問題は別として、NHKが権力から独立しているとはとても思えない。NHKが享受するはずの独立性を脅かすことになる(とゴレーヌ氏は主張する)籾井の会長就任より前からの話です。

 わたくしがずっと気になっていたのは、NHKのプログラムに出演する芸能人、すなわち俳優やタレント、コメディアンの類が多過ぎはしないか、また年を追うごとに増えてきてはいないかということです。例えば朝の連続テレビ小説に続く「あさイチ」ではジャニーズが司会だし、その後近畿圏では吉本が「ぐるっと関西おひるまえ」で司会を務めている。太平サブローは別段嫌いではないけれど、大阪の民放で飽きるほど目にしている人をわざわざNHKで見たいとは思わないし、ジャニーズを見たければ、「ぷっスマ」とか「鉄腕DASH」とかあるでしょう。まあそういったバラエティ番組はまだよいのです。見ないという選択肢があるから。困るのは真面目なドキュメンタリーの場合で、その種の番組の語りにもタレントを起用する事例が増えている。
 巧い人がやるならまだ許せる。たとえば先日の「羽生名人と人工知能」みたいなプログラム――NHKの文化系ドキュメンタリーは実のところ内容がどれもこれも浅薄で、満足したことは一度もないんだけど!――における林原めぐみはやはり巧かったし、それ以上に彼女の声自体が内容に合致していた。反対に、少し前に観覧した「人の住まなくなった福島で猪が栄える」という趣旨のプログラムにおける伊勢谷友介、あるいは若冲を取り上げたNHKスペシャルの小松菜奈は最悪だった。起用の必然性も全く感じられなかったし、それ以前の問題として、単純に下手すぎるよ。ナレーションが出しゃばってよいような番組ではないでしょう。その意味で新・映像の世紀の山田孝之もあまり感心しなかった。

 それで、個々のタレントの技倆の高低や起用必然性は措いておいて、何がいいたいかというと、かくもタレントが出演するようになったことの意味です。というのは、彼らの出演にはまさしく電通を始めとする広告代理店が噛んでいるわけで、つまりこういうことでしょう。テレビ出演で生計を立てている大多数のタレントの言動は、民放であれNHKであれ、電通の検閲を免れえないと。民放で原発問題に対して口を閉ざすタレントがNHKで反原発キャンペーンを展開するというようなことは、どうしたって不可能なのだから。フランス人ゴレーヌの提示するような「NHK/民放」という区分を芸能プロダクションや広告代理店は超越している(これがグローバリズムと同形である点は強調するまでもないでしょう)わけで、要するに、NHKの番組でも矢張り、間接的にではあれ電通チェックが効いていると見た方がよい。裏返していうなら、増加の一途をたどるタレント起用はNHKのノンポリ化の重要な部分を成しているのである。
 もっとも、NHKが権力批判という点でまともなジャーナリズムを体現していたかといえば、むろんそんなことはない。彼らの高給は権力の狗だからこそのものであって、財務の「自立」にもかかわらず権力の代弁(批判しないという姿勢もまた代弁のひとつのあり方なのだから)に勤しんでいるという批判を躱すべく、タレントを表に立てているともいえるし、またそもそも、そうした財務の「自立」などないともいえるだろう。

      *

 渦中の人、舛添要一。自民党を離れて新党を創設したとき誰もついていかなかったことからして、この人は人望がまるでないんだなー、政治家に向いていないよなー、厚労大臣としても何もできなかったしなー等々とずっと考えてきましたが、案の定、醜聞に塗れてしまっている。都民のことを思うと酒が旨いわけだが、この人は結局学者だろうね。『憲法改正のオモテとウラ』(講談社現代新書、2014)という著書がありまして、憲法についての考えは立派というかまともなんですけどね。あるいはむしろ、他の自民党員がひどすぎるといった方が正確か(ウェブで読める同書関連記事http://gendai.ismedia.jp/articles/print/38416)。高市早苗や片山さつきや西田昌司のような糞野郎共は少なくとも改憲問題に関しては舛添(結局のところ同じような糞野郎だとしても)の爪の垢を煎じて飲むべきでしょう。いずれにしても、2005年発表の「改正憲法草案」に事務局次長としてかかわった経験を綴った同書に示されているのは、舛添の官僚的な意味における有能さであって、政治家のそれではない。今回の醜聞についての釈明会見でも官僚的な論理を弄んでいるよねえ(法律に則っているかぎり何をやってもよいというのは、天賦人権説や法の支配という思想とは相容れない唯の法治主義なのだから)。秘書官なんかが向いているんぢゃないかなと愚考する。
 今次の醜聞に(憲法改正問題で明らかに対立している)安倍晋三が一枚噛んでいるということはありえぬことではないでしょう。でも、たとえば橋下徹は税金を猫糞(ねこばば)したりしないわけでね。ああ、念の為にいい添えておけば、橋下も自民党の2012年改憲草案には反対の立場を明確にしています。

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2015年8月13日 (木)

「すべての色が集まることで生まれる黒は、ダイバーシティを」?

 今最も熱い事案のひとつ、東京オリンピックのために作られたエンブレムの「剽窃」問題に関連して。

 これが剽窃かどうかについて語る言葉をわたくしはもたないけれども、佐野研二郎氏が仮にリエージュ劇場のエンブレムを本当に知らなかったとして、しかし調査不足というか不勉強の謗りは免れがたく(この辺りは学術論文でも同じことだ)、味噌が付いてしまった以上は他のものを改めて選ぶのが妥当ではないかと思う。

 視覚的にいって、非常に辛気臭い感じを与える(要するに気の滅入る)ものが選ばれた点に首を傾げる人は少なくなかろう。ただの印象論だが、まあ何というか、これは喪章だよねと。こういう絵面が恰好よいみたいな感覚はすでに時代遅れだと個人的には思うけれども、それは措くとして、画面構成にどれだけの深遠な思想があるのか調べてみたところ、

世界は、2020年に東京で
ひとつのTEAMになる歓びを体験する。
すべての人がお互いを認め合うことで
ひとつになれることの
その大きな意味を知ることになる。
その和の力の象徴として、このエンブレムは生まれました。
すべての色が集まることで生まれる黒は、ダイバーシティを。
すべてを包む大きな円は、ひとつになったインクルーシブな世界を。
そしてその原動力となるひとりひとりの赤いハートの鼓動。

When the world comes together for Tokyo 2020, we will experience the joy of uniting as one team. By accepting everyone in the world as equals, we will learn the full meaning of coming together as one.
The Tokyo 2020 emblems were created to symbolise the power of this unity.
The black colour of the central column represents diversity, the combination of all colours. The shape of the circle represents an inclusive world in which everyone accepts each other. The red of the circle represents the power of every beating heart.

Lorsque le monde se réunira à Tokyo 2020, nous aurons la joie de ne former qu'une seule équipe. En nous acceptant les uns les autres à travers le monde, nous comprendrons ce que cela signifie vraiment de ne faire qu'un.
Les emblèmes de Tokyo 2020 ont été créés pour symboliser le pouvoir de cette unité.
La couleur noire de la colonne centrale représente la diversité, l'addition de toutes les couleurs. Le cercle représente un monde ouvert à tous où chacun accepte l'autre tel qu'il est. La couleur rouge du cercle représente le pouvoir de tous les cœurs battant à l'unisson.

ということだそうです。気持ち悪いことがいろいろ書いてあるなあ。言葉づかいの水準で厭味をいうと、主語の後に読点を置かずにはいられぬ感性にまず苛立つ。それに「ダイバーシティ」、「インクルーシブ」、「ハート」(「TEAM」は際どいところだけど、T と頭韻を踏むのは英語だけなのにと指摘することは可能だろう)。

 文意もよくわからないな。「ユニティ」と「ダイバーシティ」はどう関係しているのか。「すべての色が集まれば黒になる」というけど、たんに集積するだけではおそらく黒にはならんよ。混ぜて溶け合わせないかぎりは。
 というより、これはもしかして人種的「坩堝」のことをいっているのだろうか。妥当性が何十年も前に否定された理論なのに。完璧ではないにせよ「サラダボウル」や「パッチワーク」、あるいは「モザイク」の方がまだしも現実に近いというのが現在の常識だろう。誰が混ぜ合わせるのか知らないけれど、「坩堝」では目論見とは逆に「ダイバーシティ」とやらが否定されてしまうのではないかな。人種や土地を色に喩えるのもどうかと思うが、それは問わぬことにして、エンブレムの下部を構成している「五輪」、すなわち五つの色は、まさに混合の不可能性をいっているのだろうし、また、それでもなお「手をつなぐことは出来る」と説いているわけだろう。つまりこの意匠は上と下で矛盾をきたしていることになる。デザイナーの意図はだから、矛盾ではなく、「五色 → 黒」という昇華(?)の視覚化・意匠化という点にあったのだろうけれど、一度黒になってしまった各色は分離できず黒のままではないだろうか。ということは結局、「ダイバーシティ」ではなく、「ユニティ」こそが強調されていることになるような気がする。個人的に感ずる気持ち悪さの原因はこの辺りにあるのだろう。
(補足:五輪のうちの黒い輪はアフリカ大陸のことなんですね。その黒と今次のエンブレム上部の黒とは如何なる関係にあるのか。その辺りは突き詰めて考えられては当然いないでしょう。そういう意味では、真剣に検討するのが阿呆らしくなるような意匠ではありますね、そもそもからして。)

 なお、この一文はいわゆる「減法混合」のことをいっているわけだが、それは理屈の上での事柄に過ぎず、現実には真黒になりはしない。ウィキペディアでもこんな風に説明されている。

CMYKはCMYから派生した、減法混合に基づく色の表現法である。理論上ではCMYによって全ての色を表現できるはずであるが、実際にはCMYのインクを混合して綺麗な黒色を表現するのは技術的に困難であり、せいぜい鈍い暗色にしかならない。このため、プリンターなどの印刷機で黒色をより美しく表現する目的としてCMYKが採用されている。また見た目の美しさ以外にも、黒を表現するのに必要なインク量が少なくなるためにCMYの場合と比べてランニングコストが下がる、乾燥が速く高速印刷に向く、といった利点がある。

 鈍い暗色、つまりは鈍色であって、黒ではないということ。屁理屈を捏ねるなといわれそうだが、実際にパレットに絵具を展開して紙や帆布を彩色した経験があれば、こんなことはすぐわかる。理屈を捏ねているのはむしろこのエンブレムの方だろう。閉じられた色彩理論の世界でしか通用しない理屈――いやそうではなく、もやは手や紙を絵具で汚すことのないDTPの世界でのみ通用する理屈。だってこれは要するにイラストレーターに類するソフトの(擬似)パレット上で「黒」をちょちょいのちょいと選択してみただけでしょう? それでは人に感銘を与える意匠にはならんよ。スポーツのフィールド(室内競技も水上競技も含む)とはもはや何の関係もないのだから。
 おそらくこのエンブレムのデザインは、競技場で行われるスポーツとテレビで中継されるスポーツとの混同を戯画的に象徴するものなのである。テレビ観戦に慣れてしまうと、混同とは感じられなくなるけれども、時としてそれが錯覚に過ぎぬことをわれわれは思い知らされる。たとえば今年カナダで開催された女子サッカーW杯決勝における、アメリカチームの先制点。画面の外から矢庭に現われてボールをゴールに蹴り込んだロイド選手は、まさしく画面枠の外が存在すること、あるいはむしろ画面の外にこそフィールドが、世界があることをわれわれに暴力的に思い出させはしなかったか。あのプレーとは異なり、佐野研二郎氏の思想はテレビ画面の外にはまったく届いていないし、そもそも外部なるものがあるなどと微塵も考えてはいないように見受けられる。だから糞なのだとはいわない。他の使い途はあるかもしれないから。でもスポーツには向いていないな。穿った見方をすれば、スポーツの死を宣する喪章、乃至スポーツの死と引き換えに生き長らえようとするメディアの勝利宣言ではあるかもしれないけれど、オリンピックがすべてではないわけだし(来月にはラグビーワールドカップが始まります)。

 もうひとつ理屈をいうならば、「すべての色」とはそもそも何だろう? 色、正確には色の名は無限に存在しうるのだから(われわれは色の名を無限に発明することができる)、あらゆる色を「集める」ことなど、現実には誰にも出来ないはずである。そういった意味でも、本当に浮世離れした、そう、やっぱり、敢えていってしまおう、糞のような思想であると。

 

 それから同時に発表されたパラリンピックのエンブレム

(未了)

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2015年6月20日 (土)

大阪都構想 後日譚

 大阪都構想の(とりあえずの)廃案決定後初となる記者会見で橋下市長が「なにわの芸術応援募金」なる取組に言及している。文化・藝術分野における寄附の促進に寄すると期待される制度である。

次がですね、芸術・文化についての補助金のあり方、最後の総仕上げの所なんですが、なにわの芸術応援募金というものを開始します。

これまで文化行政の補助金の見直しをする度に、文化を破壊するとか、文化に対する理解がないとか言われてきましたけど、最終的にやりたかったことがなんとか仕上がったと、局のほうが頑張ってくれて、いわゆる寄付で文化を支えるという、本来の原理原則の形、これがやっと大阪市からできることになりました。

本当は国全体でやっていかなければいけないんですけど、行政サイドが特定の団体・芸術に対して評価をして、そこに補助金を打つという、そこに戦略性もなく、漫然と前年度の踏襲で毎年毎年決まった形で補助金を出していくというのが、これまでの文化行政の基本だったところをですね、いろんな芸術団体に公平に機会を与えて、しっかり評価をするということを基本にやっていく。

大阪市はアーツカウンシルというものを作っていますけれども、最後は寄付者の評価にゆだねるというのが一番の文化を支える本来の姿だと。もともと文化・芸術を支えるのが市民であってですね、行政が支えるっていうことをやるから、結局、お上に支えられる文化は衰退していくという歴史があるわけですからね。なるべく行政は文化を支えるというのはやらずにですね、国民の皆さんに支えてもらう、それが収益性のある事業になる芸術・文化活動であれば、それは容易にお金を集めることができるんですが、なかなかそうはいかない芸術・文化活動もあると思います。

その場合には国民のみなさん市民のみなさんにですね、税金を役所におさめるのか、その代わりに芸術文化団体にお金をわたすのかという選択を、国民・市民のみなさんに与えて選んでもらうと。

その選択を与えれば、収益性のある芸術文化事業だけしかお金が集まらないという事態は避けられるんではないかと。まあ寄付税制ですね、寄付税制の一番の領域と言いますか、効果を発揮できる領域って言うのが、まさに文化の領域ではないかと思ってます。

既存の制度を使って局と議論をしてて、新しい制度を創設したいと思ったんですが、なかなか今の日本の国の税制はですね、大枠を定めているもんですから、地方で勝手に税制を創設するのが難しいところがありまして。まあ局が知恵をしぼってくれましてね、今のふるさと寄付金を活用した形での文化寄付税制というものをなんとか作ることができました。

まずですね、この募金は大阪市のふるさと寄付金のメニューのひとつでありまして、登録された団体から応援したい団体を選ぶことができます。いただいた寄付金は登録団体の助成金として役立てます。一応ふるさと寄付金のメニューを活用しますが、寄付者の意向を最大限に尊重していくと。

 […]

登録団体は14団体になりました。音楽、演劇、文楽、法楽、落語。ということで、こういう団体が登録されました。大阪市内に主たる事務所を構えているということが前提となっていますので、今回の大阪市の税制ではセンチュリーは入っていません。

センチュリー交響楽団が豊中市なので。だから、同じようなことを大阪市でやってもらえれば、センチュリーの方に行くと。大阪フィルハーモニーとか、関西フィルハーモニーですか。文楽協会も入って、人形浄瑠璃文学座も入っていると。

それから能も入って、落語も入っていると。今回こういう形で、寄付が集まるようにしましたので。固定資産の減税とか、なにか特定団体の方に税金が免除されるようなことは、基本的にはなしにすると。

あとは、それぞれの団体が頑張ってPRしてもらって。おそらく集まってくると思います。税金払うくらいだったら、この団体に寄付したいと思う人、たくさんいると思いますし。

これ、別に大阪市民だけではなくて、全国民が自分の自治体に税金払うくらいだったら、こっちの方に払いたいということができる仕組みになってますので、全国から(寄付が)集まるんじゃないかなって思ってます。

とくに文楽協会はメディアがさんざん、僕の方に補助金出せ出せ出せ出せと。新聞やテレビ、みんな言ってたわけですけど。全社員きちっと文楽協会の方に寄付してもらえれば、大阪市が補助金出す以上のお金がしっかりと集まると思いますから。

関西の民放各社と、新聞社、全社員が文楽協会にきちっと。大阪市に税金納めてくれなくても結構ですので、皆さんが住んでいる自治体に税金を納めるかわりに文楽協会の方に払ってくれればいいんじゃないかと思ってます。

ふるさと寄付金は控除が拡大になりましたので、 […]。

皆さん、10万円ぐらい寄付してください。ここにいる人が10万円寄付したら、それだけで500万円ぐらいなるんで。10万円寄付して、年収700万。たぶん(記者の)皆さん、700万以上絶対あるでしょうからね。7万8500円、これが税金控除と。まぁ、1万2000円、1万1500円くらいは文楽を守るためにはそれぐらいはやってもらわないと。

各新聞社の役員には必ず言っておいてください。テレビ局の役員とか、100万くらい寄付してくれれば、あっと言う間に、団体運営補助の4000万円くらいわっと集まるので。これ、誰からが寄付したことってわかるんでしたっけ? 大阪市のほうに。

職員:名前のほうは公表する予定です。

橋下:名前を公表する予定。これは、来年メディアの社長メンバーが出てなかったらおかしいということが言えますんで。各新聞、テレビが、あれだけ文楽の補助金について言ったんで。社名とか出せないんですか? 調べられないんですか? でも、名前は公表するんですよね。でも、同意があった場合だけですよね?

職員:そうですね。

橋下:それは、メディアのほうが同意しないわけがないでしょうからね。楽しみにしてます。これ、いつ公表するんですか?

職員:取りまとめが11月になっておりますんで、それ以降でまとまり次第ということで。

橋下:僕の任期中に公表しましょう。

(会場笑)

橋下:楽しみです。あれだけ、新聞、テレビ、役員が寄付してくれるか。大阪フィルの方もどんどん寄付してください。大阪フィルと文楽協会。助成金削減した言うて、わんやわんや言われて。能楽とか、演劇も、落語もね。ともかくね、税金払うのか、文化団体に寄付するのか、一回大阪市内の方で調整したいと思ってます。

記者:読売新聞の○○です。なにわの芸術応援募金についてなんですけど、知事時代から芸術分野に対する公金支出のあり方を改革してこられたと思うんですけど、センチュリーなんか知事時代にいろいろあったんですけれども、今回は大阪市内を活動拠点とする団体が対象とのことなんですけれども、知事との間で府市連携の拡充みたいな話は進められているんでしょうか?

橋下:まだ話ししてませんね。ただ、僕らが言わなくても大阪市がこういうことやれば、府のほうで同じようなこと考えてくれれば、やれるはずですから。大阪府でもやってくれればいいと思うんですけれどね。

記者:対象分野とか対象の団体はどういう基準で決まったのですか?

橋下:いろんなものが入ってくると不正もありえるので、いわゆる脱税とかそういうことにもなり得るので、まず一般社団法人は基本的に入れない。公益社団法人か公益財団法人。特定非営利活動法人は審査が必要で、通常のNPOでは駄目。

職員:特定非営利法活動促進法で定められた特定非営利法人のみを対象にするということで。

橋下:一般のNPOじゃなくて、一定の審査が必要な団体で、あとは活動分野を扱う手法でみてもらうという仕組みでやっています。

記者:これまで行政が公金を支出してきたメリットというところでいうと、使途を明確にしてもらうっていうところである種管理できることだと思うのですが、寄付に変わるということで行政の監視が届かないという可能性があるのでは?

橋下:そのほうがいいと思いますよ。寄付なんですから。ただ……運営には使えないんでしたっけ?

職員:運営には使っていただけますが、税金などの使えないものは定めています。

橋下:この場合には税金で補助する場合には団体運営補助は駄目だよといっているんですが、寄付の場合は運営の人件費とかでもいい。税金の支払いとかいくつか駄目なやつが……。

職員:たとえば原価償却費でありますとか、食糧費でありますとか、交際費でありますとか、そういうものには使っていただけないと。逆にいま市長がおっしゃられましたように、今なにか事業をやられる経費や、それに関わる管理費については充当していただいて結構であるとしています。

橋下:だからできるかぎり自由にしていいんじゃないですかね。寄付者が寄付するわけですからね。それで評価というものが入るので、各団体も漫然と活動しても寄付者から評価を受けませんからね。しっかり寄付者の寄付の意志を湧き起こさせるような活動をやってもらいたいと思います。

 文楽協会その他への寄附については既に私見を述べたので繰りかえしませんけれど、政治家が仕事をするというのはまさしくこういうことなのだと、改めて感じました。

 それに引き換え、大阪自民は、「都構想によらずとも改革はできる」とテレビ討論でいった(いうことを余儀なくされた)その舌の根も乾かぬうちに、何をやっているのか――というか、正確には〈何もしない〉をやっている。
 「ヘイトスピーチ規制条例」(参考:大阪市人権施策推進審議会)なんか、さっさと施行しろよ。反対派の(言論の自由をめぐる)危惧はもちろん理解できますが、試験的に、ということは例えば期間を限定するなどしてとりあえずやってみればよいのでは? たぶん色々難点が出てくるでしょうが、そこからの修正や摺り合わせが大事なのではないかと愚考します。
 もっとも、「ヘイトスピーチ」といういい方には個人的には反対というか、例えば「憎悪表現」では駄目なのか等々思うけれど。でもまあ「マイナンバー」の醜悪さよりは大分ましか。醜悪というのは、たとえば「あなたのマイナンバーは?」みたいな文章が罷り通ってしまうということですね。こういう事例に接するたび、わたくしは日本(語)なんか今日明日にでも亡びてしまへと思います、政府広報に起用されたタレントの無意味で貧相な笑顔にもげんなりしつつ。

 それはそうと、都構想廃案以後も、というより決着が(とりあえず)着いたことを承けて、さまざまな論者が考察(チッター等より長めのやつ)を発表しています。
 

 ・藤井建夫「民主主義はそんなに「すばらしい政治体制」なのか?――大阪都構想をめぐる住民投票から考える直接民主制の問題
 ・田中康夫「ONE OSAKA“府市合わせ”構想
 ・上久保誠人「大阪の問題解決はこれからだ都構想反対派も責任を持って対案を示すべき
 ・品田裕「大阪都構想の否決は高齢者のせい? 選挙における世代間対立をどうみるか
 ・内田樹「朝日新聞への寄稿
 ・宇佐美典也「大阪都構想について今更ながら考える

 藤井建夫「民主主義はそんなに「すばらしい政治体制」なのか?

 なぜ今頃「民主主義はベストではなくベター云々」を蒸し返すのかと思ったら、要は橋下が、「大阪市における特別区設置案」廃案決定を承けた記者会見で「民主主義は素晴らしい」みたいなことを述べたのに対する意見なのですね。
 
 まずこの藤井さん(どういう方が全く存じ上げないけれど大学教員ということらしい)に望むのは、文脈を読もう!ということです。つまり橋下は原理的に民主主義の利点を再確認したのではなく、タウンミーティングなどで「納税者を舐めた連中を叩き潰す」と明言したにもかかわらず「命まではとられずに済んだ」、その点を強調しようとしただけでしょう? そのような文脈を踏まえるなら、カール・シュミットの引用は端的にありえない。シュミットに、またシュミットにのみ依拠する根拠・必然性を明示しなければ、読者は「この人はただ単にシュミットを引用してみたかっただけやろ?(気持はわからぬでもないけど)」といいたくなります。

 田中康夫「ONE OSAKA“府市合わせ”構想

 国政におけるわたくしの支持政党は第一に新党日本です(でした)。その点は何度か触れたと思います。今もそのつもりではいるのですが、所属議員が零という状況では意味がありません。したがって、行政改革の必要性(例えばそしてとりわけ政府の外郭団体の整理の必要性)を公約としている維新の党が実質的には唯一の支持政党ということになります。とりあえずのと、急いでつけ加えなくてはいけませんが、というのは本来相容れぬはずの民主党と合併でもしてしまえば、支持する理由はもはや失われてしまうからです。
 そのようなわけで、新党日本を確かに支持してはいたのですが、田中康夫はアメリカとの関係については、具体的にはほとんど発言してきませんでした。たぶんそれは、誰が首相になろうと、あるいはまたどの政党が政権を掌握しようと、その一存では変えられないことが明らかだからでしょう(その意味で鳩山由紀夫は空前絶後の逸材でした)。
 田中康夫のこのたびの寄稿、気持はわかるが、あなたは大阪の事を何も知らないと、申し上げなくてはなりません(確認しておけば、大阪市の人口だけですでに長野県のそれを上回っているわけですから)。

 (未了)

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2015年5月19日 (火)

大阪都構想否決あるいは "no future for you" ?

 日本放送協会がエース武田アナを起用して実況した開票速報は事情によりリアルタイムで見ることができなかった。帰宅後、パソコンを起動し、「反対多数」のニュースに接して少しの間絶句した。それから就寝時刻なので床に入った。ショックで寝込むというようなことは特になかったです。はははっ。

 わたくしにとっては今年前半のメインイベントだったので(年後半にはラグビーW杯が控えている)、自分なりの総括をしておかなくてはならないだろう。

住民投票の結果について。
 ・選挙人名簿登録者数 2,140,786 人

今回初めて知ったのだが、西成区は男女比が 54,320 対 37,209 と、他の区(浪速区を除きすべて女が多い)とは顕著な差で男が上回っている。

 ・当日有権者数 2,104,276 人
 ・投票率 66.83% (男 64.52%、女 68.97%)

女の方が投票率は総じて高く、24 区中 11 区で 70% を越えている。
男女合わせた投票率 70% 超は天王寺・阿倍野・城東区。前二区が反対多数(といってもそれぞれ 2,000 ほどの差だが)だったのは区割が気に入らなかったからと推測される。城東はなぜだろう? 単に「民度」が高いため?
浪速区(賛成多数)は 52.8.% と目立つ形で低い。繁華街・商業地区であって、人口(夜間人口)の少ないことが関係しているかもしれない。同区の生活保護率は 9%
ちなみに西成区(反対多数)では男 55.65% (24区中で最低)に対し女 67.10%、同区の生活保護率は 25%

 
 ・結果=賛成 694,844 反対 705,805

票差 10,961、対「当日有権者数」比で 0.5%、対「投票者数」比で 0.7% の差。
ちなみに西成区では賛成 25,298 に対し反対 28,813(当日有権者数に対して 3.9%)、
賛成多数最大の北区(票差 10,018)に対する反対多数最大の平野区(票差 10,877)。

 民主主義的選挙とは要するに無記名投票であって、賛否それぞれに票を投じた者の年齢や職業は不明である。そこで一般には、マスメディアによる「出口調査」が参照される。これはしかし、どこまで信憑性があるのだろうか?
 ・世代別賛成率(朝日新聞・朝日放送による。NHK による調査もほぼ同様の結果)

20代   61%
30代   65%
40代   59%
50代   54%
60代   52%
70代超  39%

 一見、若い世代の賛成票を高齢者の反対票が上回ったと、すなわち若者の未来を年寄が否定したと思いたくなるような、というか老人がどれだけ多いんや!と感嘆符をつけて叫びたくなるような結果ですけれど、この数値を信頼した場合、昨秋の人口統計を基にした常識的な世代別投票率とはまるで合致しないことを検証した個人サイトがある。実際、有権者総数に占める60代以上の割合は37%に過ぎず、直観的に何かがおかしいと気づかされる。
 同サイトは、整合性に照らして以下の可能性を示唆している。

・可能性1.年代別賛成率の報道が誤りであった
 窓口調査が特定の箇所に偏っていたなどという理由から、この報道が誤報であったという可能性が考えられるでしょう。

・可能性2.世代論へのすり替えが行われた
 投票結果は、区によって大きく異なりましたが、その原因が、その各区の特性に因るところであると報道しづらかったため、世代別投票率でごまかしたという可能性があります。

・可能性3.そもそも開票結果が誤っている
 何らかの意志によって、開票結果が捻じ曲げられたという可能性があります。ツイッターでつぶやかれた方の本旨とは異なりますが、「闇」を若干ながら感じるところでもあります。

 
 こうなってくるとすべては推測になってしまうけれど、世代論による年寄り批判は合理的でないとは少なくともいえるだろう。わたくしとしては、老人が「未来」のことに関心を抱かないのであってみれば、維新の戦略の失敗を詰りたくなるところだが、それも慎まなくてはいけない。事実、反対票を投じた老人は、若者世代の未来のことには少しも興味をもっていないわけだが、それはあくまで世代としての若者に対する無関心ということであって、多くの老人は、自分の子、自分の孫に出来る限りの財産を遺せるよう節約するために税金(たとえば敬老パス)にたかろうとしているのである。道義的には情けない連中だと思うけれど、彼らはおのれの正当な権利を行使しているにすぎず、これ以上のことはいえない。

(自分が享受する「住民サービス」はかつて自身が納めた税金ですべてまかなわれていると考えているとすれば、あまりに阿呆ですよね。そんなものはとうの昔に底をついているというのに。今は大半が借金でまかなわれているのですよ。そしてその借金を返すことになっているのは、あなたの子孫を含む将来の世代なのです。
 後日識す――選挙後のMBS『Voice』街頭インタビューで60-80代の複数名が、反対票を投じた理由として「(都構想では)将来が見通せないから」という趣旨のことを述べていた。コメントは省略。)

 まあ賛成派の20代・30代は本当に気の毒と思うが、彼らが年寄り一般を敵視することがないよう望む。賛成に投票した年寄りもいるわけだからね――というか一般論としての世代論、世代間格差論はほどほどにしなくては真実が見えなくなるのではないだろうか。こうしたことをわたくしは例えば年金受給の世代間格差が世間を賑わわせた際に感じた。なるほど、一般論としては差はある(わたくし自身もおそらくマイナスになると期待される)。しかしそれを強調することで、たとえば国民年金しか受給していない老人と、それに加えて企業年金や共済年金を必要以上に受け取っている老人の格差が見えなくなってしまうだろう。ありえぬ程の額の企業年金を貰っている連中は国民年金受給資格を放棄すればよいのにと思うけれど、そんなことをする老人はいない。なぜなら、蓄財して自分で使い切れなかった分は子孫に相続されることが期待されているからである。つまり世代間格差と同程度にいわば「世帯間格差」なる問題が実は存在しているのであって、今ではわたくしは、世代間の争いを強調する論者はむしろ後者の格差を隠すためにそうしているのではないかと疑い始めてさえいる。

 話が逸れてしまったが、投票は終わってしまったので、云々しても仕方ない。
 投票を棄権した多数の若者の無関心(ないし白紙委任)は残念に思うけれど、彼らが投票していれば結果はどうなったかというような仮定は無益だし。ただ投票権を行使した若者が大阪に失望しすぎぬよう期待するのみである。

     *

 投票前の運動に関連して。

 辻元清美が反対ということは、都構想は正しく、是非とも実現されなくてはならないものということだと思った。

 それから李信恵という在日朝鮮人、また民団や朝鮮総連(ついでにいえば部落解放同盟)も反対の表明をしていた。これも都構想の正しさの表れだと思った。
 (こういう人たちがなぜ口を出すのか疑問に思わないでもないけれど、外国人の利益を代表する政治勢力も存在する(しうる)のだから、それは仕方のないこと。)

 反対の意思を表明した団体等。
 大阪府/市医師会、大阪府/市歯科医師会、大阪府/市薬剤師会、大阪市平野区医師会、障害者(児)を守る全大阪連絡協議会、大阪市をなくすな!障害者連絡会、連合大阪、大阪市地域振興会、商店会総連盟、トラック協会、バス協会、タクシー協会、大阪市職員退職者会、大阪府労働組合連合会、大阪市教職員労働組合、大阪市労働組合連合会(大阪市職員労働組合)、……

     *

 投票後の報道で気づいた点を。

 自民党大阪府連本部での記者会見。おそらく党側の人間であろう司会者が党役員(竹本や柳本)からのコメントを「いただきます」といっていた。これは永田町でも見られるのだが、身内の人間(同じ党の人間)に対する敬語はそろそろやめろ。あるいは丁寧語のつもりで敬語を用いているのかもしれないけれど、それぢゃ唯の莫迦だ。

 それとは逆に、NHK の特別番組では取材記者が、その自民党役員らの発言を(竹本会長が)「申していた」と仰っていた。一回きりではなかったので、たんなるいい間違いではないようである。ずっと「申していた」と仰るものだから、わたくしは録画を見ながらついに噴き出し申し上げてしまったよ。糞竹本に謙譲を強いる豪胆は個人的には買うけど、そこは穏当に「いっていた」でよかったのでは。

 橋下の仇敵である平松や、中野雅至、毎日放送『ちちんぷいぷい』『VOICE』の西靖アナの嬉しそうなこと!
 大阪市における生活保護問題を訴えるべく橋下がどちらだったかの番組に生出演した際、受給しやすさの為に他府県から人がやってくること関して西が「そういうのをやめると大阪的人情がなくなってしまう」という趣旨のことを述べた。妄言である。それに対し、橋下は「それは西さんが費用を出してくれるのならいいんですけどね」と返した。このやり取りを見て、西に肩入れする人間はどうかしている。税金を納めない人間が増えてくる(だから逆に税金を納める人間が減ってゆく)状態にどのように対処するかが問題となっているのに、人情って。
 敢えて俗な次元で物をいうけれど、西はそれ以来ずっと逆恨みをしていたのだと思う。それら番組の偏向「報道」(というかもはや「報道」とは呼べぬていの偏向)はひどかったもの。
 で、そういう人物があと半年で辞任するといっているわけだから、燕雀としては喜ばぬわけにはいかないと、まあそういうことだよね。

     *

 でもやっぱり橋下は偉いなあと思うのは、住民投票の翌月曜に早速、市幹部に「総合区」検討を指示したからである。特別区ならぬ「総合区」とは、それこそ名前だけで内実はまだ何も決まっていないが、都構想への対案を求められた大阪自民や公明が苦し紛れに口に出したものだ。そもそも、都構想なしでも改革は出来ると討論の場で公言させられたわけでもあるし(これだけを見ても、都構想は目的ではなく手段ということ、そして橋下の頭のよさがわかる)。
 たぶん、世間一般の漠然とした考えでは、任期満了までの橋下執行部はいわゆるレームダックであり、市政はいわば宙吊りの空白状態にあって、自民・公明・民主・共産はそれぞれ次期市長候補の選定に勤しむということだったのではないだろうか。本当に柳本や平松ら(立候補するかもしれない)がそう考えていたとすれば、彼らには候補として立つ資格はない。少子高齢化対策を急がなくては大阪に未来はないというのが、投票結果如何にかかわらぬ共通認識なのだから。橋下の討論は、「すぐに対案を要求する」といって批判されもしたが、対案が求められるのは問題がまさに急を要するからである。
 西クンのように「Rise and Fall of 橋下徹」とか劇場化して溜飲を下げている場合ではないし、石川クンのように「民主主義」の勝利とか妄言に酔いはしゃいでいる場合でもないのである。石川センセとか内田センセは民主主義がどういうものか本当にわかってんのかな。

(未了)

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2015年4月30日 (木)

統一地方選挙 後半戦

 住友クン石川クン、それにもちろん内田クンはなんでそんなに必死なの?

 石川康宏センセ曰く、

「大阪の3市長選、維新系が全敗 都構想に打撃」。「吹田、八尾、寝屋川の3市長選は26日、大阪維新推薦候補がいずれも落選した。大阪市を廃止し五つの特別区を新設する『大阪都構想』の住民投票を控え、打撃となった」。まずはよかったですね。 〔125リツイート 43お気に入り〕

 大阪維新推薦候補が落選する一方で、それぞれの市議会銀選挙では維新公認候補が上位当選したのは何故かを分析するのが学者の仕事と思うのだが、東京新聞の記事を引用して「まずはよかった」って! つまりこの囀りは学問的なものでは全くなく、ただの政治的人間のそれということですね、肩書で権威づけられているように見えるけれど。
「北の海のサカナと吉本新喜劇を愛する北海道生まれの西宮人」とのことで、そもそもどういう資格で大阪の話に嘴をさしはさんできているかわからないのですが、内田樹と仲の良い経済学者。この人は、全世界で起こっている経済の金融化(その結果として例えば、日経株価が上昇しているかぎり安倍政権はビクともしない)になぜ抵抗しなくてはいけないかとかいった事柄をきちん理論的に説明できるのかな。わたくしに対して説明してくださる必要はないのですが(わたくしは理解しているので)、わかっているのなら民主党の岡田や枝野に講釈してやればどうでしょう。

 同じ神戸女学院の内田センセはこんなことを書かれている。

AERAの原稿だん。大阪市廃止構想について書きました。全国で政令指定都市は20。大阪は京都神戸名古屋横浜とともに1947年「五大都市」に選ばれ、府県からの行政権を委譲されました。その自治の特権を自分から「要らない」と言い出した都市は日本にはありません。たぶん、世界にもない。 〔353リツイート 137お気に入り〕

 まずは兵庫県民が口を出すなと、あるいは大阪市議会・市役所が過去にしでかしてきたことを精査してから出直して来いと、繰り返しておきます。(参考URL:http://blogos.com/article/108019/
 いつものように良い事をいっているなと刹那は思うけど、少し考えればやはり、いつものように詐欺的話法だな。特別区に編成し直される=自治権・「行政権」を放棄するではないでしょう。そんなことをいうなら東京都下の特別区はどうなる? 確かに、自治のある部分は手放すことにはなる。大規模な開発、より具体的には、現在の市域を越え出るような事業、地下鉄や道路、また市外の人間も利用するだろう施設の建設・管理・運営は原則できなくなるわけですが、そのような事態を指して「自治の権限は要りません」と、あたかも自治権のすべてを放棄するかのごとく書くのは事実誤認かもしくは、ためにする誤魔化しでしょう。

 先の石川クン、また次に言及する住友クンもそうだけど、民主主義に対して大きな誤解があるように思うなあ。大阪市のことばかり考えとったらあかんと、府民から――あるいは大阪市民も府民であることからすると、市民自身の府民的部分から――制裁を受け、広域行政の権限を取り上げられようとしているわけですが、そういった(まさしく政治的な)争いがない世界こそ民主的だとか、先生方におかれましては、もしかしてお考えなのでしょうか。利害の衝突はどうしたって起こるもので、問題はだから、如何にして調整するかという点ですよね。数年かけてようやく住民投票にまで漕ぎ着けたこの過程はまさに民主主義的なものだったと、またしたがって、たとえ否決されたとしても、この投票自体が民主主義のひとつの達成(ないし実践)というべきものだとわたくしは考えています(もちろん否決されたら予告通りショックで寝込みますけど)。

 石川センセが沖縄沖縄いっているから、ついでに一言しておくと、沖縄ではまた別の調整方法が採られている。際限のない、とはいわぬまでも、できるかぎり長い引き延ばしですよね。最善ではないとしても、現状では他に方策はないわけです。これも立派な民主主義の実践だと思う。沖縄の場合は巨額の振興予算によってそれが可能となっているのに対し、大阪のためにそのような予算はつかない。だから別のやり方が必要なのです。
 つまり石川クンは、大阪の問題と沖縄の問題を同列に扱う、というか同一平面(チッターのことですよ)で扱うことで両者を隠微に繋げ、それで自らのお話に説得力をもたせようとしているのですが、それら問題は構造的に同じではなく、そもそも(先生が理解しうる水準では)つながってはいないのです。この人、本当に大学の先生なのかな?

 府立大の歴史学者、民主主義研究が御専門であるらしい住友陽文センセもひどいなあ。

民主主義の社会だからこそ意見の違いはあり、それで対立もある。両者の調和は相互の妥協(政治の積み重ね)に依存する。しかし、それを忌避して制度で対立を解消するというのは、これは民主主義ではなく、専制主義だ。民主的社会が大人どうしの社会なら、専制主義は大人と子供の社会だ。  〔15リツイート 3お気に入り〕

ある自治体と別の自治体が対立するのはごく自然なこと。大阪府と大阪市の場合も同様。それを制度によって対立しないようにするというのは、大阪府に大阪市が逆らえないようにするということだ。だからこそ大阪府に制度的に逆らえない特別区を設置するのだ。この点、大阪市民は知っておくべきだ。   〔28リツイート 4お気に入り〕

いずれの囀りも、まさに仰る通り――いやむしろごく当たり前の事柄なので、「だ、だ、だ」と偉そうに強調するほどのこともない。というか、大阪市民(の一部分)がそのように働きかけているという認識になぜ至らないのだろう……ああそうか、この先生は、主権者は住民であって、とりあえずの代表である議員・議会の主張が気に入らなければ引っくり返せるという、民主主義のルソー的原理を忘れているのか(数年前に平松氏が落選した選挙を例えば思い出さなくてはいけません)。理解して賛同している大阪市民も少なからず存在するだろうに、市民全員が騙されているみたいな話になってますよね。大阪愚民説……。
 それから、大阪市が政令指定都市になる際、住友クンがいうようなやり方で決定されたのでしょうか。調べてみなければわかりませんが、1947年といえば、敗戦から二年弱。そこに十分な「政治の積み重ね」があったとは思えない。
 いろいろひどいや。他の囀りみても、基礎自治体と広域自治体の区別がついていない(か、敢えてつけていないかの)ようだし、一般人に反論されてブロックするし。

komoro‏@induindex·21 時間
大阪での対立が酷すぎて、市民に悪影響が出てしまったからでしょう。市議会がちゃんと機能していればそもそも都構想なんて出てきてませんよ。歴史的な経緯をすっ飛ばして制度批判するのは感心しないですね。  〔6リツイート 14お気に入り〕
@akisumitomo: ある自治体と別の自治体が対立するのはごく自然なこと。

komoro‏@induindex·12 時間前
@akisumitomo ブロックされてしまいました。。

Betteroff‏@Betteroff2525·11 時間前
@akisumitomo まず対立しない構造と逆らえない構造は性質が違うという事は理解してるよな?

 住友クンは他にも

大阪市という復元不可能な巨大なシステムを閉じようとしている。立ち止まって熟考するための選択を。~主張「私たちは大阪市解体に反対します」HPのtweetボタンで拡散を! http://sadlosaka.wix.com/sadlosaka#!our-point/cvet … #SAVEOSAKA517 @SADL_OSAKAさんから 〔15リツイート 3お気に入り〕

こんなことを仰っているんですが、「巨大なシステム」というのは例えば、大阪市交通局の「敬老パス」のことを考えてみたらいい。
 報道によると、

大阪の無料敬老パス 市営バスに800億円不必要交付金の計算 2012.04.16 16:02

 財政破綻寸前の大阪市で、橋下徹・市長が70歳以上はタダで乗り放題の市営地下鉄・バスの「敬老パス有料化」に踏み込んだ。当然のごとく、銭カネの話にはことのほかシビアな大阪市民からは反発が起きている。

 大阪の敬老パスは、お年寄りが“タダ乗り”すればするほど交通局が儲かる仕組みになっている。敬老パスは福祉事業として実施されているため、市の一般会計の福祉関連予算が組まれる。それが、市交通局の地下鉄とバスの事業会計に分配される仕組みだ。

 橋下氏が高齢者を敵に回してまで見直しに踏み込んだのは、高齢者福祉という謳い文句を隠れ蓑に、交付金を“掴みガネ”として懐に入れてきた市交通局を“解体”する狙いがある。

 パス導入当時の1973年に約2億5000万円だった交付金は、高齢者の増加とともに増え続け、今では毎年約80億円が投入されている。

 制度導入当初は「1人当たりの年間推定乗車回数を算出して、発行枚数をかける」(市交通局経理課)という、実際の利用状況とは関係ないドンブリ勘定で弾き出されてきた。

 大阪維新の会の美延映夫・幹事長の指摘。

「交通局は高齢者のためといいながら、実は赤字続きのバス事業を補填するために敬老パスの交付金を利用してきた。それが赤字にもかかわらず、かつては1000万円を超えるバス運転手の給料を肩代わりするような結果を生んできた」

 制度導入時から、市交通局はなぜか「高齢者はバスしか使わない」という利用予測をもとに、交付金をバスに9割、地下鉄に1割の割合で配分してきた。制度発足から2007年度までの36年間の交付金の合計は1472億円。このうち、1335億円がバス事業に繰り入れられている。

 ところが、2008年のICカード導入後の利用実績によると、地下鉄65%、バス35%という結果になった。この利用実績に合わせて交付金の配分を見直すと、ざっと800億円が不必要にバス事業に注ぎ込まれてきた計算になる。

 2008年度からは、前年のパス利用実績に応じた額を交付金として支出するようになったが、それでも今も敬老パスはバス事業の赤字補填の役割を果たしている。

 市交通局の2010年度決算では、地下鉄が239億円の黒字の一方、バスは15億円の赤字だが、会計書を紐解くと、黒字の地下鉄から30億円を繰り入れている。つまり、実際のバス事業は45億円の赤字といえる。

 公営企業は独立採算が原則だが、交通局はこう話す。

「地下鉄・バスは一体経営。地下鉄駅に乗客を運ぶために維持している赤字路線もあり、その責任を地下鉄にもとってもらう観点から繰り入れを行なっています」

 こうした収入の“付け替え”の理由は、バカ高い市バス運転手の給料を支払うためというほかない。現在も民間バスより約200万円高い平均739万円。橋下氏は3月、給料40%カットを打ち出した。  ※週刊ポスト2012年4月27日号

福祉名目の予算の付け替えというシステム。考案した奴は確かに頭がいい、というか、頭=てっぺん=ペテンがいい、という意味でのペテン師だろう。燃料費や適正な人件費などバス運用に本当に必要な経費の赤字の補填として流用されているなら問題はないのですが、システム全体として見ればこれはどうみたって、不必要に高い給与(バス運転手は特殊技能だと思うし、それなりの額は貰ってよいと思うけれど、民間との比較では高すぎると見なされる)を支払うための仕組でしょう。
 こんなシステム、要らんやろ? 復元せんでええわ。
 職員給与の引き下げと敬老パス有料化は「システム」として一体のものであり、この連関が適正化された結果、福祉予算が減った、あるいは本当の意味における福祉事業に充てることが可能になったとすればこれは、とりあえずは善といえるのではないでしょうか。
 この種のシステムを壊すという意味での改革であるかぎり、大阪都構想は善であるとわたくしは考えている。

 こうした仕組はおそらく無数に存在している(大阪以外でもね)。財政難ゆゑのサービス切り下げという話がもち上がったら、住民はまずその切り下げが職員厚遇の維持とトレードオフではないのかと、疑った方がよい。
 住友クンの囀りは一見何やらかっこいい事をいっているようだが、実のところ全く無意味であって、悪いシステムはやはり「復元不可能」なやり方で改めるべきだと思う。

(未了)

 

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2015年4月11日 (土)

さよなら! 民主……

 「あなたがたはね、だからこれね、わたし取材ね、事務所を通じてしか受けませんから。取材拒否ですから映さないでください」

 維新の党所属衆議院議員上西小百合の妄言。

 たしかに、遥洋子氏がいうように(関西テレビ『胸いっぱいサミット』4月4日)、この件は女性議員だから特段の注目を集めたという側面もあるけれど、何より維新の党/大阪維新の会所属議員だからこそ、報道陣はいきり立ったことも見逃せまい。いま日本で醜聞が最も望まれているのは、安倍晋三と維新の党(大阪維新の会)なのだろうから。いずれにせよ、性別とは無関係に、国会議員の職務放棄は、民主主義の観点からして当然、糾弾されなくてはならないでしょう。

 上西は小渕ドリル優子や高市早苗ともども是非是非 shine して欲しい death ね!

      *

 統一地方選挙前半戦においてまず特筆すべきは、大阪で民主党所属候補がほぼ全員落選したことだろう。とにかく爽快で目出度い。自民党や共産党と同じことを主張しているのでは存在意義などありえないのだから。さよなら!

 もちろん、民主党なる政党がなくなったからといって、日本から民主主義がなくなるということではない――はずなのだが、強くそう打ち出すことができないのは、つまり「はず」とつけ加えぬわけにいかないのは、日本にはそもそも民主主義が存在しているのかよくわからないからです。
 もし民主主義が日本に(まだ)根付いていないのだとすれば、その責任は行政の側にではなく、住民の側にある。東京や愛知、神奈川の一部の先進的地区を除けば、日本人は(いまだ)「お客さん」状態なのではないだろうか。
 大阪では類を見ないほど大規模な行政制度の改変が企図されており、その分だけわかりやすくなっているけれど、住民投票まで一月を切ったこの時点でもまだ(市側の)「説明不足」というような意見が聞かれる。あるいはマスメディアはそう報じている。この段階で「よくわからない」だの「説明が不十分」だのという連中は主権者という自覚がないわけで、選挙権が剝奪されればよいのにと思う。

 もっとも、推進側の説明も(訳あって)正確ではないので、維新のタウンミーティング(こういったものが毎週末開催されていたことだけでも日本国民は驚いて欲しい)や市役所主催の説明会に出向いてもよくわからないというのは、ありえぬことではない。
 この改革は、大阪府内の金の配分を改めるということ、より詳しくいえば、大阪市の人口が府全体のそれの七割を占めていた時代の仕組が、三割まで低下した今日でも維持されていることが発端となっている。都構想反対派は「大阪市の金が奪われる」みたいな扇情的ないい方をするけれど、その金(の単純計算では半分強)はもはや大阪市のものではない(参考URL:https://twitter.com/ysk_0718/status/590395623053987841)。加えて、大阪市は随分と出鱈目な金の遣い方をしてきたのだから(参考URL:https://twitter.com/jinasan/status/590661716205273088)、大きな事業に手を染める権限を奪いますよということ。その事実を認めて配分の仕組を現状に合わせるかどうか、が争点というわけなので、どうしても血腥い話にはなりますよね。
(前にも書いたと思うけど、大阪市の現在の税収は、大阪市民の支払う税金の総額を大きく超えるもので、実際には市民以外の人間が大阪市域で働いたり、買い物したりした分も相当の割合を占めている。府外の人が「落とした」分については、今のところ、如何ともし難いですよね。人が集まる処という意味での「都」は一定数に限られてくるのですから。大阪都市圏が大阪市はいうに及ばず大阪府さえ超えている点は、いわゆる「関西州」という枠組によっていくらかは是正されるでしょう。)
 都構想が成立したところで、大阪に薔薇色の未来が拓かれるわけではありません。金の配分がいくらかは是正されるとしても、本当に必要なところにその必要度に応じてというわけにはなかなか参りはしないでしょう。民主主義とはある意味で金の奪い合いなのですから。ただ、住民の民度や知性に応じる形で愚かな行政がふたつ(大阪府と大阪市)あるよりは、ひとつ(大阪府=都)の方がまだましという、そういう選択なんですよ(大阪府だって金の遣い方は市と大して変りはしなかった)。それでもなお、実現されれば劃期的な改革ではあるのですが。大阪人にとり、そしてまた民主主義にとって。

 AY市議会議員のとっちゃん坊やみたいな顔、というか、とってつけたような顔。これほどまでに「とってつけた」感を見せつける貌、わたくしはこれまで目にしたことがありません。長時間の直視に堪えないことと関係があるのかどうか、でもやはり一種の見ものではある。
 とにかく大阪自民はさほど遠くない過去に「都構想」を主張していたのだから、いま反対なのはあまり説得力がない。

 参考URL:https://twitter.com/friedmaple/status/511416141999136768

     *

 改革(善きにつけ悪しきにつけ)に対する昨今のさまざまな反応を見て感ずるのは、日本が金持ちだといまだ前提されているということである。軽く眩暈を覚えさえする。大学制度改革についてであれば、まず下村のような下種野郎(以前には町村のような下種野郎もゐました)、また学部教育しか受けていない、ということは大学の半分しか知らないような役人のいいなりとなっている大学人たちに情けなさを感じぬわけにはいかないのですが、それは措くとして、国家予算の多くの部分が借金によって賄われている点に無自覚な人が多すぎはしないだろうか。給料は今の半分でいいので事務作業から解放してくれ!と訴える教員がそろそろ現われてもよさそうに思うが。
 公共団体のいわゆる「住民サービス」も然り。金がなければ過剰な「サービス」が行なわれなくなるのは理の当然と思われるのだが、それが例えば大阪都構想の欠陥として喧伝されるのは、議論としておかしいし、結局のところ住民が「お客」意識をもっている証左だろう。
 たとえば、手前味噌になるけれども、自前でスポーツクラブに通って健康維持に努めている愚母などは、さしたる症状もないのに、「一割負担」だからといって病院に日参する糞爺・糞婆を軽蔑しております。政府に頼りすぎないという一点に関しては母は正しいといわざるをえません。おのれの負担は「一割」でいいとして、残りの「九割」を誰が負担していると思っているのか。またその金がいつまでも続くとお思いか。

     *

 大阪の行政改革(いわゆる「都構想」)と並んで現在、日本の民主主義の大きな危機を象徴するのは、沖縄・辺野古への米軍基地移転ですよね。
 辺野古への移設については、わたくしは明確に反対の立場である――ただ、そのように立場を明確にしただけでは実のところ何もいったことにはならないわけで、そこに加えて、普天間基地周辺の民間人住居・施設を強制的に移転させるとともに、中共政府に対して、これ以上の軍拡、いま以上の「右傾化」を慎むよう警告するという具体案を提起しておこう。
 中国共産党が何もしなければ極東は現状維持で済むわけなのであって、面倒事の根源はまずは中国の帝国主義的膨張主義にあることを指摘したい。それが仮に一切ないとすれば、理屈からいって、米軍が日本に駐留する必要はないのだから(辺境警備のために自衛隊の基地はいずれ存続するだろうし、在日米軍のもうひとつの目的、すなわち日本の監視という目的からして駐留自体が零になることはありえないのだが)。

 翁長知事はなるほど辺野古への移設に反対してはいる。とはいうものの、例えば隣接する浦添の松本市長によるなら、知事は、城間那覇市長らと共に、那覇軍港の浦添への移設の推進派だという。

 なぜ協議に応じないのか? (松本哲治「百花繚乱日記」ブログ、3月25日)

語られている内容から判断するかぎり、問われているのは「沖縄対浦添」という構造であり、とするなら翁長知事は、日本政府に対しては「日本対沖縄」という対立構造を持ち出して弱者の立場を標榜しながら同時に、浦添市に対しては同形の構図の強者として振る舞っていることにもなろう。日本(政府)が沖縄の権利を十分に認めていないというのが確かであるとして(確かだと思うが)、しかし沖縄県もまた同様のやり方で、浦添市の権利を十分に認めてはいないということだ。こういう人物を信頼するのは難しいね。

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