カテゴリー「サッカー」の記事

2008年6月25日 (水)

ユーロ 準々決勝

 ユーロの準々決勝が終わり、準決勝出場チームが決まった(左側が各グループ一位、放送は順に TF1・ M6、いずれも 20 時 45 分より。ちなみに、これまでと同様 TF1 にはヴェンゲルがゲストとして招かれ、M6 ではルブフが解説を行なう見込みである)。

ドイツ  対 トルコ
ロシア 対 スペイン

 四試合それぞれ異なる趣のゲームで楽しむことが出来た。秘かに予想したとおり(!)、トルコとロシアが勝ち上がっている。主力を半分くらい欠くトルコはさすがに「ミラクル」もここまで、という感じだが、一方のロシア対スペインの再戦は非常に興味深い。

 この種の大会には、見たい対戦がすべて実現しはしないという不満がつきまとう。昨年のラグビー W 杯でいうと「オールブラックス対プーマス」や「フィジー(覚醒後)対フランス」が例えばそうだった。今年のユーロでは、「オランダ対スペイン」、あるいは「ロシア対イタリア」がそうした顔合わせに相当するのではないだろうか。
 とりわけ後者は、二重の意味において望まれる対戦といわなければならない。まずはロシアの攻撃力が、守備をガチガチに固め たイタリアにどれくらい通用するか見てみたいという、二チーム間の力関係に対する関心。だが同時に、オランダ、つまりイタリアに3-0 で勝ったオランダと、ロシアとの力関係を推測したいということもある。
 むろん、諸条件が異なる以上(イタリアは対オランダと対スペインで全く異なる戦い方をした)、正確な比較は不可能であるけれども、このままでは〈イタリアに 3-0 で勝つ〉ということの意味が判然としない。要するに、オランダ・ロシア戦の結果は衝撃を与えたが、オランダは実はそれほど強くなかったのではないかと、漠然とだがわたくしは感じている。
 再びラグビーを例にとると、弱小チームに 91-3 で大勝したワラビーズが準々決勝でイングランドに 12-15 で敗れる、あるいは同じ弱小チームを 145-17 のスコアで叩き潰すなど、いつも優勝候補の筆頭に挙げられるオールブラックスが、いいところなくスプリングボクスやフランスに敗れ去ってしまうのと似ているのではないだろうか。

 ロシアの勝ち上がりが手放しで称賛されぬとすれば、それはひとえに監督のせいだろう。一定の成績を常に残しながらも、ヒディンクのチームづくりには、どこか作為的なところが確かにある。三度ラグビーに喩えるならば、春口氏率いる関東学院のように〈やらされてる感〉が強く出ており、そのために人間的な共感を得にくくなっているわけだ。半分くらいは同意してもよい。だが、このロシア・チームが一戦ごとに成長している点は――エースのアルシャフィンが復帰したことが大きいとはいえ――忘れてはならないだろう。
 オランダ戦についていうなら、ロシアは最初からきついプレスをかけ続けたけれども、それはプレスのためのプレスではなく(したがってただゲームを殺し、相手の得意な部分をただ潰すためだけの戦術ではなく)、すぐさま攻撃に転ずるのに不可欠な過程の一環ではなかったか。そしてその攻撃とは、実のところ
オランダのやりたかっ(たが出来なかっ)た攻撃そのものだと思われる。それをロシアが見事にやってのけた、その点でわたくしはこのマッチを肯定的にとらえたい。
 
例えばウェールズ(ラグビー)は、持ち味であるバックス展開を可能にするために、新コーチのもと、FW の強化にとりかかった。具体的には、とりわけブレークダウンでのボール争奪を重視し、器用でパスや・ランにも秀でたマイケル・オーウェンより、ライアン・ジョーンズとジョナサン・トマスを選んだわけだ。フットボールは結局のところプロレスとは違うのだから、互いに(スペースを)譲り合って技を披露し合うというような幸福な展開にはどうしたってなりえない。自分の得意な展開にもち込むために何が必要か――誰が相手でも同じことしかできなかったオレンジ軍団には、その点についての準備が欠けていたことになるのではないだろうか。
 われわれは、ヒディンクがオランダ人だということをしばしば忘れがちである。この試合は実は「オランダ対オランダ」という、夢のような、また漫画のようなゲームとなる可能性もあったのだ。それを潰えさせた責任は――まあそんなものを野暮を承知で敢えて問うとすればの話だが――ロシアではなく、オランダの側にある。

 そういうわけで、次の対スペイン戦がどのようなゲームになるか、とても楽しみにしている。ロシア側に唯一注文をつけるとすれば、ヒディンク氏のあの意味のわからないガッツポーズをどうにかして欲しいと、それくらいである。

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2008年6月18日 (水)

ユーロ グループステージ

 ユーロのグループステージが終わり、準々決勝出場チームが決まった(左側が各グループ一位、放送は前 2 試合が TF1、後 2 試合が M6、いずれも 20 時 45 分より)。

ポルトガル 対 ドイツ
クロアチア 対 トルコ
オランダ  対 ロシア
スペイン  対 イタリア

 面白かったマッチ(全試合を見たわけではない)は、オランダ対イタリア/フランス、クロアチア対ドイツ、スペイン対チェコ、トルコ対チェコ、ロシア対スウェーデン。
 印象に残ったチームはオランダ、スペイン、クロアチア、ロシア。

 ロシアは、対スペイン戦の様子はわからないものの、対スウェーデン戦を見るかぎりでは好チームだった。
 ラグビー的ともいえるかもしれない〈敵陣でプレーすること〉の重要性を
認識したかのような戦い方。また、スペースを見つける(守備時にはスペースを埋める)のがうまい、少なくともスウェーデンよりはずっと速かった。したがって、パス交換が、単にボールをキープするためだけ、つまりは交換するためだけのパスにならず、攻撃の有効な組立てにつながっていた。仕留めの段階で若さが出たために、数回ゴールを決め損なったのが惜しまれるが、すべて決まっていたら 4-0 ないし 5-0 となっていたかもしれない。いずれにせよ完勝である。
 ただし、相手があまり動かないスウェーデンだったからこそ、スペース活用で先んじることが出来たのだともいえる。たとえばオランダやスペインのようなチームとの対戦では、単に空隙を見つけるだけではなく、スペースを文字通り創造する必要があるだろう。まあそれが出来なかったからこそ、スペインに敗れたということになるのだろうが、このチームは非常に若く、成長がまだ見込めるように思う。ヒディンクがずっとコーチを務めるのなら、次の W 杯が
楽しみである。

 トルコの対チェコ戦での大逆転は興奮させられた、というよりむしろ、あの試合は最高に可笑しかった。
 チェコ DF の脆さも大きかったにせよ、全員が引きこもっているなかで、たった 15 分のうちに 3 点を奪うことができた攻撃力―― 3 点目のニハトのシュートは往年のデルピエロを(角度は異なるが)髣髴とさせる見事なものだった――と、その後のキーパー退場、FW(?)トゥンジャイのキーパー「コスプレ」という一連の「ありえない」展開との対比に、見終わったあともしばらく笑いが止まらなかった。
 プレーヤーはみな真剣にやっており、わたくしはそもそもトルコの勝ち抜けを心から喜んでいるのだが、漫画みたいで、驚きつつ笑うほかなかった。キーパーは何だかよく知らないが「火山」みたいな名前だし、トゥンジャイは、逆転ゴールを決めたニハトに次々と同僚が覆いかぶさってゆくなか、最後にやってきて、本当に空中に飛び上がってダイビングしていた人である(一番下の人がよく怪我しなかったものだ)。それが何で次の瞬間にキーパーをやってるんだ? 「俺はやるぞー」みたいな面構えは頼もしくなくもなかったけれども、本当にシュートが来たらどうなっていたことやら――そう考えると笑いを止めることは難しい。もちろん、ばかにして笑っているのではない。そうではなく、これは解放の笑いなのである。
 こういう直情型のチームに対してクロアチアはどのように戦うのだろうか。

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2008年6月12日 (木)

ユーロ、ウェールズ、「新訳」

 ユーロ 2008 (瑞・墺)が始まっている。TF1と M6 で全試合放映されるので面白そうなマッチは見るともなく見ているのだが、大差の試合が多いような気がする。3-0、4-1、……。それとも序盤戦はこんなものだったか。とはいえ、大味でつまらぬというわけでもなく、見所はある。とりあえず一番面白かったのはオランダ対イタリア。ロッベンらを欠いてなおあれだけの攻撃力が発揮されるとは!
 ロッベンで思い出したが、今大会はフィールドの端をサイドバックが駆け上がってゆくプレーが(今のところ)比較的少ないように感じられる。あと、ボールが黒白斑の懐かしいデザインとなっている。
 イングランドが出ていないことに今日初めて気づいた。イングランドばかりか、大ブリテン島とアイルランドからは一チームも出場していないではないか。サッカー版ハイネケンカップ決勝戦をついこのあいだ見たところでもあり、何だか別世界の出来事のようだ(「ユーロ? そりゃ一体どこのヨーロッパの話だ?」とイギリス人も感じていることだろう)。やはりブリテン島のチームは、少なくとも一チームは出場して、その戦法の「古くささ」(古式ゆかしい戦法ともいう)を批判されるという、母国としての義務をきっちり果たすべきである。

〔オランダがよかったと書いたばかりだが、ドイツを会心のゲーム運びで負かしたクロアチアを称えたい。この試合が今のところのベストマッチである。〕

          *

 嗚呼、ウェールズ! 襤褸負けではないか。さすがに勝利を期待しはしなかったが、それでも少しは競ったマッチになると見込んでいたぞ。
 ラインアップが発表されたばかりの第二テストは、何とジェームズ・フックがフルバック。スティーヴン・ジョーンズとの 10-12 コンビが上手く行かないのはわかっているし、また 12 番でのフックのディフェンスは
心許ない(ディフェンス・リーダーたるヘンソンの不在が痛い)。専守になったり、きついプレッシャーの中で満足行く攻撃もできなかったりするくらいなら、スペースのある 15 番の位置から突破口を――ということなのだろう。キックという攻守にわたっての大きな武器もあることだし。
 ガレス・デルヴ(グロスター)をエイトに、またバックスで最も大きいジェーミー・ロバーツを 12 番に据えるなどして、センターラインの強化がいちおう図られたとはいえ、ウェールズがまさかジャパンや神鋼のような戦略を採るとは思わなかった。悪い策とは必ずしも思わないが、スプリングボクスとのテストマッチで試すとはね。しかもフッキーはこのレベルでの FB 経験は零だし、ロバーツは FB・WTB の選手。これはもう博打ですな。

          *

 文学作品の「誤訳」が一般的な話題になるとは思わなかった。フランス文学に対する関心がいくらかでも高まるとすれば、有難いというべきかもしれない。実りある議論となればよいのだが。

 それにしても、折に触れて感ずることだが、「新訳」という言い方はどうにかならないだろうか。それはあくまで出版社など売る側の惹句(キャッチコピー)にすぎないのであって、だから訳者本人が「新訳」といってしまうと、学術の次元の問題ではなくなってしまうような気がする。翻訳者はそうしたことにいま少し自覚的であってよいと思う。
 新訳、という言葉の問題は、まずそれによって既存の訳業が「旧訳」となってしまう点にある。訓ずれば要するに「旧(ふる)い訳」だ。一般的にいって、時系列のうえで後に位置するものが必ずしも「よりよい」とはかぎらないのだから、宣伝文以外の場面では別の表現を用いた方が無難だろう。
 もちろん「新しいのだからよりよくあるべきだ」と主張することは可能だが、それはまた別の話――というか、「新訳」と称することによって、その翻訳が実際には「新しいがゆえによりよい」という意味を必ず帯びてしまうということが、第二の問題点なのである。問題というよりむしろ、訳者の責任に新たな次元が加わるというべきかもしれない。
 アントワーヌ・ベルマンは『他者という試練』でこういっている。

翻訳が「漸進的」な過程であることはいうまでもない。つまり翻訳が決定的なもの、完成されたものたることは決してありえず、そうあらんと夢想することさえ許されはしないのである。翻訳は原典以上に死すべき存在なのだといってしまおう。そしてだからこそあらゆる作品は無限の翻訳を許すのだと。〔第 7 章「翻訳の思弁的理論」、247 頁〕

 明らかに翻訳の寿命は原典のそれよりずっと短い。ヴァルター・ベンヤミンのいつもながら卓抜な譬喩をおおざっぱに借り受けていうなら、原典において、言葉と内容は果実の皮と身のようにぴったりと一体化しているのに対し、翻訳では言葉と内容は――襞の多い王のマントのように――ずれを含み、初めから分離されてしまっている。作品たる原典の言葉がいわば永遠に触れているとして、翻訳の言葉はそれとは異なりあらかじめ「賞味期限」(『翻訳夜話』)を定められているのである。最新の翻訳も宿命としてやがては古びゆく。だが、もう少し大きなスパンで、というかいま少し謙虚に事態をとらえ返してみれば、「新」も「旧」も結局のところは「無限の翻訳」の一部をなすにすぎず、両者の差は相対的なものにすぎないことが諒解されるはずだ〔※〕。
 〔
※もっとも、より大きな観点からすれば、翻訳されることを通じて原典の言葉が「再生」することもある。あるいはまた、詩の(したがって言葉の)モダニズム革命によって歴史に絶対的な断絶が導入された以上は相対的な比較は不可能だとする意見もある。詳しくは『他者という試練』やメショニックの議論を参照されたい。〕
 
別の観点からこう述べることもできるだろう。上のような理由からして「新訳」に対するある種の要請が不断に存在するとして、しかしその要請は、出版社が訳者に対して行なう要請と混同されてはならないのだと。

 100 %ニュートラルな言い方は可能だろうか。再訳――これはどうしても災厄を思い浮かべてしまうので、あまり適切とはいえない。敢えていうとすれば、結局は「 n 番目の翻訳」といったものになるのではないだろうか。ちなみに上に引用した「拙訳」は「二番目の翻訳」である。

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2006年2月19日 (日)

サッカー・フランス1部リーグ「PSG 対 ル・マン」(於パルク・デ・プランス)

 元京都パープルサンガの松井大輔がル・マンのレギュラーとしてパリにやってくるというので、人を誘って土曜日のパルク・デ・プランスに、対パリ・サンジェルマン戦を観に行った。非常に寒い晩。だが席は値段の割にはよい位置だった。
 ゲームの方は、やはりというべきか PSG がきちんと組み立てて合理的な(つまり理に適った)攻め方をするのに対し、ル・マンはそういう型をそもそももっていないように見えた。松井は守備をある程度まで免除されているのだろうが(実際、その守備は小学生みたいに足先だけを伸ばすようなものだった)、そういう点も含めて「緩い」、浮ついたチームなのだ。そういうのは決して嫌いではない。勝負としては、それこそ浮ついた形で入ってしまった決勝点を、(特に後半の)守備陣のがんばりと、GK プレのまさに鬼神並みの働きで守りきってしまったのも、何だかよかった。
 松井自身は体調がよくなかったようで、ほとんど活躍する場面を見られなかったのは残念だが、フランスでの初めてのフットボール観戦としては上々だったと思う。隣のパリジャンが盛んに Putain ! その他の呪いの言葉を発していたのも興味深かった。
 それにしてもフットボール競技場はどうして機動隊が出動するのだろうか。いや、理由はわかっている。危険だからだ(後日譚としては、実際にこのパルク付近でマッチ後に果たして人が亡くなるという痛ましい事件が発生してしまった、合掌)。リスボンのルス・スタジアム(ルスとはポルトガルの古名)、つまりユーロ 2004 の決勝が行なわれることになる競技場でポルトガル・スーペル・リーガのゲームを見たことがある。2003 年春の地元ベンフィカ対 FC ポルトだ。ポルトにやたら上手いプレーヤーがいるなと思っていたら、それはのちに代表の中心選手となるデコだったのだが、それより何より、スタジアムの雰囲気が正直いって怖かった。発炎筒はパリでも盛んに投げ込まれるし――ボディチェックはどうなっているんだ――、アウェー・チームを警官が護衛するというのも同じ風景ではある(パルク・デ・プランスでは横だけでなく上も頑丈そうなフェンスで保護されていた)。
 だが、試合中にわたくしの前に座っていた若い男性がやおら立ち上がり、右手を前方に突き出すあの敬礼ポーズで「ベンフィーカ」と叫び始めたのだ。その仕種だけで厭な予感したのだが、さらに悪いことに、わたくしの右に座っていた家族連れの男性(三十歳台と思う)も呼応するかのように立ち上がり、同じポーズをとるではないか。そして別の方からも、同様の「ベンフィーカ」が聞こえてきた。もちろんベンフィカ・サポーター全員がそうやったわけではないが、チームが結局負けたこともあり、わたくしは帰りの地下鉄で内心非常に恐ろしさを感じたのだった。
 同じフットボールとはいえ、ラグビー観戦は全く違った雰囲気になる。日本ではあまり人気がないということもあり、たとえていえばGI じゃないレースの行われる淀競馬場のようだが、フランスでは、いちおう国技ということもあるし、代表「レ・ブルー」は安定した強さを誇っているし、人気はきわめて高い。実際、スタッド・ド・フランスの観客動員数記録の上位を占めるのは全てラグビーであり、しかも第一位は、テストマッチではなく、国内リーグ戦トップ14の試合なのだ。家族連れで安全に観戦することができるのも理由のひとつなのだろうか。

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